幕間1 誰もいない街
黄昏を超えた先に楽園がある。
黄昏踏破船<トア>に搭載されし報告管理システム<モア>はそう告げた。
選択肢などあってないようなもの。
人間が生き残るための選択肢など楽園に向かうの一つしかなかった。
*
「おい、誰か倒れているぞ!」
「しっかりしてって、この子、清野さん家の!」
「東の御曹司じゃないか」
「ここに視察でも来たのか?」
「バカなこと言ってないで家に連絡して! もしくは救急車!」
なんか騒がしい、やかましい。
俺は重い意識を振り絞って目を覚ます。
「だ、大丈夫ですか!」
虚渦との連戦により倒れてしまったのか。
違うと否定するのは鼻孔から入り込む土の匂い。
俺の意識を急激に覚醒へと促し現状を確認させる。
「ここは――どうして?」
起き上がった俺に近隣の住人が声をかけるも、俺は網膜に映る光景が疑問を優先させ届かない。
俺は灰化世界で虚渦と戦っていたはずだ。
それが今、元いた世界、元いた場所、更地目立つ住宅街のど真ん中で突っ立っている。
「あ、あの、大丈夫、でしょうか?」
近隣住人の一人だろうか、ぼっと突っ立っている俺の身を案じては声をかけてきた。
「い、いや、大丈夫、なんともないから! 悪いね、迷惑かけたわ!」
東の清野の御曹司が倒れているのなら騒ぎとなるのは致し方ない。
だから俺は問題ないと告げれば、一目散にこの場から駆け出していた。
「ど、どうなってんだよ! 全部、夢だったのか!」
確かにさ、灰化世界にいた時、記憶が曖昧だったのは事実だ。
俺の家は二人兄妹ってだけで、姉とか弟がいるのは幼馴染の他家だぞ。
曖昧ゆえに記憶が混同していたとしか言いようがない。
「ここは、公園か……」
走りに走って気づけば俺は公園にまでたどり着いていた。
少し高台にあるこの公園は、ブランコに滑り台とありきたりな遊具しかないが、広めな敷地のお陰でボール遊びや走り回るのに最適な空間だ。
小学生の頃、ひなたがブランコから大ジャンプしたお陰で、真似した者がケガしブランコは撤去されたが、およそ二年前に再設置された。
……ジャンプできないようブランコ周囲をネットで囲む安全策を取る形で。
なお、安全網が設置されたからって子供がブランコからジャンプを止めるわけないだろう。
セミやらカブト虫やらとブランコからジャンプして網に張り付く遊びをちまちまやる子供がいたりする――主に俺の妹が……俺の妹が! おいやめろ!
「なんだよ、これは……」
高台にあるからこそ、見下ろせる街並みに絶句する。
俺の記憶と現在の光景がまったく一致しないのだ。
古い建造物や更地が多く、贔屓する商店街は人の通りがまばらでシャッターが目立つ。
俺の通う黒曜館学園を発見しようと記憶にあるマンモス校ではなく、規模が三倍ほど縮小されていた。
「なにが、どうなっているんだ?」
清野原に流れる風が街は死につつあると語り掛けてくる。
住宅街は更地にした時点で売り切れていた。ビル一つ作ろうならば整地する前から、フロア全部を借りたいとか申し出が殺到していたんだぞ。
人口流出は既に過去のもの。俺が生まれる少し前より人口増加で居食住の全てが足りなく、開発ラッシュだったはずだ。
黒曜館学園だって、人口増加の影響で足らなくなった校舎の新たな受け皿として作られたのに。
「なにが、どうなっているんだ!」
俺は状況の分からなさに顔をクシャとしかめるしかない。
騒がしい自称姉と実妹のお陰でとんでもない朝を迎えた。
昼はなじみのラーメン屋にて子供同士、食卓を囲んだ。
それが今、俺の前には死に行く街が映し出されている。
これは夢なのか? 実は灰化世界にいる自分が本当の自分で、今いる俺は夢の世界の住人なのか?
