第6話 説明不能な気持ち アンナ・グラーツ

 アンナ・グラーツはバルセの街中を一人歩いている。アンナの今の気持ちに呼応するかのように肩は次第に落ちていく。

 今、アンナが沈んでいる主な理由は、ローゼ様がアンナをあの特大の背信者――カイ・ハイネマンよりも才能がないと断定したことにはない。

 もちろん、ローゼ様に言われたことに、当初、かなり落ち込んだし、腹も立った。

 だが、アンナのグラーツ家は、代々王族に仕える由緒正しい聖騎士の家系であり、アメリア王国貴族の末席として、ローゼ様のお傍に仕えることが許されていた。歳も比較的近いこともあり、アンナとローゼ様は、姉妹のように育っている。だから、口喧嘩など日常茶飯事であり、その程度のことをローゼ様に言われたくらいでいつまでも落ち込んでなどいない。

 今回アンナがこうも沈んでいる理由は、あのハイネマン騎士爵家の無能――カイ・ハイネマンにある。

 カイ・ハイネマンの恩恵ギフトは【この世で一番の無能】だ。

 恩恵ギフトとは、アメリア王国の主神である聖武神アレスが、人という種に与える特殊な才能である。そして元来、この神聖アメリア王国では恩恵ギフトの質により、そのものの徳を判断してきた。恩恵ギフトの質が高ければ、そのものはアルス神に愛されており、低ければ、アルス神から敬遠されるような徳しかない人物なのだと。

 この判断基準は、この国において、就職、婚姻、交友関係にいたるまで多岐に採用される。

特にアンナのグラーツ家は伝統ある聖騎士の家系。その考えを幼い頃から徹底的に教え込まれてきた。

 そしてその判断基準からすれば【この世で一番の無能】とは、この世で一番神に愛されていない人物と同義。つまり、この世で一番徳のない生まれながらの背信者ということになる。

 元々、ローゼ様はお優しい方だ。だから碌な恩恵ギフトも有しない背信者たちにも平等に接してくださる。だからローゼ様を害虫と罵ったあの背信者にも手を差し伸べるんだろう。

しかし、ローゼ様のギフトは聖女。最も神に愛されている才能。最も神から憎まれている人物など触れただけで穢れてしまう。聖騎士として、それだけは避けなければならない。

 それがアンナの使命。そのはず。そのはずなのに、どうしても、アンナには、カイ・ハイネマンがそのような穢れた存在には思えなかったのだ。もちろん、貞操を奪われそうになったところを助けてもらったこともあるのだろう。

 だが、奴はローゼ様を害虫とまで罵った許せぬ冒涜者だ。助けてもらったことを差し引いても憎むべきで、生理的嫌悪を覚えてしかるべき人物のはず。

 なのに、カイが傍にいるとなぜかほっとしている自分がいた。安堵している自分がいた。それが、アンナにはどうしても許せない。だって、それはローゼ様を蔑んだその行為さえも肯定しかねないことのはずだから。

 だから徹底的にカイを避け続けて今に至る。ローゼ様は、きっとそんなアンナの複雑な心持を理解してくださっているのだろう。あれからずっと一人でいる事に注意一つしなかった。


(私、何やってんだろ……)


 ただ、カイと顔を合わせたくない。そのためだけに、今このバルセの街を歩いている。自分でも説明不能な子供の癇癪のような感情からの行いに、アンナは強烈な情けなさを覚えていた。

 突如、聞こえてくる男の怒鳴り声。


「早く歩け!」

「ご、ごめんなさい……」


 音源に視線を向けると、黒色の服を着た大男が、銀髪の少女を鞭で打ち付けていた。

 あの子は獣人族だ。多分、どこぞの恥知らずな兵士が、戦争のどさくさで、無理やり連れて来て、奴隷商に売り払ったのだろう。

 アンナは奴隷が嫌いだ。奴隷そのものが嫌いというよりは、人を物や家畜のごとく売り買いする、その行為に強烈な吐き気を覚えている。いや、奴隷制度に限ったことじゃない。アメリア王国で常識とされる様々なことに、アンナは強い嫌悪感を覚えている。だからこそ今まで、必死に周囲に合わせようと努力してきた。だけど、やっぱり無理。どうしても、アンナは受け入れられない。多分、アンナは聖騎士として、出来損ないなんだ。

 だってほら、こうして王国の聖騎士なら見過ごすのが当然なことに、また食って掛かってしまうのだから。

 奴らとの口論の末、アンナのストレスが頂点に達し、剣の柄に手をかけたとき、アイツが現れて勝手に話をまとめてしまった。

 20日以内に、200万オールという大金で銀髪の獣人の少女を購入することを約してしまう。奴隷を購入する。その事実には強烈な忌避感が湧くが、確かに、冷静に考えてみればそれしか方法はない。むしろ、本来なら誰にも迷惑をかけずに、アンナの希望を叶えたアイツに感謝すべきことなんだ。だけど、それはアンナの性格からして、絶対にできないこと。

 アイツは最初、見ててイライラするような軟弱な性格をしていたが、あの事件以来、態度はもちろん口調までも激変し、このように我が物顔で振舞うようになる。

 一方でそのアイツの態度や行動に、怒りは覚えても嫌悪感が湧かない。やっぱり、アンナは壊れているんだろう。


 ローゼ様が待つ宿に向かう途中、アイツは不意に思い出したように立ち止まると、アンナに向き直り、


「そうそう、アンナ、よくやったな」


 いつもの不敵な笑みを浮かべながら、そう口にする。

 アイツに初めて名前を呼ばれた事、そして初めて褒めてもらったことがなぜかとても心地よくて、


「早くローゼ様の元へいくよ!」


 緩む口元を必死で抑えてアンナはアイツに叫び、速足に歩き出したのだった。


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