第13話 黄昏踏破船

 人が死んだ。


 俺を助けてくれた男が死んだ。


 虚渦により無となるのではない。


 何者かが男を背後から刺した。


「兄さん、兄さん!」


 もう動かなくなった男の手を握る女が泣きじゃくる。


「ティティス、なにがあった?」


『……だからあたしだって知りたいわよ。この人間があんたの名を叫んで、そのギアを投げ渡したと思ったら、突然倒れたのよ』


 気づいた時には背後から刺されていた。


 確かに人は、避難民はいた。だがこの男以外、ティティスの誘導により虚渦から離れた地点に集っている。


 灰化世界により身を潜める遮蔽物はなく、気づかれることなく誰も背後から刺せず、刺す理由も思いつかない。


 仮に犯人がいたとしてもティティスが今頃殴り飛ばしているはずだ。


「それに……」


 俺は男の最期の言葉を思い出しながら、黄昏舵の鍵剣のスロットから白と黒のギアを取り出した。


 鋼子と封龍の二文字がそれぞれ刻印された白と黒のギア。


 何故、男は白と黒のギアを持っていた?


 何故、男は名乗った覚えのない俺の名を知っていた?


 何故、最期の言葉が背後に気をつけろなのか?


 状況が前へ前へと進むに比例して疑問が枷のように増えていく。


「背後に気をつけろ……日記に書かれていたことと同じなのは偶然か、それとも」


 男が自分もやられたから、お前も気をつけろと警告の意味で遺したのか、それともあの日記の警告はこの男が書いたのか?


「いや、それだと矛盾する」


 この男たちはテント村を築き避難生活を送っていた。


 地震による地表移動でテント村がショッピングモール前に現れたのは奇跡的な偶然に近い。


「ぐす、ひく……」


 目の前で泣かれると良心が痛む。


 女(姉)に泣かされた経験が多いからこそ、俺は目の前で女に泣かれるとどう対処すればいいのか、その手の経験がなかった。


 ただ気不味さのあまり、ぽろりと謝罪をこぼしまう。


 もう少し虚渦相手にうまく立ち回っていれば、男が前に出てくることなどなかったのではと、心の隅で考えてしまったからだ。


「あ~兄のことは、そのなんか、すまん。俺のせいで……」


 女の嗚咽が遮られるように止まれば俺を鋭く睨みつけてきた。


 懐に手を入れるなり引き抜かれた黒光りする物体。


 物体の正体に俺の全身から怖気が貫き走る。


「あんたの、あんたのせいで兄さんは!」


 女が構えるのは拳銃! しかもブローバック式の拳銃ときた!


 詳細なるタイプは分からないが、護身用に持っていたとしても、無防備の人間に向けるのはダメだろう!


「あんたが兄さんを殺したのよっ!」


 いやいや俺は無実だっての! その場の感情で引金なんて引くなよ! ヤベーって、あ、俺今無防備の非武装じゃなかった!


 間に合うかとギアを一つも弾かぬまま大剣を盾のように構えていた。


『てい!』


 発砲された瞬間、ティティスが俺の前に飛び出しては放たれた銃弾を真正面から殴り砕く。


「え?」


 至近距離から放たれた銃弾が拳(?)一つで砕かれた現実に女は虚を突かれ表情を固まらせる。


 それが隙となりティティスの姿が一瞬にして消えたと思えば、目にも止まらぬ速さで女から拳銃を奪い取っていた。


『ふ~ん、なるほどなるほど、これがジュウね。金属で作られているのか。ふむここを引くとこっちが動いて火花出すと。筒から飛び出した小さな金属が相手にダメージを、いえ当たり所によっては死ぬわね、これ』


 ティティスが羽を手のように動かしカチャガチャ調べること数秒。


 初めて見て触ったはずの拳銃をいともたやすく分解すれば宙に放り投げる。


 そして俺たちの目の前で繰り広げるパンチラッシュにて木端微塵にしてみせた。


『あたしのほうが、は・や・い!』


 殴るにしても、飛び込むにしても。二つの意味が込められていた。


『なにがイチカのせいよ。殺した奴のせいでしょう。誰も見捨てず、目の前でボロボロになろうと戦っているのに、よくもまあふざけたことが言えたものね。人間ってのは誰かのせいにしないと生きていけないのかしら?』


 おい、やめろティティス、身内失って傷心している人間を呷るな! 追い詰めるな!


