アドルナート領の調査①


「一体どうなっているんだ……?」


 俺――アドルナート家の家令ジョルジュは、受け取ったばかりの手紙に戸惑いを隠せなかった。


 ブレッサ=レオーニ女伯爵と『銀狼伯』ことウルバーノ伯爵が、アドルナート伯爵邸に乗り込んでから三日。チャールズ様が追放されてか六日。


 『明日、王都ヴァニスからアウレア神誓騎士団がチャールズ様の追放について話を聞きに来る』と言う報せを持った急使が、旅神の神殿からやってきたのだ。


 アウレア神誓騎士団と言えば、スティーヴァリ王国最強の騎士団として有名だが、それがなぜチャールズ様の追放について調べに来るのか。


 チャールズ様が王都に向かわれたと言うのは、衛兵長のカルロス・マリオッティ男爵から聞いているが、だからと言って神誓騎士団と接点を持つことにはならないだろう。

 そもそもアドルナート領から王都までおよそ六日かかるのだから、チャールズ様が到着なさったのは今日のはずなのだが……


「……一先ず、旦那様に報告が先だな」


 ともかく明日、使者がやってくるのは確定なのだ。幸い旦那様――ポンツィオ様に来客の予定もないので、使者を迎える分には問題ない。

 分からない事は一旦横に置き、俺は手紙を持ってポンツィオ様の執務室に向かう。


「旦那様。ジョルジュでございます。至急、お耳に入れたい事が――」

「黙れ! 聞きとうない!」


 最後まで用件を言い切る前に、旦那様の金切り声で遮られる。


「明日の予定にも関わる事です。どうか――」

「黙れ! 黙れ黙れ黙れえ! どうせチャールズの事をとやかく言う手紙でも来たのだろう!」


「……失礼いたします」


 俺は一言断りを入れ、執務室の扉を開けた。

 無駄に広い部屋の奥にある、金箔をふんだんに使って飾り立てられたこれまた無駄に大きな執務机が、何十枚もの封筒と便箋で溢れかえり、その周囲の床まで埋め尽くしていた。


 全て、ポンツィオ様がチャールズ様を廃嫡・追放したことへの抗議文である。


 三日前。ブレッサ=レオーニ伯爵らと入れ違いになる形で、商業ギルドと薬師ギルドのギルド長が、巨大な木箱を持ってアドルナート伯爵邸に訪れた。


 薬師ギルド長からは、チャールズ様がアドルナート伯爵家に治めていた上納金を停止する事が伝えられ、商業ギルド長からはそれ以外にチャールズ様が主導となって行った事業の利益の一切を、商業ギルドで管理する事が伝えられた。


「今回の両ギルドの裁定に関しては、他の出資者の皆様全員から同意を得ております」

「その際に、チャールズ様の廃嫡・追放の件について『問い合わせ』の文書を預かっております故、お届けに上がりました」


 そう言ってポンツィオ様の不平不満も涼しい顔で受け流し、両ギルド長は去って行った。

 大量の『問い合わせ』文書、もとい抗議の手紙が詰め込まれた木箱だけを残して。


 手紙は伯爵家領の傘下にいる貴族たちや、チャールズ様の事業に出資していた有力商人、更には多量の薬師・商業両ギルドやウルバーノ領の冒険者ギルドからも寄せられ、中身は一様にチャールズ様の追放処分への非難と『チャールズ様が戻らなければアドルナート伯爵家との付き合い方を考えざるを得ない』という旨が記されていた。


 開けても開けてもなくならない手紙と、自分の判断をひたすら糾弾し続ける内容に、ポンツィオ様はすっかり精神的に参ってしまっていた。

 因みに返信作業は例によって全部俺に丸投げされており、読み書きができる使用人と共にせっせと手紙を書いては封筒に詰めていく作業をかれこれ三日続けている。


 もう手紙など見たくもないという気持ちも分からなくはないが、流石に王都からの使者を無視する事は出来ない。


「旅神の神殿から急使が参りました。明日、王都よりアウレア神誓騎士団の騎士が参られ、旦那様にお話を伺いたいと」

「はあ? 王都から騎士が来るだと? 一体なんの要件で」

「チャールズ様の一件です」


 その言葉を聞いた瞬間、ポンツィオ様は顔を真っ赤に染め、椅子を倒しながら乱暴に立ち上がった。


「チャールズ! チャールズ、チャールズ、チャールズ!!! いなくなって尚私を苦しめおって!!

