第4話 猫又の怪

 妖怪事件解決屋としての初の仕事が、拍子抜けするほどあっさりとした物だったため、保重は気が緩んでいた。


 家に住み着いた、座敷童子の茶々は、お菓子を与えれていれば、懐いてくれるものの、いたずら好きな妖怪で、毎晩のように、保重が寝ている間に、枕を返したり、糸車を回す音を立てて遊んでいることが多くなり、彼は睡眠不足になっていたが。


 それ以上に、幸福をもたらす妖怪の座敷童子の存在は大きかった。


 その証拠に、次の依頼がすぐに来たのだった。


 依頼人は、深川区に住んでいる、若い男だった。明治時代以降、貸本業を営んでいるというが、近頃、怪しい影がちらついているという。


 幸徳井家、というより「妖怪屋」の噂を聞きつけて、やって来た男を、居間に迎え入れて話を聞く。


「それで、怪しい影とはどのような物ですか?」

 二十代後半くらいの若い男は、余程怖い目に遭ったのだろう。恐る恐る、冷や汗をかきながらも、思い出しながら口を開いた。


「近頃、不気味なことが毎晩起こっているんです。手毬ほどの火の玉が毎晩、現れては畳の上をふわふわと飛ぶのです」

 それを聞いて、さすがに身の毛がよだつ、というか、背筋が寒くなる思いがする保重に対し、隣にいる絹は平然としていた。


「しかも、ある時は、寝床を脅かしたり、引く人がいない糸車が自然に回るんです。もう怖くて仕方がないです。何とかしていただけませんか? 謝礼は弾みます」

 当時、ミシンはあったが、まだ一般庶民には高価で、しかも壊れやすく、裁縫は手縫いが大半であり、どの家にも糸車や紡績機があった。それが自然に動くとは恐ろしい、と保重は思うのだった。


 最も、正体がわかれば、座敷童子の茶々のように、可愛らしい事例もあるにはあったが、今回は全くそんな気配を感じなかったのだった。


「とりあえず、今晩、我が家に来ていただけますか?」

「わかりました」


 家の場所だけを聞いて、一旦、男とは別れることになった。


 絹は、珍しく神妙な面持ちを浮かべ、考え込んでいたが。

「絹。心当たりは?」

 すでに、彼女を優秀な助手のように思い始めていた、保重が問いかけると、彼女は、


「うむ。行ってみなくてはわからんな。ただ、間違いなく『物の怪』の仕業じゃ」

 とだけ答えていた。


 夜半の11時。この頃の市電は、現在と違い、終電も早いため、保重は絹の『神足通』の力を借りて、一気に現場に向かうのだった。


 ちなみに、絹の神足通は人を一人しか運べない。必然的に、茶々は留守番になった。

「あたしも行く!」

 と駄々をこねて寂しがる彼女を、後ろ髪を引かれる思いであやし、保重は旅立った。正直、いたずらしかできないような彼女を連れていっても役には立つと思えなかったし、妖怪とはいえ、こんな小さな女の子を危険に晒すわけにはいかない、と思ってのことだった。


 二人が着いた場所は、深川区富岡町(現在の江東区門前仲町二丁目)で、付近には深川公園と、江戸時代から続く、無数の水路が張り巡らされている。


 辺りは、すでに漆黒の闇に包まれており、足音も話し声も聞こえない。


 早速、男が住んでいる、木造の日本家屋に向かった保重と絹だったが。


「ごめんください」

 戸を叩くと、昼間に会った、若い男が恐る恐る出てきた。


「ああ、あなたたち。助かります。こちらです」

 案内されて向かった先は、小さな庭がある居室だった。四畳半ほどの小さな和室で、縁側に繋がっており、縁側からは庭先の大きな松の木が見える。


「ここに出るんですか?」

 緊張した面持ちで、保重が尋ねると。


「ええ。毎晩、深夜2時頃ですね」

「まさに『丑三うしみつ時』か。物の怪が最も好む時間じゃな」

 絹は、むしろ楽しそうに、微笑んでいた。


 男に、毛布や簡単な布団を用意してもらい、二人は夜を明かすことになったが、最初から絹は、やる気がないのか、布団に入って、早々に眠りについていた。


 そんな奔放すぎる相棒を横目に、保重は初めて来る「妖魔」との戦いに、神経が高ぶり、眠るどころではなかった。



 深夜2時を10分ほど回った頃。

 それは来た。


 どこからともなく、ふわふわと空中に、小さな火の玉が浮かんだと思った瞬間、それは次第に大きくなり、畳の上を徘徊するように動き始めた。


(これが物の怪。怖いなあ)

