価格交渉④


「今日は急なお願いを聞いていただいてありがとうございました! 買い取り金額や要望や条件に関する具体的なお話は一週間後を目処に考えておいて下さい! では失礼しましたー!」


 軍務局から強化回復薬ハイポーションの価格交渉やってきたチェチーリア殿は、チャールズ坊ちゃまから色よい返事をいただくとすぐさま去って行きました。


「……なんだか、つむじ風みたいな子だったな」

「ニャー」


 神誓騎士団の応接室のソファにもたれ掛かって溜息を吐いた坊ちゃまを、私――カンタリスは膝の上からねぎらいます。


「元気が一番の取り得みたいなやつだからね。お疲れお兄ちゃん」

「突然のことにも拘わらず、ご丁寧に対応して頂きありがとうございました」


 隣に座るジャンニーノ殿も坊ちゃまを慰め、正面に座る神誓騎士団副団長のナーシャ殿は改めて突然の予定変更に対して頭を下げました。


「いやーゴメンねえ、チャールズくん。でもおかげで軍務局と連携が取りやすくなったよ」

「……こう言った事は、事前にご連絡いただきたく存じます」


 ヘラリと笑う神誓騎士団団長のアンドレアス殿を冷ややかな眼差しで一瞥した坊ちゃまは、テーブルの上に置いてある軍務局局長ドラーツィオ侯爵からの手紙を手に取ります。


「何と言うか、意外でした。昨日のお話を聞く限り、軍務局ってもっと高圧的に来るものかと」


 確かに。アンドレアス殿の言い様では、軍務局は国家に不利益をもたらす輩に容赦はなく、坊ちゃまが毒殺師ボルジアの後継者であると知れれば、口封じも辞さない程の過激な機関であると伺えます。


 しかし手紙は終始丁寧な文体で、伯爵家を追放されたチャールズ坊ちゃまを無下に扱う様子は少しもありませんでした。


 アンドレアス殿は坊ちゃまの言葉に頷きながらこう言います。


「現局長のドラーツィオ侯爵閣下は、無駄を嫌うお方だからねえ。

 チャールズくんは古代精霊と契約している上、その力で死ぬはずだった王国騎士団を助けたっていう実績がある。


 閣下は王国騎士団を統括する軍務大臣でもあるから、そんな状況で意味もなく君と敵対はしないさ。むしろこれからは積極的に囲い込みに来るね」


 どこか不敵な笑みを浮かべて、アンドレアス殿は続けます。


「閣下はねえ、国を守るためにはどんな手段でも使う方だよ。その為には、貴族としてのプライドなんかに固執しない。


 だから侯爵家当主にもかかわらず、伯爵家を追放された訳アリ令息のチャールズくん相手に平然と下手に出られるんだよ。君を丁重に扱って囲い込むことが、現時点で国にとっての最適解って分かってるから。

 現に、でしょ?」


「ええ……手強い方です」


 便箋を手にしたまま、坊ちゃまは苦笑いで返しました。


 先程ジャンニーノ殿に説明したように、坊ちゃまは自分が作った薬の売買に横槍を入れられる事を嫌います。


 しかしドラーツィオ侯爵は強化回復薬ハイポーションの存在が外部に知られた場合の危険性と、制限を掛ける事への利点及び保障を明示し、坊ちゃまを見下すことなく一人の個人として丁重な手紙を書いて来ました。


 そうすることでチャールズ坊ちゃまに断る理由を与えず、提案を受け入れざるを得ない状況を作り上げたという事です。


 ――隙がない相手というのは、本当に手強いですね。


「まあチャールズくんが王国滅ぼしてやるとか思わない限りは、軍務局から敵視されることもないから、気楽に構えてていいよ。強化回復薬ハイポーションの販売制限を受ける条件なんかも、余程のものでなければ受け入れてくれるだろうしねえ」


「そうですね、考えておきます」


 そう言って坊ちゃまがドラーツィオ侯爵からの手紙をマジックバッグに仕舞ったのを見て、アンドレアス殿が再び口を開きかけた時でした。


「あ、ゴメン通信入った。ちょっと出るね」


 アンドレアス殿が肩から下がっていた薄い円盤型の通信魔道具を手に取り、口元に持ってきて応答します。


「はいこちらみんな大好き団長でーす――……ああ、エベルト? どしたの何かあった?」


 どうやら、通信を入れてきたのはエベルト殿のようですね。


 一昨日の野営地の事件にて知り合った、旅神メルキュリースの加護を得ているエベルト・フェルナンディ殿は、確かチャールズ坊ちゃまが伯爵家から追放された経緯の裏付け調査のために、今朝がたアドルナート領に向かわれましたね。


「――えっ、ちょっ、嘘でしょ? そんな事ある???」


 そのエベルト殿から連絡を受けたアンドレアス殿が、露骨に動揺しています。

 昨日の話し合いですらここまでの狼狽ぶりを見せる事はなかったと言うのに……一体何があったのでしょうか?


「え、まだ何かあるの!? ちょっと待って場所変えるから! 僕に心の準備をさせて!」


 そう言ってアンドレアス殿は部屋にいる全員に『申し訳ない』と視線と身振りで伝え、慌ただしく応接室を去って行きました。


「……申し訳ありません。どうやら、想定外の事態が起こったようで」

「あー……いえ、お気になさらず」


 一瞬だけ沈黙に満たされた応接室で、最初に口を開いたナーシャ殿に、チャールズ坊ちゃまアンドレアス殿の焦りように思う所はあるものの、今は聞くべきではないと話を進めます。


「それで、この後はどうすればよろしいでしょうか」

「はい。先日お伝えした通り、神誓騎士団の治癒担当を交えて、強化回復薬ハイポーションの運用について具体的なお話をしていただきたく思います。

 度々ご足労をおかけしますが、一度担当者の工房までご同行をお願いいたします」

「わかりました」


 こうして私とチャールズ坊ちゃまは、ナーシャ殿の案内の下、ジャンニーノ殿と共に神誓騎士団の治癒担当のいる工房へと足を運ぶことになりました。



 ――この時の私は思いもよりませんでした。

 まさかチャールズ坊ちゃまを追い出したあの二人が、とんでもない珍事に巻き込まれていたなどとは――。


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