刑罰:ブロック・ヌメア要塞破壊工作 3
「これ以上は、許容できません」
それは断固とした態度だった。
「我々も戦うべきです、総帥」
彼女――《聖女》ユリサ・キダフレニーにしては珍しい。というよりも、初めてかもしれない。
マルコラス・エスゲイン総帥は、新鮮な思いで彼女を見上げる。
驚いてはいたが、それを顔には出さない。
ただ手を組み、無言のまま、相手の顔を観察する。
(余計なことは言わない。沈黙は威厳を生む)
人間は相手からの反応を期待する生き物だ、とマルコラスは考える。気負っている場合は特にそうだ。それゆえに、威圧感を与えるには、ただ黙って見つめるだけでいい。
そうすると、ユリサに怯む気配があった――表情でわかる。ここで引きさがるか、と思う。
(哀れだが、そういう少女だ。それゆえに《聖女》などに祭り上げられた)
結局は相手の感情を考慮して、強く出ることができない。それがいつものユリサとの問答の結末だった。
が、今日ばかりは違った。
一瞬だけ傍らに目をやって、ユリサは堪えたらしい。
(なるほど)
と、マルコラスは納得する。いま、彼女の傍らには、護衛でもあるテヴィーという女がいた。ユリサが目をやったとき、この女がうなずいたのがわかった。
テヴィー・ノフティオ。神殿が派遣した武装神官だそうだ。どうやら、余計な入れ知恵をしたらしい。あるいは不必要な勇気でも与えたか。
「総帥閣下。我々も、あのブロック・ヌメア要塞への攻撃に参加するべきです。なぜ海上で手をこまねいているのですか」
「……要塞攻略は、第十一聖騎士団と、その指揮下にある陸上が担当する」
やむを得ず、マルコラスは重々しく言葉を発した。
「我々が手を出して、無駄に兵を損耗するわけにはいかない。グィオの海上支援部隊は活発に動いているではないか」
「ですが、我々ガルトゥイル北部方面軍は、いまだ本格的な戦闘に一度も参加していません」
「結構なことだ。やりたい者にやらせておけ」
この数日、何度か繰り返した話だ。どうやらこの《聖女》は、安全な立場というものに我慢ができないようだった。
その都度、マルコラスの返す答えは同じだった。
援護部隊として戦闘に参加しても、たいした名誉も武功も得られない。ただいたずらに、陸上部隊やグィオに名を成さしめるだけのことだ。なんの利益にもならない。そんな無駄な戦いはするべきではない――と、言い聞かせてきた。
しかし彼女は、この日ばかりは、強硬な態度を崩さなかった。
「我々の下へ、グィオ・ダン・キルバ聖騎士団長から援護要請が来ていることも知っています。いま、陸上ではブロック・ヌメア要塞攻略のため、少数の精鋭が危険な破壊工作に従事させられていることも」
「それは懲罰勇者どもだ。精鋭などではない。ちょうどいい罰ではないか」
「ですが、勇敢です。我々よりもずっと」
「勇敢さが何の役に立つ。……ユリサ・キダフレニー。どうやら、よほどお前は戦争が好きになったらしいな」
これには、また一瞬だけユリサは口を閉じた。
が、今度はテヴィーの方を振り返らない。代わりに、肩にのぼっている奇妙なイタチのような生き物の背を撫でた。
「勇敢さは役に立ちません。でも、勇敢であるべきだと思います。祭り上げられた《聖女》だからこそ――私は、一人でも戦います。これ以上は見過ごせません」
「馬鹿げたことを。《聖女》が動くとなれば、一人での戦いにはならん」
「皆さんが、同じ気持ちであるなら」
ユリサは決然と、マルコラスからすれば呆れるほど愚かしいことを告げた。
「私はその先頭に立って戦います」
それでマルコラスは合点がいった。
――おおむね、兵士どもからの訴えを受けて覚悟を決めたという話なのだろう。ユリサ・キダフレニーは、周りの顔色を読み、空気を読みすぎる少女だ。マルコラスはそのことを知っている。
だから、もう耐えられないのだ。
《聖女》として先頭に立ち、戦いの最前線に身を投じてほしい、という兵士たちの渇望をごまかす術を知らない。
そして、そういう少女を宥めるのに、マルコラスは適切な言葉を持っていない。
威圧や恫喝、懐柔が通用しない相手と交渉をした経験がほぼないからだ。兵士たちが望んでいて、ユリサがその気になっているとしたら、下手な抑止の命令などできない。
