第19話 頭では分かっていても

『給水ポンプの作動を確認。ただ今より給水を開始します』


 <モア>の報告音声が船内に響き渡る。


 現在、黄昏踏破船<トア>は大瀑布より下流の河川に停泊中。


 船体より伸びた給水ポンプでクルーたちが給水作業を行っている。


 また廃墟のほうでも別の班が物資回収を行っていた。


 二度あることは三度ある通り、俺は別なる虚渦の襲撃を警戒して護衛を申し出たが、有志たちから大丈夫だから休んでいてくださいと押し切られる。


 もちろん万が一もあるため、危機があれば即座に知らせるのを条件に物資回収に赴くのを許可していた。


             *


<冥府の亀があなたを待っている。あなたとお話ししたいと待っている>


 俺は倉庫から引っ張り出したビーチチェアを見晴らしの良い甲板に置いた。


 身体を横たわらせれば、謎の声を脳内で思い出す。


 光が指し示した先に何がある?


 冥府の亀とは何か?


 ギアの欠片は黄昏舵の鍵剣に毎度吸い込まれ、コンパスは光で方角を示した後、ものの一〇秒で光を潰えさせた。


『あ~これいいわ。これ気に入ったわ~』


 ビーチチェアと一緒に引っ張り出してきたテーブルの上では、ティティスがうっとり惚けた声を出している。


 虚渦であった根っこを切り倒すのに使ったチェンソーに頬刷りしているから俺は困惑気味に渋面を作るしかない。


『このチェンソーがあの時あればあの姉たちをバランバランにできたのに』


 気に入ったのは結構だが、チェンソーは武器じゃなくって工具だぞ。


 そりゃさ、ホラー映画やゾンビ映画とかでは定番と言われるほどの武器だが、工具だから。使うのは木とかだから、人とか精霊に使っちゃダメな奴だから。


「というか、そんな物騒なもの、早く倉庫に置いてきなさい」


『え~いいじゃないの。燃料はとっくに切れているし、カバーだってしっかりしているんだから、もう少し堪能させてよ』


 懇願するティティスの目(?)に何故か俺は根負けしてしまう。


 理由はよくわからん。まあ燃料もなく、回転刃にしっかりとカバーをしているからと己を納得させた。


「ともあれ、水も物資も補給出来てしばらくは大丈夫だろう」


 次に補給できる日はいつか、もしやこれが最後の補給となるのか、それは誰にも分からない。


 それでも今を生きられれば次に繋げられる。


『イチカが撃破した虚渦は青球と根っこを入れてこれで四つ目。残るは二つのはずよ』


 ティティスの経験談を踏まえれば確かに、残る虚渦は二つ。


 日記や避難民の情報からすれば世界に七つあるシールズグランドのうち六ヶ所から虚渦は出現した。


 波の数は六つ、渦の数も六つ。無に還す同等異質の存在だと考えればおかしくはないだろう。


 だが、お約束を踏まえれば、虚渦が出現しなかったシールズグランドに七体目の虚渦が潜んでいる可能性だってある。


「冥府……あの世とか言うが……」


 では今一度シールズグラウンドを思い返してみよう。


 世界七カ所にある人類禁足地――シールズグラウンド。


 誰一人とて帰ってきた者がいないからこそ立ち入りを禁止された地。


 水飛沫一つですら鉄を貫く瀑布。


 常に稲妻と竜巻がせめぎ合う山脈。


 五感を狂わす霧が覆う森。


 熱砂が激しき津波の如く押し寄せ続ける砂漠。


 あらゆるものを一瞬で腐敗させる永久凍土。


 踏み込む者を容赦なく凍結させる活火山。


 光すら届かず底の見えぬ渓谷。


 ん、底の見えぬ渓谷だと!