 内心、初めて見る、火の玉に恐れを抱く保重は、早速絹を起こした。


 眠そうな瞳を向け、ようやく目を醒ました絹は、火の玉を見つめると、

「うむ。狐火とも違うな。これは、もしや……」

 と、思い当たる節があったのか、それとも天耳通で察したのか、不意に縁側に続く襖を開けた。


 そこからは、庭が見えるが、庭先から見える、大きな松の木の上から、何者かの気配を二人は感じ取った。


 それは「人あらざる者」だけが放つ、妖気ともいえる、異様な気配だった。背筋が寒くなり、恐怖感が腹の底から襲ってきて、鳥肌が立つ。


 夜目を凝らしてみると、木の上に何か、得体の知れない「物」がいた。

 よく見ると、それは、年老いた大きな猫だった。


 しかも、体長が1.5メートル近くもある、化け物のように大きな猫で、尻尾が二つに分かれていた。


 何故か猫は、赤い手ぬぐいをかぶっており、尾と足でバランスを取って、巧みに木の枝の上に止まり、辺りを睥睨へいげいしていた。


「やはり、猫又か!」

 思い当たる節と合致していたらしい、絹が大きな声を上げると、老猫の鋭い瞳が、絹を捕らえた。


 と、思った刹那、猫は木の上から絹に飛びかかってきた。それは老いた猫とは思えない俊敏さであった。


 咄嗟に、絹は狐の姿に変身し、襲いかかってくる猫の爪をかわす。

 そのまま、取っ組み合いのようになる二人、いや二匹を呆然と眺めている保重。


「何をしておる、保重! さっさと九字を切れ!」

 珍しく切羽詰まったような絹の声を聴いて、ようやく我に返った保重は、絹によって解放された、陰陽師の力を初めて使うことになった。


 庭の地面に、脳髄に刻まれた記憶を頼りに、転がっていた木の枝で五芒星を描く。

 それが出来上がると、以下のように唱える。


りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん!」


 一般的に「九字切りの術」と言われる術で、この呪文を、指を刀のように使い、目の前の空を切ることで、妖魔を退散させ、あるいは封じることが出来るという、古くから陰陽師に伝わっている、魔物調伏ちょうぶく法だった。


 たちまち、青白い光が、真っすぐに猫又に向かって行く。

 それを察知した絹が、咄嗟に身を翻して、光を避ける。


 凄まじい、まさにこの世を揺るがすような、断末魔のような不気味な悲鳴が轟いていた。


 老猫は、青白い光を一身に浴びて、そのまま気を失っていた。


 恐る恐る近づくと、尻尾が二つに分かれ、異様な体長と、毛深い体躯を持つ、堂々とした虎猫のように見えた。


 だが、それは一見すると、「猫」というよりも「獣の化け物」に見えるくらい、異様な存在だった。


 ようやく退治した保重だったが、絹は渋い顔で、彼を睨んだ。

「馬鹿者め。何故、もっと早う、九字の術を唱えん」


「ごめん。さすがに怖かったのと、初めてだったから……」

 素直に謝る保重だったが、絹は、猫を見下ろしたまま、


「誠にいくさには向かぬ男よのう、おぬしは」

 と言って、気絶した猫の傍らに座り込んだ。


「残念じゃが、こやつ、まだ生きておるぞ」

「えっ」

「ほれ、見てみるがよい。息をしておる」


 驚いた保重が、猫に近づくと、確かに、弱くはあるが、息を継いでいた。

「早う殺してしまえ」

 絹が、冷酷な一言を発するが、保重は、別の考えを抱いていた。


「殺す必要はないんじゃないかな」

 咄嗟にそう思って、口に出していたが、絹は素早く彼の心を読んだ。


「おぬしも甘いのう」

 そして、苦笑しながらも、先の出来事を読むように、猫の体を隅々まで眺めるのだった。


 その時だった。

 猫の体から煙が出たか、と思うと若い女性の姿に変わったのは。


 格好は最近、流行りのモガ(モダンガール)の格好だった。つまり、昭和初期に流行したモガ風の黄色いワンピース姿。さらには、同じく若い女性の間で流行していたパーマネント(現在のパーマ)をまとった頭髪をしている。頭には赤い手ぬぐいを巻いていた。

