刑罰:白銀公道アスガーシャ攻防戦 1
第二王都ゼイアレンテには「公道」とされる道が三本ある。
そのうち最も賑やかだったのは、白銀道アスガーシャだろう。
最も大きなものは貴族たちが使う威風公道だろうし、学生街を貫く博学公道も大したものではあるが、アスガーシャは少し意味合いが違う。
まさに第二王都の商業の中心だったといえる。
俺も休暇のときはたまに訪れた。
温泉を利用したでかい浴場もあるし、真新しく整えられた劇場も近い。第一王都よりも俺のことを知っているやつが少ないのがよかった。
第六聖騎士団の団長とは、学生みたいに朝まで飲み歩いたこともある。
だから土地勘もそれなりにはあった。
――あくまでも、それなりには。
細かいところは地図だけでなく、実際に現場を検分する必要があった。それは、「抵抗組織」の冒険者たちには任せられない。
夕暮れから明け方、人と
その結論は、こうだ。
「……資材が足りない」
俺はそう言うしかなかった。
「ぜんぜん足りねえ」
新たな「抵抗組織」の拠点とした、アスガーシャ公道の片隅の地下室だった。目の前には、かき集めた聖印彫刻用の資材を並べている。
できるだけ錆びていない鉄の板、あるいは欠片。蓄光塗料と、保護液。接結液。溶剤。彫刻器具。設計用の紙片をたくさん。
これだけあっても、俺の場合は失敗作が出てくるだろうし、いささか心もとない。
すべて一発で成功させるつもりでやれば余裕はあるが、俺は自分の腕をそこまで信用していなかった。即席で聖印を刻むというのは、本当に特殊な能力だ。
こうした物資を少しでもかき集めるため、いまもライノーが「抵抗組織」の人員を連れて、街中を探し回っているところだった。
もう時間があまりない。
が、物資の集積所などは下手に襲えない。それなりに警備の目もあるし、ここの連中にはそんな無理をさせられない。技術的にも不可能だ。
俺にできることは、こうなっては、ただ成功を祈ってひたすら聖印彫刻に精を出すだけだった。
「手が止まっているわ、ザイロ。あまり芳しい様子ではなさそうね」
フレンシィは、俺の手元を無表情に覗き込んできた。
俺はこわばった背筋を伸ばし、フレンシィの手元も見た。そして言う。
「そっちこそ。ずいぶん慎重にやってるな」
「……よく考えたら、私も、こういう仕事は苦手だったわ」
彼女は彼女で、さっきから液体の調合に集中していた。
蓄光塗料の希釈と攪拌には注意が必要だ。比率を間違えれば、極端に持続時間がなくなったり、満足に威力を発揮できなくなったりする。
そういう几帳面な作業には、意外にもフレンシィは苦戦しているようだった。
かなりの量の失敗塗料を配合している。
確かに――昔からフレンシィは手先が器用な方ではなかった気がする。頭であれこれ細かく考えるのも嫌いな方だった覚えもある。特に算術。
なにしろ家庭教師による算術の勉強を抜けて、俺の寝起きしていた屋敷まで逃げてきたこともあるくらいだ。庭でたまに見かけることがあった。
「算術と比べれば、詩の方が百倍は好きです」
とも言っていたし、そこのところは同感だ。
ただ、それでもまったくの素人よりはマシだった。
少なくとも「抵抗組織」の冒険者どもに、この手の作業を任せられるやつはいない。
ライノーにこの手の作業をさせるか、とも思ったが、あいつはあいつで予想外に隠密行動が巧みだった。
よく考えなくてもそれはそうだ、あれだけ頻繁に持ち場を放棄して、俺たちの前から消えてみせることがあったのだから。
危険を察知する能力も、逃れる能力もある。
よって、あいつを偵察の役目から外せない。いまも外に出ている。
それに、フレンシィはこの作業をやってみせると言い張った。
間違いなく意地になっているのだろう。
こいつも舐められるのが相当に嫌いな性格であるようだった。
「……せめて、もう少し物資を集めてくることができればな」
わかっていながら、俺は無い物ねだりを口にした。
「失敗できないから慎重になる分、余計に時間がかかってる気がする」
「まさに不毛な要望ね」
と、フレンシィは一言で切って捨てた。
「いまの手札で勝負するしかない。これはあなた自身も普段から言っていることでしょう。物資集めに、何か名案でもあるの?」
「いや、まったくない」
「だったら、黙ってやりなさい。それとも別の戦い方をする? 案があるなら言ってみて。丁寧にその欠陥を列挙してあげるから」
俺は黙った。
そもそもこの戦い方を考え付いたときにも、思う存分欠陥を列挙された。
