第14話 式神
京都郊外、
現在は京都府
現在もある
京都へ戻った保重、小梅、お雪の一行は、その足で鞍馬へ向かった。
そこは、かつて源義経が修行をした地として知られ、また能や小説においては「鞍馬
元々、鞍馬山は山岳信仰や、山伏による密教も盛んであり、山の精霊である天狗が住んでいたとも言われていた。
とりあえず汽車を降りてから、周囲にある住宅や土産物屋に聞き込みに行った、保重だったが。
「賀茂喜助? 知らへんな」
「鞍馬寺の住職はんに聞いてみたら、どないです?」
返ってくる答えは、いずれも期待外れのものばかり。
仕方がないので、保重は鞍馬寺に向かってみた。
鞍馬寺。そこは、鬱蒼とした森林に囲まれ、昼なお暗かった。
保重の目には、まるでここが数百年もの間、時代に取り残され、変わっていないようにも見える。
それほど「文明」とは無縁の土地に見えるのだった。
そして、鞍馬寺の巨大な仁王門をくぐって、境内に入る。現在はケーブルカーが山頂へ伸びているが、当時は存在していなかったため、普明殿へは行かず、
長く、曲がりくねった参道を登った先には、金剛床という、特徴的な石の地面が広がり、そして
手前には、狛犬ではなく、「
赤い柱に
「おやおや、お客さんかな。こんな若い人たちが来るとは珍しいのう」
目元が優しそうな、老人が
(気配を感じなかった)
不意に、そう思って驚いている保重に対し、年が70歳は行っていると思われる禿頭の老人に対して、
「あの、すいません。あなたは住職ですか? 『賀茂喜助』というお方を探しているんですが」
と聞くと、男は、
「住職ではないがな。賀茂殿をお探しか。ついて来るがよい」
それだけを言って、てくてくと軽快な足取りで歩いて行った。
不思議な老人に、唖然とする三人がついて行くと。
老人は、本殿金堂を出て、すぐ近くにある本坊と思われる建物に入って行き、突然振り向いて、先程とは打って変わって、鋭く射貫くような目つきを向けてきた。
同時に、
「で、紹介状を持っておるだろう?」
と聞いてきた。
(何故、わかったんだ?)
不思議に思いながらも、絹の手紙を差し出すと、それを見た老人が、
「ほう、絹殿の知り合いか。すると、おぬしが幸徳井の
となおも鋭い目つきのまま答えたので、今度は保重が反応していた。
「絹を知っているんですか?」
「ああ。古い付き合いでな」
「すると、あなたが……」
「わしが賀茂喜助じゃ」
それを聞いて三人は、心中それぞれ、
(得体の知れない老人だな)
(人を食ったような、爺さんね)
(ほんに、わからないお人でありんすね)
と第一印象を抱いていた。
「では、あなたが僕を導いてくれるのですか?」
期待と共に、保重が言い放った、その一言にも、賀茂喜助と名乗る老人の態度は、奇妙なものだった。
「導く、というのとは少し違うな。わしは、陰陽師の
その一言に、前に進み出て、睨むような猫目で吠えたのは、小梅だった。
「保重くんが弱いって? 戦っているのを見たこともないくせに」
ところが、喜助は、
「吠えるな、猫又の妖怪。そこにいる雪女の妖怪ともども、お前たちは本当の陰陽師を知らないだけじゃ」
と、吐き捨てるように言い放っていた。
(一瞬で、二人を妖怪と見抜いた)
と、その器量にも驚かされた保重だったが、同時に、この男に底知れない力を感じていた。それは、陰陽師としての一種の「勘」に過ぎなかったが。
「ひとまず、絹殿の頼みとあれば、仕方がない。お前を鍛えてやろう」
大仰な態度、というよりも上から目線とも取れる態度で喜助はそう言って、微笑んでいた。
「わかりました。よろしくお願いします。それで、期間はどのくらいかかりそうですか?」
尋ねる保重に、喜助は驚くべき回答を、事も無げに発した。
「そうじゃのう。大体半年というところか」
「半年!」
「長すぎじゃないの? 大体、そんなにかかったら、その間に大江山の酒呑童子が暴れ出すわよ」
