第一章:滅亡拡大

第5話 暗闇での邂逅

 ふと昔を思い出した。


 小学生の時の苦い思い出だ。


 学校で学んだ記憶よりも、習い事や鍛錬の記憶が多くを占めている。


 多田野が家庭教師として勉学を教え込む、習い事では水泳に始まり、サッカーや習字、剣道、空手と心身ともに鍛えられてきた。


 各清野の家には自前の道場があるも、元々は他の清野家を物理でぶちのめすために江戸時代の当主が作ったものだ。


 流派なんてものは形としてあるも、実際は好き勝手にやっているようなものだ。


 今でも残されている指南書には、どれもこれも相手を殺すことを前提とした物騒なものばかりなので、このご時世、使えるものではない。


 だからか、親父は他者との関りと見地を広めるためと俺を町にある空手道場に通わせていた。


 通い始めた当初は、清野だからと他の門下生から距離を取られていたけど、並んで正拳突きを行う、組手を繰り返すと、汗を流しているうちに友と呼べる存在ができた。


 名前と顔は忘れた。自分から忘れた。記憶から切り捨てた。


「今度の大会、俺が勝つ!」


「いいや今度こそ勝つのは俺だ!」


 嫌でもこのやりとりだけは忘れず覚えている。


 互いの実力は五分五分。


 そいつは俺が清野だろうと関係なく、フランクに接してきた。


 明るく、真っ直ぐな性格から放たれる正拳突きは見事だった。


 切羽琢磨し合うとはこのことなんだって空手で汗を流しながら思った。


「お前さ、四組の――さん知ってるだろう? すんげー可愛い女子だよ」


「うん、一応」


 可愛いとは口に出さなかった。


 もし迂闊に口に出せば、どこからか現れる藍香が可愛いのは自分だと俺に突撃してくるからだ。


「俺さ、今度の試合で勝ったら告白するんだ!」


「そうなんだ」


 それは相手の間合いに踏み込むより勇気がいる行為だ。


 真っすぐ偽りなく相手に正拳突きのような想いを言葉で伝える。


 受けるか、逸れるかは相手の心次第。


「お前も知っていると思うけど、俺さ、この試合が終わると転校するだろう」


「お父さんの栄転って言ってたね」


「実はさ、――さんも近々転校するって聞いたんだ。だからさ俺、試合に勝って、――さんにカッコイイところ見せたいんだ!」


「でも加減はしないよ。お父さんに散々言われているもん。負けてもいい、膝をついてもいい、だけど卑怯者にはなるなって、己を偽るなって」


「あったり前だ! 真正面からぶつかってこいよ!」


 互いに拳を突き合わせ、ベストを尽くすと誓い合った。


 その結果――


「勝者、清野一禾選手!」


 接戦に次ぐ接戦の中、俺は勝った。


 この時の俺は勝利よりも友と全力勝負を行えた興奮で湧いていた。


 もっと戦いたい。もっと楽しみたい。この興奮を味わい続けたい。


 これで終わるなんて名残惜しい。


「なんでだよ、後一歩、後一発入れられた俺の勝ちだったのに……」


 友は泣いていた。俺に負けて泣いていた。


 勝負の世界は非情だ。


 勝者か、敗者か、そのどちらかしかいない。


 だが、負けたとしても次勝てばいい。


 敗北は次なる勝利への糧だと親父から教えられた。


「またやろう!」


 真剣勝負の余韻が冷めぬ俺は手を差し出すが、友は涙目の顔を歪めてその手を振り払ってきた。


「友達なんだから負けてくれたっていいだろう!」


「友達だからこそ拳は偽れないんだ!」


 友の言葉は俺の心に突き刺さろうと、俺は怯むことなく真っすぐな目で言い返す。


 そんな言い方はダメだ。勝負を侮辱している。汚している。真っすぐで正直なお前らしくない。


 友は親が咎める止めるのも聞かず、泣きながら走り去ってしまう。


 あいつにとって、この試合こそ最後の空手だった。


 俺に勝って、勝利の花を手に告白するはずが敗北により頓挫した。


 敗北があいつの矜持を打ち砕いたからこそ、次こそ勝つなんて考えが至らずにいた。


 なにしろ空手は、地方だけでなく県や日本全国、いや世界大会すら開かれている。