その中で最もマシだと思えたものを実行することにしたのだ。少なくとも武装蜂起で同調勢力を期待するだとか、暗殺計画を立ててみるだとかよりは成功の目があるだろう。
(……この作戦の欠陥は、ただ人手も物資も足りないことだ)
俺は頭の中に地図を描く。
外からの攻撃に呼応して、内部で破壊活動を開始する。その規模は大きければ大きいほどいいし、同時多発的であればさらにいい。
俺は爆破する場所を決めていた。
市民居住区を避け、点在する軍事拠点を標的にする。
目くらましに過ぎないとすぐに推測できるだろうが、無視はできないはずだ。いくらかはそちらに戦力を向けざるを得ない。
無視されるようなら、そちらに攻撃目標を移す。
そうでなければ、俺たち自身は、都市の門へと向かう。内側から襲って外部からの侵入を援護する形にする。
――それを成功させるには、時限式に爆破する聖印が必要になる。
が、これは単純な手投げ爆弾とも違う、それなりに高度な技術が必要だった。あるいは、正確で統率のとれた、多人数での作戦行動がその代替になるか。
その作戦に対して、こちらの戦力といえば。
「おわあっ!」
と、隣の部屋から声が聞こえた。
大声をあげるのは万が一のことがあるのでやめてほしかったが、何度言っても治る気配がない。
「やばい、また駄目だ。ヒビが入ってる! うまくいかねえな、畜生」
「っていうかクソ熱いな。お前、毎日こんなことやってたの? オレはもう気が遠くなってきたよ……」
騒いでいるのは、「抵抗組織」の構成員たちだ。
やつらの中に、かつては鍛冶屋をやっていたという者がいたため、ナイフの鍛造を頼んでみた。俺が使う分だ。
そんなに立派なものができてくるとは思わなかったが、それ以前の問題のようだった。
引き受けたやつはまるで腕が悪く――ここにはまともな設備がないとか泣き言を言っていたが、とにかく失敗続きのようだった。
「先生、すみません!」
おまけに、これだ。ノックもなく無遠慮に作業場のドアが開く。頻繁に人がやってくる。
しかも、俺のことを『先生』と呼ぶ。用心棒かなにかだと思っているのか? 集中力が削がれること甚だしい。
「オルド爺さんがまた酒飲んでましたよ! いま酔いつぶれて寝ちまってます」
「……酒なんてまだ隠し持ってたのか? 誰だよ?」
「いや……ハーボンのやつ、酒がないと手が震えるらしいんで、それで仕方なく……」
「ふざけんな!」
俺が怒鳴ると、抵抗組織の構成員はひどく怯えた。何かものでも投げつけられると思ったのか、ドアを盾にして隠れる。
「オルド爺さんはもういい、もともとぜんぜん働かなかっただろ」
「ですねえ。昔は凄腕の冒険者だったって話ですけど、剣がないのでやることがないとかって……昼間からあの調子で」
「だったらさっさと剣を打ってやれ。元・鍛冶屋っつったのはお前だろ」
「へへ……がんばってます。がんばってますがね……そのう……」
「とにかく一本でも多くまともな刃物を用意しろ! できなきゃお前の骨をへし折って武器にしてやるからな」
「お、おっす!」
慌てて顔を引っ込め、ドアを閉める。
俺はため息をつきたい気分だった。代わりに舌打ちをする。フレンシィも似たような感想を抱いたようだった。
「……本当に、あの連中を当てにするつもり?」
「当てにはしてない。でも、他にいないんだよ」
「誰か裏切るかもしれないわ」
「その点で言うと、いまの元・鍛冶屋は当てになりそうだ。最初に裏切ったケビルってやつの奥さんに手を出そうとしやがったらしいからな……降参しても殺されるだろそんなもん。残念な話だが、そういうやつは逆に信用できちまう」
「その話が本当ならね」
「疑い始めるとキリがない。他に人材がいないんだ。それに、直前まで作戦は伝えるつもりもないしな」
酒がないと手が震えるようなやつも、飲んだくれの爺さんも、裏切ったところで間違いなく食料となる道しか残されていないだろう。
他のやつだって、それぞれ社会的な性質に欠陥を抱えている。
そういうやつほど信用して使えるというのは、皮肉な話といえばそうかもしれない。
どうしろというんだ。
「まったくもって、無様な状況ね。ザイロ、これは日頃から怠けているあなたへの、なんらかの罰ではないかしら?」
「罰ならいつも受けてる」
俺たちは懲罰部隊だからだ。神様たちにも好かれているとは思えない。
「悪いなフレンシィ。ひどい状況だ。絶対怒ってるだろ」
「別に。怒ってはいないわ」
「嘘つけ」
俺は気づいていることがある――この街に閉じ込められてからずっと、フレンシィが髪の毛を触る回数が多い。
「髪の毛を触ってるな。それはお前が怒ってるってことだ」
