第19話 少し寝てなさい

 無造作に放ったローマンの槍のにより、ゾンビの頭部は吹き飛び、石突により、スケルトンの頭部は粉々に粉砕されてしまう。

 一呼吸で数体のアンデッドどもを屠った後、くるくるとまるで槍を手足のように操るローマンに、


(やっぱり強い!)


 ルミネ・へルナーは内心で敗北の言葉を吐き出していた。

 さっきからアンデッドどもを倒しているはローマンただ一人。ルミネも、茶髪坊主の少年、キラビもただ遠巻きにその戦闘を見ているだけにすぎない。

 あまりにルミネ達とローマンとの実力に差がありすぎて、下手に手を出せば逆に足手纏いになるのが落ち。それが明確に予想できてしまっていたから。


(くそっ! くそっ! くそぉッ!!)


 このままでは、へルナー家の目論見通りに運んでしまう。

 実家のへルナー家は、本家も分家も代々剣術で生計を立ててきた家柄だ。武術の才を持つ血統の維持はある意味至上命題でもある。故に、この世界でも有数の槍王の血統を欲しているのだ。

 今回、へルナー家がバベルの受験を許したのは、お姉さまに考える猶予を与えるため。

 この点、お姉さまは婚姻の相手は自分自身で選ぶときっぱりと宣言している。お姉さまは頑固だ。一度決めたら絶対にその考えを曲げない。翻意が不可能と知ったアイツらはよりにもよって分家であるルミネとローマンの婚姻をちらつかせている。

むろん、ルミネとローマンは犬猿の仲であり、根本的にそりが合わず、結婚など悪質な冗談に他ならない。それは周知の事実だ。

 要は、へルナー家はお前がローマンと添い遂げねば、ルミネと婚姻させるぞと脅迫しているのだ。

 きっと、このままではお優しいお姉さまはバベルの卒業後にあのおぞましい故郷へと戻り、そして――。


(いやだ! それだけはいやだ!)


 別にお姉さまが幸せならいい。だが、ルミネが原因でお姉さまが不幸になるなど耐えられない。

 結婚するなら、ローマンよりはカイ・ハイネマンの方がましだ。少なくともカイはお姉さまに強要だけはしないはずだから。それにお姉さまはきっとカイを――。

 ルミネの思考が暗礁に乗り上げかけたとき、


「すごい槍さばきだ」


 茶髪坊主の少年、キラビが両手を叩く。


「……」


 賞賛の言葉など聞き飽きているせいだろう。大して興味もなく無言でキラビに背を向けて歩き出すローマンに、


「あーあ、やっぱり、真っ向から挑んでたら負けてたかもねぇ」


 そんな意味不明な台詞を吐く。同時にローマンはよろめくと、地面に這いつくばる。

 そのローマンの額に浮かぶ滝のような汗。そして、薄気味の悪い笑みを浮かべているキラビの姿を一目見て、強烈な悪寒が全身を駆け巡り、


「な、何よ、あんたっ!?」


 そう叫ぶとともに、咄嗟に背後に跳躍して身構えるが、


「無駄なんだなぁ」


 キラビの陽気な声とともに無数の小さな生物に取り囲まれる。


「は、蜂?」


 それはごく見慣れた日常でも見られる極小な生物。


「ッ!」


 突如、首筋に鋭い痛みが走り、咄嗟に右手で叩いて振り払う。右手には一匹の小さな蜂の死骸がへばりついていた。


「酷いなぁ、僕の大切な毒蜂どくばちちゃん、死んじゃったよ?」

「あ、あんたぁっ!」


 何とか言葉を振り絞るが――。


「でもぉ、これで君もお・わ・りぃ」


 キラビが人差し指をルミネに向けた途端、その全身は糸の切れた人形のように崩れ落ちる。以降、ルミネの身体はまるで石のように指先一つ動けなくなってしまっていた。


「安心してよぉ。今、君たちの身体に打ち込まれた毒は麻痺毒。それ自体では死にやしない」

「き……さ……ま」


 掠れた声で怨嗟の声を上げるローマンに、キラビはスタスタと接近すると、その顔を蹴り上げ、踏みつける。


「随分威勢がいいねぇ。君ぃ、今自分の立場が――」


ローマンは仰向けになると、キラビの顔に唾を吐きかけて、


「屑……が」


 震える事で罵声を浴びせる。その行為に忽ち、キラビの顔中に太い青筋が張りついていき、


「そんな生意気で無礼な君が、初めて会った時から、僕はとぉーても、ムカついてたのさぁ!!」


 狂ったように何度も何度もローマンを蹴り上げ、踏みつける。切れた口や額から血飛沫が飛び散るほど、キラビは蹴りつづけた。

 

