第6話 精霊ティティス
暗闇の中、拾った箱から響くのは少し勝気な女の子の声。
『開けてくれたらなんでも言うこと聞くから!』
そんな言葉、一切守る気がないことは俺の経験が知っている。
放り出すのは容易いが、状況を把握できぬ今、不利益しか招かない。
「箱の中にスマートフォンでも入っているのか?」
声の主がスマートフォンを介しているのならば、通信電波が届く圏内となる。
まさか手で掴めるほどの箱に人が入っている訳がない。
『すまーとふぉん? 失礼な、あたしはそんな名前じゃないわよ! いいから開けて! 開けてよ! 本当に、本当にお願い! お願いします!』
ん~なんか話が噛み合ってないな。
立ち止まっていても事態は好転しないが、箱を開封せずにそのまま暗闇を進むのもただの荷物にしかならない。
喋る箱と認識して暗闇での孤独を紛らわせる話し相手にするのもありだが、そのままなのはどこか良心が痛む。
「んで、これどうやって開けるんだ?」
観念して俺は開けることにするも箱に触れようと凹凸らしい凹凸はなく、鍵穴らしき穴もない。
金属特有の冷たい感触がただ指先より伝わるだけだ。
『確か、上の蓋を捻れば開くはずよ!』
「上の、蓋ね……お?」
四角四面の箱のどこが上か分からず、当てずっぽで捻ってみれば、物の見事に一発成功ときた。
感触的にジャムのビン蓋を開けるようなもの。
朝食の席でジャムの蓋が開かぬと妹にせがまれよく開けたものだ。
右に右にと回しているうちに上蓋は完全に外れ、中より光が漏れ出て来た。
「ぐっ!」
漏れ出す光は暗闇に慣れた俺の目を眩ませる。
『ふ~い、あ~やっと出られた! あ~もう身体ゴキゴキじゃ――いっやあああああああああああああああっ!』
開放的な声を鼓膜が拾ったと思ったのも束の間、次に揺さぶるのは悲鳴だった。
光に慣れてきた目が悲鳴の原因を把握する。
「に、人間――いや、違う、これは、ここは!」
光が照らすのはバラバラとなった人という人。
人間ではないと即座に把握できたのは、球体関節やシリンダー、歯車など人間にはない部位を確認したからだ。
「――全部が人形かよ」
ゾッとした寒気が俺に走る。
俺が手探り足探りで進む度、どかした棒切れは腕、ボールは頭、箱は胸部のパーツだったわけか。
改めて周囲を見渡そうと、確認できる限り、周辺は人形の残骸で山が築かれている。
背後を振り返れば、俺が作ったであろう轍が残されていた。
『最悪、自動人形捨て場じゃない……まったく誰よ、このあたしを閉じ込め、こんなところに捨てたの! あ~もう、心当たりが多すぎて分からないわ!』
耳慣れぬ言葉を発するのは暗闇照らす光源だ。
自動人形なんて、文字通り自動で動く人形なのはサブカルチャーに疎い俺でも分かる。
文字通り歯車やバネで動く人形――
日本だとカラクリ人形がなじみ深いはずだと、工芸品を思い出す。
なにより問題は――
「光の、球?」
俺が持っていた箱は空っぽであり、目の前には青色のピンポン玉が光りながら浮かんでいる。
よくよく見ればピンポン玉は左右から小さな羽を生やして、箱より響いた声を発していた。
「スマートフォンじゃなかったのか……」
外と連絡が取れると思ったのだが、光源がゲットできたから前向きにヨシとした。
『誰がすまーとふぉんよ! あたしにはティティスって可憐な名前があるのよ!』
「おっと!」
玉より生える羽が俺の頬に迫るも、俺は軽く顔を動かすだけで避けて見せる。
あの程度の速さ、姉の裏拳と比較すれば遅い、遅すぎる。
ん? 姉? あ、ね……ふ、ふ? ん?
ええい、なんか思い出せんが今は目の前の玉っころだ!