「なんざんす? あちきたちには、時間がないでありんす」
口々にそう声を出して、抗議する三人に、男は、なおも穏やかな笑みを浮かべ、対照的にも見える鋭い眼光で、
「吠えるな、ヒヨッコども。それに、大江山の酒呑童子の復活のことは、わしも知っておる。だから、お前たち二人が見張れ」
そう言って、小梅とお雪を指さした。
「えっ。見張るっていきなり?」
「訳がわからないでありんすね」
なおも納得がいかない二匹の妖怪に対し、彼は、
「いいから言う通りにしろ。第一、陰陽師でもないお前らは、この男の修行の邪魔じゃ。せいぜい見張っておれ。何か動きがあれば、すぐに知らせろよ」
と、明らかに人を小馬鹿にしたような口調で言い放っていた。
(何よ、この男。態度が大きいわね。私、嫌い)
ひそひそと小梅は保重の耳元で囁くように呟いたが。
「聞こえておるぞ、猫又。さっさと行かんか」
喜助に叱られていた。
渋々ながら、二人、いや二匹の妖怪は、保重に別れを告げることになったが。
「保重くん。がんばってね。あなたと別れるのは寂しいけど、私、あなたが強くなって戻ってくると信じてるから」
と、小梅が目に涙を溜めそうな勢いで、保重にすがりつくように声を上げ、
「保重さん。あちきも寂しいでありんすが、酒呑童子をしっかり見張っておくでありんす。気をつけておくんなんし」
お雪もまた、いつになく寂莫とした表情で保重を見ていた。
何かあれば、すぐに伝えに来る、と言い残し、二匹は去って行った。
「随分、妖怪たちに好かれておるようじゃな。これも幸徳井の血か」
などと、喜助は見守っていた。
これは、幸徳井家の先祖が妖怪の血を引いていた、と言われていることに関係している。幸徳井家の先祖は、安倍晴明の母が狐の妖怪の「
しかし、保重は別のことを考えていた。
(半年も空けるのに、見張るだけでいいなんて。何か他に策でもあるんだろうか)
そのことが一番気になっていた。
すると、まるで彼の心を読んだかのように、喜助は呟いた。
「心配するな。わしの見立てでは、酒呑童子はしばらくは何もできんよ。特に奴がこの京都を狙うのであればな」
そう、確信めいている、とも取れる謎の発言をしていた。
こうして、保重の「陰陽師修行」が始まったわけだが。
最初に教わったのは、「修行」ではなく、この鞍馬寺のことについてだった。
喜助曰く。
京都の北に位置する鞍馬寺は、もともと、仏教の四天王のうち、北方を守護する、毘沙門天を本尊とし、併せて
しかし実際には、鞍馬寺本殿金堂にある本尊は「
さらに、「尊天」とは「すべての生命を生かし存在させる宇宙の源」であるとする。また、毘沙門天を「光」の象徴にして「太陽の精霊」。千手観世音を「愛」の象徴にして「月輪の精霊」。魔王尊を「力」の象徴にして「大地(地球)の霊王」としている。
つまり、鞍馬寺とは、どこにでも存在する「尊天」のパワーが特に多い場所にして、そのパワーに包まれるための道場であるとしている。
そういう仏教的な教義については、保重はもちろん、知識も興味もあまりなかったのだが、要するに「力が集まりやすい場所」だということはわかった。
そこからの修行は、保重の想像以上に厳しいものだった。
鞍馬寺には、この本殿金堂のある辺りから、奥の院参道という山道が伸びており、古くから修行の場としても使われてきたが。
そこで、まるで「山伏」のような山岳修行をさせられたり、座禅を組まされたり、ある時は、火を用いる「
(こんなことが一体何の役に立つのか)
と思っていた保重に、ある時、喜助は諭すように言った。
「お前は、まず『基礎妖力』を高めねばならん」
つまり、運動をする人が、基礎体力を高めるのと同じように「基礎」から妖力を鍛えるのだという。
思わず逃げ出したくなるくらい、辛い修行が続き、保重を精神的にも肉体的にも追い込んでいった。
しかし、それが1か月も過ぎると、彼の体にも馴染んできており、いつの間にか彼は「
