刑罰:ゼイアレンテ潜行偵察 顛末

 気に入らないことが多い。

 ザイロ・フォルバーツが偵察に発ってから、明らかにトゥジン・バハーク臨時要塞の雰囲気は変わってきた。


(俺に余計なことを考えさせるな)

 と、ジェイス・パーチラクトは思う。

 いまは自分の戦いに集中しなければならないときだというのに、この要塞は雑音が多すぎる。

 問題は、おおむね三つ。


 まずは『聖女』のことだ。

 ついにこの臨時要塞に到着したのだという。

 名前をユリサといっただろうか。

 ジェイスにはまるで興味がない話だったが、あちこちで噂になっているので、嫌でも耳に入って来る。竜房でさえ、その聖女とやらの話をしている者がいた。


 ほとんど少女といってもいい年齢らしい。

 ジェイスも強制的にその姿を見せられることになった。要塞中の兵士が集められ、連合王国の旗を持つユリサがその前に立つ――という儀式のような会が開かれたからだ。

 閲兵のようなものだった。


 聖女ユリサは、一言も発しなかったが、遠目にはいかにも毅然とした態度で立っていた。

 燃えるような赤い髪の持ち主で、右の瞳が輝いていたことだけは覚えている。

 逆に言えば、それ以外はまるで平凡という印象だった。あるいはそれは、もともとジェイスが人間の見分けをつけることを苦手としているせいかもしれない。


 ただ、兵士たちはその姿に感銘を受けたようだった。

 少なくとも聖女の立ち姿だけは堂々としていた。

 それに、襟元を大きく開いた衣装の、鎖骨のあたりに記された『聖痕』。

 あれこそが、聖女たる者の証だ――と、興奮気味に語る者もいた。その存在に期待している兵士は実に多かった。


(バカバカしい)

 と、ジェイスは吐き捨てたくなった。

 聖痕は、十数年ほど前までは呪いの証とされていた。

 魔王現象がこれほどの脅威に膨れ上がる前は、見えないはずのものを見て、聞こえないはずのものを聞く、災いの印だと言う者もいた。


 聖痕の扱いが一転したのは、ここ数年。

 それまで聖痕について明言を避けていた神殿が声明を発してからだ。

 あれ以来、聖痕の持ち主は「第一次魔王討伐の英雄たちの血脈を引き継ぐ、祝福された者」という扱いになった。


 聖女の到着で士気の上がる兵を見ていると、白けた気分になってくる。

 実際、ザイロがここにいれば、互いに不満の応酬になっただろう。

 そういう気晴らしも、いまはない。


 問題の二つ目は、《女神》テオリッタのことだ。

 ザイロが慌ただしく出発したことで、明らかに彼女は機嫌を損ねていた。


「この私を置いて行くとは」

 と、彼女は時としてジェイスのいる竜房にまでやってきて、不満を口にした。

「我が騎士、許せません! これは深刻な裏切り行為です。ヨーフのときよりもさらにひどいですよ! 私を連れて行かないから、都に閉じ込められるようなことになるのです!」

 テオリッタはもはや誰彼構わず自分が怒っているということを伝えたいらしかった。髪の毛が火花を散らしているのがわかった。


「ニーリィ! あなたもそう思いますよね? これは戻ってきたら絶対に罰が必要です。いえ、私たちが助けに行くべきでしょうか? どう思います、ニーリィ?」

 ジェイスがまるで反応しないと見て、テオリッタは最終的にニーリィに話しかけることまでした。

 これにはニーリィも音を上げて、顔を伏せ、ジェイスに助けを求めてきた――こうなると、相手をするしかない。


「……だったら、お前を連れて行けば、どうにかなったのか」

「なったはずです。私は日頃の行いがとてもいいですし、偉大な《女神》ですよ」

「そうか」

 あまりにも断定的な物言いに、ジェイスも適当な相槌を打つ以外にできることはなかった。


(――そう、こいつ。テオリッタだ)

