刑罰:ミューリッド要塞防衛汚染 1

「死守だ」

 と、伝令の男はそう言った。

 見事な髭を生やした男で、ガルトゥイルからの使者だという。


 正直なことを言うと、第一印象からまったく好感が持てなかった。

 俺は身なりのいい威厳のありそうな男をまったく信用できない。そういう呪いにかかっているのかもしれない。


「この要塞を、貴様ら懲罰勇者部隊のみで死守せよ。魔王現象が近づいている」

 この身も蓋もなく「死ね」と言っているような話を、俺とベネティムはアホみたいに並んで直立して聞いていた。


「ザイロくん、落ち着いてくださいよ」

 ベネティムは俺に小声で言った。

「お願いですから、落ち着いて……冷静に……。いきなり殴りかかったり、叩き殺したりするのはやめてください」

「お前、俺をなんだと思ってるんだ」


 俺がそんな突発的に意味不明な暴力を振るうような人間に見えるのか?

 見えるのかもしれない。

『女神殺し』はそのくらい意味不明な暴力だ。気分次第で何をするかわからないとでも思われているのだろうか。


「……あの。すみません、使者どの。要塞を死守、と言いますと」

 咳ばらいを一つして、ベネティムが死にそうな声を出した。

 少なくとも胃に穴が開いていて、そこから血が滲み出ているような声だった。


「……どのような作戦目標なのでしょうか?」

「作戦目標はただ一つ。この要塞に留まれ。それだけだ」

 使者の男は、笑いもせずに言い切った。

「たとえ貴様らが全滅することになったとしても、最後まで抵抗しろ」


「……持久戦ですね。いつまで粘ればいいんでしょうか?」

 ベネティムは根気強く、かつ愛想よく尋ねた。

 しかもへらへらと笑いながら――もしかすると、ただ現実を見るのが怖いだけかもしれない。


「死ぬまでだ」

 使者の男は言い切った。

「第十三聖騎士団、ならびに第九聖騎士団は、後方に展開して戦力を温存する。そして、貴様らの全滅と要塞の陥落をもって特殊攻撃を実行する」


 ひどい話を聞いていると思う。

 それでも、この男の首から下げている聖印が本物ならば、ガルトゥイルから派遣された正規の使者に違いはない。


「その……特殊攻撃というのは?」

 ベネティムの問いに、使者の男は重々しげにうなずいた。

「毒だ。第九聖騎士団の《女神》が奇跡をお示しになる」


 噂には聞いたことがある。

 第九聖騎士団の《女神》は、『毒』を召喚することができるらしい。

 ありとあらゆる猛毒を、その指先から呼び出すという。ただし、広範囲に散布して魔王を虐殺する『毒』は、かなり使い勝手が難しい。


 罠のような形で設置する必要がある。

 それを、この要塞に仕掛けるつもりか? 例えば聖印と組み合わせた爆弾。

 特殊攻撃というのは大げさだが、要するに、それを起爆する作戦ということか。


「このミューリッド要塞を、あの魔王現象十五号――『イブリス』の墓標とするのだ。貴様ら勇者には、その礎となる名誉を与える」

 これには俺もベネティムも沈黙した。

 開いた口が塞がらなかったからだ。


 要するに、今回の作戦はこうだ。

 このミューリッド要塞に、魔王現象の異形フェアリーと、魔王本体を引き付ける。そして、この要塞ごと毒で汚染し、魔王もろとも撃滅する。

 そういうことだろう。


(ただ時間を稼いで死ねってことかよ)

 アホかと思った。


「効率が悪すぎる」

 気づけば俺はそれを口に出していた。

「魔王一匹倒すために、この要塞を罠にするのか? 魔王を殺すような毒で汚染したら、使い物にならなくなるぞ」


「魔王現象第十五号『イブリス』は、極めて強力だ」

 使者は俺の反論に、不愉快そうな顔を示した。

 ベネティムは焦ったように俺の肘をつついたが、仕方がない。軍事のことがわからないからって、俺をこういう場所に同席させる方が悪い。

「やつは前回の作戦に際し、第九聖騎士団による攻撃を耐え抜いた。その驚異的な再生力は知っているな?」


 これも、噂だけは知っている。

『イブリス』という魔王現象は、この戦いが始まったかなり初期から存在が確認されていた。

 殺しても死なない相手として有名で、各地をのそのそと動き回り、手当たり次第に食べる――あるいは破壊する。撃滅作戦が発動されたことはあるが、完全な殺害に至ることはできなかった。


 その後、しばらく放置されることになったのは、『イブリス』が極端に休眠時間の長い個体だったからだ。

 年に数度、辺境を動き回るだけで、あまり活発な破壊には及ばなかった。

 優先順位が低かったというわけだ。

 しかし、それがなぜかいま、突然明白な意志を持ったようにこの要塞に向かっているという。


「前回の作戦では長距離から狙撃を行い、《女神》の奇跡がもたらした致死毒を打ち込ませた」

 使者の男が言う「狙撃」というのは、ツァーヴのやったことだろう。

 あいつは第九聖騎士団に貸し出され、共同任務に当たっていた。とすれば、やることはやってきたらしい。


「作戦は成功したようだが、無意味だった。『イブリス』は一時仮死状態となったものの、結局は死亡を確認する前に蘇生した」

 言いたいことがわかってきた。うんざりするような結論が待っていそうだ。


「この結果と、第三の《女神》シーディアの予知により、ガルトゥイルは作戦を修正した。膨大な量の猛毒でやつを汚染し、『殺し続ける』のが唯一の方法だ。特別な……生き物に似た性質の『毒』を使う」

