美神の下僕たち②


 神官のおっさんに案内され、俺――エベルト・フェルナンディは同僚の二人と共に、旅神メルキュリースの神殿の最奥にある『転移の間』に辿り着いた。


 百メルテ四方の天井、壁、床の全面に巨大な魔法陣が埋め尽くさんばかりに描かれているその部屋に、後ろにいる同僚二人がそれぞれらしい反応を見せる。


「ほう! これがかの……『転移の魔法陣』! 何と精緻で美しいことか!」


 転移の魔法陣を初めて見たらしい神誓騎士の制服に身を包んだ銀髪の美丈夫、美神アプローナスの下僕しもべであるジルヴェスタ・オリヴェーロは、子どものように目を輝かせて魔法陣に見入っている。


「美しいことには同意しますが……いちいちはしゃがないで下さいよ、恥ずかしい」


 そんなジルヴェスタを見た軍務局の軍服を纏った黒髪の麗人、こちらも美神の下僕であるベンジャミン・ジュスティーノは呆れた顔で肩をすくめた。


「普段は立入禁止だからな。滅多に見れるもんじゃねえから好きなだけ見とけ」


 俺はそう言いながら二人を伴って部屋の中央に移動する。


 旅神の加護の代表とも言える【転移アスポート】。本来ならば旅神に誓いを捧げた神誓騎士にしか使えない加護を、智神アルテネルヴァの加護で解析し、神官が神気エーテルを通すことで使えるようにしたのが『転移の魔法陣』だ。


 これを使う事でスティーヴァリ王国国内に限り、旅神の神殿同士での行き来が可能になっている。


 本来であれば地方からの税の納入や、魔物の大量発生スタンピードなどの緊急時に地方に騎士団を派遣するために使われるもので、今回の『アドルナート領の調査任務』における移動時間短縮のために使われるなんてのは、かなり異例の事態だと言っていい。


 ――こんな特例が許される程度には、一昨日の件で活躍したチャールズに注目されてるってことか?


 国のお偉方の思惑なんてものはてんで分からないが、古代精霊と契約している人間を野放しに出来ないという発想くらいは理解できる。


 アドルナート領の調査の結果によっては、チャールズの立場が大きく変わってくるだろう。


 ――この任務。無事に終わってくれるといいんだがな……。


「それではこれより、『転移の魔法陣』を起動いたします。皆様、陣の中央にて動かずお待ちください」


 案内してきた神官がそう告げると、部屋に数人の神官が入って来きた。

 神官たちは魔法陣を取り囲み、案内役の神官の合図で一斉に魔法陣に神気を流し込む。

 魔法陣に淡い緑色の光が灯ると同時に、慣れ親しんだ浮遊感と共に俺とジルヴェスタ、ベンジャミンの身体が緑の光に包まれる。


 そして光が収まった時には、周りに居た神官の顔触れが全て変わっていた。


「これは……!」

「無事、転移できたようですね」


 驚くジルヴェスタとは対照的に、ベンジャミンは冷静だった。


 神官が一瞬で入れ替わったのではなく、自分たちがアドルナート領の神殿にある『転移の間』に移動した事を淡々と受け止めるベンジャミンに、俺はちょっとした違和感を覚える。


「ベンジャミン、お前ひょっとして使った事あんのか?」

「エベルト、僕が何処に出向中なのかお忘れですか」

「あー、なるほど……」


 軍務局の制服を着て胸元に手を当てるベンジャミンに、俺は諸々の事情を察した。


 軍務局の主な仕事は、国内の監査や諸外国の情報収集。とくに国内の監査については、王都から内密に移動しなければならないこともあるのだろう。


 取り分けベンジャミンに与えられた美神の加護は、諜報活動にもってこいの能力だ。ベンジャミン自身の経歴と併せて、で重宝されているのは想像に難くなかった。


「ふむ、エベルト。迎えが待っているようだぞ」


 ジルヴェスタに指摘された方を見れば、王都からの使者に緊張していたのだろうか、目が合った案内役の神官がビクリと肩を震わせて一礼した。


「おっといけねえ。じゃあ、向かうか」

「「了解」」



 ◆



「ところでエベルト。チャールズ・アドルナートとは一体どのような御仁かね?」


 神殿が用意した馬車に乗り込み、アドルナート伯爵邸に向かう道中。俺の隣に座るジルヴェスタがこう切り出した。


「ああ、それは僕も気になりますね。正直、彼に関する情報の一つ一つが規格外過ぎて、人間性を判断しかねるんですよ」


 向かいに座るベンジャミンが、いかにも軍務局らしい視点から同意する。


「どんなって言われてもなあ……」


 俺は一昨日の出来事を――まだ二日しか立ってないことに驚愕しつつも――思い返しながら、チャールズの印象を端的に告げる。


「普通の男の子だよ。誰かが目の前で傷つくのを見てられねえ、どこにでもいる善性強めの、良心的な青年だ」


 隠していた身分を公衆の面前でぶちまけるジャンニーノのやらかしに、内心で怒っていたとは言え穏便に対応してくれた。

 そして俺たちが地の神ゴルゴンの呪いで動けなくなった時は一人で逃げる事ができたにもかかわらず、その場で俺たちを治療した上に、地の神の送還から本来死ぬはずだった王国騎士団の蘇生までやってのけたのだ。


 ――こうして挙げてみると確かにヤバイな、特に後半。


 だが少なくとも、他人が傷つくのを見過ごせず、助けられる相手を可能な限り助ける人間であるのには違いない。


 そう、だ。


 地の神ゴルゴンに憑依されていた女性は、悲惨な人生を送って来たとは言え、自らの意志でゴルゴンの力を行使して多くの人間を殺めてきた。


 チャールズは、彼女が王国の法で裁かれることを否定はしなかった。ただ――


『……目の前の命を諦める事に、慣れる日は来ないんだと思います』


 人を助ける薬師でありながら、死罪を免れないと分かってその女性を引き渡した時のチャールズの言葉は、簡単に忘れられそうになかった。


「ふむ。元は伯爵家の令息であると聞いている。良い教育を受けたのだろうな」

「古代精霊と契約して地の神と正面から渡り合える人間はどこにでもはいないと思うんですけどね……」


 ジルヴェスタとベンジャミンが各々感想を口にしているのを聞いて、ふと野営地での彼との会話を思い出す。


「そういや、兄貴を紹介できてなかったな」

「兄? 君のかね?」

「確か、王宮薬師でいらっしゃいましたね」


 俺は二人の言葉に首肯を返しながら続ける。


「兄貴が王宮薬師だって伝えたら、チャールズがえらい喰いついてな。薬師としてのこだわりやら情熱やらは、一際強いんだろうな」


 生憎と兄貴はしばらく王宮に出仕していて、家には帰っていなかった。

 この任務が終わったら兄に手紙でも書こうか、なんて考えているうちに、馬車はアドルナート伯爵邸に到着したのだった。




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