刑罰:港湾都市ヨーフ休暇偽装 5
とにかく、場所がよくなかった。
民間人が多すぎる。
おまけに大騒ぎで、身動きがとりづらい。テオリッタの手を離せない。
「キヴィア」
俺は樽を蹴とばし、近づこうとする暗殺者――らしきやつを勢いよく転倒させる。
「どうにかしてくれ、やりづらすぎる!」
と、頼んだのが聞こえたのかどうか。
「――我々は聖騎士だ。市民はすぐに離れろ! この道を封鎖する!」
キヴィアが頭上に向けて、短い杖を掲げた。
その先端が、轟音とともに閃光を発する。これも雷杖だ。しかもでかい音を発生させる方に出力を使っているやつ。密着距離ぐらいでなければろくな威力は出ない。
都市の警備隊が使う、威嚇のための道具だった。
部隊の号令にも使われるため、司令官なら常に携行している者もいる。
「我々に向かってくる者は、敵対の意志ありと見なす!」
キヴィアは宣言し、実際そのとおりの行動をとった。
押し合う人込みの中から、よろめくように出てきた男の、左腕に剣を突き込む。
「ぐ」
男は苦しそうな顔をしてみせた。だが、止まらない。
「近づくな、という意味だ。聞こえなかったか」
キヴィアもまた、手を休めていない。
ナイフを取り落とし、それでも飛びつこうとするそいつを、足元への一閃で転倒させる。
見事な技量だ。
短槍術にも似ているが、あれは北方剣術の流派だろうか。
やや極端とすら思えるような半身になって、刺突と反撃を主体とする。俺が習った、刃を振って叩き切るような南方剣術とは決定的に違う。
「あー……いやいやいや、キヴィアさーん。ここは市民の皆さんに協力してもらえません?」
と、余計なことを言ったのはツァーヴだ。
こいつはこいつで、暗殺者――らしき人物の喉を、手の平程度の大きさの刃物で切り裂いている。
たぶんいま露店から勝手に調達したものだろう。
「市民の皆さんを盾にした方がいいっスよ。あっ、できれば小さい子供で!」
「な、なに……?」
「テオリッタちゃんには盾役の子を背負ってもらって、安全な場所まで移動しましょうぜ。ないとは思いますが、一か八かの狙撃が怖いんで!」
ツァーヴは真面目に言っているのだろうが、どうも口調が軽薄で明るすぎる。
これはただでさえキヴィアの逆鱗に触れるような提案だったが、その口調が火に油を注いだ。
キヴィアの鋭い瞳が火を噴いたようになった。
「何を言っている、外道め! そんなことができるか!」
「ええっ」
ツァーヴは意外そうに俺を見た。
「なんで!? テオリッタちゃんのこと、守りたくないんスか!? いま仲良さそうだったのに……ちょっと、ザイロ兄貴、何か言ってくださいよ!」
「言わねえ。お前は周りに被害が出ないやり方を考えろ」
俺は明らかに怯えた様子のテオリッタの手を引き、人通りの多いストリートからの脱出を目指す。
「人を盾にしようとするな、アホ」
「マジっスか?」
ツァーヴが青白い顔で唸った。
「いや、この人、マジで言ってるな? 絶対ヤバいよ、普通じゃねえ……」
唸りながら、ツァーヴはまた一人、突っ込んできたやつを捌く。
転倒させて頭を砕いた。
こいつの体術はいったいどういうものなのか、独特な技だ。相手を掴んだと思ったら体勢を崩し、始末をつけている。
俺はテオリッタの目からその光景を隠し、束の間だけ考えた。
確かに、こういうことを禁止するのは、部隊の中では俺とノルガユくらいかもしれない。ベネティムは黙認するだろうし、ドッタはビビって何も言えず、惨状を目の当たりにして吐く。
タツヤは論外で、ジェイスは人間の被害を気にする男ではない。
「ザイロ! まだ来ます!」
テオリッタが注意を促した。
俺たちが走る前方、路地の隙間から男が一人。
行く手を塞ぎ、見るからに俺たちを標的としていた。片手にでかいナイフを持っていなければ、その正体をもう少し検討してやってもよかった。
(しかし――)
キヴィアの部下の聖騎士団は何をやっていやがる。
大通りのあちこちで騒ぎが起きていた。その対処に当たっているのか。くそ。
「ザイロ、人間が相手では、私は――」
呟くテオリッタの声に、隠しきれない不安が覗いている。
その不安は、しかも、自分の命が危険に晒されていることではない。手を握っている俺にはよくわかった。
「役に、立てないかもしれません。攻撃できません」
