第161話 ずっと一緒に大事な人と・下
パニックになって慌てて部屋から飛び出しちゃったけど、途中でそんなことしてる場合じゃないって気づいた。
「お嬢様!」
立ち止まると、セリエが廊下を走って追いかけてくるのが見えた。
「行こう、セリエ」
「え?」
「一緒に行こう!お兄ちゃんに言わなきゃ、行かないでって、二人で言わなきゃ」
すぐに一緒に来てくれると思ったセリエが、黙ってうつむいてしまった。
どうしたんだろう。
「………ご主人様にも」
「え?」
「ご主人様にも……おやりになりたいことがあるんです、お嬢様」
「何言ってるの?」
「……ご主人様のお心を乱さないように、お決めになるまでは私はお会いしないつもりです」
「なんで……そんなこと言うの?」
セリエが何を言ってるのかわからなかった。お兄ちゃんがいなくなっちゃうかもしれないのに。
「セリエは……お兄ちゃんのことが好きなんでしょ?大好きなんでしょ?じゃあ言わなきゃ!」
「……ご主人様の思うようにしていただくのが……お仕えするものの務めですから」
セリエが静かに言うけど……泣くのをこらえているのがわかった。
「そんなの関係ないよ!なんでそんなこと言うの?お兄ちゃんがいなくなっちゃうかもしれないんだよ!」
そういったけど、セリエは黙って泣くのをこらえていつもみたいにまっすぐ立っていた。
セリエが何を考えているかは分からなかった。でもお兄ちゃんに何も言いに行かないことは分かった。
結局、お兄ちゃんは30日で帰るといって一度向こうの世界に戻ってしまった。
30日後、でもお兄ちゃんは戻ってきてくれなかった。
オルドネス大公様が会えなかった、と言った時は目の前が真っ暗になった
◆
約束した日から半年ほどたったある日の夜。
ふと目が覚めた。セリエのベッドはいつも通り空っぽだった。
寝直そうと思ったけど、月の光が妙に目に入って寝れなかった。何の音も聞こえなくて……一人でいるのは嫌だった。
廊下を出て歩くと、お姉ちゃんの部屋のドアの隙間から光が漏れていた。
「お姉ちゃん、入っていい?」
声をかけると、お姉ちゃんがドアを開けてくれた。
「どうしたの、ユーカ」
「……寝れないの」
「セリエは……いつも通りのところか」
お姉ちゃんがため息を一つついて手招きしてくれた。
スクランブル交差点を見下ろすような部屋。天幕の下にはわずかな明かりがともっているだけだった。
この時間はもうお店も閉じて、探索者の人たちも明日に備えて寝ている。
ジェレミー様やオルドネス家の人、探索者の見張りだけが起きている時間だった。セリエももうじき戻ってくるだろう。
お姉ちゃんが黙って窓の方に歩いて行って、こっちを向く。
黒い影が部屋の中に伸びた
「あのね……お姉ちゃん、聞いて」
「……何、ユーカ?」
「……セリエはね……お兄ちゃんのことがね、大好きなの」
「ええ……分かるわ」
「そうじゃないの……ただの好きじゃないの、特別な好きなの」
好きと特別な好きは全然違う。でも、この気持ちが塔の廃墟から来たお姉ちゃんに分かるだろうか。
「……言いたいことは分かるわよ、人間なんてどこでも同じよね」
お姉ちゃんが笑う。
「お兄ちゃんはどうかな。セリエのこと……好きかな」
この質問をするのは……本当は凄く怖かった。
お兄ちゃんはとっても優しいけど……お兄ちゃんはセリエをどう思っていたんだろう。
スズお姉ちゃんが首をかしげて考え込む。
「……そうだと思うわ、多分ね。あいつあんまりその辺は表に出さなかったけど……ていうか、あいつ、セリエに何も言わずに行ったの?好きだ、とか」
「………うん」
セリエがそのことで時々不安そうにしてるのを知ってる。
お姉ちゃんが呆れたって顔で首を振った。
「……まったくふざけてるわね、あの草食系の大馬鹿野郎。女の敵だわ……東京に戻ってあの馬鹿をこっちに引きずって来たいわ」
「じゃあ……なんでお兄ちゃんは帰ってきてくれないのかな」
お姉ちゃんは答えてくれなかった。
「あたしたちのこと忘れちゃったのかな。セリエのことも忘れちゃったのかな……会えなくても平気なのかな」
自分で言っていても胸が張り裂けそうになる。
そんなことないと思いたい。でも戻ってきてくれないっていうことはそういうことなんだろうか。
