第3話 妖怪屋

 白狐の絹と、陰陽師の保重との奇妙な共同生活が始まった。


 だが。

「暇だなあ。本当に依頼なんて来るのかい?」


 保重は自身の居室にしている、洋風に改装された一室で、ソファーに座って愚痴を突いていた。

 実際、あの出会いから1か月が経過していた。

 その間、全く依頼はなかった。


 保重は、絹に言われるまま、「妖怪事件解決屋」を開いた。屋号は「幸徳井」から取った「幸徳屋こうとくや」だったが、周りからは「妖怪屋」と言われるようになる。


 だが、その実、妖怪事件の依頼は、まだ一件もなかったから、ただの蔑称に近い感じで、陰口を叩かれているという有様に近かった。


「まあ、そう慌てるでない。いずれ、依頼は来る」

「その前に、貯金がなくなるよ」


 どこか、のんびりしていて、奔放で、偉そうな絹は、今日もいつものように、保重の居室から繋がる縁側で、狐の姿のまま猫のように丸くなっていた。

 この部屋は、和洋折衷になっていて、居室内は洋風だが、そこに繋がる縁側は完全な和風だった。


 そんな9月の半ば。残暑も落ち着いた頃だった。


 一人の中年の男が、幸徳井家を訪れる。


「妖怪屋さん、助けて下さい!」

 男は切羽詰まったような様子だった。


 ひとまず、居間に通して、話を聞くことにした。

 保重に続き、人間に化けた絹も続く。


 中年の、少し頭髪が後退した、40歳くらいの大柄な男だった。額に汗をかいたまま、男は飛び込むように屋敷の門を叩いたのだった。


「それで、どうしましたか?」

 初めて来た依頼に、興奮気味の保重と違い、絹はどこか気だるそうに、あくびをかいていた。


「家に変な女の子がいるんです」

「変な女の子ですか?」


 妖怪ではないのか、と拍子抜けする保重に対し、男は説明する。


「はい。赤い小袖に、赤いちゃんちゃんこを着た、五、六歳くらいの女の子が、家にいつの間にか住み着いていて、寝ている間にいたずらをされるんです。これじゃ、おちおち寝てもいられないですよ」

 話を聞いて、絹は、すぐに得心がいったようで、妙に落ち着いた表情を浮かべていた。


「いつ頃からですか?」

「つい2週間くらい前でしょうか。仕事から戻ると、部屋の隅にいるんです。おかっぱ頭の女の子ですが、何だか不気味で。最初は近所の子かと思ったんですが、どうやら違うようで」


「場所はどちらですか? すぐに伺います」

京橋きょうばし区です」


 男の案内で、早速その家に向かうことになった。

 電停まで歩く道すがら、絹は、男には聞こえないように、そっと保重に耳打ちをしてきた。


「あれは、座敷童子ざしきわらしじゃな」

「座敷童子?」

「うむ。人にいたずらをする妖怪じゃが、害意があるわけではない。むしろ家人に幸福をもたらすと言われておる。本当に追い出していいものか、男に聞いてみろ」


 そのままのことを男に聞いて、確認を取ってみるが。

「いえ、そんな気持ち悪いの、いらないですよ。追い出して下さい」

 と、にべもなかった。


 絹は、保重の隣でほくそ笑んでいた。それが少し不気味に思った、保重が理由を聞いてみると。

「なんじゃ、鈍いのう。座敷童子を家にかくまえば、その家は繁栄すると言われておるのじゃ。つまり、成敗するなぞ、もったいない。そのまま家に住まわせてはどうじゃ?」

 と、ひそひそ声で意見を言ってきたが。


 保重は、ただでさえ、妖怪みたいな狐を抱えているのに、これ以上、妖怪が増えるのは、内心、勘弁して欲しい、と願うのだった。

 同時に、妖怪の正体が座敷童子と知っていながら、あえて依頼主に明かそうとしない絹に、人間を化かすという狐らしい「腹黒さ」も感じていた。


 男が同行するため、下谷区から京橋区までは、市電を使う。

 当時、東京には、数多くの市電路線が網の目のように張り巡らせられており、同時にバス路線もあった。

 日本初の地下鉄が、昭和二年(1927年)に浅草~上野間まで開通していたが、この頃はまだまだ市電が主流だったし、関東大震災の影響もあり、バス路線も発達していた。


 市電は、ちょうど現在でいう、地下鉄路線に近いくらいの過密度で、張り巡らされており、市民の足として活用されていた。


 京橋区南小田原町(現在の中央区築地六丁目)。

 隅田川にほど近く、付近には海軍技術研究所があった。その頃の東京は現在のような23区ではなく、35区もあり、細かく細分化されていた。


 その川沿いの一角に、男の家はあった。

 男は商家を営んでおり、どちらかというと貿易商に近かった。隅田川の海運を利用して、積荷を色々なところに運ぶ仕事をしているようだった。



 早速、男の案内で、女の子がいつもいるという部屋に向かった。

 六畳ほどの、古い和室だった。畳が敷き詰められ、箪笥たんすやちゃぶ台などの家財道具が並ぶ中、彼女はいた。


 部屋の隅に小さな影があった。

 年の頃は五、六歳くらい。男の情報通り、真っ赤な小袖に、真っ赤なちゃんちゃんこを着て、手毬を突いていた。

 漆黒の髪のおかっぱ頭で、大きな瞳を持つ、愛くるしい笑顔が、年相応に可愛らしく見えるが、その実、異様なほどの妖気も感じられるし、妖怪特有の、不気味な雰囲気も感じられる。


