第二章:希望汚染

第14話 動く者と動かざる者

 親父は厳しかった。


 小学生の頃、仕事ばかりで家で顔を合わせた記憶はほとんどない。


 休みの日となれば、姉や教育係ではなく、親父が直々に敷地内の道場で朝は鍛錬、昼は夕方まで勉学を教えてきた。


 鍛えられたお陰で家柄故、不条理に絡まれても撃退するだけの力量と精神が培われた。


 家族写真に写る親父の表情はどれも険しく、お袋はそんな親父に何故か苦笑するばかり。


 授業参加や運動会には来てないと思えば、隅っこからしっかり参加していたりするなど行動に疑問がある。


 今より九年前、妹が生まれた。


 生まれながらの小さき妹の小さな手は両親ではなく俺を掴んで離さない。


 親父が抱き上げればギャン泣きし俺が抱き上げればケロッと泣き止みキャッキャと笑う始末。


 その度に親父の眉間は険しさを増していた。


 成長し活発さが増せば妹はさらに顕著となる。


 気づけばベッドどころか風呂に入ってくるわ、俺限定でわがまま言い放題だわ、弟たちと連んでは俺に総出で抱きついてくるわと俺からしてはたまったものではない。


 親父の眉間の険しさが増したことは言うまでもない。


 ある夏休み、二人でキャンプに行くと告げられる。


 当然のこと、のけ者だと妹のギャン泣きで出発が少し遅れたが後日俺が遊園地に連れて行くことでケロリと機嫌を治す。


 行き先は水道やトイレの整ったキャンプ場ではなく、瀬戸内海のとある孤島ときた。


 父親と息子二人だけのキャンプ。他の家族どころか使用人一人も連れず、一週間の野営が始まった。


 ずっと寡黙だと思っていた親父は楽しそうに様々なやり方を実演しながら教えてくれた。


 まずテントの場所選びから組み立て方、ナイフの使い方、水の探し方から魚の釣り方、薪の集め方、火の起こし方、野鳥を捕まえ解体して料理した。


 いつもと勝手の違う生活だが過酷じゃなかった。


 仕事で多忙な父親の違った一面を見られたからかも知れない。


 夜は寝袋を並べて眠る。


 その時、友達がどうとか妹にアイスをおごらされたとか、他愛もない日常を親父に語っていた。


 肝心な親父は、そうかとか、ああと素っ気ない反応。


 子供への情が欠けていると思ったけど、ふとここで親父に苦笑するお袋の顔が浮かんだ。


 こうして寝袋を並べて無愛想ながらもしっかり話を聞く親父の心情に気づく。


 この親父、ただ単に感情表現が苦手なだけなんだ。


 どうしようもなく不器用なんだ。


 生まれた娘が父親の自分よりも息子に懐いているのに複雑な心境を抱いているんだ。


 キャンプは家では学べぬ多くを学べた。


 そして親父の言葉は俺の行動原理の根幹となる。


『動けぬ弱者になるな。動く強者になれ』


 水を探すにも、魚を釣るにも動かなければ始まらない。


            *

『あ、ようやく起きた!』


 重い瞼を開ければティティスの姿が大きく映り込む。


「あ、俺、寝てたのか……」


 目が覚めれば見慣れぬ部屋にいた。


 ホテルのような内装の部屋。ベッドにデスク、キャビネットにトイレ付シャワー室と基本的な設備が整えられていた。


 壁際には黄昏舵の鍵剣がたてかけられている。


 わずかな振動を感じた俺はハメ殺しの円窓から外を覗けば灰化世界が広がっていた。


 間違いなく、ここは黄昏踏破船<モア>の船室のようだ。


<モア>から知らされたこの船の詳細なる全体図を思い出す。


 全長二五〇メートル、全幅八五メートル、全高七三メートル。船だけに海のない灰化世界で無用の置物かと思えば、水上ではなく地上を浮上して進む。動力は俺が使うギアを応用しているようだが、ギアについては謎が多いため詳細は不明。


