第9話 幼馴染はこれからのことを話す。
「うわ~、すご~い!」
放課後、日直の仕事を終えた優月を連れてとある場所へやって来た。
町の離れにある高台。たったひとつのベンチがるだけで、町の人間が寄り付くこともあまりない寂れた場所だ。
しかしここから見る景色は格別で、小さな町を一望できる。町の先には夕日のかかった幻想的な大海原が広がっていた。
「あ、あれがわたしたちの学校だね! ってことは~、あっちが翡翠くんの家かな~? あの屋根とかそれっぽいかも! あ、でもあっちも似てる? うーんよくわかんな~い。ねえねえ翡翠くんはどう思う~?」
「さすがにここからじゃわからないでしょ。ていうか、昔もしたよこの会話」
「そうだったっけ?」
「そうだよ。まあ、まったく同じだったかは分からないけど」
こんなふうに、ここからの景色を見ながら二人が知っている建物を探した。それは確かだ。
それは二人だけの、子供の頃の記憶。
あの頃の景色と変わらないもの。新しくできたもの。それは懐かしさと共に時間の経過を感じさせた。
「でもやっぱりここはいいね~。風も気持ちいいし、落ち着くね~」
「人もいないしね」
「わたしたちだけの秘密の場所、だね!」
「秘密ってほどでもないと思うけどね」
きっと、僕ら以外にもこの場所を好んでいる人はいるはずだ。こんなに綺麗な景色なのだから。ただ、みんなが一堂に会することがないだけなのだろう。
「優月は帰ってきてからまだここには来てなかったの?」
「うん。だって、翡翠くんと来なくちゃ意味がないでしょ?」
優月はにこっと笑いかける。
「ここは、翡翠くんが教えてくれた場所だから。大切な場所だから」
昔のとある日に、僕は優月をここへ連れてきた。
それなら、僕にこの場所を教えたのは誰だったのか。それは記憶の奥深くにしまい込まれている。
「ねえ翡翠くん」
「なに?」
「今日、どうだった? 辛く……なかったかな」
「……どうだろ。戸惑うことも多くて、知っての通り情けないこともあったけど。でも、思ったよりは大丈夫だった……のかな」
それはきっと、たくさんの優しさに触れることが出来たからなのだろう。残酷なこの世界に残された、小さな優しさに今日はたくさん出会ったような気がする。
「明日からはどうかな。学校、行ける? あ、全然急かしたりはしてないんだよ? 今日、学校に行けたことが大切なんだから! だから、まだ一日置きでも、二日置きでも、三日置きでも、もう少し休んでみたって、良いんだよ?」
「そんなに慌てて言わなくても大丈夫だよ、優月。大丈夫、明日も行けると思う」
「そ、そう? 無理してない? 無理、させちゃってない?」
「うん。ぜんぜん」
なるべく穏やかに、優月に笑いかける。
前向きな言葉は自然と口から出ていた。下校前に寄せられた何気ない言葉が心に宿っていたのだろう。
「そっかそっか。それなら明日からも、一緒に学校行けるんだね」
優月は嬉しそうにこちらへ向き直る。サッと、冷たいそよ風が優月の綺麗な桃色の髪を揺らした。柔らかくもまっすぐな瞳が、こちらを見つめている。
あの頃よりもずっと大人っぽく、綺麗になった幼馴染に少しだけ見惚れてしまいそうになった。
「ひとつ、目標を決めてみない?」
「え?」
「せっかくだからね、何か目標を持って生きてみるのもいいんじゃないかと思うの」
「目標、かぁ……。そう言われても今までは学校に行くこと自体が目標で、もうそこがゴールくらいのつもりだったからなぁ。なかなかその先の目標なんて思いつかないよ」
優月の言うとおりだとは思う。
引きこもりを脱却することがゴールではない。そこはむしろ、始まりだ。ずっと止まっていた人生が今日、再び動き始めたのだ。
新しい日々が始まるのに、新たな目標を持つのも悪くない。
