刑罰:第二王都ゼイアレンテ奪還作戦 1

 俺が最初に思ったことは、守るべき範囲が広すぎるということだ。

 そこは、もともとカンド・アグ福祉地区と呼ばれていた。

 第二王都ゼイアレンテにおける、特に治安の悪い一角だった。収入の低い市民でも生活できるように、安価な共同住宅を建てて並べた地区である。


 ただ、この都市計画の失敗は、住居を建てるだけ建てて肝心の雇用政策を放っておいたことだ。

 まっとうな職にはありつけないが、軍隊にも入りたくない。

 あるいは軍隊にも居場所がなくなった。

 そういう冒険者や傭兵くずれ、犯罪者どもの巣窟になるまで、そう長い時間はかからなかったという。


 そのため、カンド・アグ福祉地区は入り組んでいる上に範囲が広く、ここを「居留区」として押し込められた人の数も多かった。

 そのほとんどが体の弱い老人、病人、痩せた子供――あるいは拘束された犯罪者やその一歩手前みたいな連中で構成されている。


(とてもじゃないが、守り切れない)

 つまり、戦い方を変える必要がある。

 守るのではなく、攻撃する。

 最低限の防御態勢を作って、短時間だけそれで凌ぐ。その間に市街の指揮をとっている魔王現象を倒して、異形フェアリーの群れを瓦解させるしかない。


 とりあえずは『アーヴァンク』を狙う。

『アバドン』は城の中だろうし、『アニス』はどこにいるかわからない。

 それから『シュガール』――こいつは姿を見せていないが、空に上がればジェイスが仕留める。

 少なくとも第二王都に存在する魔王現象を半分も倒せば、指揮系統の混乱を引き起こせる。そうすれば、第八聖騎士団もこちらに兵力を回す余裕も生まれるだろう。

 そのためには。


「……パトーシェ。作戦だ。耳を貸せ」

 こんな戦術的な話をできる相手は、パトーシェしかいなかった。

 俺は真剣に、あいつの肩を掴んだ。


「な、……なんだ。問題があるのか?」

 どういうわけかパトーシェは少し怯んだようだったが、構わない。

 やるべきことをやる。

「このままこの一帯を守って、勝ち目はあると思うか?」

「……いや」


 さすがにパトーシェには見えている。

 苦々しく、その続きを口にする。

「勝ち目はない。範囲が広すぎる。勝利を民間人の防衛と定めるなら、我々は必ず敗北する」

「じゃあ、攻めるしかないな。俺とテオリッタと、ツァーヴとタツヤで出る」


 つまり極端に攻撃的な編成ということだ。

 これほど機動力と殺傷力の高い組み合わせはないだろう。

 魔王現象アーヴァンクを、一刻も早く殺す。いまはそのために狙いを絞るべきだった。


「ライノーとノルガユを残す」

 つまり、砲撃能力と、陣地構築力を揃えるということだ。

「ドッタとその監督役も呼んだ。もうすぐ来るから、少しは足しになるだろう。ベネティムにはせいぜい民間人が恐慌状態にならないように演説でもさせておけ……で、実際に動きまわって守る主戦力は」