 続けさえすれば別々の地にいようと、再び拳を相まみえる日が来るはずだ。


 雪辱を晴らし、今度こそ勝利の花を勝ち取れるはずだ。


「どうして?」


 俺は友が伸ばした手を振り払った理由に俄然、合点が行かなかった。


             *


 それからあいつは何も言わず転校して行った。


 とんでもない置き土産を残して……。


『清野一禾は審判を買収した』


 とんでもない濡れ衣だった。


 転校する直前、あいつはクラスメイトにあの時の試合は俺の卑劣な手段で負けたと散々口にしていたそうだ。


 清野家の力を使えば審判買収は容易いとの噂もどこからか流れてきた。


 当然、大人たちの耳に入り、即座に調査が行われる。


 結論ありきで言えば、確かに不正はあった。


 だが、それは別グループでの審判買収だ。


 受験に箔をつけるため、優勝という実績を求めるがあまり保護者が審判を買収していたのだ。


 清野家は白との調査結果が出ようと、一度流れ出た噂は新たな噂の苗床となり、スケープゴートだとの一部の人々から批判さえ出た。


 さて、そんな噂が一度流れ出れば、渦中の俺がどうなるか、火を見るよりも明らかだ。

             *


 それは公園で俺が潔癖を信じてくれた友達と遊んでいた時だ。


 あいつのクラスメイト五人が現われ、俺にケンカを吹っかけてきた。


「おいおい、殴り返してみろよ! できねえもんな!」


「ぐっ、やめろって!」


 五人がかりで殴る蹴るを繰り返す。


 俺が清野だろうと関係ない。


 ただ友達を侮辱し、清ヶ原から追い出した悪い奴――それがあいつらの認識だった。


 殴り返すのは容易い。


 だが、空手は一歩間違えれば人を容易く傷つけ、時に殺すことさえできる格闘技だ。


 特に有段者であるならば、やむを得ず自己防衛のために拳を振るおうと、過剰防衛として扱われてしまう。


 身体を、精神を鍛えるために培ってきた術が人を傷つけてはならない鎖。


 もっとも殴る相手からすれば、反撃しない都合のいい相手との認識だった。


「お? 殴るのか? 殴ってみろよ、ほら!」


「お友達はみんな、どっかに行っちまったぜ?」


 口の中がヒリヒリする。鉄の味がする。殴られた頬が熱を帯びて痛い。


 つい本能のまま拳を握ろうと、ただ握るだけで相手を殴らない。


 殴り返さぬ俺にこいつらはただ笑う。滑稽だと腹を抱えて笑う。


 笑っていたのは今のうちだった。


「ひなたちゃんキイイイイイクッ!」


 笑っていた一人が背後からの奇襲で蹴り倒された。


 誰もが笑うのを止めた時には、踏み込んできた影に一人残らず投げ飛ばされ、鼻先から地面に激突する。


「なにをしているの?」


 誰もが痛みに呻く中、影から仄暗い声がする。


 影の正体に気づいた俺はその瞬間、背筋に怖気を走らせ、逃げ出したくなる本能に駆り立てられる。


 だが、恐怖が両足に縛りつき、走り出すのを拒絶した。


「楓月、お姉ちゃん……」


「アンドひなたちゃんもいるよ、お兄ちゃん♪」


 不機嫌面の楓月とは正反対に、ひなたは笑顔で存在を俺にアピールするも蹴り倒した一人をゲシゲシ蹴り飛ばしていた。


「ねえねえ、笑いながら殴る蹴るって楽しいの? ひなたは全然楽しくないよ。ねえ、どこが楽しいの? 教えてよ?」


 未だ痛みから立ち直れぬ者たちを殴る蹴るを繰り返して質問を繰り返す。


 そんなひなたを横目に、楓月は大股で俺に近づけば振り上げた手で容赦なく頬を引っぱたいた。


 頬に走る激痛は、あいつらに殴られるより痛かった。


「お姉ちゃんの弟がなによ、このやらっぷりは! お姉ちゃんは弟くんをそんな軟弱者に育てた覚えはないわ!」


「で、でも、空手に私闘なしって――んぐっ!」


「口答えしない!」


 もう一度頬を叩かれた。叩かれるだけでなく胸ぐらを掴まれ、裏拳で何度も顔面を殴られた。


「痛い? 痛いわよね? ならどうしてやり返さないの? いざって時に動かない強さなんて意味あるの? 強くなってお姉ちゃんや妹ちゃんを守りたいって言ったのは嘘だったの?」