 人間ってのは不意な喪失に対してすぐに立ち直れるわけじゃないんだぞ!


『見捨てるのは簡単、戦わない選択だってあった。けど、イチカは前へ進むために敢えて戦いを選択した。誰だって生きたいもの、死にたくないもの。それなのにあんたたちと来たら、どいつもこいつも生きている癖に死んだ顔してさ、いざ助けられでもしたら、遅いやら今更やら文句をクッソみたいに垂れ流して、自分から何一つ行動しない。イチカを助けるためにあれこれ動いて死んだあの人間の方がまだマシよ』


「あ、あんたになにが分かるのよ!」


『分かる訳ないでしょう、バカなの? バカだからか、うんうん、バカだからしょうがないか』


「あんたには人の心がないの!」


『あたしは精霊なんだから人の心なんてあるわけないでしょう!』


「二人ともいい加減にしろ! こんなところで言い合っても意味ないだろう!」


 見かねた俺は両者の間に割って入る。


 虚渦という脅威が存在している以上、諍いは致命的だ。


 普通、共通の脅威が現れようならば共闘するのがお約束なのだが、残念にもあくまでシナリオ上の展開で現実はままならぬときた。


『まあいいわ。イチカに免じて止めてあげるわ』


 上から目線止めろ。余計ややこしくなる。


 ティティスと女はしばし睨み合った後、不機嫌面で顔を背けていた。


「はてさて、どうしたものか」


 俺は前髪をかき上げながら今後どうすればいいか、頭を悩ませる。


 前へ進めば虚渦が必ずや壁として立ち塞がるだろう。


 かといって避難民たちを放置しておくのも夢見が悪い。


 確かに色々と暴言や非難を吐かれた訳だが、俺だってそこまで人間捨てちゃいない。


 もし俺が避難民の立場ならば、同じ言葉を発していたはずだ。


「不幸中の幸いとしてショッピングモールで物資を回収できることか」


 当面の生活には困らないだろうが、いずれ底をつくのが目に見えている。


 次に、残る虚渦が来襲するならば誰一人守り切れない可能性だってある。


 虚渦をどうにか撃破しようと、状況が俺の方に運よく流れている気がしたからだ。


「それに背後に気をつけろも気になる……」


 脳裏に焼き付いて離れない。


 胸に風穴など開いてないのに、無意識のまま胸部をさすってしまう。


「ねえ、ねえってば!」


 風穴を開けられた記憶などないのに、開けられたような既視感が走るから困る。


「連続戦闘で神経質になりすぎたか」

 

「ねえ、ねえっ言っているでしょ!」


 思案に没頭しすぎたのか、呼び声で我に返れば女が不機嫌面で俺を呼んでいた。


「どうして兄さんはあんたの名前を知っていたの? どこかで会ったことがあるの?」


「いや、それは俺が知りたいぐらいなんだ。初対面だし右も左も状況すら分からんかったんだぞ」


 そもそもこの灰化世界に知り合いなんていない。


 いないはずなのに男は俺の名前を知っていた。


 仮に会ったことがあるとしてもどこで知り合ったか教えて欲しいが今では無理な話。


 この時、記憶が曖昧なのが酷く恨めしいと思った。


 もし記憶が万全ならどこで会ったか覚えているはずだが。


「ならどうして……」


 女の疑問に俺は頭を振って答えるしかできなかった。


 あの様子じゃ、この白と黒のギアの所在についても知らないと見ていいだろう。


「こっちだって歩き通してようやくショッピングモールに辿り着いたと思えば虚渦に襲われる。その虚渦に呑み込まれたと思ったら無の中にこんな剣があるし。俺だってな、どうしてこの剣で虚渦が倒せるのか、分かんないんだよ」


