第8話 日記

 12月24日

 クライアントの無茶な要求に振り回されるもどうにか片づけることができた。

 気づけばクリスマスイブ。

 社長が社員全員にチキンを用意してくれた。

 見た目通りの太っ腹は伊達ではないようだ。


 12月25日

 少し遅れたが、知り合いの伝手の伝手を介して念願のゲーム機を定価で手に入れたぞ。

 どこもかしこも品薄でどれも転売品だらけだから困る。

 この苦労も喜ぶ子供たちの笑顔を見れば吹き飛ぶはずさ。


 12月26日

 やれやれ困ったものだ。子供たちのプレゼントなのに、買うのに反対していた妻がはまってしまった。

 運動不足解消にいいとかで、汗を流して遊んでいる。

 うん、汗を流す妻は今日も美しい。明日も美しいはずだ。


 12月27日

 0時ちょうどに地震が起きた。

 僕は妻が子供たちを起こしている間、急いで荷物をまとめていく。

 まさかアシハラ留学時に経験した避難訓練がヴィランドで役立つとは思わなかった。


 12月28日

 震源地はどこか、津波は? 余震は?

 おかしい。どこの局も情報が入っておらず誰もが情報収集に躍起となっている。

 ネットワークにも情報が一切流れてこない。

 どういうことだ?


 12月29日

 SNSに一枚の写真が投稿される。

 写真は――(翻訳不明)大地の一部がぽっかりと穴が開いているようなもの。

 加工されたものかと思えば、次に投稿されたのは動画だ。

 軍隊がそのぽっかりとした穴に呑み込まれ消失する動画だった。


 12月30日

 僕たち家族は近くのスタジアムに避難していた。

 大統領からの声明はない。

 ネットワークが遮断されたことで情報を取得できなくなった。

 誰もが先の見えない不安を抱く中、また地震が起こった。

 ど、どういうことだ。どうして、アシハラのフジヤマがスタジアムの隣にある!


 12月31日

 訳が分からない。頭がおかしくなりそうだ。

 地震が起こる度、風景が変化する。

 折れたエッフェル塔だ。あれはキリマンジャロだ。エアーズロックだ。

 それに、なんだあの巨大な渦は!


 1月1日

 僕たち家族はスタジアムからどうにか脱出できた。

 けれど、逃げ遅れた人たちは巨大な渦に呑み込まれ消えてしまう。

 本当なら新年を祝う日だったのに、世界は新しき年を迎えた時には豹変していた。

 山は消えて海は干上がり、世界は灰色の更地となっていた。


 1月2日

 車はガス欠で動かなくなり、ここまでと思った時、地震により目の前にショッピングモールが現れた。

 助かったと思った。先に避難していた人たちは僕たち家族を快く迎えてくれた。

 これでどうにか生きる希望を繋げられる。


 1月3日

 各地から避難してきた人々の情報を総括すると、始まりは12月27日。世界に七つある大地から六つの巨大な渦が出現したとのこと。驚くべきことに、この渦、熱量、質量、気圧とあらゆる計測値が零なことだ。

 存在しないのに存在している。

 いやこの場合、無があり得ない形で存在していると言えばいいのか?

 写真や映像がぽっかり空いていたのも、そこに無が存在するからか?

 なにもないのに存在しているなんて、最悪なパラドックスが成立していることになる。


 1月4日

 僕たちは今日をどうにか生き長らえている。

 あの渦の正体はなんだ? どうして世界は灰色になった? 無なのに存在する無となんだ?

 全ては自然を破壊する人間への罰なのか? 争いを止めぬ人類に神がお怒りになったのか?

 分からない。

 ただ僕は愛する家族と健やかな日々を過ごしたいだけ――(以下空白)


 ――背後に気をつけろ。


             *


 苦心の末、翻訳し終えた俺は内容に顔をしかめるしかない。


 最後に至っては筆跡からして別の誰かの走り書きときた。


 ともあれここがショッピングモールで助かったよ。


 置いてあったパソコンで翻訳したくてもネットワークは死んでいるからできず、施設内の電力は低下している。


 俺は姉ほど優秀じゃないから、売り場にあった電子辞書や乾電池を拝借、苦心して翻訳した。


「世界七か所から現れた六つの渦……そういやティティスの時に現れたのは……」


 恐らくだが世界灰化の原因も、このショッピングモールに誰一人いないのも渦の仕業と考えていいだろう。


 ただ日記に、出入り口で発見した弾痕について書かれていないのに違和感を拭いきれない。


 この手の日記なら略奪者が現われ、やむを得ず迎撃したとか書くものだけどな?