「え、そんなこと言ったおぼ、え、ぐうっ!」


「お姉ちゃんが言ったことは弟くんが言ったことなの!」


 俺の記憶に一切ないとしても姉としてのポジションと殴打が強制的に肯定させてくる。


「殴ったらダメ? 蹴ったらダメ? なら殴らなきゃいいじゃないの! 蹴らなきゃいいじゃないの!」


 楓月は俺から手を離せば、手本だと言わんばかり手身近な一人の手を掴む。


 自分の元へと軽く引き寄せた瞬間、そいつの身体はくるりと縦回転して、頭からもう一度地面に倒れこんだ。


 別の奴が起き上がって楓月に襲いかかる。


 だけど、楓月は背中に目があるかのように突き出された腕を叩き落とし、掌で胸元をつんと軽く突き飛ばしていた。


「次はこうするの!」


 傍と見てただ軽く突き飛ばしたのはずが、相手は背面を地面に強く打ち付け、激しくせき込んでいる。


 時間とて一〇秒もかかっておらず、一挙手一投足に一切の無駄な動きがないほど洗練されていた。


「ぶら~ん、ぶら~ん」


 ひなたはと言うと笑って殴る蹴るの楽しさが理解できないため、ブランコで一人立ちこぎで遊んでいた。


「トドメはこう!」


 両手で相手の頭をがっちり掴んだ楓月は頭を振りかぶり、容赦なく額を叩きつけた。


 ゴツと凄まじい音が離れた俺を鼓膜を揺さぶり、相手は白目剥いて倒れている。


「弟くん、分かった?」


 楓月は激突させた額に張り付く前髪を整えるだけで頭突きにて生じるバックファイアに一切苦悶していない。


「今度は弟くんの番だよ。ほら、お姉ちゃんが手とり足とり教えるから一人残らず……ヤリナサイ」


 冷徹さを宿す楓月の声が俺の身体を強制的に突き動かす。


 殴るのダメ、蹴るのもダメ。ならば投げ飛ばせばいい、突き飛ばせばいい、頭突きすればいい。


 まさに言葉の抜け穴である。


「ひっ、ひいいいいいっ!」


「に、逃げろ!」


「女に助けてもらうなんてこの弱虫が!」


 先ほどまで殴る蹴るを楽しんでいたそいつらは今なお昏倒する一人を置き去りに、涙目で公園から逃げ出そうとする。


「ひなたちゃんダ~イブ!」


 逃げる奴らの背後から強襲するはブランコ漕いでいたひなた。


 カタパルトから射出される戦闘機よろしく、ブランコから飛び出したと思えば、そのまま逃げる奴らに激突する。


「にっししし、なにが弱虫だよ。お兄ちゃんは殴らても逃げなかったよ? なのにちょっとお姉ちゃんにやられたぐらいで逃げ出すなんて、本当の弱虫はどっちなのかな?」


 楓月の頭突き同様、全身を砲弾にして激突しようと、ひなたにもバックファイアは現れていない。


 下敷きにした奴らを踏みながら、ひなたは褒めて欲しそうにこっちに目を向けてきた。


「流石、ひなたちゃん、弟くんのためにしっかりと確保してくれたのね!」


「へっへっへ、褒めて褒めて」


「よ~し、よしよしよし!」


 嬉しそうに微笑む楓月はひなたの頭を撫でまくる。顎下を撫でまくる。


「弟くん、後でお友達にお礼を言っておきなさいよ」


「うんうん。血相変えて、お兄ちゃんを助けてってお家に駆け込んできたんだよ」


「そうだったんだ……」


 逃げ出した訳じゃなかった。自分たちではどうにもできないからこそ、現状を打破できる人物に助けを求めた。


 共に並んで空手をしたいあいつはもういない。


 だけど、友達そのものが消えたわけじゃなかった。


「けど、お姉ちゃん悲しいな。弟くんがこの程度だなんて」


 にっこりと笑みを浮かべる楓月の表情は地獄への片道切符。


 現在では弟をダメにするまで甘えさえてくる楓月だが、小学生時代は正反対。


