第3話 とまり木

 それは土曜の昼下がり、昨日の出来事だ。


 日曜以外の日、俺一禾は喫茶店<とまり木>でアルバイトをしている。


 平日は放課後、土曜は昼から夕方まで。


 木組みの内装とガーデニングが特徴の喫茶店だ。


 学校も近いことから、帰り道に立ち寄る生徒も多ければ、ご近所さんが憩いを求めて来店する。


 なんでお金持ちの子供がバイトなんてしているのか?


 お金持ちだから小遣い沢山もらっているなんてただの偏見だ。


 自力で稼ぎ、金の重さと労働の対価、世間からの不条理さと、そのぶっ飛ばし方を学べという親からの教育方針である。


「はぁ! あんた柿崎先輩の告白断ったの!」


 驚いた女の素っ頓狂な声が店内に響き渡る。


 テーブルを布巾で拭いていた俺は他の客と同じように思わずとあるテーブル席に目を向けてしまう。


 見れば黒曜館学園中等部の制服姿の女子が三人、テーブルにいる。


 三人のうち二人が一人の女子をあれこれ詰問しているようだ。


(あれ紅葉じゃないか)


 詰問されている一人の後姿が特徴的なポニーテールのお陰ですぐ分かった。


 ちょっと倉庫にコーヒー豆の袋を取りに行っている間に学校の友達と来店したようだ。


 渡来紅葉は親友である紅樹の妹だ。


 丹精に整った小顔とポニーテールが特徴で、同い年のひなたと違ってしっかりとし、正反対の落ち着いた性格。


 兄である紅樹からすれば、しっかりしすぎて口やかましいと、ぼやきを何度も聞かされている。


 いや、しっかりした妹って正直うらやましいぞ? と思うのは俺だけだろうか?


「いやだってさ、高等部の先輩だってのは分かったどそれ以外全く知らない人だったし……」


 友達三人に詰問される紅葉は圧力に負けじとどうにか答えている。


「サッカー部エースの柿崎先輩を知らないの?」


「エースストライカーで、ルックスだって最高で、なおかつプロリーグーからスカウトされたあの先輩よ!」


「だから、知らないって言っているでしょう!」


 勘弁して欲しいと言わんばかり紅葉の声音は困惑に染まる。


 そりゃそうだろう。


 中学と高校が同じ敷地内にあるとはいえ、それぞれの校舎はフェンスにより仕切られ、自由に出入りはできない。


 部活動での交流はあるとしても、それは部活動に携わる者の話であって他は縁もゆかりもない。

 

 なにしろ黒曜館学園は幼稚園から大学まである私立のマンモス学校だからだ。


 二〇年前、親父たちが誰でも学べる場所を作ると、清ヶ原開発計画の一環として別邸のあった黒曜館跡地に建設した。


 清野三家の諍いが鎮まったことで、人口流入が起こり学校が足りなくなった事情もあったりする。


 校則は緩く、かといって進学率や就職率は高い。


 学費だって他県の私立校と比較して安い。


 有能な教職員を招き入れるだけでなく、教職員そのものの育成もぬかりない。


 どれもこれも清野三家の高い資本力があってのことだ。


 当主である親父たち曰く、未来を担う子だからこそ、その根幹となる教育に投資は惜しまぬと。


 全国各地の学校と比較したことがないため分からないが、資料を閲覧する限り、教職員の採用倍率は高く、他県からわざわざ売り込みに来る者もいるようだ。


「まあ、あんたには清野先輩がいるからね」


「なんでそこで一禾先輩が出てくるわけ?」


 紅葉の言う通りだよ。なんでそこで俺の名前が出てくる?


 当然、俺の名前が出て来たからか、客という客の視線が俺に集う。


「私は清野って言っただけで、東の清野とは一言も言ってないわよ?」


 おい、カマかけんのやめろ。


 止めたい。いや今すぐ止めるべきだ。


 だが、今の俺はアルバイトのウェイター。


 余程のことでなければ実力行使はマスターにより禁止されている。


「あのね、前に言ったけど、一禾先輩は兄さんの友達なだけであって、それ以上でもそれ以下でもないわよ」


 然り、紅葉は親友の妹だ。


 それ以上でもそれ以下でもない。


 ひなたのような可愛い妹分だぞ。


「でもあんた、去年の夏、先輩と海行ったでしょう?」


「確かに行ったけど、清野三家族合同の旅行にお呼ばれしただけだから」


 確かに海には行った。


 清野三家の親睦を深めるという重要な意味を持った毎年恒例、六泊七日の三家族合同旅行。


 折角だからとお袋が紅樹たちを誘ったのである。


 毎年毎年行っているから旅行先でやることは決まっている。


 親父たちは海釣りしながらビールを呷る。


 母親たちは新鮮な海鮮類を求めて近隣の市場に買い物。


 子供たちはビーチで遊ぶと、三者三葉であった。


(まあ紅樹の奴は近くに遺跡があると知るなりすっ飛んで行ったけどな)


