第61話 恐怖の根源の現界 ネイム

――ノースグランド中央部アルデバラン軍収容施設 総合実験室


 巨大な実験室の台座には十数個の繭が収められていた。その繭を遠巻きにしてアルデバラン配下の幹部たちが固唾を飲んで見守っている。

 魔王アシュメディアの幹部の一人、ネイムもぼんやりと今から行われるであろう儀式を見守っている。


(もうすぐ、我らの神がこの地に降臨なされる……)


 これから始まるのはネイムたちが待ち望んでいた悪神降臨の儀式。この儀式のために、同族のアルデバランの魔族を犠牲にし、この地の魔物たちさえも生贄にささげた。この儀式が成功すれば、人間どもは滅び、この世はネイムたち魔族の世になる。少なくとも魔族は絶滅から免れる。それはとっても素晴らしいはずなのに、ネイムは賞賛する気分には微塵もなれなかった。むしろ……。


『さーて、そろそろ孵化するようだねぇ』


 ネイムの肩に乗ったリスの弾むような声。直後、台座にある真っ赤な繭は全てボロボロになって崩れ落ちていく。


『かーはははぁッ‼ 遂に真なる魔王に至ったねぇっ!』


繭から孵った三メルにもなる爬虫類の顔の怪物の全身はすぐにボコボコと波打ち始めて、赤髪の筋骨隆々の男であるアルデバランの姿を形作っていく。一呼吸遅れて次々に繭から孵化した怪物たちも、アルデバランの幹部たちの姿へと変わっていく。

 傍観していたアルデバランの配下たちから歓声と拍手が上がる。


(ち、違いすぎるっ!)


 今までのアルデバランは相当強化されていたが、あくまでネイムの判断し得る範疇内での話。それは竜王と化したケトゥスも同じだ。我が主なら、強化されたアルデバランたちとも勝てぬまでも渡り合えると踏んでいた。だが、今のアルデバランは全くの別物。あれは魔族という種族を明らかに超越している。


「これで僕もぉ、神への道が開けたぁっ! そうですよねぇ、我が君ぃ!?」


 浮かれ切った声でネイムの肩の上に乗ったリスに問うアルデバランに、


『もちろんろんさぁ。これで儀式は可能となる。このまま儀式に進むけどいいよね?』


 リスはいまだかつてないほど興奮した声色で返答する。


「もちろんですとも。我らが信じる神の御心のままに」


 アルデバランが跪くと繭から孵った部下たちも一斉にそれに倣う。


『よしよし、じゃあ、『反魂の神降し』を始めるよぉ』

 

 リスがネイムの肩から床に降りて、右手を挙げると巨大な魔法陣が出現する。


「ひっ⁉」


 その禍々し黒赤色の魔法陣を一目見ただけで強烈な悪寒が走り、鳥肌が立つ。その強い恐怖に突き動かされて、数歩後ずさっていた。そしてそれはアルデバランの配下たちも同じ。皆魔法陣から距離をとっていく。

 魔法陣は浮き上がり、球体となりアルデバランたちを吞み込んでいく。

 そしてリスは歌うような口調で舞を舞って、奇妙な詠唱を唱え始める。


――この世で最も強き力は悪♬ 

――この世で最も尊きものは悪♬ 

――この世で最も純粋なものは悪♬

――それは我らの母にして、父。生まれ出でた理由にして、絶対の価値基準!

――この世の全てを絶望で塗りつぶそう!

――この世の全てを破壊し尽くそう!

 ――この世の全てに悪の華を咲かせよう!

 ――それこそが、我ら悪の作る楽園パラダイス

 ――それこそが、我ら悪の軍の使命にして存在理由!


 魔法陣から濁流のように流れる黒赤色のヘドロは跪くアルデバランの全身を包み込む。そのヘドロに包まれたアルデバランから無数の赤色の棘が出ると繭から羽化した幹部のものどもへと突き刺さり、同じくヘドロで包まれる。


(あれは、我らが神の紋章?)


あれは遺跡で見たことがある。確かにアルデバランたちが今全体で作っている形は、ネイムたちが信じる神の紋章。これが大神降臨の儀式なのはもはや疑いはない。

だが、これは――。


(本当に信じて大丈夫なのか?)


 我らの神が降臨されるというのに、ネイムにあったのは強烈な恐怖と悪寒のみ。

 今まであれがネイムたち崇める魔族の神と信じていた。だが、もしそれが違ったら?

 いや、そもそも魔族と人間は同じ人間種。もし、もしもだ。神にとって魔族も人間もさほどの違いなどなく、ただの玩具にすぎないとしたら?


(いや、そのようなこと、あるはずがないっ!)