 ともあれ着目すべきは波だ。


『渦や数の違いはあるとしても、波との共通として呑み込んだとあるわね。けどアシハラやヴィランドは地名ぽいけど、あたしは聞いたことないわ』


「俺だってそうだ。ただフジヤマってのは俺の国にある山の一つだ。エッフェル塔は外国だが。どれもこれも有名どころだぞ」


 アシハラやヴィランドもどこかで聞いたような既視感に囚われるも俺は思い出せない。


『今のところ考えられる可能性は三つかしらね』


 ティティスは右羽を指のように動かしながら、灰化世界を独自の解釈で語り出す。


『まず一つ、この世界は人間の世界で、精霊の世界からあたしやあの捨て場が飛ばされた』


 ここでティティスは飛ばした存在の正体を今は保留と付け加える。


『二つ、この世界は精霊の世界で、灰化する形で滅び、しばらくして人間の世界からあんたがあの施設に飛ばされた』


 ならば俺が自動人形捨て場にいたことも、ティティスが箱に閉じ込められていたのも納得できる。


『三つ、この世界は人間でも精霊でもない全く理の違う世界』


 アシハラやヴィランドなる地を踏まえれば、自然と腑に落ちる。


『まあ現状は確証のない推測なのよね』


 語り疲れたのか、ティティスは俺の右肩に降りてきた。


 重さは感じない。まるで風船が乗っているような感触だ。


 俺はついつい癖で肩に乗った飼い猫みたく顎らしき部位を撫でてしまう。


 指先には人肌のように温かく、テニスボールのように硬い感触が伝わってきた。


『ひゃん、もうどこ触ってんのよ!』


 可愛い悲鳴が俺の耳朶を打ち、次いでティティスから抗議として耳たぶを羽でぱしぱし叩かれる。


「悪い悪い。猫飼っているもんだからさ、つい癖でね」


 飼い猫は隙あらば俺の肩に飛び乗り、撫でて撫でてと喉を鳴らしながら催促してくる。


 撫でれば満足して離れるも、無視しようならば俺の通学カバンに入り込み、明日の準備や課題を妨害するお返しに出る。


『ネコ?』


「……ん~? ケット・シーみたいな奴?」


 咄嗟に口から出るも、確かあれは猫の妖精であって精霊ではないが、概念的には近いと思うので通じるはずだ。


『ああ、あの二本足で歩くあいつらね』


 通じたことに驚きであるが、なるほど、ティティスの世界にもいたのか。


『ケット・シーってめっちゃ言語能力高いし、それでいて気高く品があるもんだから外交での通訳とか交渉で活躍しているのよ』


「へ~まあでも、こっちの猫は喋らないし気ままだし、四本足で歩く生き物だからな」


『興味深いわねって、それは後々にして問題は世界をそんなにした渦ね』


「ティティスたち精霊を襲った波と特徴が一致している部位は多い。ならば今の俺たちが生き残るために必要なのは……」


『あの人間三人が持っていた金色の剣』


 俺とティティスは顔を見合わせ強く頷いた。


 精霊でも敵わなかった波を撃破した三本の金色の剣。


 灰化世界に存在する保証はないのだが、破壊に対する対抗手段としてコインの裏表のようにどこかに存在するような気がした。


「在り処にしろ持ち主にしろ、探し出すとすれば厄介だぞ」


 日記によれば地震が起こる度、灰化世界の地形は変貌している。


 仮に目的地があったとしても、常に地形が変貌しているのならばいつまでもたどり着けない。


『地形が動くとかピンと来ないわね』


「お、良い物みっけ」


 ふと俺は避難した子供たちが遊んでいたであろう玩具の一つを見つけるなり、説明にぴったりだと閃いた。


 それは子供でも掴めるサイズの立方体。


 白・赤・黄・橙・緑と色分けされた各マスを縦横に回転させて同色の面を揃えるキューブパズルだ。


「これをこの世界に例えると、これをこうしてこうだ」


 俺はキューブパズルを掴めば、各マスを縦横にと回し動かし揃った各面の色をバラバラにする。


『なるほどね。確かに動かせば本来の位置に戻せるけど、あたしたちにはその術がない。ん~法則性が分かれば移動先を予測して先に進むのは理論上、可能なんだけど』


 俺たちはまるで遊戯盤の駒だ。


 世界を灰化に貶める存在が渦を放ち、駒が如何にして生き残るか、その有様を楽しんでいるのか?


 駒が生存すればOK、全滅すれば最初から。


 もっともこれはあくまで俺の根拠のない推測に過ぎない。


「どっちにしろ。進まなきゃ現状は把握できないし状況は何一つ変わらない」


『そうよね。ここには色々と揃っているぽいから戦仕度をするのには打ってつけよね』


 旅支度ではなく戦仕度ときたか。


 その渦と遭遇する危険性も考えれば戦仕度なのは間違っていない。


 ただ対抗手段がないため、現状遭遇した場合、逃げるのが最良の手。


 広大な灰化世界の移動と渦からの逃走を可能とする乗り物が不可欠だ。


「探してみるか」


 埃で汚れた服も新調したいし、歩き詰めだったからそろそろ一休みしたい。


 幸いにもここはショッピングモール。


 避難していたであろう人々が痕跡のみを残して消えた場所。


 各フロアの安全は確保していないが、水や食料どころか衣服すらある。


 もしかしたら移動手段も見つかるかもしれない。


「問題はサイズが合うかどうかだよな」


 アメリカンサイズと言われる当たり、日本とサイズと比較して一回り二回り大きい。


 日本ではLでもアメリカではSSなど珍しい話ではないのだ。


『また揺れてるわ』


 いざ施設内にて物資調達に乗り出さんとした時、再び揺れが襲う。


 俺はティティスを引っ張り込む形で物陰に隠れ、揺れが鎮まるのを待つ。


「また地形が移動したのか」


『どこもかしこも灰化の更地なんだから変えるのに意味あるのからね?』


「ショッピングモールみたいな場所も残っているんだ。元凶の性格が悪趣味なら、希望は残しておくものさ」


 映画や小説によくある展開だ。


 元凶は生殺与奪を握りつつも生存の希望を相手にちらつかせ、絶望からの脱出に足掻かせる。


 そして希望が絶望に反転する瞬間をまだかまだかと待ち構える。


 もしかしなくても、俺とティティスを導いたヤタガラスは元凶が放った使いの可能性が高い。


 お約束を考えれば、近々この施設は渦の襲撃を受けるはずだ。


『声がするわね。それも大勢』


 ティティスは目だけでなく耳までいいようだ。


 確かに外が少し騒がしいと俺でも気づけたのは静かすぎるショッピングモールだからだ。


『ん? なんかキャーキャーワーワー逃げろとか言っているわ』


 嫌な予感がする。怖気が背筋を突き抜ける。


 俺は居ても立ってもいられず、外へと駆け出していた。

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