どちらが現実で、どちらが夢か……胡蝶の夢かよ。
「ふあ~」
ふと背後から深いため息がする。
振り返れば、妹分のひなたが疲れ切った顔でブランコに乗ろうとしていた。
ただ俺はひなたの行動に違和感を覚える。
藍香に負けず劣らず、元気キャラなひなたが、ため息つく姿など一度たりとも見たことがなく、俺を見るなり背後からの抱きつきタックルをかましてくるはずだ。
俺がすぐ側にいようとまったく気づいていない。
「お~い、ひなた」
「あ~お兄ちゃんか……どっしたの、こんなとこに?」
おかしい。俺に気づこうと飛びついてこない。
それどころか返答に覇気がなく、目の下にクマが出来ているときた。
「随分と疲れた顔しているが、大丈夫か?」
「あ~うん、まあ、ひなたは北の清野の後継ぎですからね。色々と、お稽古やらなんやらで忙しいんですよ。友達はお茶とかカラオケとか楽しんでいるのに、ひなたは遊びにも行かず日夜勉強ですよ。もうなんか色々嫌になって今日ある舞踊のお稽古、ほっぽりだしちゃいました」
ゾッと俺の中に寒気が怖気として押し寄せてきた。
俺の記憶にあるひなたは、底抜けに明るく、綺麗な白い歯を剥き出しに、にっししと笑う笑顔の似合う娘のはずだ。
今では過労に過労を重ねたブラック企業務めのサラリーマンのようにやつれていた。
「あ~なんでひなたちゃんは女なんかに生まれたんでしょうね~男に生まれるか、あるいは弟でもいれば少しはマシですかね~」
深いため息をつきながらひなたはブランコを漕ぐ。
後継ぎって、ひなた、お前には弟や二人、陽悟と勇陽がいたはずだろう。
もちろん、まだ小さいからどっちを後継ぎにするか、ひなたの親父さんは決めかねているし、弟たちは、弟に、兄にと互いに押し付け基、譲り合っているときた。
「まさか……」
ぞっとした寒気が俺の心を浸食する。
ポケットからスマートフォンを取り出した俺は、写真フォルダを展開させた。
「……何故、誰もいなくなる」
歯の根が震える。手が無意識にスマートフォンを強く握りしめる。
友と同じように、本来なら写っているべき、妹たちが写っていなかった。
楓月の弟、夢月が。ひなたの弟、陽悟と勇陽が。そして俺の妹、藍香の姿がない。
「お兄ちゃん、顔が怖いですよ?」
「あ、ああ、すまん。ちょっと考え事をな」
「はぁ~お兄ちゃんと結婚出来れば後継ぎなんて使命、背負わなくていいのに」
俺は何一つひなたに言えなかった。
清野三家は三家であるからこそ、諍いはあったも今では家族ぐるみの交流を続けている。
ただ三家の良き交流を維持させるには三家である必要があった。
それ即ち、他の清野との婚姻禁止。
下手に婚姻関係を結べば清ヶ原のパワーバランスが崩れるからだ。
天秤が重さで皿を上下させるように、片方が大きくなりすぎれば、必ずや片方の衰退を招き、下手をすれば過去の諍いを再燃させる。
血縁とは企業合併のように上手くいくものではない。
楓月やひなたが姉や妹のように接してくる根底もこの事情にあったりする。
若干、ドン引きなブラコン気質にさえ目を瞑れば。
「あ、悪い、ひなた」
ふとスマートフォンに親父から着信が入る。
仕事に忙しい故、日頃はメールやらで手短なやりとりはするのだが、直にかけてくるなど珍しかった。
『無事、黄昏舵の鍵剣を無の中から手に入れたようだな』
要件を聞くよりも先に通話越しに発せられた親父の声に両目を見開いた。
「お、おい、親父、どういうことだ!」
『一度しか言わないから黙ってよく聞け。元々、$&$%から持たされた金色の剣に波を倒す力があろうと舵でも鍵でもなかった。だが、最後の波と対峙した際、撃退の代償に三本とも破壊される。俺たち三人は精霊の力を借りて修復ではなく魔改造を施した。同時期に完成した踏破船と機能を連携させるため、黄昏舵の鍵剣と銘をつけた』
驚愕と困惑が俺の中で混じり合おうと、聞き逃してはならぬと親父の声に耳を傾ける。
『黄昏を踏破した俺たちは元の世界に帰る間際、三本の黄昏舵の鍵剣を無に隠した。女王が未来視により波とは違う渦が世界を滅ぼすのを見たからだ』
「未来の保険かよ」
『今から書斎にある金庫の暗証番号を教える。お前が昔、金庫破りだ、とかいじくりまわして家中の警報響かせたあの金庫だ』
こっちの質問には答える気なしときた。
ったく昔のことなんて覚えているわけ……ああ、幼稚園の頃、テレビ番組で金庫開けるシーンを見た後、いじくりまわしてせいで警報鳴らしまくって親父にゲンコツ受けたあの金庫か。
歴史は繰り返すもので、藍香も同じことをして、家中の警報鳴らしまくったのに、親父に軽く叱られる程度で済んでいる。解せん!