それはマルコラスの最大の資産の一つである、軍の兵士たちからの人望を損なってしまうだろう。
能力の優劣ではなく、人気投票を行えば、必ず勝てる。そういう状況を作ったからこそ、総帥まで上りつめたのだ。
さらに言えば、実際にユリサにはその権利がある。
総帥であるマルコラスが手ずから軍の指揮権の象徴である剣を預け、神殿も承認した。法律的にも、部隊を独自の権限で動かすことができる。そこにはマルコラスでさえ口を挟むことはできない。
だから、沈黙するしかなかった。
「失礼します」
――結局、黙っている間に、ユリサ・キダフレニーは退出していた。テヴィーが最後に頭を下げたが、その視線が妙に苛立たしかった。
気の毒そうな目つき。
(ふざけている)
自分を誰だと思っているのか。そんな目つきで見られるような立場ではなくなった。もはや誰にも自分を蔑むことはできない。そのはずではなかったか。
(テヴィー。武装神官か。神殿はそろそろ目障りだな)
マルコラスが重苦しいため息をついた、そのときだった。音もなく、滑るようにドアが開いていた。
「――ずいぶんと苦労されているようですね、総帥」
穏やかで、柔らかい声だった。
何者かが、ドアを開けて入室してくる。まだ若い男、だろうか。どこか年齢不詳で、印象に残りづらいような、特徴のない顔つき。
見たことがある、と、マルコラスは思った。
だが、どこで? ――それが思い出せない。たしかに見たことがあるのに、知っているはずのことが、頭の片隅から出てこない。
結局、その名を尋ねることにする。
「貴様は?」
「フーシュと申します。宰相閣下の使いで参りました」
なるほど。宰相の使い。そう言われれば、そんな気がした。マルコラスは片手を振る。
「文官に用はない。戦費に関する話なら、俺ではなく第六聖騎士団長のリュフェンに言え」
「恐れながら、総帥閣下。戦費の話ではありません。お耳に入れたいことがございます」
「なんだ。何が言いたい? 思わせぶりな物言いは好かぬ」
「懲罰勇者9004隊について」
フーシュはごくわずか、その色が見えるかどうかという程度に微笑んだ。
「ぜひ、お聞きいただきたいのです。人類の存亡が懸かった、重要な話です」
◆
《統べる氷汐》マーヌルフは、思った以上に不吉な男だった。
もしかしたら魔王なのかもしれない、と、フギルは思った。ただの人間のつなぎ役ではなく――自分たちを直接指揮するためにやってきた、魔王現象の主の一人。
顔色は青白く、血の気がない。そのくせ、言葉だけは流れるように出てくる。
(厄介なことになったな。しかし、好機ではある)
フギルは、ヴァリガーヒ第六〇一集落の長である。集落の番号は、魔王現象の一派から与えられた。
このヴァリガーヒ北岸には、フギルが知るだけでも七つの村が存在する。それらは食料としての人間を飼育する牧場であり、また魔王現象の手先として働く者たちの養育所でもある。
大半の村人が
フギルのような一握りの人間だけが、食料にも兵士にもならずに管理者として暮らすことができる。
(だが、感謝すべきだ)
後ろめたい気持ちは、フギルにもある。だがそれでも構わない。フギルは自分が裏切り者とののしられ、場合によっては殺されることなど意にも介していない。
なぜなら、フギルには妻と二人の息子がいるからだ。
彼女たちの命さえ保証されるなら、どんな裁きを受けようが構わない。そのつもりでいた。自分に万が一のことがあったときは、彼らの安全を保証する仕掛けも打ってある。
だから、《統べる氷汐》マーヌルフの提案は、それ自体が大きな好機と考えることができた。
ここで大きな功績を立てれば、いっそう盤石な支配者階級として、妻や息子たちの未来をより確実なものにしてやることができる。
マーヌルフの来訪を、フギルは喜んで歓待した。自らの家に招き入れ、集落の主だったものを集めた。数は二十。息子たちも片隅に控えさせ、兵士たちは家を囲んで見張る。
フギルたちの村が集められる兵士としての戦力は、およそ二百。
健康な女、子供、足腰の立つ老人を集めて、かろうじて武器を持てる者を合わせれば、三百にも達するだろう。これは近隣の集落に負けてはいない。
最大の戦力の一つとして数えられるはずだった。
「――間もなく、この村の付近を、連合王国の軍が通過します」
