波乱の価格交渉

価格交渉①


「まさか人生初の登城がこんな形になるとはなあ……」

「ニャーン」


 私――カンタリスは主人であるチャールズ坊ちゃまの膝の上に乗って、王城から遣わされた馬車に揺られていました。


 生きていればこうした事もある、と長命の精霊としては申し上げたい所ですが……いくらなんでもこの十日ほどで、チャールズ坊ちゃまには色々とありすぎでしょう。


 まず、何の前触れもなくアドルナート伯爵家からの廃嫡と領地から追放され、王都に入る直前で人間に憑依した地の神ゴルゴンとの対決。

 しかもゴルゴンの召喚者が、私の前の契約者にして坊ちゃまの師でもあるボルジア――毒殺師の後継者と名乗っているそうで。


「チャールズお兄ちゃん、お城初めて? 時間あったら一緒に探検しよう!」


 私と坊ちゃまの向かいに座っている子ども――神誓騎士のジャンニーノ殿が、溌剌とした笑顔で提案します。


 浅慮で短絡的な言動の目立つ子どもでしたが、地の神ゴルゴンとの対決の際、あちらが放った『石化』の呪いによって命の危機に晒されたところをチャールズ坊ちゃまに救われて以来、坊ちゃまのことを明け透けに慕っています。


 ――ただ、坊ちゃまの監視兼護衛の任に就いているのに護衛対象坊ちゃまを振り回すのは如何なものでしょうかね……。


 坊ちゃまは私の背を撫でながらジャンニーノ殿に答えます。


「ありがとうね。でも先に、商業ギルドや薬師ギルドで色々と手続きを済ませたいな」

「そっか。一応C級薬師だっけ」

「ちゃんとしたC級薬師だよ?」

「えっ」「ん?」


 一瞬、互いを怪訝な顔で見つめ合いましたが、ジャンニーノ殿がすぐに呆れた顔になります。


「あんな凄い強化回復薬ハイポーション作っておいて『C級です』はないでしょ……」

「ああ……」


 そう言われた坊ちゃまは苦笑いするしかありません。


 神の呪いを受けたジャンニーノ殿の命を救った強化回復薬ハイポーションは、あらゆる毒と病の精霊であるカンタリスと、毒殺師ボルジアが持つ全ての知識と技術を受け継いだチャールズ坊ちゃまとでしか作れない特別な逸品です。


 その効果は市販の強化回復薬ハイポーションとは比べ物にならず、神との契約によって魔法薬が効きにくい肉体を持つ神誓騎士を、死の淵から引き上げるほど。


 もはや魔法薬ではなく霊薬や神薬といって過言ではない効能の薬を作っておきながら、薬師としては丁度中間のC級である、と言われても説得力には欠けますね。


「ほら、見えてきたよ!」


 ジャンニーノ殿が指さした窓の外を、チャールズ坊ちゃまと共に覗き込みます。


「わあ……あれが王城かあ……!」


 何重もの重厚な城壁に囲まれ、遠目に見てもわかるほど高い尖塔が何本もそびえたつ、堅牢にして瀟洒な王城を見た坊ちゃまは、アドルナート領では見る事の出来ない意匠や建築規模に感嘆の声を上げていました。


