第10話 気持ち悪い優しい言葉

 僕の予想通り、赤髪の少女はシープキャット族だった。しかも、彼女は族長の娘であり、人でいう巫女のような特殊な祭事を担う少女らしい。

 人間種の僕は当然のごとく投獄されてしまう。今も処刑されていないのは、きっと僕が彼女を助けたから。いや、それも正確ではないか。僕が彼女を助けたことなど本来人間種の僕を殺さない理由にはならない。それほどのことを僕ら人間種は今までしてきたのだから。

 今僕が生きていられるのは、彼らに今僕を殺せない理由でもあるから。もっとも、いつ状況が変わって処刑されてもおかしくはないわけだけど。

 石の扉が開かれて薄暗い地下牢に響く階段を下りてくる音。そして足音はこちらに近づいてくる。


「ギル、食べ物、持ってきたよ~」


 いつものように、石牢の前には陽気な笑顔を浮かべて赤髪の少女が立っていた。

 ちなみに、ギルとは僕のこと。僕のズボンのポケットには古ぼけたペンダントが入っており、そこには掠れた文字でGilと彫ってあった。それを赤髪の少女に伝えたら、僕の名前はギルとなったのだ。


「シャル、いつもありがとう」


 この一週間の間、ずっとこの赤髪の少女シャルは僕に食事を届けてくれていた。そして決まってその度に、色々な話を聞かせてくれる。暇な今の僕にとってそれは最高の娯楽になりつつあった。

 

「なんかギル、初めってあった時より、話し方自然になったね」

「そうかな……」


 自然になったのは随分今の自分の感情を素直に口にすることができるようになったから。特に感謝の言葉は当初は、すこぶる馴染めなかったが、毎日口にしているとそれは僕の日常になっていく。今では日常の挨拶として、スルリと何の抵抗もなく僕の口から出すことができようになっていた。


「うん、最初はなんかとっつきにくかったから」

「どんなふうに?」

「うーん、少し怖かった」


 怖いか。それはそうだろう。普通の人間が、記憶を失ってこんな人里離れた魔物の里の付近をさ迷っていたのだ。散歩で道に迷いましたなんて言う理由のはずがない。訳ありなのは確実だ。


「そうだな。その認識が正解かもしれない。もしかしたら、僕は血も涙もない極悪人ということもあり得るし」

 

 でなければ、こんな人が踏み込みそうもない山奥で記憶をなくしてさ迷うわけがあるものか。正直、自分自身が今は一番信じられない。


「ギルが極悪人? うふっ! きゃふ、あはッ!」


 シャルは暫し、きょとんとした顔をしていたが、すぐに堰を切ったかのように笑い出す。


「それって笑うところかい?」

「だって、ギルがそんな悪い人間なら、そもそも私を命がけで助けようとするわけないでしょ」

「いや、それはきっとたまたまだ」


 あのとき、なぜシャルをたすけようとしたのかは自分でもわからない。シャルが襲われているのを目にした途端、視界が赤く歪み、体が自然に動いていた。

 だけど、これだけは断言してもいい。シャルを助けたのは彼女が言うような正義感からではない。もっと独善的で自分勝手なもの。多分、僕は――。


「それでも私にとってギルは命の恩人。それは絶対に変わらない」


 シャルはそうはにかむような笑顔で音調を強めてそう僕に告げてくる。

 気まずさを誤魔化すように、


「それは、どうしたんだい?」


 ずっと気になっていたシャルが首にしているペンダントを指さして尋ねる。それは僕の持っていたものと同様、ボロボロでありかなり年期が入っているものだった。


「これはあるひとから貰ったものなの」


 シャルは得意そうにペンダントを僕に向けてくる。


「あるひと?」

「うん、幼い頃、私が森に迷っていたら助けてくれた人族の女性」


 そうか。シャルが人族の僕に警戒心がない理由がわかった。過去に助けられ、人とはそんな無条件に助けてくれるもの。そうどこか思い込んでいるんだろう。

 だが、記憶を失った今でもこれだけは断言できる。人族とはそんなご綺麗なものじゃない。もっと薄汚く利己主義の塊のような存在だ。人の良心というものをこれっぽちも信じられない以上、やはり僕は相当の糞野郎だったんだと思う。

 それは今もこの少女を利用すれば上手くここから無事逃げられる。そう考えてしまっていることからも明らかだ。でも――。


(くはっ! 逃げるってどこにだよ?)


 笑ってしまう。仮に百歩譲って人里にたどり着いたとしても、僕がお尋ね者の場合、そこで処刑される可能性だってあるのだ。いや、こんな辺鄙な場所に丸腰で迷い込んでいることからも、僕は人目をはばかる生活をしてきたのはほぼ間違いない。もしかしたら、即座に処刑されない以上、この僕にとってこの場所が一番、安全な場所かもしれないんだ。少なくとも彼女の僕に対する認識が変わらぬうちは。

 実のところ意識を保つのが限界だった以上、シャルに助けてもらったのは僕の方だ。それを指摘もせずに、自分が助かりたいために恩人の良心すらも利用する。やっぱりだ。僕の本質は自分だけが一番大事な真正のクズ野郎なんだと思う。

 自嘲に口角を上げると、


「君の幼い頃のこと、もっと聞かせてくれよ」


 僕はそう可能な限り、優しい声で懇願の言葉を吐く。そんな自分がとても気持ち悪くて、右手を痛いくらい握りめながら、楽しそうに話すシャルの昔話に耳を傾けた。


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