 あやつめ、追放された事を王都にでも訴え出たのか!? それとも、この間の女狐と犬畜生めの差し金か!? どいつもこいつも、どこまで私を苛めれば気が済むのだ!!!」


 地肌の透けた頭を掻きむしりながら、散らばった手紙の上で地団太を踏むポンツィオ様を俺は冷然と眺める。


「ジョルジュ! 何を黙って突っ立っておる! さっさとどうにかせよ! その為の家令であろうが!」


 そうして一通り怒りを発散し終えたポンツィオ様は、唾を飛ばしながら俺に命じたが、俺は首を横に振る。


「僭越ながら旦那様。手紙には『アドルナート伯爵に話を伺う』と明記されている以上、旦那様自らが対応するより他にありません。

 王都からの使者の心証を損ねれば、それこそ爵位を失ってしまう可能性もございます」


 俺の『爵位を失う』という発言に頭の血が下がったのか、引き攣った顔で黙り込んだポンツィオ様に、俺はゆっくりと言葉を紡ぐ。


「旦那様は、このアドルナート領を統治するご領主でいらっしゃいます。チャールズ様の追放が、領地を治める上で必要な事であったとお考えならば、堂々とご対応なさればよいのです」


「違う! チャールズめがこちらの迷惑も顧みずに勝手に出て行っただけだ!」


 ――ああ、こりゃあもう駄目だな。


 ここ連日のチャールズ様関連の対応で、最早まともな応対すら出来なくなってしまっている。


 使者が来るのは明日。居留守は使えない。肝心の当主もこの状態。

 ……ならもういっそ、理路整然とした説明など最初からしない方針にするしかない。


 鳩尾に鉛でも入っているのかのような重みを感じつつ、俺はポンツィオ様に進言した。


「では、そのようにお答えすればよろしいのです」

「……何?」


「チャールズ様に出て行って欲しくはなかった。商業ばかりに力を入れず、次期当主としての心構えを持てと言いたかったが、が起きてしまった、と。

 そのようにお答えすれば、少なくとも嘘を吐く事にはならず、旦那様が不要に責められることもないかと存じます」


 そう言うと、ポンツィオ様は先程までとは打って変わって顔を輝かせた。


「そう、そうなのだ! 私はチャールズを追放したかったのではない! 金稼ぎばかりに精を出す愚息に、伯爵家の事も顧みよと、そう言いたかっただけなのだ!」

「……では、明日はそのように対応するという事で」


 希望が見えたとばかりに喜ぶポンツィオ様に一礼して、俺は執務室を後にする。鳩尾のあたりが、締め付けられるように痛い。


 ――ああチクショウ、俺のクズ野郎。何が『悲しいすれ違い』だ。

 ――搾取の片棒担いだ挙句に、チャールズ様を貶める手伝いなんかしやがって。


 もう嫌だ、もう嫌だ。先代の恩義も何もかも忘れて、こんな家からとっとと逃げ出したくて堪らない。


 でも、それをしてしまったら――俺はきっと、もう胸を張って生きていけない。


「……衛兵長に、明日の事を報せて。手紙の返信作業は中断して、警備と、使用人の配置も見直して……」


 ギリギリと悲鳴を上げる鳩尾の痛みを無視して、俺は明日の打ち合わせを行うべく衛兵長の下へと足を進めた。



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