 テオリッタのとめどない愚痴を聞きながら、ジェイスは、ベネティムが噂話のように口にしたことを思い出す。

 ザイロがいないものだから、そういう出どころのいい加減な情報を、ジェイスやツァーヴ相手に取り留めもなく話す。


「テオリッタ様を、噂の聖女様と連携して運用する計画があるそうです」

 ベネティムもまた、竜房で作戦を考えているときにやってきた。

 こいつらは、まるで邪魔するような頃合いにやって来る、とジェイスは思う。もっとも、ジェイスにとって他人が邪魔でない頃合いなど一瞬もない。


「テオリッタ様の聖剣に目をつけられたようですね。あらゆる魔王現象を討ち滅ぼす、究極の聖剣を振るう『聖女』――なんて、いかにもいい宣伝になりそうですよね?」

「知るか」

「つまり、我々も『聖女』様の麾下というか、護衛部隊というか、肉の壁というか。そんな位置づけでこれから動くことになるかもしれません」

「知らん」

「第二王都奪還作戦でも、我々にその役目が回ってきそうですよ」

「勝手にしろ」

 そのあたりで、ベネティムはジェイスを相手に喋ることを諦めた。


 聖女を護衛するとかいうことは、それは陸の話だった。

 空から支援しろという指示が出ても、それらはすべて、敵の航空戦力を排除してからだ。

 特に、魔王現象『シュガール』。

 いまの第二王都には、最低でも三匹――もしかすると四匹の魔王現象がいるという話だが、その一角である『シュガール』を墜とすのが自分たちの仕事になる。

 というより、自分とニーリィの他にできるやつはいない。


 そのことを考えると、肺のあたりに重たいものを感じる。

 重圧だ。

 空に上がる前は、いつもこの重圧を感じる。ジェイスは自分とニーリィこそが、人類における最強の航空戦力であることを確信している。それを微塵も疑っていない。

 それはつまり、自分が負けることは人類が制空権を失うに等しいということだ。

 ましてやニーリィが深手を負えば――そのときのことは考えたくもない。


 それから、第三の厄介ごと。

 パトーシェ・キヴィアだ。

 いつものように淡々と雑務をこなし、馬たちの世話をしているように見えるが、その実態はまるで違う。

 テオリッタとは逆に、静かに機嫌を損ねているという気がした。


 普段、彼女のところには、かつての聖騎士団の部下がそれなりに会話をしに来ているらしい――が、それがここ数日は迂闊には近づこうとしない。

 そんな問題にかかわるほどジェイスは暇ではないが、ザイロが消えているいま、陸上での作戦指揮をとれるのはパトーシェぐらいだ。

 下手をすると壊滅的な損害を受けるだろう。


 ただ、機嫌の悪いときの方が実力を発揮するという性質の者もいる。

 あるいは、他人に力を認めさせようとするときの方が、より力を出せるというような者も。

 パトーシェがどういう種類の指揮官なのか。それは、やってみなければわからない。訓練でわかるようなものではないからだ。


 ジェイスの見たところ、切れ味はある。

 空から見ているとパトーシェの指揮する騎兵は、常に先回りをするように動く。また、厳しい局面であるほどその動きは鋭くなる。

 今回のように追い込まれた方がいい軍人なのではないか、という気がする。


 ただ、ジェイスは一度、その状態のパトーシェに話しかけたことがある。

「あまり不機嫌になるな。少しは隠せ」

 ということだ。

「ザイロは阿呆だからな」

 これに対しては、いまにも斬りかかってきそうな気配で応じられた。

「ザイロが阿呆であることは疑う余地もないが、そもそも私は不機嫌ではないし、不機嫌であったとしてもザイロは何も関係がないし、それ以上に貴様にだけは不機嫌がどうのと言われたくはない」