『金庫の中身を女王の末っ子に渡せ。ただ持って眠るだけで向こうに持って行ける。
大夢は楓月の父親で、陽介はひなたの父親だ。
ああ、もうこれは確証的だろう。まさかあの三人が親父たちだったとは。
ティティスが初対面で俺に既視感抱いていた理由は俺の顔が親父似だったからだ。
ならなんで俺一人なんだって疑問、問おうと、この親父は答える気がないだろう。
『いいな。番号を忘れるな。俺はすぐ黄昏についても、金庫についても、今話した内容すら因果律にて忘れてしまう。通話履歴も残らん。だが今のお前は$&$%のお陰で理の外にいる。だから一人だけ覚えている。だから誰一人忘れていない』
「夢でもなんでもないのかよ」
『確かに夢だろう。だが、別なる世界で確かに起こっている現実だ。世界は一つじゃない。無数にある。無数の世界は輪廻で循環している。輪廻が途切れれば存在は消える。お前も見たはずだ。衰退する清ヶ原の現状を――プッ……ツーツー』
一方的に喋るだけ喋って通話切りやがったぞ、この親父。
いやもしかしたら因果律で通話がないことになったのか?
「世界が無数にあるとか、SFとかにある平行世界かよ」
近くて遠い世界と例えられる己が住む世界とは似て非なる世界だったか。
藍香がよくテレビやネット配信で見るのを付き合わされたから、尻の毛程度には知っていたりする。
「おじさん、どうしたんですか?」
「まあ、跡取りとして大変だってことさ」
俺は演技臭く肩をすくめながら笑ってごまかした。
「にっししし、ひなたちゃん分かりますよ。お兄ちゃんの困ったその顔、おじさんに無理難題押し付けられたんでしょう?」
お、流石は妹分、兄貴分の機微が分かるとは流石だな。
「まあ無理難題だな。なんせこの清ヶ原を滅びから救えってね」
「おおう、責任重大ですね」
ほのかに笑うひなたの頭を俺は無意識のまま撫でていた。
サラサラとした髪が俺の掌を滑ってどこか心地よい。
「にっししし、お兄ちゃんにこうして頭撫でてもらうのは久しぶりな気がします」
暗かったひなたの顔にほんの少しだけ明るさが戻る。
重荷は背負う者じゃない。分散させるものだ。一人に背負わせるものじゃない。この状況が重荷を生むのなら、俺が変える。変えてやる。
「なあ、ひなた、そっちの都合でいいからさ、今度、楓月とパーっとどっか遊びに行こうぜ。海でもいいし、遊園地でもいいし、どこでもいい」
「ん~そうですか、ならカラオケ行きたいです。ドカーンと思いっきり喉がぶっ壊れるまで歌いたいですね」
「分かった。約束だぞ」
「もし約束破ったら、テレビでやってたドカ盛りパフェ、おごってもらいますからね」
「よ~し、ならそれもオプションでつけておこうか!」
「ホントですか! やったー!」
ひなたは嬉々としてブランコから飛び上がった。
もう兎のように飛び跳ねている。
余程、ストレスが溜まっていたのだろう。
「ああ、みんなで行こうな――みんなで」
喜ぶひなたを前に俺は拳を握りしめ、取り戻すと心に誓う。
そう取り戻すんだ。
あの騒がしくも賑やかな食卓を!
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