第7話 悪夢のような現実


 『ゲーム』とやらをクリアできなければ、この空間からは出られない。それを見つけるためこの神殿内を探索すると、直ぐにお目当ての場所は見つかった。


「これってダンジョンだよね?」


 神殿の奥には大きな扉があり、その先には視界を埋め尽くす青一色の石製の通路。どこからどうみてもダンジョンだ。要するにこれをクリアしろってことかな。

 ここで手をこまねいていても、どうしょうもない。出口がなく、ルールがこのダンジョンの攻略を求めている以上、先に進むしかないんじゃないかと思う。

 【とんずら靴】を履いて、腰の鞘からナイフを取り出し左手に持つ。ボクは非力だし、ただの棒より、ナイフの方がまだ勝算が増すからだ。

 ヒンヤリと肌を刺激する石床の冷気に、背筋に冷水を浴びせられたかのようなゾクゾクする感じ。これは幼い頃に僕がずっと夢見た冒険だ。あの天啓で無能の烙印を押されて諦めてしまった冒険だ。

 僕はあの天啓以前はハイネマン流剣術を継ぐことを強いられてきた。でも僕が幼い頃から焦がれていたのは母さんと同じハンターであり、剣術道場の師範ではない。

だから、あの神殿での天啓の儀式で僕は内心、剣術とは無縁のギフトを願ってしまっていた。もしそうなればお爺ちゃんも僕がハンターになることを許してくれると思ったから。でも、結局僕は天啓で無能の烙印を押され、ハンターどころか今まで必死に鍛錬してきた剣の道すらも失った。

 だからだろう。この皮膚のヒリツク緊張感は僕をどうしょうもなく高揚させていたのだ。


 壁伝いに十分周囲に気を配りながらも直ぐに地上へ戻れるよう後方への注意も怠らない。それが、ダンジョン探索の基本。まあ、これはあくまで母さんの部屋にあったハンター教本の知識だけどさ。

 青色の石の通路を少し進むと十字路へ出た。どっちに行くべきかな。わかりやすく真っ直ぐに進もうか。


「へ?」


 足を一歩踏み出したとき、右側の通路で蹲って何かを食べている生物が視界に入り、僕の思考は一瞬完全停止していた。

 刹那、背骨に杭が打ち込まれたような激痛が全身を駆け巡る。一呼吸遅れて僕の右腕から噴水のように吹き出る真っ赤な液体とその生物が今食べているものを認識し、ようやく僕はこの現状を理解した。

 そう。その飛蝗バッタの頭部を持つ怪物が食べているものは、僕の右腕だったのだ。


「ぎひぃやああああぁぁッ!!」


 必死だった。絞殺されかかった雄鶏のような悲鳴を上げながら、僕は出口へ向けて直走ひたはしる。

 僕は今、何をされたんだろう? あいつに攻撃されたのか? でもまったくみえなかったぞ? そもそもあの怪物は一体なんだ? いや、そもそも僕はなぜ今、こんな目にあってるんだろう?

 わからない。わからないけど、ただ、この状況がどうしょうもなく怖くて、恐ろしい!!

 怖い! 怖い! 怖い!  怖い! 怖い! 怖ぃぃぃーーーー!!

 さっきまであった気が狂わんばんばかりの痛みは不自然なくらいなくなり、ただ身体中を暴れまわる熱と頭がショートしそうなほどの激烈な恐怖のみが僕の足を全力で動かしていた。

 それからどうしたのかあまり覚えていない。

 僕は神殿前の荒れ地を歩いている。

 既に朦朧する意識の中、不気味なほど青色の泉の中に身を投げて僕の意識はプツンと途絶える。



 瞼を開けると、燦々と照らす太陽。日差しに目を細めて、周囲を見渡す。

 どうやら僕は真っ青な水面にプカプカと仰向けで浮いているようだ。

己の身体が泉に沈まないことに、若干の違和感を覚えながら、気怠い身体に鞭打ち水から這い上がる。

 ボーとして、頭が上手く働かない。僕って今なぜ、こんな場所にいるんだっけ? 