「お前はなんだ?」
『だから、ティティスって言っているでしょうが!』
「いやいや、箱の中身がこんな玉っころなんて聞いてないぞ?」
『誰が玉っころよ! あたしだって開けてくれたのが人間なんて聞いてないわよ!』
ん~俺は渋面を作りながら思考する。
「よし、お互いまず自己紹介からだな!」
今求められるのは現状と互いの紹介だと俺は結論付けた。
「俺の名はイチカだ。イチ……?」
はて、何故か、自己紹介に抜けているような違和感に苛まれる。
だが俺はイチカなので今は話を進めることにした。
「それでお前は?」
『ふん、聞いて驚け、見て跪づけ、あたしの名はティティス。かの精霊女王七番目の娘にして、王位継承権一位のもっとも女王の椅子に近き至高の存在よ』
非現実な存在なはずなのに、俺は何故か、すんなりと精霊たる存在を受け入れていた。
「ふ~ん」
自分から至高とか言う存在は、自己肯定が飛躍しすぎているのが相場だと決まっている。
しかし精霊ね。精霊ってあれだろう? 自然崇拝とかで生まれた万物の根源をなしているとか、自然を司る霊とかの?
妹が見ているアニメで精霊とか出ていた覚えがあるけど、もうちょっとファンシーな姿だったはずだ。
それが実際はこんな玉っころが精霊とは現実はどこか非情である。
『ふ~む、ふむふむ……ん~? んんんんんん?』
ティティスは俺の周囲を飛び回っては顔(?)らしき箇所を近づけて唸っている。
最後に俺の腹部――ベルトのバックルを羽でこつんと叩いては聞いてきた。
『あんた、このあたしとどっかで会ったことない?』
「それはないだろう。もし初対面じゃないなら箱の中の声で知り合いだってすぐ分かって開けていたはずだ」
『ん~それもそうね。まあいいわ。閉じ込められていたあたしを助けてくれた身。礼はしっかり返さないとね』
「普通この手のパターンは、ありがとう、さようなら元気でね! ってす飛んで行くのがお約束なんだけどな」
『相手が礼を尽くすなら礼を。無礼を尽くすなら無礼を。それがあたしのスタイルなの』
ティティスは小さくお辞儀をする。
この瞬間、淑女がスカートの裾を持ち上げ、お辞儀をする光景が俺の脳裏に走った。
教養と品は高く、やられたらやり返すというより、義理堅い性格のようだ。
なら、その性格に免じてなんでも言うことを聞く件は一先ず保留にしておこう。
「それでなんで箱の中に閉じ込められていたんだ?」
『あたしが聞きたいわよ。こっちは戦争で誰も彼も大忙しだったのに、突然目の前が真っ暗になって、気づいたらあの狭い箱の中に閉じ込められていたのよ。そうしてあんたが開けてくれたってわけ』
俺は改めてティティスが閉じ込められていた箱を注視する。
ティティスが発する光源を頼りに調べてみるが、材質は硬い金属質、上蓋の裏にはジャムのビンみたく密閉するための溝がくっきり刻まれている。
この手の存在相手の封印にはお札やら呪文やらがあるのだが、まったくないため解せなかった。
「さっき、心当たりが多すぎるとか言っていたな」
『ええ、一言でいえば次期女王争いよ』
ああ、納得だわ。ティティスは自らを女王の椅子に一番近いと言っていた。
精霊の政は分からんが女王なる単語が出て来た当たり、姉妹同士、後継争いをしていたのだろう。
『本来なら最後の一人になるまで殴り合って次なる女王を決めるんだけど、続けられなくなったの』
「後継争いでの戦争じゃなくって?」
殴り合って決めるとか、えらいパワフルな選定法なことで。
無駄のないシンプルさに俺は驚きと呆れを内心に抱きながら聞き返す。
『ええ、世界が夕焼け色に染まったと思ったら、どでかい波が現われて他の精霊たちを一瞬にて呑み込んだの』
それも一つや二つではなく、七つの波が精霊を襲いだしたと。
『当然、後継決めは中止。女王姉妹臣下と総出で立ち向かったけど、波はただ近づいただけで容赦なく精霊たちを呑み込んだわ』
ティティス曰く、天など低く、海すら狭いと形容される規格外な巨大な波。
当代最強とされる精霊女王ですら太刀打ちできず、敗走を繰り返したとか。
『事態が好転したのは、敗走先で人間という種に出会ったことよ』
ティティスの発言はあたかも人間なんて存在しないと言っているようなものだった。
ならば、ここは精霊の世界と考えれば妙にしっくりしてしまう。
いや逆に精霊が施設ごと人間の世界に来たのか?
