第164話 僕は御茶ノ水勤務のサラリーマンだったけど、渋谷で探索者として生きることに決めた

 気が付くと暗い広間に立っていた。

 等間隔に並ぶ明かりが円状に周りを囲んでいて、後ろにはさっきくぐったような黒い水面が浮いている。

 隣に立っていたオルドネス公が行きなよと言わんばかりに出口を指さす。


 幕の様な厚い布をくぐると、ガラスとその向こうのスクランブル交差点が見えた。QFRONTビルか。

 時間は6時位っぽい。紫色の夜空が広がっている。空の色は向こうもこっちも変わらないな。


 久しぶりの渋谷スクランブル交差点に出る。

 大きな天幕がかけられていて、現代東京程じゃないけど、人でごった返していた。


 鎧姿の探索者、ウェイトレスの女の子。料理の匂いと喧騒と歓声。熱気はむしろこっちの方が強いくらいだ。

 見たことがある顔もある。見たことのない顔の方が多いけど。この二年で随分探索も進んだんだろうか。

 

 アーロンさんや都笠さんはまだこっちにいるんだろうか。セリエはどうしているんだろう。

 誰か聞ける相手を、と思って周りを見回すけど。


「あら、風戸君」


 後ろから懐かしい声がかかって振り向くと。そこにいたのは都笠さんだった。


 

 前と同じような、動きやすそうなスポーツウェアに赤っぽい革で作ったプロテクターのような鎧を着ている。

 でも纏っている雰囲気がすっかりファンタジー風って感じになっていた。最後に会った時のようなコスプレっぽい違和感はもうなくなっている。


「おう、スミトかよ……久しぶりじゃねぇか」

「ようやく戻ってきたのか、遅かったな」


 一緒にいたリチャードとアーロンさんが手を挙げて挨拶してくれる。その後ろにはレインさんがいて小さく頭を下げてくれた。

 都笠さんは今はアーロンさんたちとパーティを組んでいるんだろうか


「……お兄ちゃん」


 そしてこれまた鎧姿のユーカが目を見開いて僕を見ていた。まだ探索者をしているのか。

 お母さんと一緒にガルフブルグのほうにいるのかと思った。


 随分背が伸びたな。お母さんの血筋だからだろうか。大人っぽくなった

 ユーカがこっちに一歩踏み出してきて、足を止めた。


「どうしたの?」


 ユーカが首を振った。


「あたしはあとでいいの……あのね」

「あのね、風戸君。優しい都笠さんがいいことを教えてあげるわ。君の命にかかわる事よ、よく聞いてね」


 都笠さんがにっこり笑って近づいて来て僕の肩を叩いた。


「あの子はね、ずっと風戸君を待っていた。一日も欠かさずに……もし風戸君が戻ってきたとき、だれも迎える人がいないなんてことはできないって言ってね」


 笑顔のままだけど……目が座っている。


「ちなみに、君がどこかに行っている間に、あの子はあたしが知ってるだけでも4回は告白されてるし、何度もパーティに誘われてるわ。でもあの子はね、自分が傍にいたいと望むのは一人だけっていって全部断ってるのよ。健気よね」


 わざとらしく都笠さんがうなづいて僕をじろりとにらむ。


「まあつまり、君は結構妬まれたりしてるってことなんだけど……ところで、風戸君。君はあの子に何も言わずに帰ったそうじゃない」

「いや……あのね、本当は」

「すぐ戻ってくるつもりだったのよね。ええ、知ってるわ」


 こうなってしまったのは僕としても予想外というか、こんなつもりじゃなかったんだけど。


「ただ、結果的にそうなったわけだしね。ちなみにここにいる皆がそれを知ってるわ……この意味、分かるわよね」


 都笠さんがもう一度肩を強めに叩いて、ハチ公像の方に押された。

 探索者達の人垣がさっと割れる。


 ハチ公の横に立っていたのは……最後に見た時とほとんど変わりがない。

 肩くらいまでの短いブラウンの髪とそこから柔らかく立った獣耳。白黒のメイド服。

 セリエが静かに頭を下げた



 何を言うべきなのか、言葉が今一つ出てこない。


「ここで……お待ちするつもりでした」


 僕より先にセリエが静かに口を開いた。


「この子は、ずっと主を待ったと聞きました。スズ様に。だからここでお待ちすべきだと思いました」


 セリエがハチ公の像に静かに触れた。


「もしご主人様がおられなければ……お嬢様は奥様と共にラクシャスに飼われていたでしょう。私はどこかの娼館で死んでいたと思います……ご主人様が世界を変えてくれました。私の周りの世界のすべてを」


 セリエが静かに続けた


「ですから……お帰りになるまでお待ちするつもりでした」


 なんとなく、ユーカのお母さんはいま落ち着いて暮らせているんだろうなと言うことが分かった。

 もう旧領に戻れたんだろうか。ヴァレンさん達は元気だろうか。


「ご主人様……私はもう奴隷ではありません」


 そう言ってセリエが手を広げる。白い手にあった制約コンストレイントの黒い文様が消えていた。


「ご主人様が元の世界にお戻りになったから消えたようです」


 言われてみると、僕のも日本に戻った時に消えた……こんな解除の方法があるとは思わなかったな。


「ですから……ここでお待ちしたのは、私の意思です……でも、あの」


 そう言ってセリエが言葉を切って僕を見た。


「ご主人様、もう私は奴隷ではありませんから……私は……ご主人様のことを……」


 何か言いかけてセリエがまたうつむいた。


「あの……ずっと……待ちました……………お会いした日からずっと」


 セリエが僕を見上げて言葉を切る。


「ずっと……待ちました」


 セリエが何を言いたいのかは、鈍い僕にでもわかった。

 そして、周りが何やら殺気立った雰囲気になっていた。おいおいマジかとか、本当に何も言ってねぇのかよあの野郎とかひそひそ声が聞こえてくる。


 『その言葉』を言ったことなかったっけ?と思ったけど……でも言っていないんだろう。

 この状況で、言ってなかったっけ、などと言うほど僕も命知らずではないし、空気が読めなくもない


 セリエの栗色の瞳がまっすぐ僕を見た。

 言いたいこと、伝えたいこと聞きたい事はいっぱいあるんだけど……長く会えなくて言葉が上手く選べない。


 でも本当に伝えたいことはシンプルに言えばいいだけか。

 目をそらさない様にして息を吸って気持ちを落ち着ける。


 言っていたかどうかは分からない。でも、もし仮に言っていても別にいいのか。

 何度言ったって減るもんじゃないんだから。


「ごめんね…………待たせて」


 セリエの栗色の目を見つめ返した。


「好きだよ……セリエ」



 これにて完結。

 読んでくださった方に百万の感謝を。


 本作は講談社刊の書籍「普通のリーマン、異世界渋谷でジョブチェンジ」の3、4巻用に書いたものです。日の目を見ることがなさそうだったのでこっちで供養。


 1、2章はweb仕様なので、改訂版は書籍を買って見てもらえると嬉しいです。

 美麗な表紙と加筆と追加エピソードつきです。


 web版は此処で終わらずに物語は続きます。

 風戸君や都笠さん、セリエやユーカ達の冒険に興味がある方は小説家になろうの僕のアカウントで読んでみてください。そっちも完結済みです。


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東京が無人の異世界化したので、外れスキル「管理者」で探索することにした~御茶ノ水勤務のサラリーマン、異世界渋谷で探索者になる~ ユキミヤリンドウ/夏風ユキト @yukimiyarindou

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