 嘘偽りなどなかった。この状況で嘘など意味がない。


 虚渦と戦ったのも死にたくないからに尽きる。


「なんだ?」


 ふと黄昏舵の鍵剣から前触れもなく金色の燐光が溢れ出す。


 大剣にはギア一つ装填しておらず、ただ持っているだけだ。


 大剣が震え、連動するように灰化世界もまた震えだす。


「くっそ、また地震か!」


 だがこの地震は明らかに揺れの質が違う。


 パズルキューブみたく縦横に地表を移動させる揺れではなく、地中深くから昇ってくるような揺れ。


 避難民の誰もが地震だと慌てる中、真下まら大剣のエンジンとは異なるエンジン駆動音が響き出す。


「あ、あんた、なにしたのよ!」


「当然の質問だけど、俺が知りたい!」


 揺れで倒れぬよう踏ん張る俺は困惑しながら返すしかない。た。


『イチカ、何か出て来たわ!』


 ティティスは警戒を言葉に乗せてとある方向を指し示す。


 大地を裂きて現れたのは巨人の大口だと錯覚させる巨大な門扉。


 堅く閉ざされた扉の奥より確かなエンジン音が響いている。


「黄昏舵の鍵剣と扉が反応して……お、おおおおおっ!」


 警戒しながら扉の前に近づいた俺は突然、輝き出した黄昏舵の鍵剣に声を震えさせる。


 扉は重い音を立てて外に向けて解放!


 秘密基地の発進シーンのように、巨大な船がせり上がる。


『すごくでかくて、大きな黄金の、船……』


 ティティスの発した通りだった。


 巨大な、巨大な金色の船。


 鏃のような鋭角的な船先が特徴的で、帆船ではないのか、艦橋はあろうと帆やマストは見あたらない。


 代わりとして目に付くのが各部に取り付けられた砲塔。


 戦艦なのかと思考が走るも金色の戦艦など目立ちすぎて敵に狙ってくださいとしか思えないほど趣味が悪かった。


『何かしら、すんごく嫌な予感するわ』


「だが虚渦じゃない」


『根拠は?』


 俺はティティスに虚渦出現に現れる赤文字について打ち明けた。


『なるほどね。けど、そんな予感じゃないの。なんかこう無性に殴りたくなるような……』


 ティティスが体現するように羽を握った時、機械的な女性声が船から響く。


『お久しぶりです、マスターのみなさま。お帰りなさ、い、ま……せ?』


 その声は疑問ですぼまった。


『どうしてマスターが一人に圧縮されているのですか?』


「『はぁ?』」


 疑問は更なる疑問を重ね、俺とティティスは口を揃えてしまった。

             *

 お前、誰だよ? 俺の前に船! なのは分かる!