《統べる氷汐》マーヌルフは、どこか病んでいるような声で言った。
頬には微笑が浮かんでいるが、顔はまったく蒼白で、生気というものが感じられない。
「この軍を包囲し、殲滅します。これは決定事項です。あなたたちには、退路を塞ぐ役目をお願いします」
「……連合王国の、軍ですか」
フギルは頭の中で勘定をしながら答える。
「数は、多いのでしょうな? 我々だけでは、完全に阻止することはできかねますが」
「そうですね。少なくとも半数は死ぬでしょう」
マーヌルフは、見た目通りに酷薄な台詞を口にした。
「ですが、それが何か?」
こういう冷酷な答えを求めていたのだろう。
そう言わんばかりの、堂々たる問い返しだった。フギルは言葉を失った。
「我らが王は、連合王国の軍の殲滅のみを求めておられます。それが達成できれば、あなたたちの村の役割は不要。今後の兵役と、食料としての役目の免除を約束します」
「それは――」
フギルだけではない。周囲の人間たちがざわめいた。露骨に顔色を変えた者もいる。
自分たちの犠牲だけで、子供たちを最悪の未来から救えるかもしれない。そのことが、希望をもたらしている。
そのためならば、王国の兵士など何千、何万人を殺しても構わない。自分が地獄に落ちることさえ認めれば、なんと気が楽なことか。フギルは周囲の者たちと顔を見合わせ、そして互いにうなずきあった。
「約束を」
フギルは唾を飲み込んだ。
「していただけるのでしょうな。我々が責務を果たした暁には、どうか」
「ええ」
《統べる氷汐》マーヌルフは、薄く笑った。氷のような笑みで、片手を差し出す。
「必ず。私は、嘘は嫌いです」
「では――」
フギルがマーヌルフの手を握ろうとした時だった。
どこか遠くで、叫び声が聞こえた気がした。それから破砕音――爆音。空気の割れるような音。
思わず、片膝立ちに立ち上がる。
「マーヌルフ様! いまのはいったい――」
「お気になさらず」
凍ったような笑みを浮かべる男は、落ち着いた様子で眉すら動かさなかった。
「もう、始まったようです」
「始まった、とは……?」
「良い報告と、悪い報告があります」
マーヌルフは動かない。その場に凍り付いたように、座ったままだ。
「まずは良い報告の方ですが、あなたたちは誰も犠牲にしなくてもいいということです。未来のために奴隷の立場を認めるなんて、馬鹿げていると思いませんか? 子供たちもあなたも、互いに生きて迎える明日があるべきでは?」
「……え?」
「ね。良い報告でしょう。それから、その、悪い報告の方は――」
一瞬の沈黙。その間に、誰かの雄叫びとも笑い声とも区別できない声が聞こえた。何かが倒壊する音。この家の入口が破壊され、誰かが踏み込んでくる。
それを一瞬だけ振り返り、マーヌルフは小さくうなずいた。
「悪い報告の方は、ええ。私が嘘つきだということです。申し訳ないのですが、いままでのはぜんぶ嘘でした」
「は」
「……すみません。でも、これで人類のためにみんなで戦えるのだから、むしろいい報告かもしれませんね」
マーヌルフの背後から、獣のような顔をした、背の高い色黒の男が近づいてくる。それを阻止しようとした若い衆が二人ほど、吹き飛んだ。何をしたのかはわからない。
「ベネティム」
色黒の獣のような男は、《統べる氷汐》マーヌルフの肩を掴んだ。
「今回はうまくいったな。予想外の手柄だ」
「あの、立たせてくれませんか、ザイロくん。腰が抜けて……立てないんですけど……」
「アホかお前」
ザイロ、と呼ばれた男が、ベネティムの腕を掴んで立たせてやろうとする。フギルは混乱した。
「あ、あの、あなたは――」
「申し訳ないのですが、みなさん」
マーヌルフは、いままでの態度が信じられないほど弱気な声で言った。
「我々はブロック・ヌメア要塞を攻略しに参りました」
「っつーか、魔王を殺しに来たんだよ」
「ええ、そうです……この村は暴力的な集団によって、完全に包囲されています。……どなたか、要塞内部への抜け道とか何かご存じないですか? 早めに喋った方が良いですよ。ツァーヴという拷問大好きな男がいるので、そのままですと、みなさん漏れなく酷い目に遭うと思います」
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