「気にするな。人間の相手は俺たちでやる」
俺はテオリッタを抱え込んだ。
ほんのかすかな火花を、髪の毛に触れた指先で感じる。気にするな、と言った俺の怒りは、十分にテオリッタに伝わっただろう。
このクソ教団の暗殺者どもが、迷惑なことばかりしやがる。
そういう怒りだ。
「テオリッタ。しっかり掴まれ、離れるなよ」
「――はい」
テオリッタはしっかりとうなずいた。
「すべて任せます」
それだけ聞ければよかった。
「ツァーヴ! そいつを頼む」
俺は言い捨て、地面を蹴った。
飛翔印を起動する。
路地を塞ぐ男の頭上を飛び越えて、壁を蹴り、また起動――再跳躍。振り返らずに着地して走る。
一瞬、暗殺者の男は戸惑っただろう。
俺を追うか。しかしそれはキヴィアやツァーヴに背中を見せることになる。
その戸惑いの間にケリがついたはずだ。
もともと、これは決めておいた役割分担だった。
機動力が高く、意思疎通の迅速な俺がテオリッタを抱えて逃げる役。荒っぽいことはキヴィアとツァーヴが担当する。
今回は楽ができていい。
とにかく、こうして俺は無事に路地裏に駆け込むことができた。
これがキヴィアの想定していた経路の一つだ。大通りで不測の事態が発生したときの避難先。
俺も一通り頭の中に地図を入れている。
向かう先は、『ソドリックの貝殻』と呼ばれる街の一角だった。
入り組んだ路地に囲まれた、このヨーフ市の裏側といってもいい区画。はっきりいって治安は悪いが、昼間でも人通りは少ない。
地図が確かならば、この路地を抜けた先に開けた場所があり、その近辺を聖騎士団が抑えているはずだった。
そこでなら、さすがに人数の差が効いてくる。
適切な地形でまともに戦列を組んだ戦いであれば、基本的には暗殺者は兵隊の敵ではない。
例外もいるにはいるが、だいたい暗殺者とはそういうものだ。
だが、路地を二度曲がったあたりで、俺は足を止めざるを得なかった。
(これはまずいな)
ということだ。
ここまで来ても、聖騎士団の影も形もない。
代わりに、背筋がむずがゆくなるような、焦燥感にも似た空気を感じた。時と場合によるが、俺はこういう直感をできるだけ無視しないことにしている。
「――ザイロ。貴様も奇妙だと思うか?」
キヴィアとツァーヴが追いついてくる。
どちらもまだ軽快な足取りで、息を切らせた様子はない。
「どうやら、この経路も難しくなってきたぞ」
キヴィアはさすがに事態を理解している。
そのマントで、血のついた剣を拭い、顔をしかめた。
「我が聖騎士団の人員がいない。歩兵をこの区画に展開していた。何かあったと考えるしかない」
「はあ。なら、排除されたんじゃないスかね?」
ツァーヴはいまさら何が気になるのか、砂のついた服のあちこちを叩いて払っていた。
「殺してみてわかったんスけど、こいつらみんな、ちゃんとした教団の暗殺者じゃないっスね。訓練受けた感じじゃないっていうか」
「弱すぎるってことか?」
俺の質問に、ツァーヴはへらへら笑ってうなずいた。
「まあ、オレほど強いやつはいないと思いますけど、さすがにヘボすぎるかなって。ただ、武器は教団のものっスね」
いつの間にか拾っていたらしく、ツァーヴはナイフを掲げて見せた。
その刃に、三角形のくさび型の印が刻まれているのがわかった。
「この印、グエン=モーサの教団のやつっスよ。やつらの言うところの、『真の聖印』。実際の聖印と違って効果はゼロなんですけどね」
「だったら、どっちかというと、それは……」
こんなことは、別に時間をかけて考えるまでもない。俺は一つの可能性を口にする。
「教団の手口を装うつもりでやってるのか? 確かに裏社会の暗殺教団にしては、数が多すぎる。めちゃくちゃだ」
俺は喋りながらキヴィアを見ていた。
こうなってくると、怪しいのは当然、この連合王国で最大の勢力を持ちながらテオリッタの存在に否定的な連中のことだ。
つまり、神殿の一派。
「……わからない。私は、確かに神殿の中枢に連なる……一族ではあるが」
キヴィアは、慎重に言葉を選んでいるようだった。
堅苦しい表情を浮かべた横顔に変化はない。ただ、その声音が苦しそうな響きを帯びているのがわかった。
「……仔細はあとで伯父上に追及していただく。すでに援軍も要請した。いまは、ここを切り抜けなければ」
路地の奥を睨んでいる。
