第21話 語れるのは一人だけ

 手の平に乗った赤きコンパスが光を放つ。


 海なき世界で航路を示す。


「なるほどね、一定間隔で光を放つわけか」


 甲板に立つ俺はブリッジに光が示す方向に向かうよう即座に連絡を入れる。


 光の方角に進めば、渓谷に辿り着く。


 問題は、方向が分かろうと、距離が分からないことか。

 

 コンパスが一定間隔で光を放つ理由は、地震により度々地形が変化するからだろう。


 目的地が地震により移動すれば、常時光を放っていた場合、右に左にと右往左往する可能性がある。


 下手をすれば迷いに迷って辿り着き、物資を無駄に消費することに繋がりかねない。


 船内は、動く者と動かざる者の差が縮まりつつあろうと零とは言い難い。


 それでもどうにか前に進めているのは生活物資の備蓄がしっかりとあるからだ。


 食糧があるからこそ明日の飢えに悩まなくていい、水が飲めるからこそ明日の渇きに苦しまなくていい、薬があるからこそ病や負傷に対応できる。


 物資があるからこそ、明日の見えぬ今日でも心に余裕が生まれ前を向いて進める。


「さて、飯でも食うか」


 食える時に食っておく。これぞ生き残る上で必須の術だ。


 誰が死のうと、誰がいなくなろうと酷な言い方だが食わなければ生きられない。


 食えば生きられるからこそ俺は食堂に向かうのであった。

 

             *


 ティティスも誘ったのだが、件の装置が今なお分からぬと不貞寝の最中ときた。


 気が向いたら食べるとベッドの上からパタパタ羽を振っては俺を送り出していた。


「ふぃ~久々にまともな飯食ったな」


 俺は満足げに腹をさすりながら船内通路を歩く。


 物資回収が行えたお陰で非常食ありきだった船内の食事事情が大幅に改善された。


 あの大瀑布での戦の折り、俺が爆破連鎖にて叩き落とされた地下がなんと避難シェルターときた。


 数多くの物資が使われることなく眠っていたのだ。


「美味い飯ってのは生きて――って!」


 美味い食事は心に余裕を与えてくれると頷いた矢先、背後より寒気が貫き走る。


 俺はすぐさまグリップをポケットから引き抜き、大剣を展開させた。


「だ、誰もいない……」


 これで何度目だよ。ロッソが残した言葉もあってか妙に警戒心を際だたせてしまう。


(背後に気をつけろとか、まるで船内に裏切り者がいるみたいな言い方だよな、まるで先の展開を読んでいたような?)


 よく映画定番の裏切り展開だと背後から知らずに撃たれてそのままお陀仏。


 裏切る以前の問題として、俺やティティスを除く面々は、この船に集うまで、そのほとんどが縁もゆかりもない者たちばかりだで誰も裏切りの理由が見えないのだ。


「おう、兄ちゃん、飯食った後だから元気ですな」


 ふとキャプテンが大剣持つ俺の姿に笑みを浮かべている。


 ちぃとこっぱずかしくなった俺は大剣をグリップに戻すのであった。


「そっちは今から飯か?」


「ええ、あいつらさっさと食って来いって俺をブリッジから追い出したんですよ。俺船長なのにさ、もうちっと慕い敬えっての。それで今日の晩飯なんですかい?」


「肉だぜ、肉。それも牛だ」


 答えるなりキャプテンは目を輝かせる。


 そりゃそうだ。肉に心をときめかせぬ者はいない。


 有志の中に調理師がいたから大助かり。


 特に育ち盛りの子供たちは久々の肉に喜びのあまり飛び跳ねていた。


「今日は酒、飲んでないんだな?」


「おうさ、この前の戦闘で虚渦ぶっ飛ばしたでしょう? こうスカッとしたせいでさ、今まで飲んでいた酒がどうも普通の酒の味しかしねえんですよ。部下たちも同じ有様ですさ」


「なるほど勝利の美酒にもっていかれたと」


「そういうことですたい」


 いい傾向だと思った。


 酒浸りだった者たちが自らの活路を見出した。


 ならもっと美味い酒を飲ませないとな。


「まあ航海日誌書く時にちょびっと飲ませて貰ってますが、部屋いいんですかい?」


「ああ、船長室か。船長が船長室使わないでどうすんだよ?」


 今まで俺が自室として使っていた船長室はキャプテンに譲り渡した。


 船長が船長らしからぬ部屋では他のクルーに示しがつかないからだ。


 当然、俺はしっかり良い部屋を確保していたりする。


「ほれクルーは食うのも休むのも仕事だ。さっさと行かないと肉無くなっちまうぜ」


「そりゃそうですわ」


 俺とキャプテンが通路の真ん中で高らかに笑いあった時、食堂の方角よりガラス割れる音が響く。


 互いに顔を見合わせたのは次に尋常ではない喧噪がしたからだ。


 男同士が怒鳴り合っている声に、何事だと揃って食堂へと駆け出していた。


             *


「てめえふざけんじゃねえぞ!」


「どうせ飲まないのだろう、なら問題ないだろうが!」


 食堂に駆け込んだ時、一人のクルーが五〇代男の胸ぐらを掴んでいた。


 静まり返った食堂内で換気扇の音が一層に響く。


 利用者は何人もいるが、誰もが困惑した視線を向けている。


 俺は子供が一人もいない光景にどこか安堵した。


 大人のいじましさを知るのはまだ早い。


 喧噪の原因は二人の足下にある割れた瓶だ。

 