 これにはジェイスも肩をすくめるしかなかった。

 ジェイスが見るところ、聖印を使わない接近戦であれば、パトーシェはかなり強い。

 特に剣だけに限るなら、自分やザイロより上かもしれない、と思うときがある。総合的な接近戦の実力でいえばタツヤに次ぐ、といったところか。

 そんな相手に斬りかかるような目つきで睨まれたくはない。面倒なだけだ。


 ――そうした様々な問題の日々の中で、唯一ジェイスが進んで会話する人間といえば、ノルガユだけだった。

 別に雑談をしたいわけではない。

 次の戦いに、どうしてもノルガユの知識と技術が必要だからだ。確かにノルガユという男は、その妄想さえうまくあしらえば、ジェイスにとっては他の連中よりは話しやすい。


「……余が推測するに、『シュガール』が放つという誘導弾は」

 と、一通りジェイスの話を聞いた後で、ノルガユは推論を述べた。

 魔王現象『シュガール』と戦った、あるいは戦いを目撃した竜騎兵や、ドラゴンたちから聞いた話を、ジェイスは細かくまとめていた。

 そういう努力は惜しまない。


「貴様ら竜騎兵が使う飛槍や、一部の砲と同じだろう。まったく同じ仕組みの追尾機能を持っているように思う」

「とすると、防ぐ方法はないわけか。速度と機動でかわすしかない」

「いや。話を聞く限り、追尾性能がよすぎる。爆破半径も広い。速度と機動でかわしきれない場合が出てくるだろうし、それでは攻撃に移れん。……よって」


 そう語るノルガユはすでに筆をとり、紙になにやら複雑な図形を描き始めていた。

「対抗策を用意する」

「新兵器か。それでどうにかできるのか?」

「間に合えばな。よいか、ジェイス・パーチラクト。貴様は劣悪な態度の臣下だが、余の王国の堂々たる竜騎兵であり、その中でも最精鋭であることは疑いない」

 ノルガユの筆は素早く動く。瞬く間に聖印を描き出していくようだ。すでに設計に入っているらしかった。

「負けることは許されん。余が手ずから勝利を授けてやるのだから、重圧を背負って戦え」


 その言葉でまた、肺に重苦しい何かが溜まるのを感じた。

(言われなくても、よくわかってる)

 その日、ジェイスはそれからノルガユといくつかの問答をかわし、夜更けには竜房に戻った。

 ニーリィは翼を畳み、ジェイスが横になる空間をあけて待っていた。

 ジェイスはそんな彼女に声をかける。いつものことだった。


「ただいま。――今日も疲れたよ、余計な苦労が多い」

 ジェイスは首を撫で、呟く。

「それもこれもザイロがいないせいだな。ニーリィ、きみにも迷惑をかけてる」


「まさか。迷惑なんかじゃないよ」

 と、ニーリィは喉を鳴らして応じた。

 ジェイスには、その声を聞くことができた。『共律』というらしい。そういう名前の聖痕が、ジェイスには生まれつきあった。

 どんな生き物が発する声でも、言葉として解釈できるものならば、理解できる。


「テオリッタには、あまり長居するなと言っておく」

「いやいや、私はこれでも結構楽しんでるんだよ。テオリッタはかわいいし」

「気を使わなくていい。途中から耳を塞いでただろう」

「あはははは!」

 ニーリィは高らかに笑った。普通の人間には、甲高い鳴き声のように聞こえただろう。

「さすがにあの愚痴は大変だったかな。……でも、仕方ないよね。明らかにザイロくんのせいだけど」


「次に顔を見たら、あいつを蹴とばしてやる」

「お手柔らかに。私が見る限りね、ザイロくんはきっと……」

 このときのニーリィには、少し言葉の選択に迷った気配があった。

「すごい英雄か、大悪党か、どっちかになるはずだよ。それはやっぱりジェイスくんと似てるね。少しだけ」

「似てない」

「少しだけだよ」

「少しでも似てない」


 からかわれている。それに気づいたジェイスはニーリィに背を預け、もたれかかった。

 とにかく、いまは体を休めなければ。無駄なことをしたせいで疲れている。

 聖女が到着した以上、すぐにでも作戦が始まるかもしれない。そんな予感がした。


(腹が立つな。こんな時に限って)

 ザイロ・フォルバーツは何をやっているのか。

 否定はしてみせたが、ニーリィが言うには、この世でたった一人だけ自分に少し似た男だ。それならやるべき責務があるだろう。


 もともとはドラゴンたちを、せめてニーリィさえ守れれば、ジェイスはそれでよかった。

(それだけでは許してくれないのが、ニーリィだ)

 英雄になんてなりたくはない。

 ジェイスは重苦しいものを胸に抱えたまま、目を閉じる。


 ――そして、ジェイスの予感は当たった。

 第二王都攻略作戦が宣言されたのは、まさに翌日のことだった。

 この戦いにおいて、懲罰勇者9004隊は、はじめて『聖女』と共同作戦を実施することになる。


        ◆


 天守に立って、第二王都を睥睨する。

 冷たい夜風も悪くはない。

 人の営みというものが感じられない、静かな街が闇に沈んでいる。


(攻めて来るとしたら、明日か明後日だろう)

