第60話 もうじき到来する嵐の予感

 瞼を開けると、やけにぼやけた視界。その先で心配そうにのぞき込む今の僕が最も大切な赤髪の少女が見える。


「ギル、よかったよぉ……」

 

 赤髪の少女シャルは僕に抱き着くとその胸に顔を埋めてその全身を震わせる。

 バラバラになるような鈍い痛み。また、以前の全身バッキバキの筋肉痛の状態のようだ。あの最強の存在をイメージした後だし、こうなることは想定済み。おそらく、また数日間、眠り続けていたんだろう。それよりもだ――。


 ――あの夢が僕の過去ということは?


 いやまさか、それはないな。首を左右に振ってその不吉な考えを全力で振り払う。

あれは自分の血のつながった姉すらも売り渡すほどの外道。いくら僕が過去の記憶を失っていても、そこまでの悪行をできるとは思えない。僕は善人ではないいが、そんな大それたことができるほど神経が太くない。何せ、魔物たちに阻害感を感じてへこんでいるくらいだし。

 でも……あの夢、以前とは比較にならないくらい生々しくはっきりしていた。あれはむしろ、夢というより過去にあった出来事の……。


(そんな馬鹿なことがあってたまるかっ!)

「ねえ、ギル、どうしたの?」


 シャルが不安のたっぷり含有した瞳で僕を見上げていた。


「大丈夫。なんでもないよ!」


 笑みを浮かべて全身の痛みに耐えつつ、そう叫ぶとシャルをそっと抱きしめた。

 そうだ。僕があんな外道なわけがない。大方、僕は奴に雇われたハンターで、あの武官の青年のように奴の非情さについていけず、逆らって追われる身となりこの地に迷い込んだ。そうに決まっている。

 胸の奥にくすぶる不安に押しつぶされそうになりながら、僕は自分自身に何度も言い聞かせた。


 人という生き物はいつも最悪の現実から目を背けようとする。この時の僕もそれ。あのリアルな夢の中では僕は確かにあの非道で救いようのない馬鹿王子だった。

 あの光景も肌感覚、臭い、感情すらも、他人の視点として見ているような生易しいものではなく、僕そのもの。その事実がひたすら恐ろしくて僕は、この時目を背けてしまう。

 きっと、このとき、もうじき訪れる逃れられぬ悪夢の袋小路への契機になることを僕は、朧気ながらに予感していたんだ。

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