「……光すら届かず底の見えぬ渓谷か!」


 その渓谷なら冥府に例えられる。


 ならこの赤いコンパスは光すら届かず底の見えぬ渓谷の方角を指していた可能性が高い。


『だとしてもイチカ、その亀ってのがあんたと話をしたいらしいって話だけど、虚渦なら戦闘は避けられないわよ』


「それもそうなんだよな。話すだけ話して決裂させて、はい戦闘とかよくある話だし」


 いやでもな、今まで遭遇した虚渦との交戦経験を踏まえれば、虚無の化身と言葉を交わしたことなんて一度足りもない。


 冥府の亀が虚渦でないのなら……――


「亀は精霊か?」


『あ~その可能性もありそうだけど……ん~? 亀の精霊なんていた覚えないわね』


 ティティスに覚えがないだけで、この灰化世界のどこかに他の精霊がいる可能性も否定できないから困る。


 ふとティティスが姉たちとの戦いを時には自慢げに、時には苛立ち混じりにと話してきたが、姉の中には飛び道具や爆発物などの使い手がいたのを俺は思い出す。


 今まで遭遇してきた虚渦の攻撃と何故か重なった。


(最初に遭遇した骨の虚渦はビームをぶっ放してきた。さっき襲撃した球の虚渦は爆発してきた)


 偶然の一致なのか、それとも必然なのか?


 虚渦の総数を七と仮定すれば、精霊七姉妹の数と合致する。


 しかもティティスは七姉妹の末っ子だ。


 まさか、虚渦の正体は精霊女王の娘たちなのか?


 出現した虚渦が六つなのに納得できるし、その場合、ティティスは――いやいや、仮にそうだとしても人間を襲う理由が浮か、ぶ……うん、浮かんでしまった。


(この世界が精霊から人間へと移り変わった世界だと仮定すれば、精霊は己の世界を取り戻すために、虚渦で人間世界を無にした……)


 証拠もなく考えるな、確証なく推論を立てるな。それは妄想だ。ただの空想だ。


 ティティスは仲間だ。苦楽を共に歩んできた相棒だ。


 出会わなければ今なお暗闇の中を彷徨い続けてきた。


 その拳の速さと威力がなければ切り抜けられぬ窮地があった。


 落ち着け、落ち着け、疑心は暗鬼を生む。


 親父が言っていただろう。精霊女王は未来視で波とは違う渦が世界を滅ぼすのを見たと。


 剣や船だって未来への保険として隠されてきたものだ。


 なんで俺は相棒に疑心を抱いてしまってんだ?


