第16話 七つある封印されし大地
――残り五日……
食い物はある。衣服もある。娯楽もある。
ただ水だけがない。飲むにしろ、料理に使うにしろ、風呂に入るにしろ、命の源である水が足りない!
今はどうにか切り詰めて節水しているが、少しずつ船内に不満が溜まっているのが嫌でも感じ取れる。
「どこで水を補給する……」
ブリッジの椅子に一人座る俺は解のない問題に頭を悩ませていた。
解決を困難とさせるのは正面窓より広がる灰化世界。
高き山は消え、海さえ干上がったこの世界で水どころか食糧すら補給できる可能性はゼロに近い。
雨が降れば水を確保できる。
海さえあれば船内の海水淡水化装置で水を確保できる。
だが、両方とも世界灰化の影響で、海は干上がり、雨など一滴も降らずただ晴天が続いている。
最終目的地が楽園だとしても、現状当てのない航海だ。
もし水や食料、生活必需品が万全にあるとしても消費される以上、いつか必ず底を着く。
「都合よく、どこかに物資が残っていればいいが……」
虚渦の襲撃にて生活圏が壊滅している現状。
物資がある場所には必ずや避難民が集っているはずだ。
その場合、放置などせず最優先で船に迎え入れる。
もちろん善性で物事を考えた場合。
いや、場合によっては船の皆を活かすため、他を切り捨てる決断をしなければならない。
「いや、すべきではない。しちゃいけないんだ」
俺は自戒と自制を込めて強く己に言い聞かせる。
切り捨てるのは容易かろうと、他を切り捨てる選択をするならば、それ即ち己すら切り捨てる選択をしなければならない。
――損得と現状を考えろ。
如何にして生き残るか、如何にして楽園にたどり着くか。
確かに考えるべきだが、地震にて地形が変化し続ける現状、海図など当てにならない。
出口のない迷路を彷徨っているのと同じだ。
「おう、兄ちゃん、随分と悩んでんな」
ふと俺の思案を止めるのは壮年の声。
振り返れば飲んだくれ集団がブリッジ前に集っている。
訂正しよう。彼らから酒臭さが一切しない。
「酒臭くないから誰かと思ったよ」
「がっはっは、ひでえな。これから忙しくなるから酒はしっかり抜いてきたんだぜ?」
ほんの最近まで酒浸りだったとは思えぬほど、その目に活力が宿っている。
その笑い声は酒があってもなくても同じようだ。
「ただの酒は飲み飽きたしな、兄ちゃんの言う勝利の美酒が飲みたくなったのさ」
そうか。ならぶっ倒れるまで飲ませてやらないとな。
俺は天井に向けて一声あげる。
「モア、この船には航行演習の教本はあるのか?」
『前のマスターたちが使用したものがしっかりと私の中に保存されています』
「おう、一通り見て回ったがすげー船だからな。しっかり乗りこなしてやるさ」
「よしこの船のマスターとして……ええっと名前は?」
「ガレルド。それがわしの名前よ」
「よし、ガレルド、マスターとしてあんたを船長代理に命じる。頼むぜ、キャプテン!」
「がっははは、キャプテンなんて呼ばれたのは久々だよ。よし野郎ども、配置につくぞ! 航海演習の開始だ!」
『アイアイサー!』
誰もが敬礼をしては慣れた足取りで配置につく。
本当に飲んだくれだったとは思えぬほど、誰の目も活き活きとしていた。
*
演習を開始して一時間ほど経過した時だ。
やはり誰も彼もが経験者だけに、<モア>の指導があったとしても真綿が水を吸うように運航をものにしている。
基本的に黄昏踏破船<トア>の基本操舵は俺の知る船舶と運用法は変わらない。
ただ船舶の運航は自動車を運転するのとはわけが違う。
一般の船と異なるのは陸上を航行すること、索敵や火器が対波用に開発されたからこそ、同等異質の虚渦を広範囲で探知できるし、砲撃も通用する。
精霊ってファンタジーな存在だから機械文明と関り薄いと思えば、人間世界と遜色のない船を建造するのだから、作り出す文明水準の高さに舌を巻くしかない。
もしかしなくても親父たちが建造に関わっている可能性だってある。
指揮を出す船長に、舵を預かる操舵士、索敵担当の管制官、機関を預かる機関士、整備する整備士。健康管理や診療を担当する衛生長、艤装が施されているからこそ火器管制を担当する砲雷長と、船の機能を十全に発揮するにはどれも欠けてはいけない者たちだ。
「キャプテン、右一二〇キロメートル・高度一万メートル上空にて動体反応を確認しました!」
索敵担当の報告にブリッジは緊張に包まれる。
高度一万キロメートルなんて、飛行機が飛んでいる高さだぞ。
どこぞの誰かが奇跡的に残った飛行機でも飛ばしているのか?