 紅樹は考古学者を目指している。


 日夜勉学に励んでいるのはいいが、遺跡があると知るや否や知的好奇心を抑えきれず一人飛び出してしまう。


(あいつ、楓月やひなたの水着が見れるとか出発前に喜んでいた癖に)


 楓月はその美貌や母性的な性格から校内外問わず人気が高い。


 ひなただってその溌剌とした性格から交友関係が広く、軽音部の定期演奏も背中を押してか根強いファンだっている。


 だが紅樹にとって魅惑的な水着よりも遺跡の魅力のほうが強いようだ。


 ふと水着姿の紅葉の姿を思い出してしまった。


 背丈はひなたと大差ないがやはり出ているところは出ているというわけで――青のビキニ似合っていたよな……。


(ん、まあ、うん、そうだな)

 

 今はバイト中の身。


 雑念妄念は振り切り、仕事に集中しよう。


「でもあんた、その先輩の妹ちゃんと仲いいじゃないの」


「妹ちゃんの姉嫌い、清ヶ原じゃかなり有名なのよ。兄に近づく姉は許さない認めないってスタンスだし」


「それは直に何度も見たから知っているけど……」


 兄として言えるが藍香の姉嫌いは生まれ持っての筋金入りだ。


 生まれたての頃、俺が抱き上げればキャッキャ笑うのに、楓月やひなたが抱き上げればギャンギャンな大泣きだ。


 俺という兄に近づく姉タイプが嫌いなのか?


 幼き身であろうと既に小姑気取りなのか?


 だが同じ姉タイプに当てはまるであろう紅葉が相手だと不機嫌面の藍香は借りてきた猫のようにおとなしくなる。


 解せぬ。


「坊ちゃま、三番テーブルにブレンドコーヒーとカフェオレをお願いします」


 ふとカウンターから初老の男性が俺を呼ぶ。


 オールバックの白髪に、年齢を重ねることで深さを醸し出した顔つき、ウェイターベストにネクタイ、カッターシャツを着こなすこの男は喫茶店のマスターである多田野一仁ひとしだ。


「爺や、ここは清野の屋敷じゃない。坊ちゃまはよせ、恥ずかしいだろう」


 注文品が乗ったトレイを受け取りながら俺は雇い主相手を今までの癖で咎める。


 多田野は祖父さんの代から俺の家に仕えてきた元家令、執事長だ。


 祖父さんは多田野を我が親友、我が右腕というほど全幅の信頼を寄せていたが、長きに渡る清野三家の対立に思うところはあったようで、親父たちの改革に裏で協力してきた一人だ。


 抜け目なく祖父さんたちを出し抜けたのも、各家々の執事長たちの力があってこそだ。


 多田野はお家騒動が鎮まってしばらく、結果として主君を裏切ったとして親父にお暇を申し出た。


 だが親父はお暇を認めず、執事長の任を解き、一家令として仕えるよう辞令を出した。


 俺はまだ生まれていないから知らないが、聞けば清ヶ原内では裏切者だと白眼視されることに多田野が耐えきれなかったそうだ。


 親父とて親を裏切った息子だと言い、清ヶ原開発に多田野の手腕は必要だと手伝うよう説得する。


 その後、俺が生まれると教育係兼世話係の任を与えた。


「それは失礼。ですが、坊ちゃま、ここでは爺やではなくマスターと呼んでください」


 いやいや二度も言ってるっての。


 長年により培われた癖と信頼からの立場修正は難儀なものだと俺はトレイを受け取りながら呆れるしかない。


 多田野は公衆マナーから勉強、スポーツ、格闘技などなど、荒事に遭遇しても生きていく上で必要な術を俺に教え込んだ。


 日頃は物腰静かな爺さんだけど教える時は容赦ないのは忘れたくても忘れられない。


 それから今より三年前、加齢による衰えを隠せず家令を引退する。


 引退後は新たに開発された住宅街の一角に喫茶店を開き、家令時代で培われた確か目と腕で美味しいコーヒーと紅茶を振舞っていた。


 なお、俺がこの店をバイト先にしたのはただのコネだ。


「はい、お待たせしました」


 俺は営業スマイルで注文の品をテーブルに並べていく。


「ではごゆっくり」


 カウンター奥に戻ろうとした俺は店内で覚えのある気配が漂っているのを産毛で感じ取る。


 立ち止まって首をぐるりと気配の方に向ければ案の定、藍香が紅葉のグループに混じっていた。


 違和感を覚えさせぬほど、藍香は馴染んでおり、あれやこれやとお菓子を貰っては嬉々として食べている。


「藍香!」


 扉の来店ベルが鳴らなかったのは、こいつがまた店の勝手口から勝手に入ってきたからだ。


 勝手だけに!

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