「疲れ……」


 脳が戦闘の興奮で今なお冷めやらぬせいか。


 思考の熱暴走を起こし、あれこれいらぬことまで考えてしまっているようだ。


 何か飲んで落ち着こう。


 食堂で飲み物を取りにいかんと俺はビーチチェアから立ち上がった時、けたたましいモーター駆動音が背後から響き渡る。


 俺の身体は振り向くよりも先に、培われた勘に突き動かされ前へと飛び出してしまう。


「うお、危っな!」


 着地と同時に振り返った時、チェンソーの刃がビーチチェアの背もたれを突き破る光景に絶句するしかない。


 不幸中の幸いか、チェンソーはビーチチェアの背もたれを突き破った姿で稼働を停止させていた。


「ティティス、お前、危ないだろう!」


 心臓バクバク、冷や汗ダラダラ、歯車ガキガキンの俺は怒声を上げる。


『え~ちょっと待ってよ。それ、燃料切れでもう動かないはずよ! なのになんで動いてんの! カーバーだっていつの間にか外れているし!』


 た、確かにそうだ。燃料はともかく回転刃にはしっかりとカバーがされていたのは俺もこの目でしっかりと見た。


 ティティスが安全管理を怠るとは思わない。


「ならなんで動いたんだ、これ?」


『こっちが知りたいわよ』


 底冷えする寒気を感じながら俺とティティスは用心のためチェンソーから距離を取る。


 更に用心を重ねてティティスが拳圧を放つも、チェンソーはビーチチェア共々粉砕されるだけで、異常らしい異常は見受けられなかった。


「……ただの刃物とかだったら死んでいたな」


 チェンソーのモーター駆動音がなければ気づかなかった。


 何故、俺はこんな言葉をポロリと零したのか、釈然としない。


「とりあえず片づけるか」


『そうね、片づけましょうか』


 釈然としないが考えても切りがない。


 俺とティティスは互いに頷き合えば、甲板に散らばる破片の片づけに入る。


『ねえ、イチカ、気づいてる?』


 あれやこれやと破片を拾い集める中、ティティスが小声で囁いてきた。


『さっきからじーっとこっちを見ているけど?』


 気づいていると俺は声に出さず頷き返す。


 破片を拾う傍ら、ちらりと横目で流し見ればエリュテが通路の影からこちらを不機嫌面で覗き見ている。


『手伝いに来たってわけじゃなさそうだけど』


 手伝う理由がないだろう。むしろ俺と言葉を交わすどころか、近づくのさえ嫌悪している奴だぞ。


 理由は当然、俺がエリュテの兄ロッソを殺したようなものだからだ。


『大方、チェンソーで死ねば良かったのにとか思ってんじゃないの?』


「思ってもそんなこと口に出すな。品の無い言葉を口に出し続ければ、心まで品がなくなるぞ」


 俺はティティスの悪態を言い咎める。


 姉嫌いの末妹にいつも言っていることだが、言葉は心の銃弾だ。


 一度放たれれば心に突き刺さり、二度と元には戻らない。

 

 そして品の無い言葉は自ずと己を品の無い人間に堕とす。


『なによ、その言いっぷり、お兄ちゃんですか、イチカは~?』


「ええ、そうですよ、お兄ちゃんですよ。姉・俺・妹・妹・弟・弟のお兄ちゃんですよ」


『……あたし七姉妹の末っ子。よし六対七であたしの勝ち』


 なんちゅう勝負だ。兄弟姉妹の数は戦闘力かよ。


「とにかく、悪口禁止。一応、同じ船で共に虚渦と戦う仲間なんだ。どうにか好転しつつある状況での諍いはダメだ」


『言っておくけど、あの女がイチカを殺しかけたこと、あたしは許したわけじゃないわよ。相棒を殺そうとしたのに、謝罪の一つもないなんて品がないのはどっちよ』


 俺は頭を抱えながらため息一つ零した時、自己紹介を思い出した。


 ――相手が礼を尽くすなら礼を。無礼を尽くすなら無礼を。それがあたしのスタイルなの。


 義理堅く鏡のような性格なのも問題だな。


「もし、仮にティティスがそうなった時、俺だってエリュテと同じことをしていたはずだ。不幸な事故とは言わんが、銃で撃たれた件はもう済んだことなんだ。俺は気にしていないしもう許している。いつまでも引きずってちゃ前に進むものも進まんからな」


『と言っている割に、あんたこそ内心では引きずっているじゃないの』


 ティティスの指摘に俺は言葉を詰まらせるしかない。


 直接の原因ではないにしろ、一末の責任は感じていたりする。


『まあ、あたしが一つ言えるのは、一度真正面から無理にでもぶつかってみることね』


「話し合えってか……それが仮に順当だとしても、歩み寄る気がないなら意味はないよ」


 きっかけ一つでもあれば互いにある溝を埋められるのだが、いかせんきっかけの欠片すらないのが現状である。


 なんかこう磁石だ。歩み寄ろうとして一歩前に進むも、相手は反発して一歩下がる。近づけば遠ざかるの繰り返し。


 心変わりすれば互いに歩み寄れるだろうが、いかせん人の心が磁石の如く簡単にはくっつかない。


『おう、兄ちゃん、今後についてあれこれ決めたいからブリーフィングルームまで来てくれ』


 船内放送でキャプテンからの呼び出しがかかる。


 その時には俺とティティスは破片を集め終えていた。


「さて行きますかね」


「そうね、冥府の亀についてもみんなに相談しないと」


 エリュテとの関係修復は必要だが、現状急務なのは今後の方針だ。


 頭では分かっていながらも、心は逆だと訴えていた。

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