 俺はパトーシェの背中を叩いた。

「お前の騎兵隊だ。防衛の戦線を引け」

「それはそうだろうが。……歩兵が必要だ。戦線を引くのは騎兵にはできない」

 パトーシェは険しい顔のまま、唇を噛んだ。


「騎兵の半数以上を徒歩で戦わせるしかない。が、それではあまりにも兵力が少なすぎる」

「……市民から、防衛部隊を募る。自分たちの命を守るためだ。できるやつにはやってもらう」

「ある程度は、頭数を揃えられるだろうが。……あまり当てにはできない」

 パトーシェの言いたいことはよくわかる。訓練を受けていない民間人を、防衛線力として使うことの難しさは尋常ではない。最低限の号令を理解させているだけの時間もない。

 ただ、できなければ死ぬだけだ。

「それでも、やるしかない。頼むパトーシェ、いまは――」


「無様ね、ザイロ」

 唐突なフレンシィの声。なぜか、頭上から降ってきたようだった。

 見上げると、灰色の馬に跨るフレンシィの姿があった。こいつ、いつの間に馬を手に入れたのか。

「あなたが物事を頼む相手なら、この私こそがふさわしいと思わないの? 寝ているアザラシも恐れをなすほどの愚鈍さです」


「フレンシィ」

 えらく不愉快そうな顔で何か応酬しようとしたパトーシェよりも早く、俺は疑問を口にすることにした。

「なんだ、その馬。どこから盗んできたんだ」

「あなたのところの泥棒ではあるまいし、そんなはずがないでしょう。不名誉な言い方をしないで。――そもそも、私が一人でここまで、トゥジン山までのこのことやって来ると思っていたの?」

「いや……待て、何が言いたい?」

「愚かね。本当に、とても愚かね」


 フレンシィは片手を掲げ、指を鳴らす。

 そういう仕草がやたらと似あう女だ。その背後の路地のあちこちから、武装した男女がぞろぞろと進み出てくる。

 彼らはいずれも曲刀を腰に吊り、そして、褐色の肌と鉄の色の髪を持っていた。


「南方夜鬼の戦士、三百名いるわ。ザイロ。もともとはあなたの指揮下で戦うべくやってきた者たちです。彼らは、あなたが懲罰勇者であることも、あなたのために戦っても何の名誉も利益も得られないことも、理解しています」

 恐ろしいことを、言われている気がした。

 めまいがする。三百人の戦士? 本気か? だが、現に南方夜鬼の武装した男女は、いま俺の目の前にいた。

「トゥジン山の陣地を訪れたのも、彼らをあなたの元へ届けるためでした」


「若君。お久しぶりですな」

 その、南方夜鬼の戦士たちのうち一人――ひときわ体格のいい、禿げあがった大男が地響きのような声をあげた。

「もっと早く、こうして駆けつけたかったですよ」

 その顔には見覚えが、声には聞き覚えがあった。

 イシドリグという。

 子供の頃から知っている。俺の――俺にとっての、武技と読み書きの師匠のような存在だった。厳しい教練はいまも体にしみついている。特に、読み書きの方は。


「若君が帰ってきて、若君の指揮で戦える日を、俺らァ待っていたんですがね」

 真剣な顔つきだが、口元がわずかに笑っている。

 イシドリグは南方夜鬼にしては表情が豊かな方だったが、はっきりと俺にもわかるほど笑うのは珍しい。

 そんなに愉快なことか。

 俺は暗澹とした気分になる。

 その期待は重荷だ。はっきり言って、彼らにとってわずかでも利益になるようなことさえ示せない。俺は懲罰勇者にすぎない。


(――何をやっているんだ、俺は。こいつらも)

 南方夜鬼の彼らが俺に期待をかけていたのは――マスティボルト家の一員として、強力な『家』を築くためだけではなかったのかもしれない。

 あるいは、俺のことを少しでも気に入っていたとか。それは自惚れがすぎるか?

 だが、たとえそうだったとしても、もう遅い。

 俺はそんな場所に帰れないし――本当に申し訳ないが、いまさら帰りたいとも思えない。

 そうでなければならない。

 俺と関わってもみんなの立場を悪くするだけだし、それに――


(俺はきっと、みんなを地獄に連れて行く)