 それでも航行速度はギアの恩恵もあってか、通常の船以上の高速航行を可能とする。


 後は対波兵装として両舷に砲塔が設置されていた。


「そうか、俺はあのまま眠っていたのか」


『そうよ、人や物資を乗せるだけ乗せたと思ったらベッドにバタンと倒れてそのまま死んだように眠っていたのよ』


 物資はショッピングモールから粗方調達したのだろう。そこら辺の記憶は曖昧だが、回収したであろう衣服が机の上に山積みとなっていた。


「俺はどれぐらい眠っていた?」


『時計の短い針がまるまる二四周するくらいね』


 まる一日眠っていたのか。だが眠っている間に虚渦の襲撃がなかったのは幸運だ。


「さて、なにやら話せばいいやらか」


 俺はベッド脇にある食パン一斤サイズ程の機器を掴みながら自問した。


            *


『はぁ~ん、ふ~ん、なるほどね』


 話せるだけ俺はティティスに親父たちについて話していた。


 無数にある世界、輪廻の循環、無に隠された黄昏舵の鍵剣等々。


『確かに、あんたの顔つきをよく見れば、あいつらの一人と面影あるもの。親子なら納得だわ』


「特に驚かないんだな」


『今更驚いてもね。この船だってそうよ。建造が女王の命だし、未来視で虚渦の襲来を見ていたのなら、十中八、あたしを閉じ込めたのは女王である可能性が高いと見ていいわね』


「なんのために?」


『一つしか考えられないでしょう。このあたしが次期女王だからよ!』


 確固たる確証がないにも関わらずティティスは胸を張って断言していた。


 そりゃね、王家の血が絶えるのを防ぐため、安全な地に遠ざけるってのは別に珍しい展開ではない。


 だが、絶賛虚渦が蹂躙する世界のどこに安全な地があるのか。


 それにティティス、お前、あくまで第一王位継承権を持つのであって次期女王に確定していないだろう。


『この世界が無数にある世界の一つであんたが飛ばされたのなら、あたしもまた精霊のいる世界から飛ばされたってことになる』


 精霊の世界が滅び、後に誕生した人間の世界に自動人形捨て場や船が遺されていたとの考えはティティスにはないようだ。


 虚渦が世界を跨ぐか、その可能性は考えなかったな。


「でもよ、未来視ってのは文字通り未来を視るんだろう? 実はこの世界が元は精霊の世界だったとか……」


『確かにそうだけど、未来視はね、あくまでも<if>の可能性の一つで見るのよ。無数にある可能性の、いえ、今回の場合、危険性の一つとして女王は見た。もしかしたら、虚渦は別世界の波である可能性があるわ。あんたの父親があんたをこの世界に差し向けた様に、女王もまた対処としてあたしやこの船を派遣した』


 それなら無たる虚渦の中に黄昏舵の鍵剣があった理由はどうなるのか? 無は無として世界を超えて繋がっていると考えれば矛盾しないが……?


 ただ確かに言えるのは親が子に対処を任せた。


 ……押し付けるなと言いたいが、そう言っている状況ではない。


「そうだ、これ親父たち三人から女王の末っ子に渡せってさ」


『なによこれ?』


「ただ渡せとしか言われていない」


 食パン一斤サイズの機器は端にやや厚みがあろうと中身は空洞ときた。


 物理的なスイッチもなければ、タッチパネルもなく、使用用途がさっぱりわからん。


「親父は踏破する鍵になると言っていた」


『ん~精霊の技術で作られた物なのは確かだけど、あんたの父親が意味もなく渡すわけないか』


 機器を受け取ったティティスはあれこれ触るもやはり使用用途は分からないか。


『おはようございます、マスター。お目覚めになったようですね』


 ふと天井のスピーカーから<モア>の流暢な声が響く。


 丁度良いタイミングだと俺は船内の状況と乗員数を尋ねていた。


『生体反応を検知。船内にいる該当者は一〇一名。飲んだくれの大人三五名、失意にてうなだれる大人二九名、負傷者一五名、医療従事者と思われる者三名、何らかの活動を行う者一四名、そして元気に走り回る子供五名です』