 保重は咄嗟にそう感じていた。

 陰陽師として、覚醒した彼には、この女の子が只者ではない、という感覚を肌で感じることができるのだった。


 とりあえず、ゆっくりと女の子に近づく保重と、様子を見守る絹。遠巻きに恐る恐る眺めている中年の男。


「やあ、君。こんなところで何をしているの?」

 まずは、出来るだけ優しい口調で聞いてみた。


 女の子は、一瞬だけ顔を上げて、保重を見たが、すぐに手元の毬に目を向け直して、口だけ動かした。

「遊んでるの」


「一人じゃ寂しくない? お兄さんと一緒に来ない?」

 そう誘ってみるが、女の子は、いやいやと大きくかぶりを振った。


「行かない。あたし、この家が気に入ったの」

 全く動く気配すら見せない座敷童子に困り果てる保重。かと言って、いきなり五芒星を描き、九字を切って、彼女を封印するのは、憚られた。


 そこで、絹の方に近づき、相談すると、彼女は溜め息を突き、

「仕方ない奴じゃ。わらわに任せておけ」

 そう言って、今度は絹が座敷童子に近づいた。


 絹は、おもむろに座敷童子に近づくと、彼女の前にかがみ込み、その小さな耳元で何やら囁いた。


 その瞬間、座敷童子は、表情を一変させた。

「えっ。それ、本当?」

「ああ」

「じゃあ、行く!」


 驚いたのは、保重だ。一体、どんなことを彼女は吹き込んだのか。不思議でならなかった。

 しかも、驚いたことに、座敷童子の女の子は、突然、保重の方に近づいてくると、満面の笑みで微笑み、その小さな左手で、彼の右手を握った。


 冷たい手だった。まるで死人のようにも感じられ、体温が感じられない。

 座敷童子とは、元々は東北地方に多く見られるが、一説によると東北地方では長らく、幼くして病気で亡くなったり、貧困により間引きされて亡くなった子供が多かったという。

 つまり、座敷童子は、それら「子供の霊」という説もある。


 そのことを思い出し、背筋が寒くなる思いがした、保重だったが。

「あたし、茶々ちゃちゃ。よろしくね、お兄ちゃん」

 茶々と名乗る、座敷童子の女の子は、けがれを知らない、純粋な瞳を向けて、微笑んでいた。


「一体、何を吹き込んだんだ、絹?」

 思わず、彼女に聞き返していると。

 狐の絹は、こう言った。


「おぬし。子供の扱いに慣れておらぬな。子供を釣るには、お菓子を与えればよい」

「つまり、お菓子をあげたってこと?」

 だが、見る限り、彼女は手に毬を持っているだけで、菓子の類は持っていないようだった。


 絹は、悪びれることなく、言い放った。

「わらわは、おぬしの家には、いっぱいお菓子があって、退屈しないし、遊んでくれるお兄さんもおるぞ、と言っただけじゃ」


「何を言ってるの、絹? お菓子なんて、全然ないし、遊んでる暇もないよ」

 ところが、そんな大人同士の会話に、子供の茶々は、途端に悲しそうに顔を歪めた。


「えっ。お菓子ないの? お兄ちゃん、遊んでくれないの? あたし、また一人ぼっちになっちゃうの?」


(可愛い。これはちょっと反則だ)

 そう保重が思っていると、絹が妙にニコニコ、というかニヤニヤとした、気味の悪い笑顔を浮かべていた。


はかられたか)

 そう思ったが、もう後の祭りだった。


 座敷童子の女の子は、手を放そうとしないし、依頼主の中年の男からは、何度も頭を下げられて感謝され、法外にも思えるほどの謝礼金をもらっていたからだ。


 ひとまず、溜め息を突きながらも、依頼主の家を後にする保重。

 だが、女の子は決して手を放そうとしなかった。


 仲良く二人で手を繋ぐ姿は、傍から見れば実の親娘おやこ兄妹きょうだいのようにも見えるが、実際には周囲の人間には座敷童子は見えていない。


 座敷童子は「家に住み着く」と言われるように、家にいる家人にしか姿が見えないからだ。

 もっとも、陰陽師としての能力に覚醒した保重には関係なく、その姿が見えていたが。


 そして、住み着いた家は、幸運に恵まれるとも言われる、福の神のような言い伝えがある。


 道すがら、絹は、

「それにしても、あの男も馬鹿じゃのう。座敷童子を追い出すとは。せっかく幸運が舞い込むというのに」

 とむしろ他人の不幸を祝うように、不遜な笑みを浮かべていたが。


(約束したから、仕方ない。この子のために、謝礼金でお菓子を買ってやるか)

 保重は、可愛らしい妖怪の女の子に懐かれて、気分を良くしたためか、帰路に着く前に、貰った謝礼金で、彼女のためにたくさんのお菓子を買っていた。


 こうして、初めての「妖怪事件」を解決した保重だったが、実際には彼は何もしていないのだった。


 「妖怪屋」として、まともに仕事をしていないのに、金だけが入ってくる。その上、福の神とも言える座敷童子まで住み着くことになってしまい、思わぬ幸運に、彼は気を良くするのだった。


 だが、闇にはびこる妖魔たちの影は、確実に彼らに迫っているのだった。

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