「えらい小さいですね。虚渦の反応はありません」
えらく小さく、高く飛んでいるだと、まさか……俺の記憶を刺激し、口から指示を弾き出させる。
「正確な姿形は分かるか?」
「え、えっと……望遠システムを起動させます。正面モニターどうぞ」
各種計器や観測データを表示させるモニターの一つに望遠映像が映る。
俺の予測通り、一匹の黒き鳥が空高く飛んでいる。
ただの鳥ではない証拠として、三本足であることだ。
「やはりヤタガラスか」
「ヤタガラスって、アシハラにある伝説のカラスじゃないですかい」
「ええ、ゴールに導くとかでサッカーのアシハラ代表のエンブレムに使われている鳥ですよ」
ふむと俺は軽い嘆息。話の内容からして、アシハラ=日本に該当すると考えていい様だ。
共通するものがあるならば説明の手間が省けていい。
「灰化した大地に放り出された時、俺はヤタガラスを追えば、四回の地震を経てショッピングモールに辿り着いた。今回も辿り着くべき目的地があると考えていい……だけど!」
安息の地であるという保証は何一つない。
「ショッピングモールでの経緯は知っての通り、その後、俺たちは虚渦の襲来を受けた」
「なら戦闘は避けられないですな」
キャプテンは声に緊張を乗せながら船内放送のマイクを手に取っていた。
「あ~あ~テスト、テスト。わしの名はガレルド、ちぃと少しまで飲んでくれていた元船乗りだ。本日よりわしはイチカの兄ちゃんより船長代理に任命された。航行は安心せい、クルー全員しっかり酒は抜いとるわい」
各ブロックにいる者たちへの挨拶はほどほどにキャプテンは本題に入る。
「現在、この船はとある鳥を追跡中である。兄ちゃんの実体験により、その鳥はヤタガラス、アシハラにいる伝説の鳥だと判明した。兄ちゃんは鳥を追ってショッピングモールに辿り着いた前例を踏まえれば、鳥を追った先に生きた施設がある可能性が高い。だが、皆も知っての通り虚渦の襲撃を受けたのはご存じのはずだ」
必ずや虚渦との戦闘が起こる。
もちろんヤタガラスを追わぬのも選択の一つ。
けれど、水の備蓄が底をつきかけている以上、少しでも生き残れる可能性の高い選択――ヤタガラスを追うべきだ。
どっちにしろ、虚渦との戦闘は避けられない。遅いか、早いかの差だ。
「戦闘により激しい揺れが予測される。各員は物資の固定を、非クルーは室内に避難を行うように。以上、終わり」
船内放送を終えたキャプテンはふ~と一息つく。
練度の問題はどうしても避けられないが、この状況で贅沢は言ってられない。
「ほぼぶっつけ本番だが、もし虚渦との戦闘が起こったならば適切な距離をとってくれればいい」
船からの砲撃はあくまで援護。
実戦経験が皆無だからこそ無理強いはできないし、船内には非クルーだっている。
船が轟沈させられては目も当てられない。
*
それから六時間後……ヤタガラスは空に溶けこむ形でまたしても、その姿を消した。
「こいつは壮観だな……」
俺たちは望んでいた目的地にたどり着くことができた。
辿り着いた場所は、カナダにあるナイアガラの滝が霞んでみるほどの大瀑布ときた。
かなり距離があろうと水しぶきが高く舞い上がっているのを確認できてしまう。
「よりにもよってこの場所に来るとは」
潤沢な水が満タンで手に入るチャンスだというのにキャプテンや他のクルーの表情はどこか厳しい。
「この場所がどうかしたんだ?」
