第4話 確かに覚えている記憶

「やっほ~おにい、お仕事お疲れさん!」


「お疲れさんじゃないだろう。ここには一人で来るなっていつも言っているだろう?」


「一人じゃないもん!」


 両頬をリスのように膨らませた藍香は店の外を指さした。


 窓から外を見れば、垣根越しに藍香の世話係担当メイドの上半身姿を確認した。


「だからって小学生が一人で来ていい場所でもないだろう」


「お金ならあるよ」


 小遣いは小さき身故に貰っている藍香だが、気軽に飲み食いできる額ではない。


 論より証拠と言わんばかり藍香は見慣れぬポーチを俺に見せてきた。


「待て、そのポーチどうした?」


 藍香が俺に見せたポーチは明らかにルのつく高級ブランドのポーチだった。


「うんとね、さっきまでね、ユメくんとヨウくんとユウちゃんの三人でね、じいじとばあばたちの家に遊びに行ったの。じいじがさ、いつも通りあれこれさ、お父さんの悪口言ったその後ね、ばあばが清野の人間ならこれ使いなさいってこのポーチくれて、じいじはお小遣いくれた」


 ポーチを開けば素っ裸の札束が丸々二つ入れられている。


 祖父さん祖母さん! なに小学生にブランド物や札束を渡してんだよ!


「ちゃんと言いつけ通り後でお父さんに全部渡すから安心していいよ。マネーロンダリングしてじいじの財布に戻しとかないとね」


 妹よ、嬉々とした顔で賢いこと言っているようだが、マネーロンダリングの意味が違うぞ。


 脱税や粉飾決算などで汚れた資金を架空や他人名義の口座に転々と送金を繰り返すことで正当な資金だと思わせる犯罪行為だ。


 断じて巡り巡って元の持ち主に戻すのではない。


 何故、小遣いとして貰った金を当人に戻すのかと言えば、ただ単に祖父さんたちの資産を維持させる意味合いがあった。


 減れば増やそうと動くのが人間である。


 祖父さんたちの口座や財産は親父たちが抑えているとはいえ、意趣返しとして、あの祖父さんたちが隠し口座を作っていてもおかしくはない。


 だからこそ資金の現在額や流れを正確に把握する必要があり、不穏な動きを察知すれば直ちに凍結へと動く。

 

 その背景には清野三家の対立再燃は抑えなければならないという各当主たる親父たちの考えがあった。


 親父たちの考えに子供全員が賛同しているからこそ、祖父さんたちから小遣いをもらおうとしっかり全額元の持ち主に親父経由で戻しているというわけだ。


「後なんだ、この袋?」


 ポーチの中には札束だけでなく白いビニール袋も入っている。


 ほのかに温かく、兄の勘がどこか嫌な予感を与えてくる。


「犬のウ〇コ――あいたっ!」


「飲食店にそんなもの持ち込むな!」


 絶句する俺は思わず藍香の頭を引っぱたいていた。


 しっかりと密閉されているから匂いはこれ幸いとないが、なんで〇ンコなんてもの入れてんだ!


 どこの犬のかなんて関係ない!


 飲食店に持ち込んでいいものじゃないぞ!


 ああ、もう後で藍香の通ったルート、しっかり消毒しとかないと!


