第31話 不吉極まりない言葉 イネア

 怪物が【華の死都】内の森へと姿を消した途端、イネアは両膝を突く。

 足はガクガクと震え、汗腺がぶっ壊れたように滝のような冷たい汗が全身を流れでていた。そしてそれは、一騎当千を自負する他のバベルの職員たちも同じ。ただ、皆、あの怪物との戦争が回避されたことに心の底から安堵していた。


「マスター! 彼と事を構えるなんて正気ですかっ! 下手をすれば、このバベルの全ハンターが犠牲になっていたかもしれないんですよ!」


 胸当てと丈の著しい短いパンツという露出度の高い服装を身に着けている女性が、涙目でラルフ・エクセルに詰め寄っていた。


「わかっとる。儂も肝を冷やした。というか寿命が数十年縮まったわい。もう二度とあいつを怒らせるのはごめんじゃい」


 ラルフも大きく息を吐き出すとペタンと地面に腰を下ろす。そして、隣で微笑を浮かべているローゼマリー王女に顔だけ向けると、


「儂らハンターギルドは、今回の件には無関係。王女、それでよろしいですかな?」


 疲れたように問いかける。


「ええ、カイにはあとでそう伝えておきます。ラルフ様たちに敵意がないと分かればカイがあえて敵対することはないでしょう」


 笑顔で答えるローゼ王女の顔からは、不安のような否定的な感情は微塵も感じられなかった。


「ハンターギルドの方は完全にとばっちりだし、別に師父は理不尽じゃねぇ。心配はいらねぇよ。むしろ、問題はあんたらバベルの方だろうさ」


 2メルはある筋骨隆々野性的な風貌の男、ザックがイネアをチラリと見ながら、今一番危惧していたことを指摘する。

 今回イネア達はカイ・ハイネマンの配下との策謀に乗っただけ。だが、あの様子だとそんな理由をいくら彼に宣っても、まったく減刑の理由にはならないように思える。それほど強烈な覚悟を感じた。まさに、バベルという組織をこの世から消滅させようとするだけの。


「貴方もそう思いますか?」

「まあな。実際にそこの身の程知らずのボンクラどもが、師父を本気で激怒させやがったからな。ありゃあ、ダメだ。もう、なるようにしかならん」


 背後で捕らえられ、項垂れている副学院長派の職員に親指の先を向けると、首を左右に大きく振る。


「つまり、ライラ・へルナーの安否にバベルの未来はかかっていると?」

「ああ、実のところ師父は自分で考えているよりずっと家族想いだからなぁ。ライラ・へルナーだけじゃねぇ。もし、俺達の誰が欠けようときっと同じさ」

「ではもしライラ・へルナーの身に危害が及べば」

「当然、師父はあんたらの聞く耳など一切持たずに、バベルを滅ぼす。それこそ跡形もなくなるくらい徹底的にな。俺たちには止めるすべはないし、そのつもりもない。あとは、ライラという名の嬢ちゃんが無事でいてくれることをただ願うだけだ」

「そう……ですか」


 自身の微笑が罅割れていくのを自覚する。綱渡りだとは理解していたし、彼が自身を人間だと認識していることも知っていた。だが、彼は最強の超越者。その彼がここまで人間臭いとは想定していなかったのだ。


「確かにギリメカラ派の暗躍もあり、お前たちもそれに乗っかっただけである。だが、真っ先にこの塔の一部の者が我がマスターを殺そうとしたのは事実なのであろう?」


 この状況に大して興味がないのだろう。やる気なく大きな欠伸をしつつも、異国の衣服に片眼鏡をした美しい女はそう問いかけてきた。


「はい」


 カイ・ハイネマンの暗殺は副学院長側があの馬鹿王子の依頼を受けて策謀したこと。副学院長もバベルの一員には違いない。だからそれは紛れもない事実だ。


「ならば、ある意味自業自得であるな」

「だよなぁ。それなら、ギリメカラ派が絡んでくれてかえって良かったんじゃねぇのか?」


 腕を組みながら、ザックはしみじみとそんな感想を呟く。


「確かに、マスター配下のあの濃い連中がこの件を知れば大激怒どころの騒ぎじゃない。問答無用にこのバベルという組織自体が滅ぼされていたのである。ある意味羽虫人間好きの変態集団ギリメカラ派故に、バベル側に接触するというこんな回りくどいやり方をしたわけであるし」


 意味不明な会話をするザックと片眼鏡の女性。だが、なぜだろう。意味不明なはずの内容に、さっきから鳥肌が止まらない。


「だよなぁ。でもよ、ギリメカラのオッサンって、ほら、かなりアレじゃね? この件、無事収束するものなんかね?」


他人事のようにぼんやりと呟くザックに、


「この件にはルーカスも駆り出されている。よほどのイレギュラーが起きない限り、マスターの介入でこの事件は手打ちとなるはずである」

「このタイミングでルーカスのオッサンかよ。益々嫌な予感しかしねぇな。しかも、イレギュラーか……それってこの状況では最悪のフラグだろ?」


 ザックはしばし顎を摩って考え込んでいたが、うんざりした顏で片眼鏡の女性に尋ねる。


「流石にそれは考えすぎ……」


 鼻で笑っていた片眼鏡の女性は突如、顔を顰めて【華の死都】の遥か遠方を眺め、


「――でもないようである」


 そんな不吉極まりない言葉を吐いたのである。


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