 年の頃は、20歳くらいか。保重とそう変わらない年齢にも見える。


 驚いている保重、予期していた絹。対照的な二人に対して、人間に化けたその猫は、目を開いた。

 傷は、腹部から胸部にかけて負っていたが、致命傷にはなっていない様子が見てとれた。


「痛いわね。なかなかやってくれるじゃないの、あなたたち。まさか猫又の私がここまで追い込まれるとはね」


「ふん。猫又の分際で偉そうじゃのう。わらわは400年も生きておる。おぬしなんぞ、ヒヨッコに過ぎん」

 絹は、対抗心を燃やすように、猫又の少女に食ってかかっていたが、彼女は、


「そうかしら。私はこれでも、『鍋島なべしま騒動』の化け猫の末裔まつえいなんだけど。年だって100歳は越えているわ」

 あっけらかんとした口調でそう言い返していた。


「鍋島騒動? 江戸時代のか?」

 保重が目を見開き、彼女を見つめる。


「そうよ。だって私、佐賀県の出身だもの。ご先祖様が鍋島の化け猫って話よ」

 それを聞いて、保重は思い出す。


 鍋島騒動。一般には「鍋島の化け猫騒動」とも言われる。江戸時代初期、肥前ひぜん国(現在の佐賀県)の2代藩主、鍋島光茂みつしげの時代。光茂の碁の相手を務めていた家臣の、龍造寺又七郎りゅうぞうじまたしちろうが、光茂の機嫌を損ねたために斬殺され、又七郎の母も、飼っていた猫に悲しみの胸中を語って自害。


 母の血をなめた猫が、化け猫になり、城内に入り込み、毎晩のように光茂を苦しめるが、光茂の家臣、小森半左衛門こもりはんざえもんが猫を退治し、鍋島家を救ったという伝説だ。


「本当か?」

「ええ」


「じゃあ、この家の男たちを襲っていたのは、その恨みからか?」

「そうよ。あの男は、小森半左衛門の末裔よ。つまり、私の先祖のかたきね」


 二人のやり取りをおとなしく聞いていた、絹が不意に声を上げる。


「復讐か。つまらんのう」

 無遠慮な言葉を投げかけられた、猫又は、絹をきつく睨みつけ、大きな声を張り上げた。


「あんたに何がわかるってのよ? 私たち一族は、あいつの先祖に殺されてから、悲惨だったんだから。どこに行っても、化け猫扱いされ、まともに生きてこられなかった。あんたが400歳なら、私は400年の恨みよ!」


「たわけ。鍋島騒動は400年前ではない。せいぜい300年前じゃ」


「どっちだっていいわよ、細かいわね!」


 女たち、いや女妖怪たちと言ってもいい、彼女たちが互いに睨みあっている様子を見て、保重は不意に思ってしまったことを口に出していた。


「かわいそうに。じゃあ、ウチに来るかい? 猫一匹くらいなら飼ってあげるよ」

(また、こやつは……)

 その甘すぎる、保重の心根に文句を言うように、絹は内心、愚痴っていた。


 猫又は、しかし、その一言だけで、心を動かされたようで、九字の術によって傷ついた傷口を押さえながらも、可愛らしい女性のように、しなを作り、保重を、その特徴的な猫目で捕らえた。


「本当? あんた、よく見るといい男ね。私は猫又の小梅こうめ。よろしくね!」

 そう言って、すっかり保重に着いて行く気満々になっていた。


 翌朝。依頼主に猫又を退治したと報告はしたが、さすがに家で飼うことになったとは言い出せない、保重は、小梅を一時的に遠ざけて報告を済ませて、謝礼金を貰うのだった。


 こうして、今度は猫又の小梅が保重に懐いてしまい、座敷童子に続いて、猫又まで屋敷に住み着くことになってしまうのだった。


 だが、帰り道。

 やたらと保重に、擦り寄るように腕に近づいている、猫又を横目に、絹は別の心配をしているのだった。


(保重の力。まだ不完全じゃな。今より強大な物の怪が出てきた場合、対処できんかもしれんのう)

 その心配は、陰陽師として覚醒したばかりの、保重の能力のことだった。


 もっとも彼女が知る、陰陽師の力に比べると、まだまだ程遠いその力が、弱かったお陰で、猫又の小梅はここで死なずに済んだ、とも言えるのだったが。

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