価格交渉②



「グランドーニ卿。まず、こうなった経緯について伺ってもよろしいですか?」

「ニャーン」

「もちろんだよ。だから二人とも、そんな怖い顔しないでねえ」


 神誓騎士団の詰め所にある応接室のソファに座り、チャールズ坊ちゃまと私――カンタリスは、向かって左側にある上座の一人掛けのソファに座る、神誓騎士団団長のアンドレアス・グランドーニ殿に揃って白い目を向けています。


「決まりかけの商談に横槍を入れられて不機嫌にならない商人はいませんよ」

「チャールズくん薬師でしょ」

「個人事業主でもあるので」

「取り付く島もない……お兄ちゃん、激おこじゃん」


 坊ちゃまの隣に座るジャンニーノ殿が引き攣った笑みを浮かべます。


「申し訳ございません、チャールズ殿。こちらとしても、お手を煩わせたくはないのですが」

「……いえ。マルキーニ殿の所為ではありませんので」


 向かって正面に座る、神誓騎士団副団長のナーシャ・マルキーニ殿が目の下にクマを付けたまま頭を下げるので、坊ちゃまの態度がやや軟化しました。

 あちらとしても、今の状況はあまり歓迎できるものではないのでしょうね。


 私はナーシャ殿の隣に座る、波打つストロベリーブロンドの髪を二つ縛りにした、黒い制服の少女を見やります。


「あ! 猫ちゃーん」


 チェチーリア・ミンニーティ……でしたか。軍務局の意向を受けてやって来たという少女はニコニコと笑いながらこちらのやり取りを見守っていましたが、私の視線に気付いてパタパタと両手を振ってきます。


 少し考えて、私はフイッと首を横に向けました。


「えっ……猫ちゃぁん……」


 途端にチェチーリア殿がガッカリした顔でしょぼくれます……からかい甲斐のある子ですね。


「んで、チャールズくん。軍務局については昨日サラッと触れたけど、君はどのくらい知ってる?」


「スティーヴァリ王国内の軍事機構の管理および治安維持。特に貴族への不正監査が主な業務と聞いた事があります」

「うん。合ってる合ってる」


 アンドレアス殿は坊ちゃまの答えに満足げな顔で続けます。


「軍務局ってのはとにかく忙しい事で有名でねえ。王国の平和を守るため、昼夜を問わず一年中働き続けなくちゃならない職場なんだ。


 しかも扱うのが国内貴族の情報なもんだから、業務で知った機密を悪用しない人しか働けない。だから、万年人手不足に悩まされてるんだよ」


 なるほど。国内貴族の不正に関する情報が手に入る場所ですから、当然よからぬ考えを持って近づく者もいるのですね。

 ゆえに職に就ける人間が限られている一方で、王国内のあらゆる事象に目を光らせなければならないのですから、多忙になるのも致し方ないのでしょう。


「そこで人手不足解消のために、神誓騎士団ウチから毎年何人かを選んで軍務局に出向させてるんだよ。

 神誓騎士なら、それぞれが信仰する神に『業務で得た秘密を悪用しない』って誓えば、機密を守れるからね」

「こっちも経験を積んで成長できるから、お互いお得なんだよ!」


 アンドレアス殿の説明とジャンニーノ殿の補足に、チャールズ坊ちゃまは一先ず納得されたようで頷き返します。


「神誓騎士団と軍務局が、協力関係にあるのは分かりましたが……なぜ、今日の強化回復薬ハイポーションの価格交渉に割り込む必要が? そもそも、特製の強化回復薬ハイポーションについては、神誓騎士団のみの消費が前提の筈です」


