刑罰:ミューリッド要塞防衛汚染 2

「いやだから、ほら、オレって基本的にお人好しなタイプじゃないですか?」

 ツァーヴの声が後ろから聞こえる。

 さっきからこいつは間断なく喋り続けている――そうしないと呼吸ができないかのようだ。迷惑すぎる。


「優しすぎるゆえの悲しさっていうか? だから違和感ずっとあったんですよね、訓練してた頃から。困るじゃないスか。オレって実は小さい頃から暗殺教団に育てられた、超エリート暗殺者だったんスけどね」

 耳障りで仕方がない。

 俺は少し足を速めたが、ツァーヴはそれが「もう聞きたくない」の合図だとは思っていないようだった。


「標的を調べれば調べるほど、うわ~こんなやつ殺せねえ~奥さんも子供もいるじゃん、病気の爺ちゃんもいるじゃん! ってなっちゃうんスよね。そういうとこで出ちゃうんですよね、生まれつきの心の純粋さが」

 先を歩くドッタが、振り返ってうんざりしたような顔を向けてくる。

(こいつ、要塞に残してきた方がよかったんじゃないか?)

 と、その目が言っている。


 だいたいこの話をツァーヴから聞くのは、もう何十回目だろうか。

 腕が良くなかったらとっくにぶん殴って昏倒させている。こいつの狙撃能力は、もはや超常現象の類だ。


「だからオレ、標的を殺したことないんスよ。成功率ゼロ! ……でもほら、殺した証拠がないと教団に怒られるもんで……その辺の関係ないやつぐちゃぐちゃのひき肉にして持ち帰ることにしてたわけです。標的にはこっそり逃げてもらって。オレ、めちゃくちゃいい奴じゃないですか?」


 標的を殺せない暗殺者。

 それならその辺の関係ない奴は殺せるのか、と思ったことはあるが、どうやらまったく問題ないらしい。

 本人曰く、

「そりゃそうでしょ……」

 とのことだ。


(とんでもないやつだ)

