待機指令:臨時要塞 トゥジン・バハーク

 何もかもが、急ごしらえの砦だった。

 トゥジン山に築かれた陣地のことだ。第二王都奪還の要だ。


 ガルトゥイルはここを臨時要塞トゥジン・バハークと呼んでいるらしいが、どう考えてもせいぜい山賊の砦というところだと思う。

 バハークというのは旧王国の言葉で『くさび』というぐらいの意味だった。

 いかにガルトゥイルがここを重要視しているかの気持ちだけは伝わってくる。


 俺たちは、その「臨時要塞」の粗末な小屋にぶちこまれた。

 一応、兵舎という扱いだが、明らかに俺たち懲罰勇者の小屋は作りが違う。布で仕切った部屋に、二人ずつ押し込まれることになった。

 かろうじて少しマシな扱いを受けたのは、テオリッタと、その世話役としてパトーシェぐらいだ。

 やつらだけはまた別の――ちょっとは快適そうな小屋に入ることになった。


 ツァーヴと同室になったジェイスは相当に文句を言っていたが、ライノーとノルガユのどっちがいいかと尋ねたら、やがて黙った。

 そう大差はない。

 ノルガユの騒がしさも相当なものだ。ライノーはそういう話ですらない。


 そのまま、しばらくの待機命令が出た。

 俺は同室になったベネティムと、だらだらとした日々を送ることになった。タツヤに加えてドッタまで修理場に送られたので、優雅な休暇というわけにはいかない。

 酒がないのは残念だ。せめてあいつが持ち帰ってきたワインぐらいは、没収される前に手にしておけばよかった。


 ――そう、ドッタ。

 あいつは失血と寒さにより衰弱しきって、俺たちの陣地までやってきた。

 運んできたのは、トリシールという傭兵だった――右腕を包帯で覆った、くすんだ赤い髪の女。どういう事情があるのかはわからない。

 そうしていつの間にか、姿を消していた。


 もう意味不明だ。

 俺とベネティムとツァーヴによる検討の末、あの女はドッタが昔に助けた昆虫か何かの化身だったのではないか、という結論に達した。

 ここに至るまでの話で、ノルガユやパトーシェはさっさと呆れて帰ったし、ジェイスはそもそも関わりたく無さそうで、テオリッタは最後まで「絶対違います」と言い続けた。

 なお、ライノーの意見は省略する。


 逆に言えば、それほど俺たちは暇を持て余していたということだ。

 俺の読書も進んだし、進みすぎて持ち合わせていた詩集はすべて読み終えてしまった。

 あとは最低限の訓練を除けば、テオリッタの持ち込んでくる『ジグ』の相手になってやるくらいのものだ。

 テオリッタいわく、パトーシェはこの遊戯があまり上手ではないらしい。


 それはともかく、この大いなる暇の理由は、ただ一つ。

「……テオリッタ様の扱いに関しては、いまだガルトゥイルで協議中とのことだ」

 俺の部屋にやってきたパトーシェは、険しい顔でそう言った。

 ベネティムがちょうど出かけているときだった。あいつは少しでも俺たちの待遇をよくするため、始終あちこちに顔を出している。


「第三、第四、第六、第十の聖騎士団が、それぞれの意見を主張しているらしい」

「だろうな」

 それ以外の他の聖騎士たちは、いま忙しい。

 ガルトゥイルでまともな話ができるのは、その四つの聖騎士団だけだろう。第七聖騎士団は東部戦線に張り付いているし、第十一は北部を駆け回っている。


「……これから、どうなる?」

 パトーシェはどこか落ち着かない様子だった。

 それはそうだ。懲罰勇者部隊に落とされて、こんな状況になっている。


 特にテオリッタ。

 あの『聖剣』については、大いに問題を呼ぶと思われた。それでも――そうだ。あのときの俺には、それを使わないという選択肢はなかった。

 テオリッタ自身が、それを望んでいた。

 これはその結果だ。なにか処罰が下るかもしれない。あるいは制裁。あるいは、さらなる過酷な任務。


 第二王都奪還のための作戦において、ろくでもない役目を任される可能性はあった。

 ドッタが助けた第三王女と第三王子は、それなりに俺たちを弁護してくれるかもしれないが――俺たちの扱いはガルトゥイルの命令が全てだ。

 そこに異議を唱えることは、王女や王子ぐらいの立場でも難しい。


「ザイロ。貴様は気楽そうだな」

 と、パトーシェは俺に文句を言った。

 たぶん俺が寝転がっていたからだろう。できることがないのだから仕方がない。寒いので毛布にくるまっていた。

「お前みたいに難しい顔をしていれば、事態が解決するってならそうするけどな。そういうものでもないからな」

 俺は寝返りを打った。正座するパトーシェを見上げる形になる。なんとなく、パトーシェは膝の位置を動かした。横を向く。

 それから咳ばらいを一つ。


「な、なにを言いたい?」

「これはテオリッタが望んだことだ。俺もそれを助けた。あの聖剣のことを隠してたのは、上から睨まれるなんて話じゃ済まないだろう」

 俺は思いつくことを、順番に並べた。

「一番軽くて、次の作戦で死ぬほど無茶なことをやらされる覚悟はしておけ」

「だが、それでも、我々で何かを――」


 パトーシェは俺に苦言を呈そうとしたようだ。

 こいつの忠誠心は見上げたものだというしかない。だが、そのとき、入口の方から声がした。