 トヴィッツ・ヒューカーはそう予測する。

 異形フェアリーによる斥候から判断したことだ。人間の兵士を潜り込ませることができれば、もう少し精度も上がるはずだが、そういう人材はいまいない。


 第二王都には、人間の文明から離れがたい者が多すぎる。

 魔王現象による世界の支配を認めたくない者たちでもある。下手に間者として使えば、帰ってこない可能性の方が高かった。

 それでは使えない。


「……トヴィッツ」

 背後から声が聞こえた。

「調べがついた」

 ささやくような男の声で、どこか沈んだような響きがある。

 それに対して、トヴィッツは振り返らない。振り返っても姿は見せないだろう。そういう相手だ。


 名を、スウラ・オドといった。

 間違いなく偽名だろう。古い王国の言葉で、毒虫の一種を意味する。

 その一噛みで人間どころか熊さえ殺すという、強力な毒を持つ虫とされていた。


 暗殺者らしい名だ。

 殺人専門の『業者』として有名だった男で、ちょうどこの第二王都の牢獄に捕えられていた。腕前もいいが、トヴィッツはその経歴を買っていた。

 金さえ払えば裏切らない。

 雇い主の代わりに捕まり、牢に入ることにもなっている。

 色々と他の囚人も試してはみたが、この男がいまは唯一の利用できる駒だった。


「トゥジン山の軍に、聖女がいるという話は間違いない」

 スウラは聞こえるか聞こえないか、ぎりぎり程度の声で言った。

「だったら、そこが焦点になりますね」

 トヴィッツは、やはり振り返らない。

「第九聖騎士団は毒を使う。その攻撃能力を考えると、聖女の護衛は別の部隊でしょう。第八聖騎士団か……例の『切り札』部隊か。その両方か……」


 少し考える。

 彼の想像する人類の『切り札』となる部隊が本物ならば、一部はもうこの街にも忍び込んでいるだろう。

 都市の抵抗組織はほぼ無力化してある。

 残っているのは、せいぜい十人程度の冒険者たち――ならず者の群れで、たいしたことはできない。

 警戒すべきは規模が再び大きくなることだが、そんな時間はないはずだ。


 ただ、そういうものを思わぬ形で利用するのが、この『切り札』部隊だった。

 ゼワン=ガン坑道からずっと、そういう戦い方をしてきたと思う。記録を見る限りはそうだ。

 警戒しておいて損はない。


「それから、お前の言った通り」

 そうして考えに沈みかけたトヴィッツの思考を、スウラが引き戻す。

「ジェイス・パーチラクトを見た。青いドラゴンと一緒にいたぞ」

「ああ。やっぱり」

 トヴィッツは自分の声が弾むのを抑えきれなかった。

 あれは愉快な記憶だ。ドラゴンたちを連れての反乱。


 きっかけは、ドラゴンたちを特別攻撃兵器に仕立て上げる、という計画が持ち上がったことだった。

 その体に枷となる聖印を刻み、焦土印を持たせて、魔王現象の拠点に突っ込ませる。

 二十のドラゴンが焦土印を抱えて突っ込めば、一匹くらいは目的を達するだろう。


 それで十分な戦果が出せる。

 なにより防戦一方の状態から攻勢に移れる。これが総反撃作戦の要である――と、あんな計画をぶち上げた将軍は誰だったか。

 だが真剣に検討されたのは確かで、そう、あれこそいま考えれば『共生派』の計画だったのかもしれない。


「警戒してください。彼のいる部隊が、きっと『切り札』ですよ」

「そんなにたいしたやつなのか、ジェイス・パーチラクトは」

「最強の竜騎兵です。たぶん、いまもそうだと思います」


 ジェイスの、あの不機嫌そうな顔を思い出す。

 戦ったらいまは勝てない。

 それならばどうするか。トヴィッツは、無意味と知りつつも振り返った。やはりそこにスウラの姿は見えない。どこかの影にいるのだろう。


「万が一のときのことを考えておきましょう。スウラ、頼みたいことがあります」

「それはお前の個人的な頼みか。いくら払う?」

「いくらでも」

 貨幣ならありあまるほど受け取ってはいるが、あまり意味はない。むしろ魔王現象に味方しながら、それにいまだ価値を見出しているスウラが特殊なのだと思う。


「ぼくにできることなら、なんでもしますよ」

 彼女の――アニスのためなら、なんだってできる。

 たとえ世界最強の竜騎兵が相手でも。

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