 やっぱりな、と俺は思った。

「それ以外の殺害手段はこの世界には存在しない」


「ふざけてんのか、それじゃあ要塞に籠る俺たちは――」

「ま、待ってください、使者どの」

 言いかけた俺を、ベネティムは押しとどめた。

「十分な誘引と拘束が完了した場合、我々は離脱して構わないでしょうか?」


「許可できない」

「なぜです? 作戦目的が達成されれば――」

「許可できない。これはガルトゥイルの決定だ。貴様ら懲罰勇者が一人でもミューリッド要塞から離れた場合、首の聖印が部隊全員を即死させることになっている」


(ふざけてるのか?)

 と、俺は再び思った。

 なぜそこまでする?

 異様な感じがする――俺たちを念入りに殺そうとする意味があるのか? まったくの無意味に思える。

 俺たちが死なないと不都合があるのだろうか。


「わかりました。作戦は果たします」

 俺が考えている間に、ベネティムは軽々しく返答していた。

 正気か、こいつ――俺は思わずベネティムの顔を見た。やつはへらへらと媚びるような笑いのまま、舌を動かす。


「ですが、何点か作戦の改善をお願いします。まず、我々が一人でも要塞から離れたら死ぬという規則。これはまずいです」

 使者がちょっと眉を動かしたが、ベネティムは相手に発言の機会を与えない。

 こいつの詐欺師としての最大の長所は、いざという時の声の大きさだ。なぜかよく通り、他人の発言を上書きしてしまう。


「ご存じの通り我々は人格破綻者だらけの犯罪者集団ですので、さっさと楽になろうと思って要塞を抜け出す者が想定されます。そうした場合、作戦発動どころではなくなります」

 確かにそうだ、と俺は思った。

 俺たちを皆殺しにするのではなく、魔王を倒すためという建前があるなら、これは無視できない要素のはずだ。


「監督役を設けてください。それでも逃げ出す者がいるでしょう。なので、誰か一人ではなく、全員が離脱したら皆殺しということにするべきです」

 ぺらぺらとよく思いついたことを、ここまで適当に言えるものだ。

 俺がその発言の妥当性を検討するより、ベネティムがしゃべる速度の方がずっと速い。


「それと、《女神》テオリッタの問題です。彼女はこのザイロと契約を交わしていますから、周囲の反対を聞かず要塞に留まる可能性があります」

「……可能な限り説得させていただく」

「それでも留まりますよ、我らが《女神》は慈悲の心がお強くあられる」

 なんだかよくわからない言葉遣いだが、ベネティムは大真面目な顔で言ってのけ、指で大聖印を切った。


 円を描き、中心で断ち切るような仕草。

 神殿の礼拝の時なんかによくやるやつだ。原初の聖印、「大聖印」と呼ばれている。


「ここ最近の我々の戦果は、《女神》テオリッタのご加護あってのもの。留まる許可をお願いいたします」

「私はその許可を出す立場にいない」

「では誰がその許可を?」

「《女神》については、軍令上は第十三聖騎士団の管理下にあり……」

「ザイロくん、キヴィア隊長にいますぐ連絡をとってください。こちらはもう大丈夫です」


 ベネティムは俺の肩を叩き、小声でささやいた。

「話をつけておきますよ。作戦の完遂目途が立ったら、テオリッタを離脱させる許可をもらおうと思います――あとは何がほしいですか?」


「兵隊。人手が足りない。俺たちだけじゃキツすぎる」

 言うだけ言ってみようと思ったが、ベネティムはあっさりうなずいた。

「わかりました。あとは?」

「武器と食料」

「わかりました。あとは?」

「恩赦」

「わかりました。あとは?」


 こいつ、適当にうなずいているだけだな、と俺は思った。

 しかも大真面目な顔をしていやがる。俺は鼻で笑ってしまった。


「恩赦は嘘だ。……できれば、騎兵と砲兵が欲しいんだが。ジェイスとライノーはどうなんだ?」

「まだ西の戦線ですよ。どう考えても間に合わない」

 ジェイスとライノーは、うちの部隊の騎兵と砲兵の名前だ。ひとまとめに西部方面へ貸し出されている。


 特にジェイスは竜騎兵だ。

 やつの人格はともかく、相棒のドラゴンは信用できるし当てになる。せめてあいつらがいれば、もう少し無理ができたかもしれない。

 ただ、いまは考えても仕方がない。


「じゃあ、あとは任せてください」

 ベネティムは自分の胸を叩いた。

「うまくやっておきますよ。私を信じてください」

「まったく信用できないセリフだが、やれるのか?」

「なんていうか、皆さんは信じないでしょうけど、私はね」


 そこでベネティムはいっそう声を低めた。

「……実はすごい秘密を知ってるんですよ。私はこう見えて、世界を救う一歩手前まで行った男なんです。あれに比べれば、このくらい簡単ですよ」

「嘘つけ」


 ――当然、俺にはわかっていた。

 このあと、ベネティムは見事に『恩赦』以外の要求を通すことに成功する。

 そして自分が真っ先に要塞から《女神》を連れて脱出する、という命令を受領したことも、後でキヴィアから聞かされた。

 こいつは戦場のどさくさで殺されかねないだろう。

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