「そんなことは無いと思うけど……でも」
「でも?」
「……風戸君にも向こうにお父さんやお母さんがいるからね」
お姉ちゃんが静かに言った。
「……ユーカもお母さんに会えて嬉しかったでしょ?」
その言葉はあたしにはあまりにも重かった。
「……うん」
「風戸君だってそうだと思わない?」
そう。お母さまと会えた時、もう二度と会えないと思ってたお母さまと会えた時は本当にうれしかった。
今も時々会うたびにとても幸せな気持ちになる。
だからお兄ちゃんが元の世界に戻って、お父さんやお母さんと楽しく過ごしているなら……戻ってこないのもわかる。
……わかってるんだ。あたしの我儘だって。わかってる。
でも、離れたくなかった。どこにも行ってほしくなかった。ずっと一緒にいてくれるって思ってた。
こんな風になるなんて思ってなかった。
涙があふれ出てきた。止められなかった。
セリエはきっとお兄ちゃんを待ち続ける。でもお兄ちゃんが帰ってこなかったら、セリエの気持ちはどこに行ってしまうんだろう。
どうしてあの時止めなかったんだろう。
セリエはお兄ちゃんの意思に従うって言ってなにも止めなかった。最後までお兄ちゃんをいつも通り見送った。
でも、足にしがみついて行かないでって言ったら、きっとお兄ちゃんはいつもみたいに少し困った顔をするかもしれなけど、しょうがないな、ユーカはって言って此処にいてくれたかもしれないのに。
なんでそうしなかったんだろう。
……あたしは結局セリエのためになにもしてあげられない。
きっと部屋で泣いてるセリエ……あれだけあたしを守るためにつらい思いをしてくれたセリエのために、あたしはなにもできないんだ。
◆
目が覚めたら、ソファの上だった。毛布が滑り落ちる。
もう部屋は真っ暗で、窓の外からは白い月の光が差し込んできていた。
ソファが濡れていた。多分泣きながら寝ちゃったんだろう。
暗い部屋にはコアクリスタルの燭台が灯っていて、その向こうでスズお姉ちゃんがお酒を飲んでいた。
「起きた?」
「……ごめんなさい、お姉ちゃん」
お姉ちゃんが首を振って立ち上がって、手を広げたままこっちに歩いてきた。
そのままお姉ちゃんが抱きしめてくれる。
あたしの息と、お姉ちゃんの心臓の音としか聞こえなくて。世界にあたしたちだけしかいないくらいに静かだった。押しつぶされそうなほどに。
あったかい手に抱かれていると、また涙が出そうになる。
「あのね……ユーカ」
抱きしめられたままで、お姉ちゃんの声が上から降ってきた。
「これは……確実とは言えないわ……でもね」
「……うん」
「でもね、あたしは風戸君は、戻ってくると思ってる。セリエやユーカ……あたしたちのことを忘れたりはしてない」
お姉ちゃんの言葉に心臓が飛び上がりそうになった。
もしそうだったら……どんなに嬉しいだろう。でもなんでそう思うんだろう?それに、もしそうじゃなかったら……
「………なんで?」
「それはね……」
◆
……お姉ちゃんがその後言ってくれたことは、あたしにはよくわからなかった。
でも、お姉ちゃんはいままで嘘は言わなかった。だから、きっとそうなると本当に思ってるんだ。
そのあとは、お姉ちゃんが部屋まで送ってくれた。
部屋には2台のベッドの片方の上でセリエが自分の体を抱きかかえるように丸くなって寝ていた。
毛布を掛けてあげる……お兄ちゃんは本当に戻ってきてくれるんだろうか。
お姉ちゃんが言っていたことはあたしにはよく分からなかったけど。
布団にくるまって……お姉ちゃんの言葉をもう一度思い出した。
「………なんで?」
「……それはね」
「……」
「……あたしたちは戦友だからよ。一緒に戦った仲間だから」
「戦友?」
「一緒に戦う、戦いの中で背中を預けるってことはね、とっても特別なの………その人のすべてを信じていないとできない」
「そうなの?」
「……命を掛けたもの同士だからこそ、その絆はとても強いわ。セリエや、ユーカや、あたしと離れたくないと……風戸君だって思うはず」
そういってスズお姉ちゃんがあたしに微笑みかけた。
「……それが……あたしが、あいつが戻ってくると思う理由」
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