第20話 ブリーフィング
――空気が重い!
ブリーフィングルームにティティスと共に足を踏み入れた俺は心の内で叫ぶ。
室内にはキャプテンを筆頭に、雑誌や新聞などのライブラリから虚渦を独自に調査していた面々が集っている。
その調査メンバーの中にエリュテがいるのだから空気が重い。
重い空気が休憩で引っ込んだはずの疲労を心労に変え、俺にのしかかってきた。
『なんでこれがいるのよ』
おい、ティティス、重い空気を起爆剤にする発言は止めろ!
今さっき、ぶつかってみろとか言っておきながら、自分は砕きに来ているぞ!
当然のこと、これが自分を指していると気づかぬエリュテではなく、鋭く睨みつけてきた。
「これで悪かったわね。殴るだけしかできない球っころと違ってこっちは色々と調べていたのよ」
『あぁん! 誰が球っころですって! 表に出なさいよ、粉砕骨折で生き地獄味合わせてあげるわ!』
「ええい、ブリーフィング始めるぞ! <モア>始めてくれ!」
『……イエス、マスター』
俺は両者の間に割って入っては強制的にブリーフィングを始めさせる。
了承する<モア>の音声がしようと、不満が駄々洩れである。
理由は当然、約束したメンテナンスがまだだからヘソを曲げているのだ。
「物資や水は無事手に入った。次なる目的地だが……」
仕切り直すように俺は赤いコンパスをデスクの上に置き、冥府の亀について皆に打ち明けた。
「冥府の亀ですかい。ならそのコンパスが示した行き先は……」
「十中八九、シールズグラウンドの一つ、底の見えぬ渓谷だと俺は思っている」
「その渓谷、虚渦との戦闘が発生するでしょうね」
エリュテはやや膨れた声を発しながら、デスクに開いたファイルを置く。
新聞や雑誌の記事をスクラップしたもので、どれもこれもシールズグラウンドから観測不能のデータを検出したとの記事ばかりだ。
「虚渦がシールズグラウンドから現れのは確かよ。けど、七ヶ所あるシールズグラウンドから唯一虚渦が現れなかった地点があるの」
その地点こそ、光すら届かず底の見えぬ渓谷ってわけか。
ならば、やはり冥府の亀は虚渦と考えて間違いないわけだが、今の今まで無の化身だった虚渦が話をしたいなど訳が分からない。
「……その光すら届かず底の見えぬ渓谷ってのはどういう場所なんだ?」
この世界の知識に疎い俺は改めて皆に聞いていた。
地形を知ることは虚渦との戦闘で有利不利になるし、上手く行けば物資を回収できる可能性だってある。
この手の地域には避難施設とかがあるわけだしな。
「あんた、それぐらい自分で知っておきなさいよ」
「まあまあエリュテさん」
呆れるように鼻先で笑うエリュテを調査メンバーの一人がたしなめる。
『がるるるる!』
「あ~よしよしよし!」
一方で今にもエリュテに殴りかからんとするティティスを俺は抑えていたりした。
「今更だと指摘されるかもしれないが、今だからこそ改めて知っておきたいのだ」
「ん~あの大瀑布と例に漏れず観光名所なんですが、危険度は瀑布とダンチの差があるんですよ」
ここで助け船を出すのは船絡みだけに船長だ。
「この渓谷は今でも谷底に至ったもんが誰一人もいねえんですよ。観測機器を降ろしても意味はなく、どれほど深いのか、底に何があるのか。何度も調査隊が入ろうと途中で諦めて帰投するか、誰一人帰ってこないかの危険地帯の一つなんですさ」
ふむと俺はティティスの頭(?)を撫でながら天井を見上げては軽い嘆息を零す。
「<モア>ちょっと聞くけどよ、この船は山登れるか?」
登れるかと逆に聞くのは敢えてだ。
『無茶言わないでください』
「だそうだ」
俺は早々に肩をすくめる。
船頭多くして船山に登るは流石の別世界でも無理なようだ。
『この船は陸上航行船です。水上や砂上、果ては氷上の移動は船ですから可能ですけど山登りなど想定していません』
<モア>のご機嫌は今なお治らず鎮まらず。
機嫌を直すにはメンテナンスだが、どこでする?
ドッグと遭遇できればいいんだが、灰化世界に期待するだけ無駄だとうっかり零せば、航行拒否のストライキーに入る可能性が高い。
「調査するにしても問題はどうやって降りるかですさ」
直に降りるのがベタだが、深度が把握できぬ以上、悪手だ。
もし底にたどり着いたとしても、船が虚渦に襲撃されては目も当てられない。
なにしろこの手の上がる・下がるは、下がるより上がるほうがリスクは高い。
スキューバーダイビングがいい例だ。
深度が深いほど肺は水圧の影響を受ける。ゆっくり急速に浮上すれば問題ないが、急速に浮上しようならば肺を破裂する。
海釣りで釣った魚の中には目玉が飛び出しているとかいるだろう?
あれも水圧から解放された影響で目玉が飛び出してしまったからだ。
もちろん肺も目玉も水中での話だが、未踏破の底に何があるか分からない。
地球での知識を別世界で役立てても過信はするな。
「まさか渓谷から誰一人戻ってこなかったのは冥府の亀に食われた、からとかじゃ?」
調査メンバーの一人が声に怖気を乗せる。
咄嗟の思い付きで口に出す前に、ちぃと考えて物を言ってくれ、会議が止まるだろう!