「ふむ」


 俺にはこの世界でなさねばならぬ目的がある。


 だが、現状況は芳しくない。


 黄昏踏破船<トア>の運用には最低でも三〇名の乗組員を必要とする。


 虚渦がなければ集められたかもしれないが、逃げに逃げてきた避難民たちから有志を集うのは難しいだろう。


 誰も彼も絶望に打ちひしがれ、明日どころか今日の希望すら失っている状態。


 心が死にかけている中、それでもと動く者がいようと全員が一丸となって立ち上がれるのかは難しい問題だ。


「ちょっと船内を見て回るか」


『はいは~い、いってらっしゃい。あたしはこれをもう少し調べてみるわ』


 百閒は一見に如かずとある。


 報告を聞く限り、船内は動く者と動かざる者で割れている。


 場に留まっていては状況など好転せず、悪化の一途を辿る結末は明らか。


 無理強いさせるのはもってのほかだ。


「親父の気苦労が分かるよ」


 朧気ながら脳裏に執務室にいる親父の姿が浮かび上がった。


            *


「お、目覚めたかい! おい野郎ども、勝利にカンパーイ!」


 船内を見て回る俺を出迎えるのは酒に溺れた男たちときた。


 良い歳した大人が通路で酒を呑んでは騒いでいる。


 ただ酒に溺れるだけ。誰かと喧嘩する訳でも襲う訳でもない飲んだくれ集団ときた。


「出迎え感謝」


 社交辞令と嫌みを混ぜて俺は言い返す。


 こいつらはまだマシだな。


 酒さえあれば呑んで呑んでの繰り返し。


 ただ問題なのは――


「なんでこれだけなんだよ! 十分にあるだろう!」


 食堂から響く怒声が俺に疲労としてのしかかる。


「ですから何度も言ったはずですよ。食料がまだあるとはいえ補給が確保できないこの状況では消費を抑える必要があるんです!」


 食堂にたどり着けば、配膳を行うボランティアと避難民の一人が衝突していた。


 声を荒げるのは一人だが、食堂にいる誰もが目に不満を抱いている。


「それになんで負傷者優先なんだよ! 動けない奴に飯なんてやるな!」


 働かざる者食うべからず。


 確かにそうだが、お前の言い分は自分の取り分が少ないことに対する不満だろう。


「苦戦して虚渦倒した俺を罵声で出迎えるとは元気なこったな」


 俺の登場に気づいたのか、誰もが目を泳がせながら伏せる。


 それは気まずさよりも怯えがあった。


「声張り上げる元気があるなら仕事の一つでもできるだろう」


 皮肉を込めて俺はぼやく。


「こうなるのは予測できたことだが」


 予測はできても防げるかは別問題。


 避難所であるテント村から船への移動に異を唱える者は誰もいなかった。


 船だけに生活設備が整えられていることが何よりも大きく、その場に留まれば新たな虚渦襲来の危険性も背中を押す。


 水や食料など生きるのに必要な物資はショッピングモールから根こそぎかき集めた。


 ただ、次の物資補給ができるか分からない状況下。


 残る五つの虚渦の対処だって考えないといけない。


 ただ航行するだけなら<モア>に任せていいが、武装を使用するには人手が必要だ。


 虚渦襲来時は俺が迎撃に出ようと、船の無防備問題をどうにかしなければならなかった。


「ちぃ!」


 相手はわざとらしい舌打ちをするなり俺から離れ、遠くのテーブルにわざとらしい音を立てて座る。


「どっちが無駄飯食らいだ」


 ボランティアの悪態を俺は敢えて聞き逃した。


「問題は山積だな」


 しっかり眠っていたおかげで頭は良く回る。


 この状況をどう改善すべきか、思考があれこれ巡りすぎてしまうほどに。


