刑罰:ソドリック街区潜入調査 顛末
ドッタが捕えてきた男は、怯えているようには見えなかった。
リデオ・ソドリックというらしい。
やつは俺たちを鬱陶しそうな目で眺めた。
これはギルドの長としてそういう態度が染みついているのか、本当にそう感じているのか、俺にはわからない。
ただ、両手を縛りあげる間も、ほとんど暴れようとしなかった。
意味がないと知っていたかもしれない。
すでに冒険者ギルドはほぼ無人になっていた。
いまにも倒壊しそうな建物から、逃げる者は一通り逃がした。
リデオ・ソドリックには側近のような立場の護衛もいたと思うが、少なくとも、混乱が収束するとどこにも姿は見えなかった。
逃げたのか、隙を伺っているのか、定かではない。
「四方を見張れ」
と、ノルガユ陛下は命じた。
奇跡的にまだ無事だった椅子の一つに腰掛け、周囲に指図する。
「貴様らに贖罪の機会を与える。余に仕え、人民のために働け」
そう言われて、戸惑いながらも動かざるを得ないのは、冒険者どもだ。
タツヤとジェイスの暴力、それからノルガユのめちゃくちゃな破壊行為を見て、降伏することを選んだ連中。
その数、なんと九人。
互いに顔を見合わせ、恐る恐るという様子で、崩れかけた壁や体裁だけを保っている窓に近づき、外の警戒にあたる。
そうなると、尋問するのは俺とパトーシェの役目だった。
タツヤとジェイスにそんな真似はできないし、ドッタは一仕事終えたと言わんばかりに酒瓶を呷っている。
フレンシィは俺を一通り罵倒した後、無事だった護衛の二人を連れてギルド内の捜索を開始した。確かに、自白よりも物的証拠があればそれに越したことはない。
テオリッタは、といえば――
「反省しなさい」
と、床に座らされたリデオ・ソドリックの眼前で、偉そうに腕を組んでいた。
「
それから彼女は、俺を振り返った。
「いかがです、ザイロ。この者の神妙な面持ちを。《女神》の威光に打たれていると思いませんか?」
「そうかな」
「そうです! すごいでしょう――さあ、あなたの知っていることを全て話しなさい」
俺は疑問を呈したが、テオリッタは聞く耳を持たなかった。
どうやら機嫌は一転して回復したらしい。この尋問でも役に立とうとしているようだ。はっきり言って向いていないと思う。
「俺も、たいしたことは知らん」
と、リデオは少し重たい口調で応じた。
「確かに俺は、冒険者ギルドとして、あんたたちを殺そうとした。そのために仕事も斡旋した。だが、依頼元は仮面をつけた使者を寄越すだけだった。それ以上は、何も知らん」
「むむ」
テオリッタは難しい顔で俺を振り返った。
「困りましたね。ザイロ、何も知らないと言っています」
「通訳してくれなくてもいい。ウソかも知れないだろ」
「なるほど! ……《女神》に嘘をつくとは、不遜ではありませんか!」
「だよな。俺も聞いてみる」
テオリッタにはそもそも無理だろう。
人間相手の駆け引きなど、《女神》には経験もなければ知識もない。本能的にも難しいのかもしれない。
だから、俺はかがみこみ、リデオの顔を正面から見た。
「わかってると思うが、お前の立場はだいぶ難しい。このまま聖騎士団に引き渡すのが筋だけどな。そうならないようにしてもいい」
「おい、ザイロ」
これにはパトーシェが眉をひそめた。
「勝手な取引をするな」
「取引しないと、喋るものも喋らないぜ。それとも暴力で脅すか? そんなの、こいつは慣れてると思うけどな」
「……取引をするなら」
リデオはそこでようやく、声にわずかな緊張を覗かせた。
「こちらの条件を飲めるか?」
そしてやつは少し口の端をゆがめた。
笑みに似ている。乗ってきた、かもしれない。
「聞いとこう。どこまで図々しい話をするか気になるな」
「家族の無事だ。俺の『妹』や『弟』たち」
「ああ――」
あの、子供とは思えない目つきの連中のことか。それ以外に思いつかない。
「手加減できなかった。何人かは死んでいる」
「……これ以上、探さないと約束すれば、取引を考えてもいい」
「手を出すなって?」
「そうだ」
「わかった」
俺がうなずくと、パトーシェはまた不快そうな顔をした。
「ザイロ。何度も言うが、勝手な取引をするな。貴様にそんな権限はないぞ。子供とはいえ罪人なのだ――これ以上、上から睨まれてどうする?」