しかも、1か月経ち、さらに3か月が経過しても、まだ基礎修行は続いていたし、不思議なことに「猫又や雪女」から、酒呑童子が暴れたという噂は聞かなかった。というよりも、彼女たちが訪れることがなかった。
修行を初めてから4か月後。
季節は秋を迎え、雪深いこの鞍馬の地に、白い粉雪が舞う頃。
ようやく保重は、基礎修行を終えた。
すると、喜助は保重を鞍馬寺の奥の院魔王殿からさらに奥の、深い山道に連れて行くと、少し開けた場所で足を止めた。
そして、
「では、そろそろ『
と言い出した。
「式神ですか?」
「ああ。かの有名な安倍晴明も『十二神将』という式神を使ったという」
「では、僕も?」
期待に胸を膨らませていた、保重の希望はあっさりと裏切られる。
「馬鹿め。お前に十二体もの式神は操れまい。せいぜい二体がいいところだな」
「二体、ですか?」
一体どんな式神か、と保重はそれでも期待していた。
なお、式神とは、陰陽師が使役する「鬼神」とか「精霊」と言われ、和紙のような紙に書いたもの ―これを「
早い話が、「召喚魔法」のようなものであった。
喜助老人は、和紙に筆ですらすらと、何かを書いていき、それを保重に手渡し、かねてより教えていた、とある術法を唱えるように命じた。
すると、見る見るうちに、その二つの和紙が空中高く飛び上がり、そしてどこからともかく、大きな鬼が二体現れていた。
さすがに仰天し、それを凝視する保重。
一体は、赤鬼で、身長がが2メートル近くもあり、筋骨隆々としており、赤毛に長髪、二本の角と口の鋭い牙が目立ち、どこか酒呑童子にも似た雰囲気を醸し出しており、右手には鉄の斧を携えていた。
一方、もう一体の鬼は、青鬼で、同じく角が生えているが、左手に水瓶を持っており、背中には
「お前が新しい主か。随分な
赤鬼が小馬鹿にしたように、見下ろしており、
「本当ね。頼りない小僧だこと」
青鬼も、不気味に見える、不敵な笑みを浮かべていた。
「こいつらは、
「役小角?」
聞き返す保重に、喜助は呆れたような顔をしていた。
「保重。役小角も知らんのか。
「えっ。しかし喜助様。そんな強力な力、僕にはないのでは?」
尻込みする保重に、喜助は「喝」を入れるかのように、肩を怒らせて、怒声を上げた。
「馬鹿め! だからお前は駄目なんじゃ。仮にも酒呑童子を倒すくらいなら、これくらいはした方がいい。あと、2、3か月でこいつらを手なずけろ」
それだけを言って、去って行った。
はっきり言うと、喜助は「スパルタ方式」だったのだ。
「習うより慣れろ」のある意味、軍隊式の厳しい訓練であり、そこからはまた保重は
ちなみに、赤鬼の方は「前鬼」と言って夫、青鬼の方は「後鬼」と言って妻という夫婦の鬼だという。
何度も、鬼たちに殺されかけながらも、3か月かかって、ようやく二体の鬼を手なずけた保重。
それを報告に戻るついでに、何故この二体が選ばれたのかを喜助に聞くと。
「目には目を、鬼には鬼をだ」
と訳のわからない理屈を言い渡されていた。
だが、同時に教えてくれたことがあった。
「こいつらは夫婦の鬼じゃろ。だからなんだかんだで、助け合って戦ってくれるのじゃ。きっと役に立つはずじゃ」
最後に修行の総仕上げとして、喜助はその「前鬼・後鬼」を使役し、喜助と対決して勝つことを命じられた。
保重は、師匠である喜助がどんな式神を扱うか、興味津々であったが。
彼の式札から出てきたのは、何とも不思議な異形の化け物のように見えた。目が四つあり、頭には角が生えており、髪の毛は長く、口からは牙が覗いている。一見すると「鬼」にも見えるが、どちらかというと「なまはげ」や「天狗」に近いように見えた。
「こいつは、
と、彼の師匠は説明していたが、
(それ、僕の鬼の式神より、余程『鬼退治』に向いているんじゃ)
と、保重は内心納得がいかない気持ちがするのだった。
それはともかく、戦いは始まった。
保重が式札で、二匹の鬼を呼ぶ。