しかしやっぱりこの先に何があるのか、何かしたいのか、よくわからなかった。
「コイビトを作る、というのはどうかな」
「……は? いや、それは……」
その言葉に、また心臓が痛む。今日一番の痛みだ。
「簡単に言っちゃいけないのはわかってるよ。わかってるの。でも。それでも。言うよ」
優月はゆっくりと、もう一度その言葉を口にする。
「コイビト、つくろう? 翡翠くんがもう一度誰かを好きになれたらいいなって思うの」
「でも、僕は……もう……」
ズキズキと、さらに胸の痛みは増していく。まるで傷口をえぐるように、ぽっかりと空いた穴を風が吹き抜けていく。
もう一度、だなんて。そんなことを誰が望んでいるというのか。
「ねえ翡翠くん! ここからの景色、とっても綺麗だよね! 海が見えて、緑があって、夕日が、たくさんの灯りが……人々の営みが世界を照らしてるの……」
目の前に広がる景色に、優月は手を伸ばす。その手は当たり前のように、空を切った。何もつかめなかったその手を見つめた優月はなぜか、悲しそうに見えた。
しかしまた、優月はいつも通りにこちらへ笑いかける。
「この景色みたいに、翡翠くんの世界に色を付けよう? 残酷で、理不尽で、寂しくて悲しいことばかりの世界に、たっくさんの絵の具をぶちまけちゃおうよ!」
「ぶちまけるって……そんなこと、どうやって……」
優月らしくない、荒々しい言葉。
そんな言葉にこそ、想いが載せられているような気がした。
「うん。きっとね、そのために必要なのが、人間関係。人との、関り。大切な人を見つけること。そして願わくば、その大切な人の大切にしてもらうこと。その大切を、もっともっと、世界の隅々にまで広げていくこと。それが世界を色づける方法なんだって優月ちゃんは思う」
どうかな、と優月は問いかける。
その瞳に迷いはない。優月は僕のことだけを想って、話してくれている。そこに疑う余地などありはしない。
それでもひとつだけ、聞きたいことがあった。
「どうして、優月はそんなふうに思うの?」
「え~? そんなの簡単だよ!」
にへっと笑って、優月は語る。
「あの時、翡翠くんと逢えてからね。そして再会してからね、わたしの世界はこんなにも輝いてるもん!」
こんなにも。そう言った優月の見ている景色は僕の目には見えない。世界というのはきっと見ている人によって様々に形を、音を、色を変えるものだ。人間の数だけ、世界はある。僕たちはそれぞれが違う世界を見ている。
だからきっと、優月の見ているその世界は色づいているのだろう。
それは僕が今まで知らなくて、あるいは気づいていなくて。優月は知っていた事実。そしてそれはきっと、僕も……。
「それに今日、楽しかったでしょ? 昼休みとか、放課後も、アイナちゃんや唯香ちゃんと話して楽しかったでしょ? 翡翠くん、笑ってたでしょ? それだけで、翡翠くんはもうこんなにも前向きになってるんだもん! それがきっと、世界を色づけるってことなんだよ!」
その言葉は、スーッと心の水面へと溶けていくようだった。
今日感じた、経験したすべてのことが、関わってくれた何人かの女の子の顔が、脳裏に浮かんだ。きっとその色とりどりの景色が色あせることはない。
その一番奥深く、最果てにあるものがもしかしたら恋人であり大切な誰かなのかもしれない。
それが本当に欲しいのかはわからなかった。だけど、他でもない幼馴染が、優月が言うのなら。
「そうだね。……少し、頑張ってみるよ」
「うんうん! 当然私も手伝うから! なんでも相談してね!」
えいえいおー! と優月は拳を振り上げる。翡翠も一緒になって手を挙げた。
一つだけ、胸の奥底につかえるものを感じながら。
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