「じゃあつまり、こいつの『弟』や『妹』を探し出して殺せって言いたいのか? 命令なら俺たちはやるぜ」
「……そうは言っていない」
「意見が一致したな」
パトーシェが沈黙した。
俺はそれを無言の同意と受け取ることにした。リデオを見る。
「話せるところまででいい」
おそらく、こいつはいま、天秤にかけている。
というより、両方に保険をかけておくつもりだろう。雇い主よりも、いまは目の前に危機が迫っていることは理解しているはずだ。
そして――おそらく、自分の命と同じくらいには『妹』や『弟』を心配しているようだった。
結局のところ、それがこの男の弱みであるらしい。
俺たちに探し出され、罰を受けるくらいなら、ここで雇い主を裏切ることを選ぶ。
「手がかりぐらいサービスしろよ」
「……依頼主は、『共生派』を名乗っている」
リデオはささやくような声で言った。
共生派――本当だろうか。俺も噂だけは聞いたことはある。魔王現象が出現してから、存在していたという一派だ。
魔王現象との共存を掲げている連中、といえば聞こえはいい。
だが実際は、魔王現象を支配者として迎えようというやつらのことだ。
人間はすべて奴隷で、自分たちはその管理者に収まろうとしている連中。
(本当に、そんなやつらがいるのか?)
陰謀論者の妄想だという説もあり、俺もそうだと考えていた。
いたとしても、それは個人レベルでそんな願望を抱いているだけだと――勢力を築くほど、そんなめちゃくちゃな人間がいるとは思えていなかった。
「やつらについてはほとんど俺も知らないさ。だが――」
リデオは少し声を潜め、どういうわけか、皮肉っぽく笑った。
「……名乗りだけなら聞いた」
「どうせ偽名だろうけど、聞いとくよ」
「マハイゼル・ジエルコフ」
「ふざけているな」
反応したのはパトーシェで、険しい顔でリデオを睨んだ。
「マハイゼルは聖人の名だ。第一次の魔王征伐の頃の――それに」
彼女は、微妙に顔の険しさを変化させた。
「ジエルコフというのは……」
そうやって、何かを言いかけたときだった。
窓の外が、強く光った気がした。
「――うっわっ」
見張りをしていた冒険者が悲鳴をあげた。
「へ、陛下!」
ノルガユのことをそう呼ばされるとは可哀そうに。
一瞬だけそう思ったが、俺は窓の外を見て即座にその考えを捨てた。
「やばい」
俺は咄嗟にテオリッタを抱えた。パトーシェは足を払って伏せさせる。
「な」
「――伏せろ!」
パトーシェの抗議など聞いていられない。
次の瞬間、光と轟音が弾けた。
がぼおん――というような、あまりにも異様な衝撃音だった。
柱が砕ける。
壁が吹き飛ぶ。木片が吹き荒れ、粉塵が舞う。炎が走る。
さっきから響いていた崩落間近の軋みが、決定的なものになった。建物が倒壊を始めている――直撃は避けた。たぶん。
「逃げろ! 建物の外だ!」
俺はその攻撃の正体を知っていた。
ノルガユも、ドッタもそうだろう。ジェイスなんかは顔をしかめて舌打ちをした。
「砲兵かよ」
面倒そうに呟きながらも、崩れた壁から素早く転がり出る。
全てが崩れ始め、屋根が落ちてくる。
「ザイロ、危険ですよ!」
テオリッタが慌てて手を引いた。
俺もまったく同感だ。フレンシィたちは無事だろうか? いますぐ退避するべきだ。それをわかっていない阿呆は、この場ではあと一人。
「パトーシェ! 何やってんだ、いくぞ!」
「待て、あの男が」
リデオだ――いまの砲撃に合わせたように、走り出している。
崩れ落ちるギルドの、奥の方へ。そちらに脱出口でもあるのか? 足も拘束していたはずだが、どこかに刃物でも隠し持って――いや。
それも考えている余裕がない。
反省は後だ。
「逃げろ」
俺は追うよりも、引き上げを選択した。
次の砲撃がすぐにやってくることはわかっていた。パトーシェを引き倒すようにして、建物から転がり出る。
そして、また轟音と衝撃。閃光。
それは決定的な一撃となって、冒険者ギルドの建物にとどめを刺した。
「なんだよ、もう」
ドッタはネズミのように走り回った挙句、タツヤの後ろに隠れて悲鳴をあげた。
「どうかしてるんじゃないか! 街中でこんなことしないでよ、ライノーじゃないんだから!」
