犯罪経歴証明 リデオ・ソドリック
リデオ・ソドリックが自室で耳にした、その顛末は意外なものだった。
唖然とするしかない。
それと焦燥。
聖騎士団への襲撃は成功していた。
調達した雷杖もほぼすべてを投入した。
慎重に包囲を絞り込み、護衛同士の連携も分断した。
そして何より、リデオ・ソドリックが動かせる冒険者たちの中で、最も手練れの二人を使った。料金は高いが、腕は立つ。
(――まさか、その片方しか戻らないとは)
帰還した冒険者の一人――痩せた黒衣の女を一瞥する。
界隈では『シジ・バウ』、と呼ばれている女だった。
本名ではない。その名は、古い王国の言葉で、『滑り止め』を意味するらしい。北方で使われる、靴の裏につける尖った牙のような器具だ。
「あれは竜騎兵だった」
と、シジ・バウは囁くような声で言う。
この女はほとんど物音を立てない。極端に静かに動き、喋り、そして仕事をする。
「しかも市街地への影響をまったく考慮していない。予定外の敵だ。ギルド長――あれでは仕事にならない」
ギルド長、というのはリデオ・ソドリックの肩書だ。
冒険者たちの互助組織である、ギルドの長。
このヨーフ市は商業都市であり、ギルドも数知れないほど存在するが、その中で最も影響力の大きいものの一つだろう。
私兵による暴力という手札を持っているのは、商人ギルドと冒険者ギルドだけだ。
そして冒険者ギルドの方が、当然ながら暴力の専門性は高い。
(それが、この調子では)
リデオは憂鬱な気分になる。
(商売に影響が出るな)
暴力は、冒険者たちの商売道具の一つだ。正確に言えば、それがもたらす忌避感と恐怖こそが利益を保証し、生み出す。
実際の力は関係がない。
周りに危険性を誇示することが、冒険者という者たちの生活基盤を支えている。
「危険を冒した分、報酬は上乗せしてもらおう」
シジ・バウは感情のない、獣のような目でリデオを見ている。
睨んでいるのかもしれなかった。
「お前の言い分はわかるが」
リデオは冒険者たちの長として、シジ・バウの目を正面から受け止めた。
立場という一線こそあるが、実力的には、彼女は自分をはるかに凌駕する。それでも決して怯えた素振りを見せるわけにはいかない。
「事実として、お前は殺しに失敗した。話を聞けば、竜騎兵の出現までは十分な時間があったはずだ」
「あの護衛の懲罰勇者も、事前情報よりはるかに手ごわかった」
「それこそ言い訳だな」
リデオがあえて浮かべた嘲笑に、シジ・バウの目つきが険しくなった。
その瞬間に、割り込んでくる者がいる。
「……兄さん」
と、低い声の呟き。小柄な影が動いた。
「下がってください」
どこかくすんだような金髪の女。まだ少女といってもよい年齢だが、その目つきには異様なほど暗い何かがある。
リデオがそう感じるのは、彼がこの少女に対して、うしろめたさを感じているからか。
「この女は野良犬ですよ。飼い主がいないから……危険です」
この少女は、「イリ」と呼ばれていた。
リデオが個人的に『飼っている』、数人の子供たちの一人。その中で、もっとも暴力に向いた少女だった。
腕はそこそこといったところだが、忠誠心という点において、金で雇う傭兵や冒険者などよりもずっと有益だ。
リデオは、こうした子供たちを十人ほど養っている。
先代からの教えだ。
貧民を救済する目的で、市内の施設に出資している。そのうち、特に有望な子供は囲い込み、特別に教育を施す。
そうすることで、外部に依存しない戦力を作り出せる。
こういうことはよそのギルドでもやっている。
子供のうちに素質のある人材を確保して、鍛え上げる。商人でも職人でも、それは一切変わらない。
ただ、扱う「商品」が異なるだけだ。
この手の子供たちを、リデオは「妹」あるいは「弟」と呼んでいた。自分のことは「兄」と呼ばせている。
そう口にさせ、特別扱いすることで、実際に忠誠心を高める効果はある。
「だいたい、兄さんは無防備すぎますよ……」
イリの言葉には、わずかに咎めるような響きがあった。
「自分の部屋にまで、こんな女を通すなんて。……必要だったら、私が仲介します」
「先代からの決まりだ」
面倒になったとき、リデオはそうやって会話を打ち切ることにしている。
「重要な仕事を頼むときには、必ず相手と直接会う。信用できるかどうか、自分の勘も含めて判断するためにな」
もっとも、一部は嘘だ。
シジ・バウを直接呼び出したのは、この部屋がもっとも安全だからだ。
隣の部屋にはやはり彼の子飼いの「弟」が、弩で狙いをつけている。傍らにはイリがいる。リデオとシジ・バウの間を隔てる小さなデスクにも、聖印による迎撃の仕掛けも施してある。
つまり臆病さという点において、リデオは自分自身にある程度の評価を与えていた。
(……それだからこそ、この不安定な地位を保ち、生き延びることができている)