なるほど、俺もそちらから来ると思っていた。いくつかの足音。そして、
「うげっ、なんスかあれ!」
ツァーヴがひきつった声をあげた。
新手の刺客――と思しき連中は、兜に具足まで着込んでいた。三人。
そのうえ、両手で杖を抱えてもいる。
「雷杖じゃないスか! いいんスか、あれ!」
「よくない」
キヴィアは憮然とした顔で断言し、動き出す。
「おのれ。軍の取り締まりはどうなっているのだ!」
愚痴のような悪態。
ツァーヴの言う通り、間違いない。あの杖は雷杖だ。この手の武器は、軍が独占的に流通を掌握しており、一般に出回ることはほとんどない。所有資格も厳しく管理されているうえ、製造数がそもそも限定的だ。
いくら裏社会の連中だからって、そう簡単には手に入れられないはずだ。
「どうなってんだよ」
俺も文句を言いながら、テオリッタを背に庇う。
刺客どもの雷杖が閃光を放つ――さすがに狙いは甘い。
三人のうち二人の射撃はそもそも狙いを外していたし、残りについてもキヴィアの対処が完了していた。
「ニスケフ」
キヴィアが呟き、剣の切っ先で地面を軽く突いた。
それは聖印を起動する言葉だった。ぶぶっ、と、空気が震えるような音がして、うっすらと青く霞む帳のような何かが生まれた。
雷杖からの射撃を遮る帳だ。
稲妻を受け止め、かすかな火花として霧散させている。
こいつはよくあるやつで、遮甲印ニスケフという。
持続時間は短いが、熱や衝撃に対して強い防御の力を発生させる。
俺はその間に、攻撃を終わらせている。
今回はナイフをたった二本しか携行できなかったため、別のものを使う。
ポケットに手を突っ込んで、コインを掴んだ。連合行政室が発行する、新王国硬貨。金や銀で作られた旧王国貨幣に比べると、いまだ価値は低い。
そいつにザッテ・フィンデの聖印の力を浸透させて、指先で弾いた。
ごく軽くでいい。
弾かれたコインは刺客どもの眼前へ飛び、閃光とともに爆発した。
ナイフのように突き刺して起動させたわけではないので、破壊力は体を内側から爆砕するほどのものではない。
が、人間であれば吹き飛ばし、戦闘不能にすることは簡単だ。
それも三人まとめて。
「よし。周りに余計な人間がいなけりゃ楽勝だな」
「ああ、いや――」
キヴィアが振り返り、何か軽口でも叩こうとしたのかもしれない。
わずかに緩んだその目が、再び鋭く細められた。
「ツァーヴ! 頭上だ!」
「おわ」
ツァーヴが半端な驚きの声をあげたし、俺も少し驚いた。
まさしく、そいつは頭上から降ってきた。
黒ずくめの、痩せた影。右腕を振り上げている――手の平に刃か? 違う。何も握ってはいない。
ただ素手を振り下ろしてくる。
ツァーヴは動物的な反応で、それを迎え撃った。
体に染みついた習性というやつか。
素手による一撃を楽々と回避し、手にしていたナイフを振り上げ、首筋を狙う。その動きは正確で、淀みもない。
だが、かわされた。
ツァーヴはそれでも動揺を見せず、ナイフの刃を返し、相手に突き立てようとする。
それでいながら、足払いと、胸倉をつかむ動作も混ぜた。滑らかな体捌きと、それがもたらす鋭い技だった。
だが、その交錯の直後、ツァーヴはイナゴのように跳んでいた。
後方へ。
ぎ、きっ、という硬質な音が断続的に響いた。
俺の目には、痩身の影が左手でナイフを受け止め、ツァーヴの脇腹に平手打ちを食らわせたようにも見えた。
「ちょっと待ってよ、嘘だろ……」
ツァーヴの顔に強引な笑みが浮かんだ。どこか軽薄な顔のまま、苦痛の脂汗が滲んで見える。
脇腹を防御した、やつの左腕から血が滴った。
それは地面に飛び散り、どくどくと流れ落ちる。
「なんだァ、こいつ」
ツァーヴの左腕は、ひどい手傷を負っていた。
「なんか悪さしてますよ、兄貴……超いてぇ……」
獣が牙を突き立てたように、いくつもの刺突痕があった――何をされた? 右手に握ったナイフも折れている。
そのまま、ツァーヴは地面に膝をついた。
黒ずくめで痩身の影が、こちら振り返る。
やはり真っ黒な布で顔を覆っていた。その奥からわずかにのぞく目で、俺とテオリッタを見たように思う。
獣のような目だ。
間合いが近すぎる、と俺は思った。
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