 思う存分、いたぶった後、遂にローマンは白目を剥いて脱力してしまう。

キラビは肩で息をしながらも、


「いけない、いけない、つい殺してしまうところだった。こんなんで殺すなんてこの僕、毒蜂どくばちの矜持に反する」


 首を左右に振り、数回深呼吸をする。そして先ほどの憤怒の表情とは一転、悪質な笑みを浮かべて気を失ったローマンからルミネに視線を向ける。たったそれだけの動作で戦慄が体を突き抜け、悲鳴が口から漏れそうになるが、それを済んでのところで飲み込む。

 キラビはそのルミネの恐怖の表情を満足そうに眺めながら、人差し指を顔の前に持ってくると、無数の蜂が纏わりついていく。

 

「君ら二人には、この子たちの苗床になってもらうよ」


 キラビは弾むような口調でそう宣言する。


「苗……床?」


 ルミネの疑問の言葉にキラビにさらに笑みを深めて、


「そう。君らの肉体にこの子達が卵を産んで孵化させる。この子達の成長には人の肉が最も適しているのさぁ」


 歌うようにそんなルミネたちにとって悪夢に等しい台詞を吐く。


「さてさてさーて、じゃあ、ルミネちゃーん、さっそく君から行こう。ローマンは起きたら改めて肉団子にしてあげるよぉ」


 己の名を呼ばれただけで、背中をつららで撫でられたような悪寒が走る。

そんなルミネの恐怖を楽しむように、


「ゆっくり、ジワジワと君らの肉を食い破り、この子達が大勢はい出てくる。小さな蜂たちが大勢身体を食い破って出てくる中でその痛みで絶命する。中々味わえない経験だよぉ」


キラビはゆっくりとルミネに近づいてくる。


「く……るな」


 必死で拒絶の言葉を吐くが、そんなものは逆にこの男のサディスチックに火をつけるだけ。それはルミネにも十分すぎるほどわかっていた。それでもそう懇願せざるをえなかったのだ。だって、蟲に生きたまま食われて死ぬなんて、そんな死に方絶対に御免だったのだから。


「だめ、だめ、我儘はいけないなぁ。君もレディなら受け入れるべきだよねぇ」


 ゆっくり近づいてくる無数の蜂たちを纏ったキラビの右手。

 あれがルミネに触れれば、蜂たちに卵を産み付けられて、想像を絶するほど残酷な形で死ぬ。


(嫌だ! そんなの嫌だ!)


 涙が溢れ視界を遮る。

 死にたくない! 死ぬのは嫌だ! もし死ねば逢えなくなる。父と母に逢えなくなる。兄妹たちにも逢えなくなる。お姉さまにも逢えなくなる。そして――。

 走馬灯のように次々にあの嫌でしかなかった故郷の記憶がよみがえり、弾けて消えていく。

 そしてルミネが最後に思い浮かべたのは、意外にも父と母でも兄妹でもなく、大好きなお姉さまでもない。幼い事からずっと優しかった黒髪の少年だった。


「だ……ず……で、カイ兄じゃん――!!」


 指がルミネに触れる寸前、無我夢中で叫んだときキラビの右手が纏う蜂どもとともに粉々に砕け散る。


「ひへ?」


 素っ頓狂な声を上げて、砕け散った右手首から吹き出る鮮血を眺めていたキラビは、


「うがぁぁぁぁっ!!」


 劈くような悲鳴を上げる。

 そんなキラビなど一瞥すらせず、黒髪の少年はルミネを担ぎ背後の大木の根本まで移動するとそっと寝かせて、


「少し寝ていなさい」


 何度も聞いた優しいあの声でそう語りかけてくる。それを合図にルミネの意識は強烈な安堵感とともに急速に薄れていった。

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