気づいたら別世界とか小説かよ――今はあれこれ推測することじゃない。ティティスの話を最後まで聞いてから考え決めるべきだ。
『あんたぐらいの背格好の奴が三人。あたしたちと接触する前に波の一つを倒していたの』
「どんだけ強いんだよ」
『規格外で非常識だったのはよく覚えているわ。なにしろあの三人、かなり仲が悪いみたいでね。一応、こちらの話をすんなり聞いてくれるだけの知性はあったんだけど、些細なこと、ただ目の前にいるだけで三人が三人、すぐ殴り合うわ、斬り合うわで止めるも面倒だったわ』
当時を思い出したのか、ティティスは深いため息一つ。
三人の共通点は全員が男で年齢も揃って一五歳。その手には金色の剣を持っていたことだ。
驚くべきことに金色の剣には波を消失させるだけの絶大な効果があったことだ。
『その剣はこの地にいた時に気づいたら持っていたとか三人揃って言ってたんだけど、なんで倒せるのか、さっぱりだったの』
当代の女王の説得により協力を取り付けるも、件の波との戦闘中であろうと人間三人は背後からの不意打ち・囮と言う名の置き去りと連携のれの字すらなかったとか。
『それでも波を三つ、四つ倒してくるとさ、自然と連携は取れて来るのよね』
目が合おうと殴り合わなくなった、罵倒し合わなくなった。
連携というものが生まれだした。
『損耗してきっていたあたしたちもだいぶ余裕ってのが生まれてね、同胞減少による戦力補填として、造ったのがこいつら自動人形よ』
ティティスが発する光が辺り一面に散らばる人形を照らす。
「なるほど、人型なのはあの三人を参考にして作ったからか」
だが足元にある残骸だけでも千や万では生温い数だと見る。
いったい、どれほどの数の自動人形が製造され波との戦闘で導入、そして遺棄されたのか、規模を想像できない。
『その通りよ。波に触れようと簡単に呑み込まれない耐性、どんなに動こうと膝をつかない体力、群れで集えば波すら押し返す力。その効果に見合わぬ高い生産性。なにより人形だから恐怖が一切ない。実際、五つ目の波との戦いでは、数を活かした自爆攻撃であの波を撃破しているんだから』
大量生産が効くなら自爆攻撃は誰しも辿り着く。
どれほどの自動人形が波に特攻したのか、俺は身震いした。
「それで波との決着はどうなったんだ? その三人は?」
ティティスは分からないと、光る玉を左右に振った。
『あたしが覚えているのは六つ目の波を撃破したまで。突然目の前が真っ暗になって、気づいたらあの箱に閉じ込められていたの』
全ての波を撃破できたのか、精霊女王や同胞の安否、あの三人はどこに行ったのか、結末は確認のしようがないのは仕方がない。
『けど、この廃棄された自動人形の数を見る限り、かなり長い間、戦い続けたはずよ』
ともあれティティスという精霊の存在と、現在地が自動人形の廃棄所なのは把握できた。
次なる問題はただ一つ。
「ここからどう出るか、だな」
『そうよね。さっさと脱出して、このあたしを閉じ込めた奴に倍返ししてやらないと!』
ここでふと、俺はティティスがない口の端を歪めて不気味に笑う姿を浮かべてしまう。
精霊にも倍返しの概念はあるようだ。
歩く先は暗闇だが、ティティスという話し相手が出来たのが心強い。
もしこのまま暗闇を歩き続ければ自ずと心が摩耗し倒れていただろう。
『ん~あたしの記憶が確かなら、ここ、上からボンボン捨てていたはずよ』
「上、ね……」
顔を上げようと暗闇に包まれ天井は見えない。
ティティスが発する光も天井まで届かない。
自動人形の残骸を積み上げて足場を作る案が浮かぶも、労力を考えると無駄に時間がかかり俺が飢え死する。
飢え死に? そういえば俺……。
「かなり歩いたはずなのに、疲れてもいないし喉も乾いてないぞ?」
積み重なる残骸のお陰で山登りのように下りもしたし登りもした。
それが何故、疲労の一つすら俺は感じていないのか?