「お、お嬢様、お戯れもほどほどにしてください」


 見ろよ、多田野が涙目な顔で呆れているぞ。他の客も。


 誰も彼も強く注意しないのは清野という名前の大きさ故だ。


 畏怖とも言うべきか、清野三家に手を出せば清ヶ原に住みにくくなるという噂もあるから困る……実際どうかは知らんが。


 ともあれ! 妹の不始末を片づけるのは兄だと昔から義務付けられていた。


「とか、お前ブランドものの中にそんなもの入れるなよ」


 ク〇も金も同じ扱いとは、ポーチの価値が駄々下がりだ。


「だって丁度いい入れ物だったんだもん。流石、ばあばだ」


 あ~こいつ、ポーチの価値分かってないな。


 手頃サイズな入れ物としか認識してないのは幼き故か、もしくは素か。


 祖母さん、ポーチの価値しっかり説明しとけよ……。


「ちょっと藍香ちゃん、一つ聞いていいかな?」


「藍香はお菓子でしゃべります」


 外のメイドを見た紅葉が藍香と目線の高さを合わせて聞いてきた。


 散々食っておいてどの口が言うか。


「どうして外のメイドさんはうちの犬二匹を連れているのかな?」


 紅葉がクッキーを藍香の口に入れるのを横目に俺は今一度外のメイドを再確認する。


 俺に気づいたメイドは会釈するも、問題はメイドがリードで繋ぐ動物。


 その後ろ姿は歩く食パンと形容されるモフモフで耳がピンと立った短足の犬――ウェルシュ・コーギーが二匹いることだ。


「この犬、紅樹とこのマルワンとモココじゃないか!」


 マルワンがオスで、モココがメスの夫婦犬だ。


 ほんの三週間前、仔犬を出産、藍香の強き要望により、その一匹を譲り受けることが決まっていた。


「んとね、帰り道の途中でね、散歩中のコウおにいと会ったの」


「うんうん、それでそれで」


 事情を聞くにつれて紅花の笑顔が段々とほの暗く染まっていく。


「ちょっと二匹をモフらせてもらっていたらね、コウおにいのスマートフォンに電話があって、なんでも図書館に読みたい本が届いたの。そうしたらさコウおにい、予行練習だって行って二匹の散歩を藍香に任せてバビューって走って行ったんだ」


「あのバカ兄!」


 紅葉の怒声が店内に響き渡る。


 おいおい友よ。なにしてくれちゃってんの。


 そりゃさ藍香も飼い主としてこれから犬の散歩を毎日しなきゃならんのだが、自分の飼い犬の散歩を小学生に押し付けるなよ。


 こればかりは紅葉の怒りに同感するわ。


「そういやあいつ、図書館に読みたかった考古学の本が近々届くとか言っていたな……」


 藍香のポーチの中に犬の〇ンコ入り袋が入っていたのも納得だよ。


 ホント、あいつ遺跡が絡むとダメだわ。


 好きなことに夢中となるのは好感あるんだが……。


「ちょっとバカ兄とっちめてくる!」


 言うか早いか、紅葉は自分のドリンク代をテーブルに置くなり店を飛び出していた。


「後、ごめん、藍香ちゃん、二匹もう少し預かってて!」


「任せて! 散々動き回らせてバテバテにして返すね!」


 モフモフなコーギー二匹と散歩できるのが嬉しい藍香に承諾せぬ理由はない。


 二匹も藍香に懐いているのはいいとして、コーギーは牧羊犬として生まれた犬種だぞ。


 常に広大な牧羊地を走り回るからスタミナは多いし、短足だから俊敏に動いて小回りも効く。

 