当然、シジ・バウにもそれらの仕掛けがあることくらい、わかっているだろう。
「そういうわけだ、シジ・バウ。私はお前の腕も、仕事の契約に対する忠誠も信用しているが」
この部分は、本気で言っている。
契約に対する忠誠は、冒険者のような稼業においても重要だ。
特にギルド長であるリデオが悪評を流せば、よその街においても雇われることは困難となるだろう。
「問題は、ここから先だ。確かに想定外のことがあった――危険を踏まえた金を支払ってもいい。ただし」
リデオは、デスクの上に乗せた布包みを指で触れた。
旧王国の、銀で作られた硬貨が入っている。
「次の仕事を受けてもらえるなら、という話になる」
そうしてもう一つ、同じくらいの布包みを取り出す。デスクの上に乗せる。
「この場合、こちらに不手際があったにせよ、お前は仕事を完遂していない。そもそも我々の仕事は、多少の想定外を計算に入れてもらわなければな」
そうしておいて、リデオは少し口の端をゆがめた。
余裕のある笑いに見えていればいいのだが。
「なにしろ、我々は軍隊とは違うのだから」
言外に、自分は相手の素性を知っている、とほのめかしている。
シジ・バウの体術と、特殊な聖印兵器の扱いは、明らかに通常の出自ではない。
よってリデオも調べ、まずは本名を探り当てた。
結果として彼女は、どうやら脱走兵らしかった。
とある実験部隊の名簿にその名前があった。
そこから逃げ出し、荒事で稼ぐ稼業まで落ちぶれた。その理由は知らないが、軍に聖印兵器をいまだ所持していることを通報すれば、まともな生活は送れなくなるだろう。
「お互い、有益な関係を築けると思う」
「わかった」
シジ・バウの動きは素早かった。
右手が動いた――イリがそれに反応しかけたが、シジ・バウの籠手は瞬時に形状を変化させている。
その鋼の紐が鎌のように組み上げられ、そして、デスクの上の布包みをさらっていた。
「お前!」
イリが怒りに満ちた声をあげる。片手がナイフを抜いていた。
「必要ない。イリ、下がりなさい」
リデオは余裕をもって命じた。
シジ・バウの意図もわかっている。この状況だとしても、リデオを殺すくらいの芸当はできる。デスクの聖印防御がなんであれ、相討ち程度ならば軽いものだ。
そういうことを言いたかったのだろう。
(気持ちはわかる)
この稼業は舐められたらおしまいだ。
誰よりもリデオがそれをよく知っている。
「残りは、仕事が終わったらもらう。その包みの三倍を用意しておけ」
「なかなか吹っ掛けて来るな。交渉は?」
「無理だ。必要経費がある」
シジ・バウはささやくように言って、踵を返した。
「想像以上に手ごわい。こちらも人を雇う」
「冒険者を使うなら、斡旋しよう」
「役に立たないごろつきを何人雇っても、あまり意味がない。相手にドラゴンがいる以上はな。……まともな聖印使いがいる」
それだけ言って、シジ・バウは部屋を後にした。
足音もなく去っていく。
たっぷり数十秒ほど経ってから、イリは不安そうにリデオを振り返る。
「……兄さん。うまくいくでしょうか」
「お前が心配することは何もない」
リデオは息苦しさを感じて、窓の外に目をやる。
一瞬、向かい側の建物から、誰かがこちらを見ていたような気がする――気のせいとは言い切れない。
やつらはどこにでもいる。
最初に会ったのは、神官の地位を示す、聖印を胸から下げた男だった。
リデオに取引を迫ってきた。
取引と言いながら、実際、それは選択の余地がないものだった。すなわち、服従か、共生か、死か。
共生するなら、役に立つところを見せなければならない。
(……共生派か)
リデオは、彼らが名乗っていた呼称を思い出す。
魔王現象との共生。
知性のある魔王と和解することで、人類の版図を確保する。
理解できなくはなかった。
リデオも似たようなことをしてきた。
(要するに、奴隷と、その奴隷の管理者と、支配者だな)
と、そのように理解できる。
彼ら『共生派』は、このうち支配者の座を魔王に明け渡す代わりに、管理者となるつもりでいるらしかった。
その勢力は、リデオが最初思っていたよりもずっと大きい。
そして選択を迫られた。
ならばせめて、管理者の座に滑り込まなければ。生活と、家族のためだ。『妹』や『弟』――イリたちに対して、リデオはすでに商売以上の情を感じてしまっている。
ギルドの長としては失格なのだろう。
少なくとも先代に言わせればそうだ。ただ、いまさらこれは仕方がない。
(すでに私は、人類に対する裏切り者かもしれないが)
リデオはイリの視線を横顔に感じながら、罪悪感を弄んだ。
罪悪感という贅沢は、自分のような立場の者に許された特権の一つだと思えた。
(……家族のためだ、仕方がない)
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