「世界に七つある封印されし大地――シールズグラウンドの一つですよ」
大地? ふと俺の脳裏でショッピングモールで翻訳した日記を思い出す。
ぞっと瞬時に怖気が素肌の産毛を逆立ててきた。
「おい、まさか、虚渦が出て来たっていう大地のことか!」
俺の英語力の低さもあって正確には翻訳できなかった。
キャプテンたちの苦い表情からして、俺たちは虚渦の出現地点に辿り着いたことになる。
「ええ、この瀑布は旱魃で他の河川が干上がろうと観測史上、一度たりとも水が絶えたことがない場所なんですさ」
瀑布の底がどうなっているのか、どこから大量の水が溢れ出ているのか、考えると地味に凄いな。
最古の戦争は水場争いだというが、無尽蔵な水の利権を巡って争いが絶えてなかったのは安易に予測できる。
「調べれば地球の神秘とか分かりそうだが、なんで、ここ封印されてんだ?」
「国際的に禁止なんですよ。危険すぎますから」
世界に七つある封印されし大地。
水しぶき一つですら鉄を貫く瀑布。
常に稲妻と竜巻がせめぎ合う山脈。
五感を狂わす霧が覆う森。
熱砂が激しき津波の如く押し寄せ続ける砂漠。
あらゆるものを一瞬で腐敗させる永久凍土。
踏み込む者を容赦なく凍結させる活火山。
光すら届かず底の見えぬ渓谷。
「昔は調査とか冒険とか向かう人間がいたんですがね、誰一人戻って来ないから危険地帯として、一〇〇年前に封鎖することが国際条約で定められたんですよ。大統領でも踏み込めば実刑は免れないほどの重い罪が課せられますわ」
人々は危険すぎる故、人類禁足の封じられし大地、シールズグラウンドと呼ばれるようになった。
俺はブリッジから双眼鏡でズタボロとなり倒壊した建造物を覗き見た。
「封印されたとはいえ、まるまる都市が形成されているが……」
建造物からして都会と遜色ないようだが、今では爆撃にあったかのような見るも無残な廃墟が広がっていた。
「あの都市は大瀑布で有名な観光地なんですさ。別に踏み入るのが禁止なだけで、水を取るとか遠目から見るとかは禁止されていませんからね。それに、ですたい」
立ち入りは禁止だが、観光資源化はOKとか、法の抜け穴かよ。人間の逞しさに俺は感動してしまうね。
と呆れるのもほどほどに、俺は重みを増したキャプテンの声に、ここから本題だと察知する。
「この地域は昔から幕府が原因の水害に遭ってきただけに、災害時の避難施設は相応に整えられているんですよ」
災害に備えるのは世界が異なろうと同じようだ。
ただ本題はこれから。
要は俺たちはその避難施設に入り込み、物資を確保する。
墓荒らしのような複雑な気分だが、物資が生者の糧か、死者の供物となるか。
現状は前者、つまり今の俺たちに必要不可欠なものだ。
「近隣一帯の生体反応及び動体反応、ありません」
生存者がいれば船に招き入れるが、残念にも索敵から重い声が響く。
この船に避難できた者たちは幸運だったと思うべきか、思わぬべきか。今思索することではないと切り捨てる。
『イチカさん、こちらの準備が整いました。いつでも降りられます』
格納庫から有志からの通信が入る。
この人たちは危険を承知で物資回収に名乗り出てくれた。
「分かった。俺もすぐ向かう。というわけでキャプテン、後は任せた」
「おうよ、大船に乗ったつもりで任せときな!」
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