 たぶんツァーヴの中では、人間は牛や豚と変わらない存在なんだろうと思う。

 情が湧いたら殺せないが、そうでなければなんの障害もない、というような。

 およそ永遠に関わり合いになりたくない種類の殺人者だが、残念ながらそうもいかない。こういうとき、俺は自分が刑罰を受けている罪人だと強く意識させられる。


「それで聞いてくださいよ、オレを追放した教団のこと! あいつらってホント極悪非道で――」

「ツァーヴ」

 俺はそこでようやく振り返ることにした。

 目的地まで来たし、そろそろ黙らせるべきだと思ったからだ。

「黙ってろ」


「あっ、すいません兄貴」

 ツァーヴは頭を掻きむしった。

 麦色の髪の毛――欠けた歯――陽気だが、どこかだらしのない顔。そしてなぜか俺のことを兄貴と呼ぶ。ツァーヴはそういう男だった。

「オレ、また喋りすぎちゃいました?」


「ザイロ、こいつもう口枷とか嵌めといた方がいいよ」

 ドッタは顔をしかめてツァーヴを指さす。

「うるさいもん。ぼく、こいつと同室になったことあるんだけど、最悪だよ。ずーっと一晩中喋ってるからね! 寝ないで!」

「眠らなくてもいい訓練してるんスよ、三日はイケます」

「ほら最悪!」


 ドッタは悲痛な声をあげた。

 正直なところ、ドッタとツァーヴはあまり相性がよくない。

 それでもこの二人を連れて来るしかなかった。要塞の外で偵察任務をこなせるのは、片足を失ったノルガユ陛下には無理だし、ベネティムは論外だ。体力が無さすぎる。

 タツヤは連れてきても、こういう仕事の役には立たない。


 結果、この二人しかいなかったわけだ。


「ドッタさん、仲良くやりましょうよ。オレら仲間じゃないっスか」

「もう少しきみが静かにしてくれたらね」

「オレ、静かなの苦手なんスよね。ほら、オレって教団で虐待みたいな訓練受けた悲しい過去があるじゃないですか。そのとき、地下牢に閉じ込められて――」

「おい」


 仕方がないので、口を挟むことにする。

「黙れって一度言ったよな。二度も言わすな」

「ほら、ザイロが怒った……」

「うわっ、やばい! すいません兄貴! ドッタさんも謝って!」

「なんでぼくまで」


 ツァーヴが勢いよく頭を下げ、また言い合いが始まる。

 俺はもうため息も出ない。

 二人をどうにかすることは諦めた。身を沈め、前方の景色に目を凝らす。


 ミューリッド要塞から徒歩で半日近く、小高い丘からの光景だ。

 曇り空の下ではあるが、クヴンジ森林までよく見渡せる。それに、ゼワン=ガン鉱山。そこから少し離れた西方レター・マイエンの山々。

 いま、その山々の麓には、黒っぽい煙が地を這うように広がっていた。


 もちろん、正確には煙ではない。

 多数の異形フェアリーが寄り集まっているせいだ。それが移動しているため、黒土を巻き上げ、煙のようになっている。

 その中核には魔王現象――魔王十五号『イブリス』がいるはずだった。


「――かなり接近しているな」

 身を沈めて、その軍勢を注視していると、頭上から声が降ってきた。

 キヴィアだ。

 ドッタのようなやつを連れて偵察するなら、逃亡しないように監督役が必要になる。当然、彼女がついてくることになった。


「要塞まで思ったより早く到達する」

 キヴィアは手元の地図を眺めて、指でなぞる。

 俺も立ち上がってそれを覗き込んだ。やはり魔王現象の移動経路は、ミューリッド要塞を目指しているとしか思えない。

 何かを追っているように。


「ってことは、この調子だとあと四日か三日ぐらいか?」

「……あ、ああ。そうだな。『イブリス』の移動速度を考慮すれば、その程度だろう」

「まっすぐこっちに向かってきてる。何かに指揮されてるみたいだ。いままでの『イブリス』の動きから考えると異常だ」

「確かにそうだ。ガルトゥイルでは何か情報を掴んでいるのかもしれん。例えば、指揮官として機能する魔王現象の存在が考えられる」

「そりゃ面倒だ――ところで」


 俺は喋るたびに遠ざかる――というより、のけぞっているキヴィアの顔に問いかける。

「なんで徐々にのけぞってるんだ」

「い、いや。……貴様の顔が近い」

 なんだそりゃ、と思ったが、疑問を口に出す前にドッタが裏返った声をあげた。


「あっ!」

 と、森林の方を指さしている。

「いま、なんか見えた! 異形フェアリーじゃないかな、あれ」

「おおう、それっぽいっスね」

 ツァーヴも並んで身を乗り出し、ドッタの指さす方向を眺めていた。

 どういう目の構造をしているのかわからないが、こいつらの視力は尋常ではない。人間離れしているところがある。

「なんか犬っぽいなあ。ドッタさんどうですか?」

「ぼくもそう思う。たぶんカー・シーじゃないかな」


『カー・シー』というのは、おおむね小さな犬型の異形フェアリー全般を意味する存在だ。

 機動力に優れ、斥候のように本体から先行して移動する。

 その知覚したものを、魔王現象全体と共有する能力を持っているらしかった。


「カー・シーだと……何匹いるんだ? 本当に見えるのか?」

 キヴィアも目を凝らしたようだが、たぶん無理だ。

 俺もわからない。