「話をしたがっているんだ。仮に降り立ったとしても早々食わねえだろう」
食うか、食わぬかの確証も保証もない。
ただ現状、状況的証拠から警戒するに留まるしかなかった。
『まあ食おうとしたらその甲羅粉砕してあげるわよ』
ティティスの頼もしい声に俺は自然と頬を緩ませる。
頬を緩ませたのも束の間、エリュテから放たれる冷めた視線に頬を引き締めねばならなかった。
「……それで、この赤いコンパスは使えないの?」
やや声を膨らませたエリュテが聞いてきたが、残念にもとしか俺は答えられない。
「あっそ、使えないわね」
ファイルを閉じる音と呆れ声が重なる。
「使えないいうか、使い方が分からないが正しい」
俺が飄々と言い返すと同時、ひらりとファイルから一枚のスクラップ記事が飛び出してきた。
「おおっと」
舞落ちる木の葉のように落ちる記事を俺は咄嗟に掴み取る。
「なんだ、これ……?」
記事には印刷文字とは異なる手書きの文字が書き記されていた。
(この字、日記の最後に書かれていた文字と癖が似ている……)
ショッピングモールで回収した日記は部屋に置いたままだ。
まさか再び目にするとは思いもしなかった。
<銀の災厄は手放すな・数え間違えるな>
「こんな記事、集めた覚えないわよ」
俺の疑問にエリュテは一瞥だけして困惑気味に返す。
ただ警告染みたメモに疑問が沸く。
「銀の災厄って何だ? 虚渦のことか?」
知らないわよ、とのエリュテからの眼圧に俺は押し黙る。
俺が前線で戦っている間、机の上であれこれ知識を武器に戦っているのだ。おいそれと言える立場ではない。周囲の面々も、俺が強く言えぬ理由を察しているのだから室内に重い沈黙が降臨するのは必然であった。
「<モア>、ちょっと聞くけどよ。この手の深い谷底で調査とか前回の踏破であったか?」
沈黙を破らんと俺は声を振り絞って<モア>に質問をぶつける。
『一応、似たような深き谷底を踏破した記憶はあります。記録には。ですが当てになりませんとだけお先に伝えておきます』
「えらい含みあるな。参考にしたいから答えろ」
この船の設備で調査ができるのなら儲けだが、<モア>の返答具合からして不機嫌さと嫌悪が混じっている。
『そのままダイブしました』
はい終了! 次行こう。次! ダメだ。ドストレートすぎて参考にすらならねえ! 親父たち破天荒すぎるだろう!
「ん? そのまま? 安全器具とかつけずにダイブしたって風には聞こえないが」
俺は発言に違和感を抱く。
ギアには精霊の力が宿されている。
だからこそただの人間は超人的な力を扱える。
降下装置も安全器具も一切必要とせず生身でのダイブを可能とするだろう。
懸念される帰り道も普通に駆け上れば問題ない。
『言葉通りです。そのまま船でダイブしました』
唖然とした空気がブリーフィングルームを支配する。
ああ、<モア>の機嫌がどことなく悪くなるはずだ。
船が満足な形で現存していたのを踏まえれば、着地と帰還に成功したことになる。
『帰りは帰りで垂直航行させられる羽目になりましたよ』
当時を思い出したのか<モア>は、か・な・り! ご立腹である。
もっとも可能ならば行動を起こすのが人間の性だ。
「ならさ、<モア>……」
『二度目なんてやりませんからね! やるというのなら私は自らを封印して閉じこもりますからね!』
ハンスト抗議を予告された。
一応は<モア>抜きでも航行可能であるが、黄昏踏破船<トア>の機能を十全に発揮するには<モア>とクルーの連携が必要不可欠である。
「ん~なら俺一人で谷底に降りるのが妥当だが、船の護衛はどうするか」
「な~に、船のことは俺たちに任せてくれりゃいいさ。だから安心して行ってきたらいい」
キャプテンが俺の背中を押す。
一隻置き去りにする気の重さがあるも、先の虚渦戦においてこの船は撃破するだけの大金星を上げた。
船を離れる不安もあるが、今のクルーたちなら俺不在でも船を守れるはずだ。
懸念されていた船の稼働問題も<モア>が起動している限り、黄昏舵の鍵剣が離れていても問題ない。
ともあれ今後の方針は決まったと思った矢先、意外な人物が異論を挟む。
「一人で行くのは反対するわ」
エリュテが異論を挟むなど本当に意外だった。
てっきり勝手に行けば言うとばかり思っていたからだ。
『ならイチカが人間の入ったコンテナ背負って駆け下りろってこと? 文字通りお荷物じゃないの』
黄昏舵の鍵剣やギアの恩恵により理論上は可能だろう。
ただし乗り心地は最悪、機内食及び各種保証なし。
トイレもないから、よっぽど図太い神経でなければ耐え切れず、万が一戦闘になればコンテナ内は地獄絵図だ。
「冥府の亀がなんなのか、どうして世界は灰化したのか、この世界の人間として直に問い質す必要があるわ」
「おいおい、嬢ちゃん、それって」
エリュテの発言に勘づいたキャプテンが狼狽する。
当然のこと俺も勘づいたが、脳内でありえぬとの否定が表情の反応を遅らせる。
「私が同行するわ。異論・反論は認めない。い・い・わ・ね!」
エリュテは今一度、俺とティティスを見据え、その眼光は拒絶の言葉を出させなかった。
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