 バテバテになるのはどちらか分かり切っていた。


「んじゃ散歩戻るね」


「ああ、妹ちゃん、ちょっと待って、お菓子あげるから待って」


 散歩に戻ろうとした藍香をお菓子で引き留めるは紅葉の友達ときた。


「これ以上食べるとお母さんの美味しいご飯が食べられませんから待ちません」


 藍香は両腕を重ねては×印を作りお菓子を断った。


 それでもその友達は引くことはない。


「どうして妹ちゃんはさ、紅葉のこと嫌わないの? ひなたとかさ楓月先輩と同じ姉ポジションなのに」


「だってクレねえ、あのガン姉たちと違ってベタベタしないもん。モフモフしないもん。おにいとの間にもズカズカ割って入ってこないもん」


 当たり前すぎて返答は面倒だとの顔だが藍香は律儀に答えている。


「ああいう姉が欲しかったな」


 ちらりと俺を一瞥した藍香は物欲しそうにそう言って店を出て行った。


「ああいう姉ね」


「なるほど姉か」


「なんだよ?」


 どこか納得する後輩組は微笑ましい顔で俺を見ていた。


 まさか藍香の奴、義姉が欲しいのか……いやいや紅葉はひなた同様、可愛い妹分だぞ。


「坊ちゃま、清掃をお願いします」


「ああ、そうだった」


 俺は困り顔の多田野に呼ばれ、後輩組の視線を受けながら仕事に戻る。


 姉云々に関しては雑念として今は振り払う。


 ロッカーから掃除道具とアルコールスプレーを取り出せば、勝手口から清掃と消毒作業をスタートさせた。


             *


 時間は戻り、日曜の食後。


 小学生組を楓月やひなたに任せた俺はラーメン屋を飛び出し、一人住宅街を駆け抜けていた。


 走る中、何故という疑問が頭の中を満タンにする。


 紅樹と紅葉とは確かに会った。言葉を交わした。


 なのにどうして、誰も最初からいなかったように覚えていない?


 居ても立っても居られない俺は直に会うため、こうして紅樹たちの家に向かっていた。


「はぁはぁはぁ……え?」


 俺がたどり着いたのはとある住宅街。


 三年前、清ヶ原開発計画の一つとして整備された地だ。


 何十もの家々が並んでいる住宅街――のはずだが。


「ど、どういうことだ……?」


 俺は目の前に広がる光景に愕然とする。


 確かに家はある。あるも更地が目立ち、記憶と現状の光景が一致しない。


 記憶では更地など一つもなく全て家で埋まっているはずだ。


「それに、ない……」


 本来ならあるはずの渡来宅は更地となっていた。


「そうだ。連絡!」


 どうしてスマートフォンで連絡を取ろうと走り出す前に気づかなかったのか。


 いや、きっと旅行写真から紅樹と紅葉の姿が抜け落ちていたショックで失念していたからだ。


 俺はスマートフォンを取り出せば、すぐさま紅樹に連絡を取る。


 だが、目の前の更地と同じ結果だった。


「くっ、通じない!」


 メールを送ろうと宛先不明で届かない。


「いつからだ? いつからこうなっていた?」


 俺は後頭部を掻きながら自問する。だが自問しようと自答に至らない。


 まるで氷山の上にいたと思えば地面の上にいた感覚。


 足場の氷山が少しずつ溶けているのに、溶けきるまで一切気づかなかった。


 昨日の、土曜の記憶は確かにある。


 喫茶店での紅葉とのやりとりも、その帰り道、妹に叱られ、しょんぼりシワシワ顔で歩く紅樹と出会ったのも確かに覚えている。


「それに他の家まで更地だなんて、一体どうなっているんだ?」


 一つの土地も余ることなく家々で埋まっているはずだ。


 なにしろこの地区は入居者の新たな受け皿として開発された。


 不可解なことだらけに頭がおかしくなる。


 かちかちかちかち……――


 ここに来て、歯車同士が噛み合う幻聴まで聞こえてきた。


「いや、違う」


 幻聴ではないと否定するのは渡来家の更地に確かな音を聴いたからだ。


 耳を頼りに音源を目で探せば、更地の中央にて土に半ば埋もれた歯車を見つけ出した。


「こいつは歯車か?」


 懐中時計や柱時計に内蔵していそうな小さな歯車。


 拾い上げる俺は同時に解せぬと口走る。


「なにと噛み合っていたんだ?」


 拾ったのは一枚の歯車のみ。


 歯車は他の歯車と噛み合うことで動力を伝達する機械要素だ。


 単体では動力を伝えられず、また回転させる動力も見当たらない。


「……本当に幻聴だったようだな」


 収穫が歯車一つに虚しさが俺の胸を走る。


 帰ろうと更地から道路へと一歩踏み出した時、俺の意識は引きずり込まれるようにして唐突にブラックアウトする。


 かちかちかちかち――


 ブラックアウトする寸前、歯車が単体で噛み合う矛盾する音を聞いた。


              *


「おい、誰か倒れているぞ!」


「しっかりしてって、この子、清野さん家の!」


「東の御曹司じゃないか」


「ここに視察でも来たのか?」


「バカなこと言ってないで家に連絡して! もしくは救急車!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る