刑罰:ソドリック街区潜入調査 2

 ソドリックの貝殻、と呼ばれるこの区画には歴史がある。

 冒険者ギルドそのものの歴史――あるいはこの街の暴力の歴史といってもいい。


 俺も少しは知っている。

 ヨーフ市が面するコリオ湾において、海賊行為が横行していた時期、ひとりの漁師の網本が私兵を組織してその脅威を取り除いた。

 それがソドリック家の祖先だったという。

 剽悍なる英雄、《紅帆》のダイル・ソドリックは一家の旗揚げを宣言し、街の自主独立の気風を育てた――とか。


 この話はだいぶ美化されていると思う。

 おおよその事実は海賊同士の縄張り争いに過ぎないのではないだろうか。

 それでもソドリック家は、そういう話を広められる程度には見栄を重視する。それができるだけの力がある。

 そこのところは事実に違いない。


 ソドリックの貝殻という地区は、彼らの影響がもっとも強い区画だ。

 この地区はちょうど貝殻のように路地が渦を巻き、中央の一点に収束している。

 すなわち、冒険者ギルド。

 そんな看板などは出していないが、近づけば嫌でもわかる。火災によって一部が焼け落ちた路地裏を抜けると、そこにたどり着く。


 かなり治安の悪い一角だ。

 冒険者ギルドへ向かう一歩ごとにそれがわかる。

 ここには色々な商品がある。聖印器具、異形フェアリーの死骸、盗品、密造した酒、人間、ジェイスが栽培して広めた禁制の草。

 キヴィアはそれらを見るたび、目つきを尖らせていった。


「……不愉快だな。神殿は何をやっているのか……このような地区は一掃すべきだ」

「あんまり意味がない。こういうのは潰してもまた出てくる」

「容認するのか、ザイロ」

 俺の呟きに、キヴィアは強く反発した。


「貧困が原因なのだろう? 適切な経済支援と、取り締まりがあれば、撲滅することは可能なはずだ」

「どうかな」

 とだけ答えた。

 こういうのは人間の欲望が絡んでいる。

 人の売り買いはともかく、ジェイスが栽培していたような禁止植物の場合、貧しさが解決すればなくなるとは思えない。


「ザイロ。歯切れが悪いな。貴様、まさかこうした店を利用したことがあるのか!」

「ないよ」

 正確に言えば、フレンシィの父上に迷惑をかけたくなかったし、フレンシィ自身も徹底的にそういう店を嫌った。

 近づいただけで殺されそうになった。

 キヴィアにその話をしても面倒なだけに思えたので、そこまでは言わない。


「まったく、神殿はこうした事業にこそ力を入れるべきなのだが……歯がゆいな」

「そういえば、キヴィア」

 俺はそこで、気になっていたことを聞いてみることにする。

「お前、なんで軍に入った?」

「どういう意味だ」

「伯父があの人なんだろ。キヴィア大司祭……じゃない、ええと、なんだっけ。マ……マーレン・キヴィア? 大司祭の……」


「面倒そうだな。では私のことはパトーシェと呼べ。利便性を考えてそう呼ぶことを許す」

 やや早口に、キヴィアは言った。

「親しい者以外にも、叔父上と私の両方を知る者は区別のためにそう呼ぶ。そちらの方が合理的だしあくまでもその必要があるから呼び分けるのであって私と親しくなったと誤解するなよ」