 アンドレアス殿を見据えたまま、淡々と温度のない声でチャールズ坊ちゃまが言い募ります。

 普段温厚な坊ちゃまがここまで不機嫌になるのは、何も商談に割り込みを許したからだけではありません。


 王国の治安維持に務める軍務局は、王制の転覆に繋がる不穏分子の排除もまたその業務に含まれます。


 その軍務局が最も危険視する不穏分子が、毒殺師ボルジア。


 三百年前、亜人を迫害していた暴虐王ロマーネルを毒殺した男。私の前の契約者であり、今の主であるチャールズ坊ちゃまの師です。


 ロマーネルの毒殺以後、王制に不満を持つ輩に英雄視され、『毒殺師ボルジア』の名は王制転覆の象徴として使われてきました。

 『毒殺師ボルジア』の名はスティーヴァリ王国の貴族にとって禁忌以外の何物でもなく、王国のあらゆる記録からその名を抹消されているほど。


 ゆえに、毒殺師ボルジアの名を口にしようものなら、軍務局から国家転覆を企む危険人物とみなされ、最悪の場合はも有り得るそうです。


 チャールズ坊ちゃまが、その毒殺師ボルジアから薬に関する全ての技術と知識、そしてあらゆる毒と病の精霊である私との契約を受け継いだ人間――『毒殺師の後継者』であると知られたら、命の危機に晒される。


 そう警告してきた本人であるアンドレアス殿が、昨日の今日で軍務局の意向を受けた部下と引き合わせてきたのですから……それはチャールズ坊ちゃまの応対も冷ややかになるでしょう。


「まあまあ、落ち着いて最後まで聞いてほしいな」


 坊ちゃまの鋭い視線に、アンドレアス殿が両手を肩程まで上げます。


「まず、君が巻き込まれた地の神ゴルゴンの件。王国の治安を脅かす一件だから、当然軍務局も動く。

 で、恐らく黒幕が他にも召喚するであろう神々、あるいはそれに準ずる戦力の矢面に立つのが神誓騎士団僕ら。必然的に、軍務局と神誓騎士団は共同で事件解決にあたらなければいけない。此処までは納得してくれる?」


 坊ちゃまが頷いたのを見て、アンドレアス殿は続けます。


「僕たちは戦いへの備えとして、君とカンタリスが作った強化回復薬ハイポーションを買い取りたい。そしてそれを軍務局に出向している騎士たちにも渡したい。市販の魔法薬が効かない神誓騎士の、数少ない回復手段だからね。


 そこで出向先でも不自由なく君達の薬を使えるように、軍務局の局長に強化回復薬ハイポーションの存在を明かす事にしたんだ」


「……そう言う理由でしたら、事前に知らせて欲しかったですね」

「次からは、理由も含めて必ず連絡するよ」


 事情を聞いて一旦は怒りを納める事にしたチャールズ坊ちゃまに、アンドレアス殿は上げていた両手を下ろし安堵の表情を浮かべましたが、直ぐにその顔が引き締まります。


「それで軍務局の局長にこの話をしにいった時、ここに居ない出向中の神誓騎士が、君達の薬の効果をその場で実際に試したんだ」

「試した、ですか?」

「うん。ナイフで腕をグサッと貫通」


 話を聞いた坊ちゃまの顔がわずかに引き攣りました。薬の効果も知らない内から一切の迷いなく自傷行為をやってのけるとは、随分と思い切りのいい騎士ですね。


「そして昨日買い取った強化回復薬ハイポーションを傷口にかけたら、一滴垂らしただけで完治しちゃったんだよね」


「……い、一滴で完治ですか? ナイフで貫いたんですよね??」


 副団長のナーシャ殿が驚いた顔でアンドレアス殿と坊ちゃまの間に視線を行き来させます。


「まあ神気エーテル枯渇になったオレを疑似神体ごと治しちゃったんだから、それくらいは余裕なんじゃない?」


 意外にも冷静な反応を見せたのはジャンニーノ殿でした。強化回復薬ハイポーションの恩恵を一番に受けたからでしょうかね。


「で、ここからが本題ね」


 ナーシャ殿が落ち着いたのを見計らって、アンドレアス殿が口を開きます。


「その効力を見ちゃった局長と僕とで意見が一致したんだよ。君達が作った強化回復薬ハイポーションは――ってね」



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