 そういう確信がある。

 ろくなことになりはしない。


「みんな昔から、いつか若君と一緒に戦うつもりでしたぜ。――そうだろう?」

 イシドリグが声をかける。

 と、周囲の連中が、叫び声を合わせて曲刀を頭上に突き上げた。その叫びに、イシドリグは満足そうに大きくうなずく。

「士気は十分に高いと断言できます。ついては、さっそくご命令をいただきたいところですな。初の命令が、若君と離れて防衛戦とは残念ですがね」


「なんでそうなる。正気か、お前ら」

「若君、残念ながら」

 俺の文句に、イシドリグは南方夜鬼らしい真顔で応じた。

「若君はご自分が思っているよりも、なかなか多くの人間に影響を与えてるってことですよ。ここの一人一人に志望理由でも聞きますかい? 時間があれば、みんな喜びますぜ」

 俺はそれには何も答えなかった。俺にそんな資格はないからだ。

 馬鹿げている。そんなことは間違っているとしか思えない。


「……フレンシィ。親父殿は、このことはなんて言ってる?」

 俺は自分の声を制御できない。どうしても厳しくなる。

「俺はあの親父殿に迷惑をかけたくない」

「父上は、それが我々の選んだことなら、是が非でもやり遂げよと仰せでした」

 フレンシィは、淡々と言い切った。

 そして、俺を見る。無表情を装った顔の向こうに、俺が干渉しようのない何かが見えた気がする。


 昔からそうだ。

 俺を育ててくれた、マスティボルト家の人間たちは、俺が何か言ったところで考えを改めたことがない。誰だって、誰一人として、俺の所有物ではないのだ。彼らが好き勝手に考えることを、俺がどうこうできるわけではない。

 ――俺の戦いに付き合うつもりだというのなら、そうだ。

 俺に止める権利はない。


「パトーシェ」

 俺は南方夜鬼の部隊ではなく、かつて聖騎士だった者を振り返った。

 俺の指示に従って戦ったという形にはさせたくない。ここに来てくれた彼らがどんな不利益を被るかわからないからだ。

 だから、ちゃんとした言葉に出さずに頼みごとをするしかない。


「……あいつらと仲良くやってくれ」

「あの女は、正直、特に理由もなく不愉快で気に入らないが」

 パトーシェは本当に不愉快そうに言った。

「私はやるべきことはやる。戦う力のない民の命を守る。それが、いま、私に考えられる最大の正義だからな」


 そうして、今度はパトーシェが俺の背中を叩いた。

「行ってこい。必ず勝て、迅速に決着をつけろ」

「……ああ。そうですか」

 と、フレンシィが唸り声をあげて、軽やかに馬から飛び降りた。

 そして、やつも俺の背中を叩いた。たぶん、パトーシェよりも強かったと思う。

「行ってきなさい、我が婿。勝利を信じているわ」


 あまりにその力が強かったので、俺は前のめりにつんのめった。

 俺は二人に文句を言おうとした――頭上で光が弾けたのは、そのときだった。


 続いて、轟音。

 白い月の照らす夜空を、黒々とした大きな影が横切る。透き通った羽と、ずんぐりとした体――昆虫に似た影だった。あれが魔王現象『シュガール』なのか。

 青く冴えた翼の影を、追っているようだった。


「騒がしいな」

 と、呟く俺の頭上で、またいくつもの光が弾けた。轟音。

 俺は、首元の聖印を指で触れた。


「ジェイスか。おい、手こずってるみたいだな?」

『黙れ』

 という、短い返事。青い翼の影は、他のドラゴンたちの炎の息吹に援護されながら身をよじる。続く光の爆発をかわす。

 それも、かろうじてだ。


『空は俺たちが抑える。……俺たちが。お前らはさっさと地上を制圧しろ』

「じゃあ、そっちは任せていいんだな?」

『当たり前だ。こっちに手を貸したら――』

 雑音のような音。ジェイスとニーリィが急旋回していた。

『ただじゃおかねえ』

 またぎりぎりのところで光の爆発をかわす。追尾する性質があるという『シュガール』の攻撃を、どうやって回避しているものか、まるでわからない、


「よくわかった」

 そうして俺は、パトーシェに向き直る。

「ライノーとノルガユに伝えろ。ジェイスを助けてやってくれ。あいつは何でもかんでも自分だけでやろうとするのが悪い癖だ」


「……その悪癖とやら」

 パトーシェは手に負えない愚か者を見る目で、俺を見た。フレンシィもそれと似たような、あるいは愕然としたような目をしていた。

「そっくりそのまま、貴様に返す。ジェイスはニーリィがいる分だけ、お前よりマシだぞ」

 ひどい罵倒だ。

 こんな手ひどい悪罵は聞いたことがない。

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