沸々と沸き上がる不吉な予感を、首を左右にふることで振り払おうとする。そして、事態は最悪へと至る。

 赤色のヘドロは二つに変形していく。

一つは、赤色の鎧に身を包んだ赤膚の三面の鬼の怪物。

もう一つは、全身に紅の幾何学模様が刻まれた少年。

そして、詠唱を唱えていたリスが、奇抜なメイクをし、派手な服装をした道化師の姿の男に変わる。


「へー、いきなり僕ら三柱が現界するかい。マジでびっくりだね」


 全身に紅の幾何学模様が刻まれた少年のはしゃいだ声色での言葉に、


「まったくだ。中々やるじゃねぇか、えー、糞ピエロ!」

 

 三面の鬼が両腕を組みながら、ピエロと呼ばれた道化師に話を振る。


「……やっぱり変だ」


 リスだったピエロは顎に手を当ててそう独り言ちる。


「変? 何がだい?」


 紅の幾何学模様の少年が眉を顰めて尋ねる。


「確かに僕は最終的には全員の現界も可能。そう判断していた。だが、それはあくまで最低でも数百年の時の後での話。こんなに早く、しかもたった一度で三柱も限界できるはずがないんだ……」

「だが、現に現界してるじゃねぇか?」


 三面の鬼の疑問に、


「そうさ。だからあり得ないことが起こっている。そう言っているわけさ」

 

 厳粛な表情でピエロと呼ばれた男は返答する。


「あんたはこの世にいる誰かさんが、我ら三柱を同時に現界させた? そういいたいのかい?」


 紅の幾何学模様が刻まれた少年がバカにしたようにピエロと呼ばれた男に尋ねる。

 

「……いや、すまない。流石に心配しすぎだった。そんなこと、我らクラスでもなければできない。この世界の羽虫どもには無理に決まっている」


 ピエロと呼ばれた男は、両の掌を上にして肩を竦めてため息交じりにそう呟く。


「それより、これからどうする?」

「もちろん、ここを拠点として悪軍将校を呼び寄せる。我ら三柱も一度に現界できたんだ。この度のゲームは我らが圧倒的に優位だしさ。この地には人と我ら悪の混血児がいる。あれらを生贄にすれば効率よく補充できるし」


 ピエロと呼ばれた男がネイムたちに初めて視線を向ける。


「ひぁ……」


立っていられないほどの戦慄が、全身を駆け抜けて足がカタカタと小刻みに震えだす。

 この三体の怪物たちから強者の威風は感じない。というか、鳥肌がたったあの真の魔王と化したアルデバランとは対照的に何も感じない。なのに、まさに蛇に睨まれた蛙のごとく、ネイムの膝は笑い、発汗器官が壊れたように汗が肌を伝っていた。


「貴方様は……大神様でしょうか?」


 アルデバランの配下の一人が恐る恐る尋ねると、


「そうだよ。我らは数多の神を従える大神。君らが崇めていた・・存在さ」


 ピエロと呼ばれた男はさもおかしそうに返答する。


「アルデバラン様は?」

「あー、彼ね」


 ピエロと呼ばれた男がパチンと指を鳴らすと、床に両膝を抱えた状態で座るアルデバランが忽然と生じる。


「ア、アルデバラン様ッ!」


 安堵の声を上げるアルデバランの配下の一人にピエロと呼ばれた男は悪質極まりない笑みを浮かべて、


「そうそう、今、僕はとっても機嫌がいい。これは僕から君らへの特別のご褒美さ」


 再度パチンと指を鳴らす。突如、アルデバランはゆっくりと立ち上がる。そして、次の瞬間、奴は安堵の声を上げた配下の一人の背後でその両肩を掴んでいた。


「へ?」


 間の抜けた声を上げた途端、配下の一人は爬虫類にも似た顔に変貌したアルデバランに齧られてしまう。


「ひぃぃぃっ!」


 今まで固唾を飲んで見守っていたアルデバランの配下の魔族たちは悲鳴を上げて後退る。


「悲鳴はいけないなぁ。儀式に贄としてとりこまれれば永遠の苦痛を味わうんだよ。その玩具の餌としてスパッと死ぬのを許すのは、君らの功績への僕からの責めての慈悲さ。君らは喜ぶべきなんだ」


 そんな納得がいかぬ言葉のもと、ピエロと呼ばれた男はまた指を鳴らす。アルデバランは配下だったものに襲い掛かり、食い散らかす。忽ち、この場のアルデバランの配下のものたちはその腹の中へと収まってしまう。


「さーてと」


 もうネイムは魂から理解している。あれらはネイムたちが考えていた救世主などではない。だって、あの三柱がネイム達を見る両眼には羽虫に向けるほどの尊厳も感じられなかったのだから。


「君は大変よくできた駒だった。だから、君だけは特別に逃がしてあげるよ」


 ピエロと呼ばれた男は口端を吊り上げて、今のネイルにとって最大の免罪符の台詞を叫ぶ。


「くひっ……」


 多分、これは本能だ。このままここにいれば死ぬ。それがこの時ネイムには嫌というほど実感できていた。だから、なけなしの勇気を振り絞り、


「お前たち、逃げ――」


部下たちに指示を出すが、


「残念だったね。直接動いていない君の部下まで褒美は不要だろ? だから、君の部下には贄になってもらったよ」

「え?」

 

 間の抜けた声を上げて周囲を見渡すと、


「―――っ!!?」


 声にならない悲鳴を上げた。さもありなん。ネイムの部下たちはドロドロのヘドと化していたんだから。


「さあ、僕の気が変わらないうちにさっさと行きなよ」


 金縛りから解かれたように、ネイムの身体は動き出し、三体の怪物に背を向けて走り出した。このとき、ネイムにあったのは部下たちを殺されたことへの怒りでも悲しみでもなく、ただの恐怖。その強烈な恐怖のもとに必死にネイムは足を動かしていた。

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