第三章:悪意浸食

第23話 冥府の亀

 前へ前へとただ進んできた。


 それが今、下へ、底へ、ただひたすら落ちていく。


 俺は背中合わせの形でエリュテと荷物を背負い、暗き渓谷を崖伝いに落ち続けていた。


 落下速度が上がりすぎれば、疾鷹のギアにて制動をかけて調整する。それでも足りないなら剣の切っ先を崖に刺した。


『本当に先が見えないわね』


 ティティス自らが発する光が照明となり暗き周囲を照らすもまったく底が見えない。


 文字通り底の見えぬ恐怖が俺の心を委縮させにくるも止まる訳にはいかない。


 同時、この暗さに懐かしさを感じてもいた。


「この暗さ、お前と初めて会った時のことを思い出すよ」


『そうね、つい最近のことなのに、随分とまあ遠いところまで来た気がするわ』


 確かにと俺はほくそ笑む。


 気づけば暗闇の中にいた。偶然拾った箱からティティスが現れた。地震により外へ脱出し灰化した世界を歩き続けた。


 あれよこれよと進みに進み、虚渦と戦い、今では亀と会うために底の見えぬ渓谷を降りている。


 エリュテは俺とティティスの会話に一切入ってこない、いや入る気などのないだろう。


 ティティスも出発前の言い合いがあってか、エリュテとは目線すら合わせないときた。


 言い争いしないだけマシとは言いたいが、別の意味で重いから困る。


「エリュテ、時間は?」


 制動をかけながら俺は背負うエリュテに時間を尋ねる。


「……降下開始から三時間が経過したわ」


 暗闇にいれば時間感覚がマヒしてしまうからこそ、エリュテには時計を持たせてある。


 ただ降下し続けるのは容易くとも、虚渦との遭遇を踏まえて定期的に休息を挟む必要があった故に。


「随分と降りてきたが……」


 剣の切っ先を崖に突き刺しては、その腹を足場にして一旦停止する。


 頭上を見上げれば、亀裂より青空が見えるも望遠鏡を覗いているように小さく、逆に青空から覗かれている気分になる。


『お~い、亀! 来てやったんだから迎えの一つぐらい寄こしなさいよ!』


 ティティスが暗き底に向かって叫ぼうと、声は反響することなく暗闇に吸い込まれて消える。


「さてもう少し降りたら休憩しよう」


 崖より突き刺した剣を抜いた俺は再度、降下を開始した。


            *

 