 かつての索敵・捕捉用の聖印があれば話は別だが、俺にはドッタやツァーヴのような変態的な視力はない。


 ただ、やつらが『いる』というなら、確実にいるのだろう。

 まったく信用できない連中ではあるが、ベネティムあたりと違って意味のない虚勢や嘘はつかない。


「じゃ、少し削っておくか。ツァーヴ、この距離はどうなんだ?」

「どうかな――まあ、たぶんいけると思います。やってみるんで、しくじってもブチ殺さないでくださいよ」

「お前、俺をなんだと思ってるんだ?」

「いや、そりゃまあ……偉大な先輩っスよ、ほんとに。嘘じゃないっス」

 やや煮え切らないような答えだったが、ツァーヴは背中に負った長い杖を構える。


 これも聖印を刻んだ「雷杖」の一種だが、射程距離と破壊力は比較にならない。狙撃用の雷杖だった。

 開発はヴァークル社で、製品名は『ヒナギク』。

 ただしノルガユ陛下がめちゃくちゃな調律を行っているため、もはやどの聖印も原型をとどめていない。


「もういいっスか? 長く見てると殺したくなくなっちゃうかも。オレってほら、人情の男じゃないですか。よく言われるんスよね、優しすぎる殺し屋って」

「いいからやれ。喋りながらじゃないと撃てないのか?」

「了解」


 と、返事をしてからは迅速だった。

 雷杖が光を放ち、それははるか彼方の森林へ、梢の間を縫って閃く。

 ぱん、という、気の抜けた乾いた音が響き渡った。


「やりましたよ。ってか、まだいるっぽいっスよね? ドッタさんどうっすか?」

「いる! いるよ、まだ二匹! こっちに気づいた!」

 ドッタは慌ててツァーヴの肩を揺すった。

「こっち来る! ツァーヴ、早く次、次撃って!」

「急かされても、連射あんまり効かないんスよね……射程と威力に全振りしてるから。まあ大丈夫っスよ、時間的に間に合うと思います。それにザイロ兄貴いるし」


 ドッタとツァーヴの組み合わせは相性がよくないが、仕事はする。

 ドッタはとにかく自分が助かるために必死になるし、ツァーヴは雷杖の扱いだけなら俺が知るどの兵士よりも上だ。

 そこのところが余計にムカつく。


「斥候を片づけたら、罠を仕掛けにいく。ノルガユ陛下から仕掛けを預かってる。できるだけ要塞につく前に数を減らしたい」

 俺は彼方の魔王現象を見た。『イブリス』。

 その軍勢は、移動しながらさらに数を増すだろう。


「あの数だと、あんまり意味ないかもしれないけどな……まあ、やることはやっておく。キヴィア、悪いが付き合ってもらう」

「構わない。仕事だ。……しかし」

「なんだよ」

「貴様のことが日増しによくわからなくなる」


 実際、キヴィアは得体のしれないものを見るように俺を見ていた。

「こんな状況でも、律儀に役目を果たそうとしている。戦いを諦めていない。それにテオリッタ様へのあの態度。……聞いていた『女神殺し』のザイロ・フォルバーツからかけ離れている」

「どんな風に聞いてたんだ?」

「功を焦って部隊を危険に晒し、挙句の果てに乱心して《女神》を殺した、成り上り者だと」

「詳しいな」


 苦笑したが、妙に引っかかる部分があった。

『成り上り者』。

 それは代々の貴族の名家が使う言い方だ。キヴィア――俺が知らなかっただけで、有力な名家だったのか?


「なあ。キヴィア。あんたはどこの貴族の出身なんだ? 悪いが聞いたことないぜ」

「貴族ではない」

「嘘だろ。貴族以外を聖騎士団の長にするなんて、ガルトゥイルが許すのか?」

「私の伯父は大司祭だ」


 大司祭――なるほど。それで納得がいった。

 神殿という組織の中核を成す、ほぼ最高位に近い階級だ。神聖議会に列席できる資格を持つ、数十人の集団。

 貴族ではなく、神職の家系だったというわけか。

 俺が知らないはずだ。テオリッタへの態度も理解できる。


 しかし、そんな家の娘が軍に入ったのは、かなり数奇な話ではないか。従軍神官という形ではなく、騎士団長。

 だが、その事情を追及するよりも、ツァーヴが仕事を終える方が速い。


「兄貴、終わりましたぜ。すごくないすか、自分、百発百中ですよ」

 雷杖の先端が赤熱している。

 ツァーヴは聖印を起動し、これだけの長距離射撃をこなしてみせても、疲労の様子を見せない。


「よし。ここからは馬で行く」

 俺はこれからやるべきことに意識を集中させていく。

「さっさと罠を仕掛け終わるぞ。キヴィア、馬に乗れるんだろ。ついてきてくれ――ドッタとツァーヴはここで待機だ。逃げるなよ」

「了解っス、ドッタさん見張っときます」

「っていうか、異形フェアリーの斥候がうろうろしてるじゃん……ザイロがいないと怖くて動けないよ」

「そうしとけ。キヴィア、行こうぜ。手伝ってほしい、一人で罠の仕掛けは――」


「いや、ま、待て」

 キヴィアは少し困惑したようだった。

「確かに私は馬に乗れるが、どこに馬がいる? この作戦において、我々には支給されていないぞ」

「調達して、この辺に隠しといたんだってよ」

 俺はドッタを見る――ドッタは気まずそうに顔を背け、キヴィアはひどく呆れた。


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