「は? ……なぜ? ぜんぜん違うのだけど? なぜそういう結論になるの? 理解に苦しむわ。その辺に生えている苔よりも洞察力が足りない証拠ね。呆れました」
一気にまくしたてられた。
やはり怒っている、と俺は確信した。絶対にそうだ。
「むしろ私は楽しんでいます」
「それこそ嘘だろ、こんな状況だぜ。魔王現象が支配する街に閉じ込められて、味方はライノーとろくでなしどもだけ。作戦成功の目途も立たねえ」
「いえ、楽しんでいます。ここ数年で一番くらいには」
フレンシィは溶液を混ぜていたブラシを、俺の眼前につきつけた。
そこそこ有害な液体なのでやめてほしかったが、フレンシィの目つきは真面目だった。感情の読めない女ではあるが、そういう目つきで嘘はつかない。
「あなたはどうなの?」
「俺か」
「この状況は苦しいだけ? それとも少しは、楽しいと思っている?」
考えてみる。楽しんでいるとは、口が裂けても言えない状況だ。それは軍人として間違っている。
「私はね、ザイロ。あなたとこうして――」
「あごっ!」
フレンシィの言葉を、唐突に聞こえてきた悲鳴が遮った。
続いて、ドアが勢いよく開く音。フレンシィの眉間に珍しく皴が寄った。俺はまた「抵抗組織」の連中が何かしでかしたのかと思った――だが、その飛び込んできた人影を見て驚いた。
まったく思いがけない人間の顔をしていたからだ。
「……痛いなあ」
と、その薄汚く小柄な男は、背中の辺りを抑えて呻いた。
「ドッタ?」
俺はその意外すぎる侵入者の名前を呼んだ。
ぜんぜん理解が追いつかない。
「何やってんだ、お前」
「……というよりも。なんであなたが、ここに?」
フレンシィも似たようなものであるようだ。彼女にとっても予想外だったに違いない。
「やあ。ザイロ。まずいことになってるみたいだね……実はぼくもなんだ。修理場からここまで、すごい勢いで追い立てられてさ……」
ドッタはどこか怯えたような顔で、力なく笑った。
「……この街に忍び込んで、こうやってきみらと合流させられたわけなんだよね」
「忍び込んだって、お前、どうやったんだ? どこも塞がれてるだろ。城壁を登って来たとかか?」
「え、ええ? そんなのザイロできるの?」
「いや、たぶんできねえけど……」
「ぼくもやだよ、そんな大変なの……。近くで
なんだそりゃ、と俺は思った。
そんな手段があったのか?
死体のふりをして紛れ込む。万が一途中で食われたりしたらどうするつもりだ?
「実は、なんか……
「……違う。助っ人でも看守でもない、副官だ」
ドッタの転がり込んできたドアから、低く抑えた声が聞こえた。
くすんだような赤い髪の女だった。右腕に包帯を巻いている。俺にはかろうじて見覚えがあった。
トゥジン・トゥーガの戦いで、ドッタを拾って運んできたやつ。
「貴様は、自分の副官の紹介くらいきちんとしろ」
「え、ふ、副官? ぼくはそんなの初めて聞いたんだけど……」
「……私はトリシール。この男を監督し、指導する。そういう役目だ」
トリシールはひどい仏頂面でそう断言した。
もしかすると、あまりにも無茶な窃盗を繰り返すドッタに対し、軍部が引き当てた役人かもしれない。まさに看守のような。
そうだとすると、やけに暗い目つきが気になったが、いまはそれどころではなかった。
重要な点は、ドッタがここに合流したということだ。
物資調達力に、偵察力――その両方が跳ね上がる。
作戦の展開が広がる。できることが飛躍的に増えるだろう。その中で、もっとも効率的なのは――
「ドッタ。早速だが働いてもらう」
「ええ? えっと、ぼくはまだついたばかりだし、外からの伝言が……」
「そんなもんは定時通信で聞く。とにかく物資を集めろ。油だ。それと武器。刃物はいくらあってもいい」
俺は自分の作った稚拙な聖印兵器を見た。
いくつかは使えるだろうが、すべてではない。試験ができないため、正確性にも信頼がおけない。
少なくとも、時限爆破という方針は捨てるべきだ。
ドッタが合流した以上、もっとマシなやり方がある。
「喜べ、ドッタ。大活躍できるぞ」
「ほう」
これには、なぜかトリシールが反応した。
「それはいい。どんな重責でも背負わせてみろ」
「なんでそれをトリシールが答えるの!? 勝手にさあ――」
「軽くメシ食ったら出発するか。フレンシィ、とっておいた干し肉使うぞ。今夜からメシには困らない」
「いいことを聞いたわ。チーズも使いましょう」
「あっ、ぼくの意見あんまり意味ないな、ここ……」
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