「うるせえから黙ってろドッタ――おい、ベネティム!」
俺は首の聖印に指先で触れ、おそらくこの事態を遠くから見ている男に怒鳴る。
「砲兵がいる! いますぐなんとかしてライノーを牢屋から出せ、ツァーヴも無しに砲撃戦じゃ勝てねえぞ!」
『あ。やっと応答が!』
ベネティムの、怯えているか緊張の極限にあるのかわからないような声。
これはよくあるやつだ。予想外の事態が起きたときの。
『届きましたよ、聖印応答ありです。……ええ。先ほど述べた通りです。彼らなら、必ずこのタイミングで連絡を取って来ると思っていました。さすがザイロくんです』
俺たちではない誰かと、会話している。誰かになんらかの言い訳をしていると、すぐにわかる。
もしかして、さっきから聖印を通して呼びかけていたのだろうか。
大騒ぎが始まってから、それどころではないので、意識から追い出していた。
他のみんなも同じだろう――ベネティムからの呼び出しに応じて、状況が良くなったことなどない。
ノルガユもジェイスもドッタも、もちろんタツヤも、完全に無視していたに違いない。
『あの……大変言いづらいんですけどね、ザイロくん』
やつが言いづらいといったとき、それはめちゃくちゃ危険なことが起きようとしている、という意味だ。
あまり聞きたくはなかった。
『その作戦は放棄して、引き揚げてください。大変なことになってます』
「大変なことになってるのはこっちだよ! これ以上ヤバいってのか!?」
『いえ、まあ、その』
一瞬、ベネティムは口ごもる気配を見せた。
だが、結局は言わざるを得ない。無意味な引き伸ばしをするやつだ。
『魔王現象です』
「なに?」
『
ベネティムの顔が思い浮かぶ。
たぶん、ひきつった半笑いの表情を浮かべているだろう。
『いますぐ帰還してください。これは命令です』
◆
冒険者ギルドの地下道は、あらかじめ作っておいた脱出路だった。
リデオはその闇の中に足を踏み出す。
匂いがひどいのは仕方がない――下水の道に手を加えて拵えたからだ。
ここから街の外に出られるが、長い逃走の旅路になるだろう。頼りになるのは、小さな聖印式のカンテラだけ。青白い光を投げかける。
「……兄さん!」
イリが、真っ先に駆け寄って来る。
シジ・バウと、《鉄鯨》もすでにそこにいた。《鉄鯨》は噂通りの姿だった――顔もわからない。鈍重な甲冑姿で、そこに佇んでいる。
「ご無事でしたか!?」
「どうにかな」
リデオはイリを抱き留め、その頭を撫でる。
「ギルドは失ったが、命は拾った。お前たちの安全も。……多少の取引は必要になったが」
「取引を?」
イリは不安そうな顔をした。
「兄さん、何か危ないことをしていますか?」
「危ないことはなにもない。ここから、脱出さえできればな。お前たちが心配することはないんだ」
「そうはいきません」
イリはリデオの顔を見上げた。青い瞳。
「兄さん、何か喋りましたか?」
「やむを得なかった。大したことは喋っていないが――」
そのとき、リデオは違和感を覚えた。
イリの目だ。それにその言葉。何かを喋ったか、などという質問を、なぜする必要がある?
「そうですか」
イリがうなずいたとき、リデオは胸に熱いものを感じた。
それが痛みだと気づいたときには、もう遅い。
「でも、念のために。……すみません、兄さん」
機械的な声に聞こえた。リデオは自分が膝を折っていることに気づく。いつの間にか、イリを見上げていた。
「お前は」
リデオはどうにか声をあげた。
「誰だ? ……イリは……」
「死にました。体と脳を使わせてもらっています」
イリは微笑んだ。はにかむような笑みだった。
「さようなら、兄さん」
意識が薄れていく。声が出ない。
イリは、シジ・バウと《鉄鯨》を振り返った。
「いきましょう。すでに私の同胞たちが始めているようです――手伝っていただけますよね? むろん、お約束通り報酬はお支払いします」
イリの笑顔が、最後に見えた。
「懲罰勇者ども。あれは邪魔ですから、ぜひご協力を」
イリの笑顔は、魔王の笑顔だ。
リデオは自分の失敗を悟ったが、後悔する余地はなかった。
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