母さんから呼ばれて王都へ向かい、一週間くらい馬車で揺られてキャンプした際にローゼと話して、用を足そうとテントから這い出たとき、あの赤髪の男に遭遇した………。


「―――っ!!?」


 僕を襲った一連の悪夢のような光景が次々にフラッシュバックし、波が引くように全身から血の気が消失していく。

 そうだ! そうだった! 僕はあの獣に追い立てられてこの場所へ行きつき、あの神殿のダンジョン内へと進み、あの飛蝗の怪物に右腕を食われて逃げ帰って――! 僕の右腕は!?


「み、右腕は、なんともない……」


 泣き出したくなるほどの安堵感に大きく息を吐き出し、ペタンと地面に腰を下ろす。

 大方、夢でもみていたんだろう。もしあれが真実なら右腕が無事なはずがない。そうさ。多分、あれは夢だ。ようやく、普段並みの思考が回復したとき――。


「あれ、この右腕の服……」


 そう。確かに皮膚にはかすり傷一つない。しかし、右腕の衣服は根元からちぎれてなくなっていた。そしてちぎれた服の周りについた染み。それは一見して血餅のようにも見えるわけで……。


「エリクサー」


 突如頭に上ったその語句を無意識に呟いていた。

 そうだ。そう考えれば全て辻褄があう。あってしまう。

 僕はあの飛蝗の怪物に右腕をもぎ取られて、命からがら逃げかえり、このエリクサーの泉に落下し意識を失った。つまり、今僕の右腕に掠り傷一つないのはエリクサーにより修復されたことが原因……。

 もし、あの神殿の地下のダンジョンでの出来事は夢ではなく全て真実ならば、僕はあの地獄のような場所へ再度の進行を強いられる。


「ふざけんな! 嫌だ! それだけは絶対にいやだ!」


 僕にはあの飛蝗の動作が、欠片も認識できなかった。あいつに切断されたものが腕ではなく首なら、僕は死んでいた。僕がこうして生きているのはただの運。偶然に過ぎない。


「いや、まだ、そうとは限らない。こうして右腕も無事なわけだし――」


 己を何とか奮い立たせようと神殿の方を振り返り、その地面にまき散らされた大量の血液が視界一杯に入る。


「はは……」


 そうか。そうだよね。僕っていつもこうだ。僕が望んだことは、決まって最悪の形で拒絶されてしまう。

 僕の未来に立ちふさがる途方もなく厚くも重い灰色の壁に、自然に乾ききった笑い声が上がるのを自覚する。その声は次第に泣き声に変わっていく。

そのあまりに残酷極まりない運命に、僕は数年ぶりに声を上げて泣いたのだった。


 泣くだけ泣いてようやく気持ちが落ち着き、大分冷静に考えられるようになった。

どの道、今の僕にはあの飛蝗は倒せない。踏み込んでも奴らの餌になるだけ。でも、ここにから出る方法は、あのダンジョンをクリアするしかないわけで。

 朝まで待てばローゼマリーが捜索隊を派遣してくれるとか? いや、あのローゼマリーの従者たちが僕の探索などという命令に従うものか。それはアルさんが厳命したとしても断固として拒否することだろう。それにそもそも、ここの内外の時間が停止しているんだし、明日の朝という経過自体がありえない。

 ヤバイな。八方塞がりだ。ともかく、こんな場所で野垂れ死ぬのは御免だ。それにまだ状況が好転する可能性も残されている。例えば、この空間に閉じ込められているのが僕だけじゃないとか。もしこのダンジョンに挑戦している者がいるのならこの場で待機していれば何れ会えるかもしれない。

 だとすると、水と食料の確保が最優先。この点、水はこの無限に湧きでるとされるエリクサーがあるから確保できている。問題は食料だ。



「やっぱりないか……」


 一通り見回ってみたけど、木の実どころか、葉すらなく小動物もいない。石や岩の影には芋虫のような生き物はいたが、これは猛毒を有しておりとても食べられない。まあ、あんな気色悪いもの毒がなくても食べたくはないけど。

 くっ! まだだ。ここの内外の時間が完全停止しており、僕も歳をとらないなら空腹自体の概念がないのかもしれない。もしくはエリクサーにより空腹の状態さえも回復してくれるということもありえる。今はそれらにかけるしかない。

 ともかく、体力を消耗する行動は厳禁だ。

僕は地面にゴロンと横になると瞼を閉じる。


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