第163話 渋谷スクランブル交差点にて・下

 一瞬目の前で何が起きていたのか分からなかったけど、5秒ほどして理解できた。


「本物?」

「間違いなく本物だよ。ようやく会えたね」


 ようやく会えたね、じゃねぇぞおい、約束の時間に来なかったのはなぜだ、などと言いたいことは山ほどあったけど。


「ごめんね、山手線みたいに時間通りにとはいかなかったよ」


 オルドネス公が悪びれない顔で言った。

 こっちの世界に合わせているのか、洒落たロングコートにベレー帽をかぶっている。

 柔らかそうな長めの茶色の髪が帽子から覗いていた。


 改めて見るとモデルばりの美少年だ。

 僕の横にいる女の人がちらちらとオルドネス公を見ている。


「さすがに違う世界にピタリと門を開けるのは難しいみたいだよ」


 そう言ってオルドネス公が僕を見た。


「で、どうする?お兄さん」

「どうするって?」

「こっちも楽しそうだからさ……どうしようか?」


 オルドネス公が意味ありげに問いかけて来た。

 今日会えたのは多分偶然だ。オルドネス公もこうやって渋谷に来て僕に会えないか待っていてくれたんだろう。


 そして次にこんな偶然は無いかもしれない。

 オルドネス公ははっきりとは言わなかったけど、それがなんとなくわかった。そうか、今が分かれ道に立つときなんだな。


「いや、戻るよ。そっちに」

「へえ、いいのかい?」


 アーロンさんの言葉を思い出した。


「二つの道を同時には歩めない。こっちも楽しいけど……それに約束したんだ。戻るって」


 躊躇するかなと思ったけど、迷いなく言葉が出て来た。

 いつも渋谷に来ているとき、こういう風になることを望んでいたんだから。迷う必要はない。


「ところで少し待ってもらえる?」

「いいよ、今回はお兄さんに会えただけで収穫だ」


 オルドネス公が微笑む。

 スマホを操作して衛人君を呼ぶ。何度かコールしていたらようやく出た。騒がしい音楽と話し声。当たり前だけどまだバーにいるんだろうな。


「どうした、スミト先生?」

「衛人君。今ハチ公前にいる……オルドネス公が来ているよ」


 そう言うとしばらく間があった。言葉の意味を考えてるんだろうと思ったけど、


「マジかよ、スミト先生、今すぐ行くから引き留めておいてくれ」


 一言残して電話が切れた。



 30分もしない間に衛人君がやってきた。デカイ段ボールを抱えている、

 昼に渋谷を歩けばあっという間に人だかりができるほどの有名人だけど、暗さと人込みでばれてないらしい。


 段ボールを下ろした衛人君が息を整えてオルドネス公を見る。

 信じられない、という顔で暫く見ていて頭を下げた。


「オルドネス大公、ご無沙汰してます」

「いいよ、気にしないで。ここはガルフブルグじゃない」

「あのお姫様は……どうなってます?」

鉄騎バイクの操作で戦闘でいくつも手柄を立ててね、今はジェレミーの準騎士だ。いずれ僕が引き抜こうと思ってるけど」


 そう聞くと、衛人君が安心したように息を吐いた。

 彼のチーム名はアデルハート・フォルトナ。アデルさんの名前だ。


 一度酒が入った時に話してくれたことがある。

 あの姫様は無理やり俺を牢にぶち込んでも帰らせないことはできたはずだ。でも約束を守ってそれをしなかった。

 だから俺はあの姫様を尊敬している、と。


「じゃあこいつを持って行ってくれ。最新のヘルメットにチームのジャケットとライダースーツ、サポーターとプロテクター、それにグリップの革と……」


 段ボールから色々とチームのグッズや彼が演技するときのギアが出てくる


「渡しておくよ」


 オルドネス公が山ほどの道具を見ながら苦笑いした。


「スミト先生、行くんだな」

「うん。今までありがとう」


 衛人君が首を振った


「アンタのおかげで俺は戻ってこれたんだぜ。今の俺があるのはスミト先生のおかげだ。その恩はまだまだ全然返せてねぇよ」


 衛人君が屈託ない感じで笑ってくれてちょっと救われた。

 組織的にはいきなりいなくなるなんて無責任もいいところなんだけど、みんなには悪いけどそれは勘弁して貰おう。


 そして、こっちにも言わないわけにはいかない。実家に電話した。

 もう遅い時間だけど、しつこく呼んでいたら誰かが出た。


「はい風戸……ああ、澄人か。なんだ、この遅い時間に……」


 迷惑そうな口調でそこまで言って父さんが言葉を切った。もしかしたら察してくれたのかもしれない。

 言いにくいことだけど、言わないわけにはいかない。一つ深呼吸する。


「父さん……僕はいかなないといけない」


 しばらく間があってため息が一つ聞こえた。


「そうか。いつかそうなると思ってたよ……心ここにあらずって感じだったからな」


 間があって父さんが答えてくれる。


「まあ行ってこい。お前の人生だ」

「ごめん。ありがとう」

「だが……また帰ってこれるか?」


 オルドネス公が小さくもしかしたらね、とつぶやいた。


「もしかしたら帰ってこれるかも」

「そうか、その時は嫁さんを連れて来いよ。元気でやれ……どこにいても父さんと母さんはお前を愛しているぞ」


 涙が出そうになったのをこらえた。


「ありがとう……父さん」



 渋谷スクランブルから少し離れた路地裏にある雑居ビルの3階。


 閑散とした広いフロアには大きな魔法陣が描かれていた。魔法陣の上には黒い水面の様なものが浮かんでいる。

 どういう方法を使ったのか見当もつかないけど、この場所を借りているんだろうか。


 オルドネス公が中に入る様に促す。段ボールを抱えたまま魔法陣の中に入ると、オルドネス公が詠唱を始めた。 


「【旅人の手の羅針盤は正しき方位を指し、壁に飾られしは古の海図は道を示すだろう。此の地より彼の地へ向かう者。夜空に一つ輝きたるしるべの星に従って旅路を行け】」


 水面のような門の表面に波紋が走るように揺らいだ。


「【強き嵐が吹こうとも、数多の困難があろうとも。至るべき街に、望むべき国にたどり着けるように。幸運が君とともに有ることを、僕は祈ろう】」


 不意に、門にプロジェクターの映像が映るように東京の景色が映った。

 電気の光が無い渋谷スクランブル交差点、ランプの明かりが天幕が貼られた交差点を暗闇に浮かぶように見えた。

 探索者達の賑やかな声と窓の外から聞こえてくるこっちの東京の音が混ざる。


「未練はない?」

「無くはない」


 これはこれで正直な気持ちだ。でも


「どうする?」

「いいんだ。もう決めたから」


 もう一度衛人君の方を向いた。彼が軽く笑って手を振ってくれる。


「ありがとう、衛人君」

「じゃあな、先生。後のことは俺が上手くしておくよ。元気で。あの姫様によろしく。あと、もし戻ってきたら必ず会いに来てくれよ」


 目の前に映った水面のようなゲートに手を触れる。

 引っ張られるような感じがあって視界が暗くなった。

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