 上級生ですら泣いて逃げ出す小学生に不釣り合いな強さで、弟や妹に手を出そうならば泣こうが喚こうが完膚なきまで打ちのめす。


 そして次には軟弱な弟に呆れ、鬼畜軍曹ぶりな指導で徹底的に鍛え上げる。


 反論は許さない。泣き言は認めない。弟ならこれぐらいやってみなさい。お姉ちゃんができるから弟くんもできる!


 無茶ぶりすぎる!


「これはもうお姉ちゃんとして、弟くんをしっかり鍛え直さないとね」


 こいつらを叩き伏せた後、俺は楓月の家の道場に押し込まれ、胃の中が空っぽになるまで直々の稽古を受ける。


 何度投げ飛ばされたか、突き飛ばされたか……俺は数えるのを止めた。


 なお、ひなたがブランコから大ジャンプの大ダイブしたお陰で、真似する子供が現われ、危険だとブランコは公園から撤去されたとさ。


              *


「くっ~随分とまあ懐かしい夢だな~」


 真っ暗闇の中で俺は目を覚ます。


 小学生時代の嫌な思い出だ。


「今更な夢だ……ぐ~全身が痛いな」

 

 過去には拘らないが性格だが、夢で見せつけてくるのは勘弁して欲しい。


 背面は硬くごつごつしたものが当たり、不自然な格好で倒れていたからか、全身の筋肉が凝り固まって痛い。


「ここ、どこだ?」


 記憶では紅樹の家が更地だったことにショックを受けたとこまで覚えている。


 なにか拾ったような気もするがそこらへんはモヤがかかったように曖昧だ。


「まったくなにも見えねえ」


 真っ暗なため状況を確認できる手段は指による触感だけだ。


 手探り足探りで周辺状況を探るも指先に触れるのは硬くごつごつしたものばかり。


 時折、太さの違う棒状のものに触れる。次に触れるのは凹んだボールのようなもの。その次は歪な箱状のものと、なんらかのガラクタ置き場なのかと推測する。


 ならどこかに――恐らく上の方に投入口があるはずだ。


 ただ一つの疑問を言葉と共に走らせる。


「誰が、なんのために俺をこんな場所に押し込んだ?」


 誘拐にしては人質の扱いがなっていない。


 金銭目的ならもう少し丁重に扱うものだ。


 一方で怨念返しなら納得できてしまう。


 今なお清ヶ原には現在の清野三家の状況を認めぬ者たちは絶滅危惧種レベルでいる。


 清野三家の仲を崩すために、拉致監禁したのか?

 

「ああ、もう真っ暗すぎてわからん!」


 現状は暗すぎて状況を把握できない点だった。


 暗闇に目が慣れようと光が一切ないため意味がない。


 反響する声からして、それなりに広い空間なのは嫌でも分かる。


 そもそも進んでいるのか、後退しているのか、前後感覚が曖昧になる。


「ん? なんだこれ?」


 指先に触れるのは棒状か、凹んだボールか、歪な箱かの三種類であったが、ふと野球ボールサイズの箱を掴んでいた。


 今までと違う金属質の触感が指先より伝わるなり、箱が唐突にガタゴトと揺れ出した。


『誰かいるの? いるなら出して! ねえ出してよ!』


 驚く暇すら当たられず、箱から女の子の声がする。


 ちょっと勝ち気な声は助けを求めてきた。

 

「もしも~し」


 俺は箱を落とさぬようしっかり掴んだまま声をかけた。


『いるわよ! いるから開けて! 開けてくれたらなんでも言うこと聞くから!』


 俺は開けるか、開けざるべきか逡巡した。


 〇〇してくれたらなんでもするから――なんて言葉、約束反故のテンプレートだと藍香で散々学んでいたからだ。

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