 突然、現れた巨大船に避難民の誰もが困惑を隠せない。


 避難民からは、これに乗って逃げるや生活の足掛かりにするなど様々な声が聞こえてくる。


『なんか無性に殴りたくなる声ね。もう殴っちゃおうかしら』


 やめなさい。俺は今にも殴りかからんとするティティスをたしなめる。


 ただ船とは水の上を移動する乗り物である。


 灰化世界に海などなく、動かぬ置物と化していた。


「お前は一体、なんなんだ?」


 当然の疑問を俺が出せば、当然の解答が船から来る。


『私の名前は<モア>。この黄昏踏破船<トア>の報告管理システムです』


 スマートフォンの音声検索にあるAIアシスタントようなものを感じた。


 もっともあっちと比較して、このモアというシステム、機械的な敬語口調だが流暢に話す辺り、会話性能は高いと見る。


『今度はこちらがお聞きします。どうしてマスター三人があなた一人に圧縮されているのですか?』


「俺が知りたい。というかこの船はなんなんだ?」


『この船は最後の波いる領域を踏破するため、精霊女王の命により建造されたものです』


 まさかここにきて精霊女王の名を聞くとは。


 俺とティティスは思わず顔を見合わせた。


『なら聞くわよ! あたしの名はティティス、精霊女王七番目の娘にして次期女王にもっとも近き精霊よ!』


『該当情報あり――ティティス。最終決戦直前にて突如姿を消した精霊……波により消されたか、戦いから逃げ出したかと記録されています』


『なにが逃げ出したよ! どこぞのアホに閉じ込められていたのよ! そしてイチカがあたしを助けてくれたの!』


 腹をかいたティティスを戒めながら、俺は推考する。


 恐らくこの船も、自動人形捨て場と同じように精霊の世界から飛ばされてきたと考えていいだろう。


『質問します。どうしてあなたがマスターたちのギアを所持しているのですか?』


「気づいたら持っていたとしか答えられないよ。それでギアってなんだよ?」


『ギアとは精霊の力を宿した対波用決戦兵器です』


 ティティスはギアに懐かしさを感じると言っていたが、なるほど感じた通りだったわけか。


 波も渦も無に還す本質は同じ。ならギアを用いた攻撃が通用するのにも合点が行く。


『ギアは主に三人のマスターたちが運用していました。ですが、この船の起動鍵である黄昏舵の鍵剣と組み合わさっているとは』


 ならあの三人が持っていた剣も俺の持つ剣と同じことになる。


『本来ならギアも舵鍵も別個の存在です。ですがそれが一つにまとまっているなどあなたは何をしたのですか?』


 やや怒っているのが口調から感じられた。


 この大剣は虚渦の中で手に入れた時からこうだったとしか答えられない。


 ただ発言からしてこの大剣はあの船の起動鍵。


 ならば思いつくのは一つ。


「この船を俺は動かせるのか?」


『鍵剣の現所有者である以上、あなたには船を動かす権利があります。あなた一人でも運行することは可能です。ですがこの船の機能を十全に発揮させるには最低でも三〇名の乗組員が必要です。そうでなければ黄昏を踏破できません』


 黄昏……またこのワードか。夕焼けや夕暮れとは違う意味なのは確かだが。


「黄昏ってなんだ?」


『黄昏。それは波による世界の終焉です。あらゆる文明、あらゆる種が波により消失する現象となります』


「黄昏の発生条件は?」


『不明です。マスターたちは文明がある程度、老衰の位置に至れば発現する自然現象ではないかと仮説を立てていました』


 俺はちらりとティティスを横目で見た。


 人間のような顔つきではないが、それなりの付き合い故、その表情は感情が複雑に入り交じり、口をへの字にきつく曲げているのが分かってしまう。


 文明の終わりに現れるなど文明の管理者でも気取っているのか。


 傲慢な奴らだと俺はあざけった。


「次の質問だ。黄昏踏破船と言ったな。今この世界は波と同質の虚渦により滅亡しかけている。この船は世界を救うことが可能か?」


『判断材料が少ないため、どの世界か断言できませんが、かつてマスターたちは精霊たちと黄昏を踏破し滅亡を食い止めました』


 国や軍隊が滅んだ絶望的な状況の中、見つけた最後の希望。


 そのマスターたちは波を討つほどの力があり、その力がギアとして俺の手元にある。


「つまりはそういうことか」


 俺は合点が行った顔で自嘲気味に嘆息する。


 別世界の人間になんで抵抗させる疑問はともかく、この世界での俺の役目が見えた。


 代行者として俺に虚渦を討たせ、黄昏を踏破させる腹積もりだろう。

 

 鍵となる船が今になって現れたのは主催者からの粋な贈り物かね?


「なら最後の質問だ。そのマスターたちはどこに行った?」


『私をドッグに入れる際、元の世界に帰ると耳にしています』


 はい、元の世界という単語が出てきました。


 あの三人は間違いなく俺らの世界の人間と見ていい。


「最後の質問だ!」


『何でしょうか?』


「黄昏を踏破した先に何がある?」


 なくしたものは返らないというように、死んだ者は生き返らない。


 仮に全ての虚渦を倒し黄昏を越えたとしても、国も文明も何一つない世界で生き続けるのは地獄だ。


 元の世界に帰る手段すらない。


 俺の心情を余所にモアは機械的な口調で答えた。


『楽園があります』

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