「ああ……わかった」

 あまりの早口に圧倒されたが、ともあれ俺はうなずいた。


「じゃあ、パトーシェ」

「……んッ。……なんだ? つまらんことを聞いたら容赦しないぞ」

「いや、軍に入った理由だよ。それを聞きたい」

 前々から、不思議には思っていたことだ。

「でかい領地を持つ神官の娘が、なんでわざわざ軍に入ったんだ?」

「それは」

 パトーシェ・キヴィアは、一拍置いてからうなずいた。


「根本を問うなら、おそらく抵抗のためだ。父や母への」

「……もう少し詳しく」

「父も母も司祭だ。神殿では相応の責務を負っている。その分だけ……、様々な利益を得てきた。もとはといえば、神官が領地を持つということ自体もそうだ」

 領地を持つ神官、というものが出てきたのは、連合王国が成立してからのことだ。

 そういう手合いは、「貴族司祭」という呼び方をされているし、実際に貴族としての位階を王室から与えられている。


 神官たちは軍人と違う。

 まず権威と信仰だけがあって、実際の社会での利益を獲得する能力が乏しい。

 本来ならばそうだ。軍人や公務員にとっての給料に当たるものがない。


 そうである以上、その権威と信仰を金に換える者が多い。

 たとえば――寄付という穏健な形だけでなく、神殿内の地位を売買する賄賂や、神殿の建設予定地として確保する領地など、さまざまに工夫を凝らしてそれを得る。

 それはすべて彼ら自身のより豊かな生活と、子孫の未来のためだ。


「私は父と母のそんなところが嫌いだった。だから軍に入り、父や母とは別の生き方をしたいと思った。私は自分の才覚で、自分の人生を獲得しようと思ったのだ」

 よくある話――という言葉が浮かんだ。貴族には本当によくある話だ。

 しかし、他でもない当人にとってはそれで済ませられることではないだろう。


「そうして、家を半ば出奔した私を支援してくれたのが、伯父上だった」

「それは――」

「言いたいことはわかる。軍に縁者がいるというのは、大司祭という立場に立って有益なことではあるのだろう。だが、事実は事実だ。私は伯父上に恩がある」

 彼女は鉄のような表情でうなずいた。


「伯父上は理想をお持ちだ。そのために様々な改革を断行している。腐敗した司祭たちから領地を没収する施策なども含めてな」

 魔王現象による被害が大きい地域では、大量の難民が生まれる。

 農地を放棄せざるを得なかった人々だ。そいつは確かに、世情の安定のためには役に立つに違いない。

「私はそうした理想を守る盾でありたい」


 以前、こいつがクヴンジ森林で粘ろうとした理由がわかった。

 第十三聖騎士団にとっての主とは、彼らに出資し、その立場を庇護しているマーレン・キヴィア大司祭のことか。

 あのとき東岸で死守しようとしたのは、貴族司祭から没収した領地だったのだろう。

 とすると、第十三聖騎士団を統括しているのは、キヴィア家――というより、彼女の伯父であるマーレン・キヴィア大司祭なのか。


「ところで、ザイロ」

 パトーシェ・キヴィアは妙に鋭い目で俺を見ていた。

 これから立ち合いでも挑もうとするかのような目つきだった。

「私からも一つ聞きたい。貴様、婚約者がいるといったな?」

「言った」

「だとしたら、そう、あのフレンシィという女は――」


「ザイロ」

 不意に、横合いから声が飛んできた。

 ついでに肩を軽く引っ張られる。ドッタだ。

 こいつには別行動をさせていた。どうせ盗みを働くのは目に見えていたが、こいつの忍び込みの手際が必要だったし、その役目を果たしていた。


「見てきたよ」

「さすが、早いな」

「……早すぎるくらいに早いな」

 俺は感嘆したが、パトーシェはどことなく不満そうだった。

 よほど聞きたかったことなのだろう。フレンシィの話をするとは、俺をからかうネタを増やそうとでも思ったか。そうはいかない。


「かなり警戒してるね、さすが冒険者ギルド」

 ドッタが偵察してきたのは、冒険者ギルドの建物のことだ。

 少なくとも、潜在的な敵戦力くらいは知っておきたい。


「建物は三階建てで、迎撃の聖印もあるよ。まあ、場所は覚えたから大丈夫。警備に当たってるのは、ごつい軍人崩れみたいなのが十五……くらいかな」

「意外と少ないな」

「その分、変な子供がいる」

 喋りながら、ドッタは串に刺した蛇のようなものを齧った。

 逆の手には小さな酒瓶。『ソドリックの貝殻』の闇市といえど、こいつにとっては「食べ放題」の表通りと大差ないらしい。


「大人の兵隊よりもしっかり警戒してたよ。あれは殺し屋みたいなもんだと思うね……三階に、そういう子供が十人近くいる」

「子供を使うのか」

 パトーシェの声に嫌悪感が滲んだ。

「許せんな……!」

 孤児を育てて、忠誠心の強い戦力とする。そういう話があるのは知っている。

 そういう子供たちは、命を捨てるのも躊躇わない。かなり手強い相手になると推測できた。


「……いざってときの脱出経路はどうだ、ドッタ?」

「ぼく一人なら、たぶん、どうにでもなるけど……」

「じゃあ、どうにでもしてもらおう。ここからは本格的に別行動だ」

 俺は冒険者ギルドの入口に足を向ける。


「嫌だなあ……ザイロ、大丈夫?」

「大丈夫じゃないと思う。真面目にやっても大騒ぎを起こすだろうな。俺たちの顔も割れてるかもしれない。だから――」

 俺はドッタを肘で突いた。

「お前はリデオ・ソドリックを盗め」

「人間を盗むっていうのは、いい記憶がないんだよねえ」


 だったらやめろ、とは思うが、無駄な意見なのだろう。

 俺はパトーシェと視線を交わす。

 彼女は険しい顔でうなずいた。よほど自分の役に納得がいっていないような顔だった。


        ◆


 リデオ・ソドリックは、自室でその報告を耳にして、また唖然とした。

 それと緊張による軽い頭痛を感じる。


「確認できました、兄さん」

 と、彼の『妹』――イリは告げた。

「どうやら本当に懲罰勇者のようです。首元は隠していましたが、人相は一致します。もう一人の女も、おそらく聖騎士で間違いありません」


「……そうか」

 リデオ・ソドリックはため息をつきたくなって、止めた。

 妹に心配されたくはない。

「まさか本当に向こうから来るとはな。大胆というより、無茶なことを考える」

 聖騎士団からは出てこない手だ。

 何を考えているのか、リデオは相手の頭の中が気になった。もめ事を起こして、こちらの証拠か情報を回収しようというのか。


「どうします、兄さん。捕えますか」

「状況によるが……やる価値はある。……その場合は攫って殺し、ここへ訪れたという事実そのものを消さなければ……」

 気の重い話だが、いまのリデオには不可能な話ではない。

 共生派、を名乗る派閥の使者と連絡をつける方法があった。それを使えば、痕跡すら抹消できるだろう。


「では、私とシムが警戒し、機会を伺います」

「そうだな、それで――いや」

 リデオは首を振った。

 自分の長所を思い出す。臆病なところだ。

「あれも使おう。念には念を入れる。ドゥルサミーを起こしておけ」


 それはリデオが秘蔵する、冒険者ギルド――というより、リデオ個人が持つ切り札の一つだった。

 先代から継承したものでもある。もしかしたら、そのまた先代から連綿と続いてきたものなのかもしれない。

 その正体は、異形フェアリーとなった人間である。

 来歴はリデオも知らなかった。


「それから、使者どのと、シジ・バウにも連絡を。やつらを帰さない態勢を作れ」

 ここで共生派に必ず恩を売る。

 役に立つところを見せる。

 そして、自分と家族の安全だけは、なんとしても確保しなければ。

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