『そんなのあたしが知るわけないでしょ?』
そりゃそうだ。俺は心の内で肩をすくめた時、大規模な揺れが襲ってきた。
『なによ、この揺れ!』
「ティティス!」
揺れは鎮まりを見せず、自動人形の瓦礫に雪崩を引き起こさせる。
俺は雪崩となって迫る瓦礫からティティスを守らんと、両手で包み込んでは胸元へと抱き寄せていた。
雪崩が俺とティティスを容赦なく呑み込んだ。
俺は瓦礫が顔面を覆わぬよう腕でガードし、呼吸スペースを確保する。雪崩に呑み込まれた時、恐ろしいのは衝撃もさることながら押し寄せる雪により呼吸を塞がれ窒息することだ。
雪よりも大粒な硬い残骸だろうと押し寄せられればひとたまりもない。
また両手で包んだティティスを潰さぬよう注意を払った。
*
『――ちょっと、起きなさいよ! ねえ、起きてよ!』
声がする。遠くから声がする。ペシペシ頬を叩く感触がする。
「――っ! ゲホゲホゲホ!」
夢から唐突に覚めたような戸惑いが襲うと同時、肺が酸素を求めて激しくせきこんでしまう。
「ゲホゲホ。くっ~どうやら生きている、ようだな」
俺の身体は半ば瓦礫に埋もれていた。
どれほど意識を失っていたのか分からない。
無数の瓦礫に揉まれたせいか、服や肌に細かい傷が出来ていて痛みが走る。
いや細かいで済んだのは不幸中の幸いだろう。
もし鋭利な残骸が突き刺さっていたら、瓦礫の山が棺桶となっていたはずだ。
『目覚めたばかりで悪いけど、動けるかしら?』
ティティスが俺を気遣いながらも急かすのは次なる揺れに警戒していることと、すぐ目の前にぽっかり空いた亀裂があるからだ。
人一人通れる亀裂からは空気の流れを感じ、光が漏れている。
恐らく地震により残骸が隆起、俺たちを天井近くまで押し上げるだけでなく、壁面上部に亀裂を走らせたのだろう。
「ああ、なんとか、痛いが、これぐらい!」
起き上がれば疼痛が全身を貫き走り、俺を涙目にさせる。
俺は長男だし、この程度で動けないのならば、軟弱だと姉に叱られ、妹や弟たちから呆れられる。
なのに、何故か、姉たちの顔や名前が浮かばずにいる。
「ええい、今は進むことだけを考えろ!」
先への一歩、生存への一歩、可能性への一歩!
俺はティティスと共に亀裂を通り抜け、外の世界に力強く踏み出した。
*
なんだよ、ここ……?
脱出の歓喜は一瞬にして灰色となった。
建造物が見当たらない。草木も動物も見当たらない。
目に映るのは灰色の地平線。見上げて映るのは灰色の空。
ただただ灰色の世界が目の前に果てしなく広がっていた。
「どこなんだよ、ここは!」
俺は叫ぶしかなかった! 叫ぶしかできなかった!
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