「――おっと。これは……邪魔をしましたか?」

 当然ながら俺とベネティムの部屋にドアなどはなく、一枚の布切れが垂れ下がっているだけだ。

 それを持ち上げて、二人の人影が立っていた。

 背の高い男と、小柄な少女。俺はその二人を知っていた。それからパトーシェもだろう。そいつらの顔を知らないはずがない。

 同じ、聖騎士として。


「ザイロさん。女性を連れ込んでご休憩中のところ、申し訳ありませんね」

 そう言ったのは、背の高い男の方だ。

 淡い麦色の髪の毛。光の差し込みようによっては金色に見えるかもしれない。ひょろりとした、なんとなく頼りなさそうな男。

 ――第八聖騎士団の団長で、名をアディフ・ツイベルといった。

 よく知っている。その性格の悪質さも含めて。


「なんだよ」

 パトーシェは警戒したような顔をしたが、俺は構わず声をかけた。

「懲罰勇者と会話したいのか? 推奨されてない行為だぜ、アディフ」

「いえ。顔を見に来ただけです。ケルフローラが……」

 と、アディフは傍らに佇む、少女を手の平で示した。

「ぜひ、そうしたいと言ったので。我らが《女神》が願望を口にするのが珍しくて、つい訪れてしまいました」


 アディフの傍らにいる少女は、銀髪で、恐ろしく表情の感じられない顔つきをしていた。すらりとした輪郭。硬質な気配。

 俺の記憶にある限り、彼女が感情をあらわにしたことはない。

 つまり、それこそが《女神》ケルフローラ。第八聖騎士団を祝福する、《影》の女神。


「もう十分ですか、ケルフローラ。懲罰勇者のくつろいでいる姿を見て、癒されましたか?」

 アディフはケルフローラに、いかにも優しげに問いかける。

 まるで俺たちが珍獣みたいな扱いじゃないか。

 だが、ケルフローラはごく小さく――傍目には震えただけに見えるほどに小さく、うなずいた。


「はい。もう結構」

 と、ケルフローラはささやくように言った。

「テオリッタはいないのね。残念です。行きましょう、アディフ」

 彼女はアディフの袖を引く。

 理由はわからないが、もう満足したらしい。テオリッタに会おうとしていたのか。――なぜだろう。彼女のことを知っているのか。


「なんだよ」

 俺は尋ねる気になった。

 あの聖剣に関する話かと思ったからだ。俺が見る限り、確かにテオリッタは特別だ。あんな《女神》は規格外だろう。

「テオリッタに何か聞きたいことでもあるのか」


「……そういうわけではない。ただ」

 ケルフローラは表情を変えない。

「《女神》同士の話を、したかっただけです。好きなお菓子とか、動物とか。ペルメリィは……そういう話に向いていないから」

「あ?」

「わからないなら、いい」

 俺が聞き返しても、ケルフローラは取り合わなかった。口を一文字に引き結び、もはや話をするつもりはないという意思表示に見えた。


「我らが《女神》は、あなたたちには用がないようですね。失礼しました、ザイロさん。それからパトーシェ嬢。どうぞ、お二人で仲良く」

「何が言いたい」

 パトーシェは敵意をむき出しにして彼を睨んだ。

「私は別に、この男と仲がいいわけでは」

「おっと、言い忘れました。ガルトゥイルの話です」

 パトーシェの言葉を、たぶんアディフは意図的にかき消した。歩き出しながら、俺を横目に見ている。


「どうやら、『聖女』計画が始まったようです。ご存じの通り、第三次――前回の魔王討伐の際の、あれですよ」

 アディフは笑った。

 どこか影のある、皮肉げな笑い方だった。

「王家とガルトゥイルは、また同じことを試すつもりらしいですね。どう思います、ザイロさん」

「知るか」

「私は反対しています。あなたもきっと反対しますよ」

 アディフは笑ってはいたが、その声だけは真剣に思えた。

「《女神》セネルヴァの遺骸を、利用するとのことです」


 背筋が凍った。

 俺は、アディフを睨み続けていた。


        ◆


 かつて、魔王現象と人類の戦いがあった。

 その戦いは断続的に発生し、現在に至るまで続いてきた。その数、三度。歴史を信じるなら、いまは四度目ということになる。

 記録によればその結果はこうだ。


 第一次魔王討伐――人類の勝利。数人の『英雄』が魔王現象を殺し尽くした。

 第二次魔王討伐――不明。記録に残っていない。

 第三次魔王討伐――人類の結果的敗北。

 第三次では『英雄』ではなく、『聖女』という存在を導入した人類が、魔王現象と拮抗。その戦力によって、魔王現象と交渉のうえに和解するという道を選んだ。


 ……そして、最終的に人類は敗北した。

 なぜかはわからない。

 まともな記録がやはり残っていないせいだ。人類は壊滅的な打撃を受け――最終的に残ったのは『聖女』に関する記述だけだった。


《女神》の力を持つ人間。

 特別な聖痕を持ち、単独で魔王現象を敵に回せる人間。

 それこそが『聖女』だ。魔王現象に対して、かつて和平交渉をできるだけの戦力を有した、人類の希望。


 後に俺はその『聖女』の名を知ることになる。

 ユリサ・キダフレニー。

 祝福された者。

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