 空気の対流により酒特有のアルコール臭が俺の鼻孔を刺激する。


「おい、何の騒ぎだ!」


 キャプテンの張った声に男の胸ぐらを掴んでいたクルーが我に返ってはその手を離す。


「なにがあった。説明しろ!」


 明らかにクルーが男に殴りかかろうとしていたが、どうも原因は男のほうにあるようだ。


「サー! この男が俺の酒横取りしたんですよ! 次の虚渦ぶっ飛ばした時に飲もうと取っていた一品ですよ! 一品!」


「横取りは関心しませんですせ」


 事情を把握したキャプテンはクルーの怒りをなだめながら男と向き合った。


「飲まない酒になんの価値がある。飲んでやったほうが酒のためだ」


 うわっ、この男、ふてぶてしく開き直りやがった。


「だから虚渦ぶっ放した時の祝い酒だって言ってんだろうが!」


 クルーが拳ではなく言葉で返したためか、キャプテンはあえて止めなかった。


 ふと食堂利用者の小声を俺の耳が拾い上げる。


「ほらあの人、働かずに文句ばっか言っている人でしょ? 食事の量が少ないとか、子供が邪魔とか、風呂は先に使わせろとか言っている」


「そうそう、仕事の一つも手伝わないのに文句ばっかり言ってくるのよ。子供たちは一所懸命お手伝いしてくれているのに、邪魔とかどういう神経しているのかしら」


 動く者が増えてきたとしても、当然のこと、家族を虚渦で失ったショックで無気力に陥った者は今なお存在していた。


 動く者の中にも家族を失った者たちがいるからこそ、動く者が動かざる者を嫌うのは当然となる。


「だからって私物の横取りはダメだろう」


 見かねた俺は両者の間に割って入る。


 クルーたちの酒は避難時に持ち込んだ私物だ。


 ショッピングモールや大瀑布付近の街で回収した物資ではない。


 男は俺を凄まじい不機嫌面で睨みつけてきたが、圧が足りない。


 虫一匹殺せぬはったりに動じる俺ではなかった。


「絡み酒は喧嘩になるからやめてくれとしか俺には言えないな」


 船外退去とするのは容易い。


 退去者がその後、どうなるかなど想像に易い。


「お前に、お前に俺の何が分かるんだ!」


 男は激昴するなり俺の胸ぐらを掴む。


 キャプテンやクルーが引き剥がしに動こうとするも俺は手で制した。


 酒か、地か、荒れた鼻息が俺の肌を不快に触れる。


「ああ、分からないよ。あんたが以前、どんな生活をしていたか、どんな家族がいたか、どの職種でいたかなんて尻の毛一本すら知らないね」


 興味がないからではない。


 異邦人である俺としては、既に世界が滅亡一歩手前の状態では知りようがないからだ。


「あんただって俺の何が分かるんだ?」


 売り言葉に買い言葉だが、まさか虚渦と戦ってくれる便利人間とか思ってないよな?


 虚渦と戦ったのも、黄昏舵の鍵剣を手に入れた半ば成り行きの面が大きい。


 武器があったから使った。船があったから乗った。敵が襲ってきたから倒した。


 その根幹は生きたいからだ。死にたくないからだ。


 こうして生きているのも成功という偶然が連続しているだけだ。


「なんでもっと早く現れなかった!」


 男の声は怒りよりも悲愴に染まっていた。


 そんな悔恨、ロッソの件で散々味わったよ。


 早く現れていれば、多くの人を救えた。世界はまだマトモだった。虚渦対策を世界規模で実施できた。


 かもしれないが重荷となって何度頭をよぎったか。


「お前がもっと、もっと早く来ていれば、妻は、娘は!」


 男は俺の胸ぐらから手を離せば泣き崩れる。


 目の前にいる男は働かざる者ではない。


 家族を失ったことで無気力な動かざる者になった犠牲者だ。


 どうしようもない怒りと無念を抱え、他人に当たり、酒に走る。


 別におかしいことではない。人間だから起こり得ることだ。


「……今の俺からは生きろとしか言えない」


 泣き崩れる男は拳を握り震えさせる。


 けれど殴る行動には移さない。


 行き場のない震えだった。


「あんたの妻や娘がどんな人だったか、他人に語れるのはあんた一人だけだ。辛いかもしれないが生きろ。生き続けろ。生きて語り続けろ。俺が言えるのはこれだけだ」


 男はただただ泣き続ける。悔恨を散らさんと泣き続ける。


 俺は別に男が泣くなとは思わない。


 泣けない時に泣けぬ男は信頼できぬと親父の言葉をふと思い出した。


「酒についてはこっちでどうにかする。今回は穏便に済ませてくれ」


「に、兄ちゃんが言うのなら、まあ仕方ないな」


 回収した物資に酒類があったはずだ。


 物資管理の有志に頼んで酒を一本、クルーに回してもらおう。


 ビーチチェアとチェンソーの破壊の件にて、つい先ほど、少々お叱りを受けたから顔を合わせにくいのだが、うん、易いプライドだ。


 俺は食堂担当の有志に、男が自ら落ち着くまで待って貰うよう頼んでは食堂を後にする。


「ん?」


 気配に対して敏感になりすぎている。


 俺が食堂から一歩出た時、エリュテが身を翻して通路の影に消えたのを目撃する。


「エリュテ?」


 渓谷に同行するといい、こうして物陰から様子を伺うといい、エリュテの本心が読めなかった、見えなかった、分からなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る