第40話 逃亡(2)――絶望の中での出会い ゴブーザ

 どういうわけか、見張りの魔族はいなかった。ただ、黒色の色の霧が立ち込めるのみで、周囲は奇妙なほど静寂につつまれており、魔族の誰一人として出会うことなくこの魔族どもの施設を抜けることができた。

 ノースグランドの北部は既に奴らに占領されて地獄が広がっている。逃げるなら南だ。

 南には豚頭族のハイオーク族や一つ目の巨人族の上位種サイクロプス族、ハイオーガ族、牛頭のレッドミノタウロス族まだ強力な戦闘部族が多数残っている。

 普段なら絶対に手を取り合うことはないメンツではあるが、アルデバランの南下が進めばゴブーザたち同様、あの肉塊の餌になるのは目に見えている。ならば、一時的にでも手を取り合うことは可能なはずだ。

 

「もう、アタイ限界……」


 立ち竦んで泣きべをかくゴブミィの手を取り、


「もう少しだ! 明るくなったら一度、身を隠して休憩を取ろう! だからもう少しだけ頑張って歩いて」


 力強く励ましの言葉を吐く。今逃げ出せているのはある意味奇跡。だが、きっとすぐに追手はやてくる。捕まれば待つのは確実な死。今はできる限り遠くに行くのが最善だ。


「う、うん!」


 もう少しで休憩と聞いて途端に元気が出たのか、ゴブミィは歩き出す。


 どのくらい歩いただろう。もう一歩も動けない。皆、体力に限界がきかかったとき、密林が開ける広場のような場所にでる。

朱鷺色の朝の光が染める中、その広場の中心には一本の巨大な樹木が壮言に立っていた。


「ここで休憩しようよ」


 この人数だし、敵は追手の魔族どもだけではない。森をさ迷う野獣も今の疲労しきったゴブーザたちには十分脅威。ならば、野獣が蠢く森の中よりもここの方がまだ短時間なら生存確率があがるというもの。

 全員が大木の木陰で休もうと腰を下ろしたとき――。


「なんだ、これ?」


 頓狂な声を上げる筋肉質なお兄さんホブゴブリンが、自身の足に巻き付いている蔓のようなものに眉を顰めて呟く。刹那――足に絡まった蔓は持ち上がり、お兄さんの身体を逆さまの状態で上空に浮き上がらせる。


「マズイ! マダガスカルだっ! 離れろッ!」


 年配のおじさんが叫ぶやいなや大木が四方八方に裂けて鋭い牙を持つ大きな口のようなものが形成される。

 

「きゃあ!」


 隣のゴブミィがその胴体に蔓が絡みつき、その全身が上空に持ち上がる。


「ゴブロ兄ちゃん! ゴブミィ!」


 咄嗟に二人に駆け寄ろうとするが、


「いけねぇ! 坊ちゃんまで食われちまう!」


 おじさんに背後から体を押さえつけられて制止される。


「でも、兄ちゃんが! ゴブミィがっ!」

 

 マダガスカルはゆっくりと二人を高く持ち上げて、口のようなものの上空までもっていく。


(どうしてさッ⁉)


 よりにもよってマダガスカルの巣で休憩をしてしまうなんてっ! なんで、こうもついてないんだ! 故郷での何もない平凡な暮らしをあの魔族どもにあっさり壊されてから、ずっとゴブーザたちはずっとこんな悪夢の中にいる。


(オラが願ったから悪いのか?)


 確かにこんな何も変わり映えがしない生活など退屈。ゴブーザはそう思っていた。だから、口物語で過去に母が語ってくれたような、魔物たちの伝説の英雄にずっと憧れていた。

 それは魔物たちの意思を束ね、悪神に抗ったある英雄の物語。

 でも、そんなのがただのおめでたい夢物語に過ぎないことは、あの薄汚い魔族たちにあっさり占領されて骨の髄まで理解した。


 ――わかっている!


 そんなピンチのときに助けてくれる都合の良い英雄などいやしない。この糞のような世は弱肉強食。弱いものは淘汰され、強いものだけが己の意思を通せることを!


――わかっている!


 北の戦闘部族が次々に占領され餌となってしまったのだ。ゴブーザたちは限りなく今のノースグランドでは無力に等しい蟻に過ぎないということを!


(でも、オラは嫌だッ!)


 このまま幼馴染の二人を見捨てて尻尾を巻いてこの場を逃げればもしかしたら、ゴブーザは助かるかもしれない。でも――。


 ――そんなものは、ゴブーザの望む未来じゃない!


「ゴブーザ!」


 ゴブミィの助けを求める叫び声が鼓膜を震わせて、

  

(そうさ! そんなことできるわけないっ!)


 強烈なマグマのような感情が爆発した。

 このまま泣き寝入りだけは絶対にしちゃいけない。これ以上もう大切なものを奪われてたまるものかっ!


「おい、坊ちゃん!」


 おじさんの手を振り切り、道中拾った棒を握りしめ振り上げて、


「兄ちゃんとゴブミィを離せッ!」


 マダガスカルへ向けて突進する。

 蔓のような触手がうねりながら高速で横なぎして、ゴブーザの身体はまるで小さな木の実ように大地を弾み、背後の大木へと激突する。

 しばらく息ができず、身体にバラバラになるかのような激痛が走る。そんな中、ゴブーザは右手に握る木の棒をもって立ち上がる。

霞む視界のなか、丁度、二人がマダガスカルに食われようとしているのが見える。


「おおおぉぉぉっ!」


 獣のような唸り声を必死に喉から絞り出し、再度突進しようとするが無様に躓き顔面から地面にダイブする。

 即座に顔を上げると、ゴブミィと兄ちゃんが口の中に落下するのが見えた。

 

「止めろぉぉぉーーー!!」


 あらんかぎりの声を上げたとき、マダガスカルにいくつもの線が走り、口の中に二人は落ちて行ってしまう。


「くそぉ……」


 助けられなかった。また、ゴブーザは大切なものを失ったんだ。

とびっきりの無力感と喪失感により、右拳を地面に力なく打ち付ける。


「ぼ、坊ちゃん!」


 裏返ったおじさんの叫び声に顔を再度上げると、


「え?」


 植物らしき残骸とその前で二人の後ろ襟首を掴んでいる犬顔の男。

 おそらく、コボルト族と思しき男は長袖シャツとズボンが一体となったような奇妙な衣服を着ていた。

 犬顔の男は地面に兄ちゃんとゴブミィをそっとおろすと、


「ナイスファイト! こいつらは無事だ。もう大丈夫。心配するな」


 そう力強く宣言する。そのやけに頼もしい言葉を契機にゴブーザの意識は深い闇へと落ちていく。

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