 そして私は、坊ちゃまとは違った意味で驚いておりました。


 ――三百年前とは、随分違った形になりましたねえ。


 ボルジアが毒殺師として王城に仕えて居た頃は、実用性よりも、『どこにかけたか』が重要視されておりました。三百年という年月は、やはり長い物なのですね。


 そうしている間にも、私たちを乗せた馬車はつつがなく王城の門をくぐる事になったのでした。



 ◆



 王城の門を通ってからしばらくすると、一際堅牢な造りの建物の前で馬車が止まりました。


「はーい、ここが俺たち神誓騎士団の詰め所になりまーす!」


 チャールズ坊ちゃまが自分の職場に来た事に浮足立ったジャンニーノ殿が、先に馬車から下りて建物を掌で示します。


 三階建ての石造りの建物の壁面には、騎士たちに加護を与えている天の神々の彫像が彫られており、堅牢な造りも相まってどこか神殿にも似た荘厳さを備えておりました。


 そして馬車を止めた正門の前には、見覚えのある男女が立っています。


「いらっしゃい、チャールズくん」

「グランドーニ卿。わざわざお出迎え頂いてありがとうございます」


 ヘラリとした軽薄な笑みを浮かべて手を振るこの糸目男こそ、王国最強戦力と言われる神誓騎士団を取りまとめる団長、アンドレアス・グランドーニ殿。


「いえ。こちらの都合でご足労をお掛けしたので、余り気にしないで下さいね」

「とんでも有りません、マルキーニ殿。本日は、よろしくお願いいたします」


 アンドレアス殿の隣に控えていたのは、副団長のナーシャ・マルキーニ殿……なのですが。


「副団長、昨日よりクマ濃くない?」


 ジャンニーノ殿の遠慮のない物言いに、ナーシャ殿が溜息と共に答えます。


「実は、本日の買い取り交渉について少々段取りの変更をせざるをえなくて」

「何があったのでしょうか?」


 今日チャールズ坊ちゃまが神誓騎士団の詰め所に来たのは、ナーシャ殿とチャールズ坊ちゃまとで、私たちが作る特製の強化回復薬ハイポーションの買い取り条件を具体的に決めていくためです。


「ご説明いたしますので、まずは中へ……」


 どうぞ、とナーシャ殿が言い切る前に、門の向こうの玄関扉が大きな音を立てて開きました。


「――っジャンニくぅうううん!!!」

「うげっ! チェチーリうわあああ!?」


 玄関から目にもとまらぬ速さで一人の少女が飛び出したかと思ったら、門までの道を駆け抜けて、坊ちゃまの隣に居たジャンニーノ殿に抱き着き、そのままクルクルと回り始めます。


「生きてるーーー! ジャンニ君が生きてるーーー! 心配したんだからーーー!」

「うわーーー!」


 波打つストロベリーブロンドの髪を耳の上で二つに縛り、神誓騎士団とは違った黒を基調とした制服に身を包んだ可愛らしい少女は、悲鳴を上げるジャンニーノ殿に構わず、彼を抱きしめてひとしきり回った後、少女の愛くるしい薄緑の目がチャールズ坊ちゃまに向きました。


「あのっ! もしかして強化回復薬ハイポーションでジャンニ君を助けてくれた人ですか!?」

「え、ええ」


 突然の展開に驚きながらも返事を返したチャールズ坊ちゃまに、少女はパッと顔を輝かせた後、深く腰を折りました。


「ジャンニ君を助けてくれてありがとうございます! 死にかけたって聞いてもう気が気じゃなかったんです! ホントに、ホントにありがとうございます!」

「顔を上げて下さい。俺は薬師として出来ることをしただけですから」


 真っ直ぐに謝礼を伝えてくる少女に、チャールズ坊ちゃまもにこやかに対応します。


「うえぇ回るぅ……チェチ姉、なんでここにいんのさ?」


 地面にへたり込んでいたジャンニーノ殿が胡乱な目で少女を見上げると、少女はハッとして居住まいを正してチャールズ坊ちゃまに向き直りました。


「申し遅れました! 神誓騎士団のチェチーリア・ミンニーティです! 現在はスティーヴァリ王国軍務局出向中! 軍務局局長のご意向を受けて、強化回復薬ハイポーションの価格交渉に来ました!」


 少女――チェチーリア殿の言葉に、私と坊ちゃまは驚きに目を見開き、アンドレアス殿とナーシャ殿に顔を向けます。


 お二人は困ったような笑みを浮かべましたが、すぐにアンドレアス殿が口を開きます。


「とりあえず、詳しい話は中でしようか」


 こうして私たちは、波乱の予感を抱えながら神誓騎士団の詰め所で強化回復薬ハイポーションの価格交渉に臨むのでした。



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