たちまち、赤鬼と青鬼が出てきて、赤鬼の前鬼は鉄の斧で攻撃し、青鬼の後鬼は左手に持った水瓶と背中に背負った「笈」でサポートする。
水瓶の中には「理水」と言われる水が入っており、これで傷を癒すという。また、笈の中には、種が入っており、これで前鬼の力を増幅するという。
後鬼の種による増幅効果で、力を得た前鬼が、攻勢に入るが、方相氏はそれを軽々とかわした上に、サポート役に回っているはずの後鬼から先に攻撃していた。
前鬼が後鬼を守る形、つまり本来とは逆になっており、守勢に追い込まれていた。
(まずい)
と、咄嗟に思った保重は、隙を突いて、何とか方相氏が攻撃している死角を突いて、彼の後ろから九字の術を切って、呪文を唱えるが。
それすらも、まるで後ろに目がついているかのように、方相氏にかわされてしまう。
進退極まる中、保重は一計を案じた。
すでに、信頼関係を築いていた前鬼、後鬼に目配せをして合図を送る。
保重は、いきなり方相氏の前に立ち塞がり、五芒星を描いて、九字を術を放つが、これは方相氏によって防がれてしまう。
だが、その間に前鬼と後鬼を森に潜ませることに成功していた。
しばらくの間、方相氏を引きつけながら、錫杖などで攻撃をかけた後、不意に方相氏の左右から同時に前鬼と後鬼が襲いかかり、方相氏はついに倒れた。
彼が考えた「
苦戦しながらも、何とか己の陰陽師としての力を総動員して、術法を操り、勝利を手にした保重に対し、
「まあまあじゃな」
相変わらず手厳しい師匠であったが。
「でも、喜助様。方相氏の方が『鬼退治』には向いているのでは?」
と疑問を呈していた保重に、彼の師は厳しい言葉を投げかける。
「馬鹿め。前鬼は陰陽道で言うところの『陽』、後鬼は『陰』を現しておるのだぞ。こいつらだって立派な式神じゃ」
と、二匹の鬼を推薦した理由を密かに教えてくれるのだった。
こうして、最後の修行を終え、喜助に深く礼を言ってから、保重は鞍馬寺を去ったのだった。
その鞄に、「式神」たちを呼ぶための「式札」を入れて。
修行の開始からすでに時は流れ、終わった時には、半年以上も経ち、年が明けていた。
昭和十二年(1937年)冬、1月。結局、10か月近くも鞍馬山にいた保重は、ついに来ることがなかった、小梅とお雪を不思議に思いながらも、福知山へと向かった。
「修行を終えたら、そこに行く」と約していた宿が福知山にあったからだ。
福知山の宿で待っていると、やがて小梅とお雪が姿を現した。久しぶりの再会だったが、二人は妖怪ゆえなのか、全然変わっていないように、保重には見えた。
「保重くん!」
飛びつかんばかりの勢いで、喜びを表現し、満面の笑みを浮かべる小梅と、
「保重さん、
と、どこか感慨深く、呟くお雪が好対照だったが。
保重は真っ先に気になっていたことを訪ねていた。
「ところで、この半年以上、本当に酒呑童子は動かなかったのか?」
すると、小梅もお雪も首を捻るように、不可思議なことを口にするのだった。
「それがねえ。本当に不思議なんだけど、全然動かなかったのよ」
「そうでありんすね。まるで何かに縛られている、と思えるくらいに動きが鈍かったように思えたでありんす。京都侵攻を企てていると聞いていましたが、諦めたのでしょうかねえ」
その二人の言葉を聞いて、保重はふと思い出していた。
(もしや、『結界』か。けれど、絹はあの時、確かに死んだはず。だとしたら、喜助様か)
と思ったが、あの偉そうな喜助が、わざわざそんなことをするとも思えなかった。
三人は、再会を喜び、東京の自宅を守っている「座敷童子の茶々」にも電話を入れ、寂しいと泣きじゃくる茶々に、「必ず生きて帰る」と告げて、いよいよ、大江山へと再戦に行くことになった。
再戦の時期は、2月。
大江山に雪が降る頃だった。
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