 今なお底はまったく見えない。


 休憩を挟んで下に下にと繰り返し進む。


「カメラかこれ?」


 崖の出っ張りにカメラらしき物がひっかかっているのを発見する。


 いやカメラだけではない。ズタボロとなったザックや崖に突き刺さったままのピッケルもある。


『調査隊のとか?』


 カメラの機種はよくわからんが土ぼこりで汚れたカメラは年代ものを感じさせる。


「どうやらそうみたいだな」


 正解はすぐ下にある縁で判明する。


『ホネホネね』


 白骨化した遺体だった。


 衣服はズタボロすぎて分からないが、朽ちたヘルメットがあり、調査隊の一人だったのだろう。


 なんらかの原因で滑落し、運よく縁にひっかかり救助を待とうとそのまま事切れたのが安易に想像できる。


「虚渦に遭遇しないだけ、マシかしらね」


 人骨見てもエリュテは悲鳴一つ上げない。


 女の方が恐怖に耐性があると言うが、実際、姉や妹たちも血を見ようと悲鳴一つ上げないからな、逆に弟たちは血を見たらギャーギャー騒いでいたし……理由は言わずとも。


「敵を討つ資格はあるよな」


 血によりロッソの死が想起され、ふと俺は言葉を零してしまう。


 当然のこと、エリュテは首を絞めるかのように押し黙る。


「あんたを殺したって兄さんは帰ってこないわ」


 打ち切るような発言を最後にエリッテとの会話は途切れる。


 ティティスは俺とエリュテの双方を見比べるだけで、一言もしゃべらない。


 ただ絶壁を蹴っては降り、大剣で制動をかけて落下速度の調整が繰り返されるのみ。


 頭では把握していたが、会話のない沈黙はどこか痛い。


 気分転換に陽気な音楽でもかけたいが、敵に居場所を知らせるリスクがある。


「ん? なんだこれ?」


 どれほど下ったか、下りに下り続けた時、違和感に気づく。


 既視感も走るが雷光のように一瞬だけピカっときて、ささっと消えた。


『ちょ、う、上手く、浮かべ、ない!』


 ティティスの身体が浮きあがり、もがく姿に俺は咄嗟に左腕を伸ばす。


 羽を手のように伸ばしては掴み、そのまま俺の左腕を橋にして右肩まで渡って来た。


『ふう、助かったわ、イチカ』


 ここ最近、俺の右肩がティティスの定位置になりつつある。


 頼むから耳たぶペシペシせんでくれよ、地味に痛いんだから。


「浮いている、の?」


 エリッテの発言通り、浮いたのはティティスだけではない。


 目の前を岩が風船のように浮いている。


 ライトを向ければ浮いているのは岩だけではない。


 観測機器、カメラ、缶詰、馬車、白骨化した人間ときた。


「うえ、それもかなりあるぞ」


 こちらは落ちるに落ちて、そして絶命した調査隊だろう。


 とりあえず哀悼の意は示しておいた。


「重力が感じられない」


 今まで足を引っ張る重力を頼りに降下していたが、ここに来て重力を感じず、入れ替わるように浮遊感が全身を支配する。


「色々あるな」


 浮力に逆らい下に下にと。


 浮遊する岩石を足場として底を目指す。


 深度が下がるに連れて浮遊する物体は種類を増していく。


 俺たちはとある残骸に目を疑った。


「こいつは<トア>か?」


『船首の形が違うわ。あっちは槍の穂先みたいだけど、こっちは大きな銃口よ』」


 黄昏踏破船<トア>と似た船の残骸が群を為して浮遊していた。


『けど、黄昏踏破船が複数建造されていたなんて<モア>から聞いてないわよ』


「確かにそうだ。それに当時の状況を聞く限り、時間的にも一隻作るだけで精いっぱいのはずだ」


 もしかしなくても黄昏を踏破した後に建造されたのか?


 それなら<トア>と同型船があるのに納得できるが、この壊れっぷりはなんだ?


 なんかこう外から壊れたというより、中から壊れた感が強い。


「まるで船の墓場ね」


 何隻目か、俺はエリュテの呟きを最後に数えるのを止めた。


 目を凝らせば船内に人間の白骨死体がある。


 フルプレートメイルを着込んだ骸骨ときた。


『まあ墓場なのは間違ってないのう。ここは世界の吹き溜まり。あらゆるものが流れ着く世界の最終地点。故に冥府と呼ばれておる』


 唐突に響く嗄れた声に俺は大剣を反射的に構える。


『やめいやめい、わしはお前さんらと戦う気などないわ。黄昏の踏破者をぶっ殺してみい、わしが女神に殺されるっての』


「どこにいる! 姿を現せ!」


 俺は周囲に素早く目を走らせ声の主を見つけ出そうとするも、浮遊する瓦礫が視界を阻み、見つけられない。


『姿を現せとな。わしはさっきからず~っとお前さんたちの目の前におるぞ?』


 冗談がすぎるぞ。いくら探そうと見つけられない。敵意あるならば致命的な一撃を受けている。


『ほれ、小僧、前を見らんか』


 ぺしぺしと頬を叩かれた俺は目の前に浮かぶ亀に瞠目した。


『ちっちゃ!』


 ティティスは己より小さき存在に驚く声を漏らす。

 

 小さな小さなリクガメが俺の前でプカプカと浮いていた。


 ただの亀と異なるのは背中の甲良に歯車が埋まっている点だろう。


「これが冥府の亀、なの?」


 自力で運搬器具から降りたエリュテは驚いた形相で亀を凝視している。


 亀だけにただものではなくデカイと思っていたが、まさかあんなに小さいとは誰が思おうか。いや思わない。


『如何にも。改めて冥府へようこそ黄昏の踏破者よ。わしの名はタルガルイ。虚渦が一つ、第四渦・玄太冥識タルガルイじゃ』


 さらに思わないことに目の前の亀は自らを第四渦と名乗ったことだ。


『これこれ、そう剣を構えなさんな。そんなものでぶった切られたらわし痛くて泣きじゃくるわ』

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