 そんな俺を察してか、有志の一人が苦笑いを挟みながら声をかける。


「あ、あの、イチカさん、でしたよね、なにか食べますか?」


「あ~なら水一杯もらえる?」


「はい、どうぞ!」


 活発な子供の声がするなり俺の股下から水の入ったコップが差し出された。


「普通に渡せよ。でもありがとな」


 一〇歳程度の女の子だった。


 俺は微笑みながらコップを受け取れば中の水を一気に飲み干した。


 ああ、五臓六腑に染み渡るとはこのことか。


「食堂のお手伝いか?」


「うん、私たちブラゴト防衛隊は食堂を守るのだ!」


「のだ!」


 重く沈んだ食堂内に元気な声が響く。


 聞けばブラゴトとはこの世界にある町の名前で、この子たち五人は遊び友達だとか。


 四人の子供たちも食堂であれこれ手伝いをしている。


 テーブルを拭いたり、器を片づけたり、洗ったりと子供ながらテキパキと動いていた。


「強いな」


「え~できることをしているだけだよ?」


「そうだよ。それに強いのは兄ちゃんだよ」


「うんうん、虚渦を一人でぶっ倒したじゃないか!」


 力があるから強い意味で言ったんじゃないが、子供には難しいか。


 五人全員が虚渦により両親を亡くした孤児だ。


 家族を失おうと悲しみに泣きじゃくることなく前を向いてやれることをやっている。


 前向きに進む姿に強いと呼ばずなんと呼ぶ。


「どうするかな」


 褒めて褒めてと寄ってきた子供たちの頭を撫でる俺は黙考する。


 船内は今二種類の人間に分断されている。


 動く者と動かざる者。


 家族を失おうと前を向き、自らすべきことを見つけ動く者。


 家族を失った悲しみから立ち上がれず、無気力に苛まれて動かざる者。


 動く者は、思いやりでも本音でもなく、各々ができることをやり、己が持つ能力で支え合っている。


 それは自ずと動く者同士で連携を強めていく一方で動かざる者を嫌悪する空気が醸成されつつある。


 動かざる者はただ要求するだけで、負傷にて動けぬ者を無駄飯喰らいだと批判する始末。


 虚渦襲来が原因とはいえ、人間同士の諍いはどうしても避けられずにいた。


「あっ……」


 次なる区画に向かうため食堂から出ようとした時、入り口でポニーテールの少女と出くわした。


 他の避難民経由で知ったが、彼女の名はエリュテ。俺を助けてくれた男、ロッソの妹だ。


 エリュテは俺を親の仇、いやこの場合、兄の仇のように鋭く睨みつけては踵を返して出て行った。


 当然のこと、この邂逅を食堂の誰もが目撃したため、背中に憐憫の視線が突き刺さる。


「イチカさんのせいじゃ、ないんですけどね……」


「あの精霊さんだって悪くないのにさ」


 誰もが頭では分かっているのだ。誰も悪くないと、誰も犯人ではないと。


 だが根底では、本当はと微々たる疑念を抱いているかもしれない。


 俺だってもう少し上手く戦えていたらと自責の念が芽生えていた。


『マスター、緊急報告です!』


 唐突に響く<モア>の報告に食堂の誰もが緊張を走らせる。


「虚渦か!」


 この船は精霊世界の波を乗り越えただけあって、波と類似する虚渦を探知できる。


 通常のレーダーでは虚渦は無の存在だからこそ、探知できないが、無と無として捉えているからこそ探知できた。


『水が、水が足りません! 私の計算によると、このまま使用すれば後七日で底を着きます!』


 今、俺たちの前に立ち塞がる脅威は虚渦ではなく物資不足だった。

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