三百年前の真実⑦



「――だから、師匠は毒を盛ったのです。自分の薬と精霊カンタリスを、政治の道具にさせないために」


 三百年前、ボルジアが暴虐王ロマーネルの杯に毒を盛った理由を、改めてチャールズ坊ちゃまから聞かされた私――カンタリスは、何ともむずがゆい気分になりました。

 どうにも落ち着かず、前足の先をムニムニと坊ちゃまの膝に押し付けます。


『坊ちゃま、坊ちゃま。私のためと言うのは、いささか語弊があるのでは?』

『そんな事はないよ』


 私が坊ちゃまの膝で身をよじると、耳の裏をカリカリと掻かれました。


『四年くらいしか一緒に居ないけど、それでも少しは師匠の事はわかるつもりだ。気に入らないとか、嫌だからとか。そんな何となくで人を殺す人じゃない。


 かつての主君をしいする事は、カンタリスが思っているほど軽い決断じゃないよ、きっと』


 顔を上げると、坊ちゃまと目が合いました。オリーブ色の、優しく諭すような眼差し。


「……ニャー」

「あっ」


 私はどうにもしがたいたまれなさに、坊ちゃまの胸元のアメジストのペンダント、『精霊の家』に潜り込みます。


「カンタリス? どうしたんだい?」

「……ちょっと一人になりたいみたいです」


 カテリーナが心配そうに声を掛けてきましたが、とても返事はできませんでした。


 ――主君をしいする事は、軽い決断ではできない。


 坊ちゃまの言葉が、胸の内を重くします。ええ、だって、ボルジアの気持ちがわかってしまったのです。


 我が主チャールズと契約して七年。

 私は、主君に仕える喜びを知ってしまいました。


 私に人を殺させぬと誓うこの善き主を、私の毒で殺めようなど――


「はーーしっかし、とんでもない話だねえ」


 正面に座っていたアンドレアス殿の大きな溜息で、私は現実に引き戻されました。


「伝染病の原因になったダンジョンマスターと契約して、特効薬作ったら材料足りなかったので、侵略戦争に加担します。反対派の貴族を毒殺していたら、大量虐殺を依頼されたので王も毒殺しました、って……荒唐無稽すぎて歴史家たちから石投げられそう」


 アンドレアス殿はぐったりと背もたれに身を預けて天井を仰いだ後、身体を起こしてこう言いました。


「……それで、三百年前の人間がどうして今の時代まで生きているのか。そろそろ種明かししてくれませんかね」


 片膝を組んでその上で頬杖をつきながら、アンドレアス殿が糸のような細い目で二人を見回します。


 坊ちゃまは困ったような視線をカテリーナに向けましたが、カテリーナは無言で顎をしゃくります。自分で話せ、と言う意思表示に坊ちゃまは小さく息を吐いて、口を開きます。


「グランドーニ卿は、『時知らずのもり』をご存知でしょうか」


「そりゃもちろん、子供の寝物語の定番じゃん。見知らぬ森で一晩過ごした冒険者

が、外に出たら百年経っていたって――……え、あれ実話?」


『時知らずの杜』――私がダンジョンの外に出た頃には、すでに有名なおとぎ話となっていました。


 昔々ある所に、一人の若い冒険者の男がいました。森で猪を狩った帰りに道に迷い、一晩森で夜を明かし、翌朝、森を出たら百年の時が経っており、男を知る者は誰もいなかった。


 その後、男がどうなったかは語る者によって結末が異なりますが、『迷ったら帰れないから、一人で安易に森に行くな』という戒めとして、今でも寝物語に語られています。


「はい。、『時に関する能力を司る古代精霊が作ったダンジョンの存在を示唆する伝承では』と言われています」


「……うん、突っ込まない。突っ込まないぞ僕は」


 若干白い顔になりながら頷くアンドレアス殿を横目に、カテリーナが言います。


「まあ私が生きてる間に、街一つ飲み込んだという話も聞かないし。そもそもは神誓騎士にどうこうできるものでもないよ」

「突っ込まないって言ってるじゃないですか! ねえ僕それ聞かなきゃダメな奴? 聞いたら絶対に後悔する話題な気がするんですけど?」


 アンドレアス殿が半泣きになりながら、カテリーナの発言の続きを必死に止めようとした時。


 コンコンコン、と部屋の扉が叩かれました。


「団長、エベルトです。部屋に灯り入れたいんですけど、入室しても?」

「もう夕方だよー! どんだけ話し込んでんのさー!」


 エベルト殿とジャンニーノ殿の言葉に、応接間に居た全員が顔を上げます。窓の外を見れば、夕闇に沈んだ家々の屋根を、淡く残った残光が縁どっていました。


「うっわ、もうこんな時間か。あ、二人とも入っていいよ」

「失礼します」

「失礼しまーす!」


 扉を開けた途端、ジャンニーノ殿がアンドレアス殿に駆け寄り、手に持っていた紙束を差し出しました。


「反省文、確認お願いします!」

「はいどうもー……あー、普通の会話だあ……」

「一体なんの話してたんですか……」


 反省文を手に感極まっているアンドレアス殿を、引いた視線を送るエベルト殿。後ろではこの家の女中が部屋の隅の灯りに火を灯していきます。


「団長と、えーと……筆頭魔術師殿。夕飯はどうされますか?」

「私は大丈夫だ。長居して済まないな」

「僕もいいよ、城での仕事が残ってるから……これ以上ナーシャに仕事丸投げしたら説教じゃすまない」


 そう言って、立ち上がりがてらジャンニーノ殿の頭をひと撫ですると、アンドレアス殿は扉に向かいます。カテリーナもそれに続くかと思いきや、ふと足を止めてこちらを振り返ります。


「そうだ、チャールズ。大事な確認をしていない」

「なんでしょうか」


 カテリーナはソファから立ち上がったチャールズ坊ちゃまと向き合って、こう言いました。



「君は師の後を継ぎ、師と同じ道を歩むのかい?」



 坊ちゃまは首を横に振り、答えました。



「俺は師の後継者として、師を超える薬師になりたいと願います。

 俺が歩みたいのは、師が歩めなかった道の先。後ろを辿るのではなく、前を目指したいのです」



 カテリーナは森色の目を見開き、ジッとチャールズ坊ちゃまを見つめると――



「……結構だ」



 少女のようにあどけなく、慈母のように暖かな、心からの笑みを初めて浮かべました。


 その美しさに坊ちゃまが一瞬息を呑みましたが、カテリーナは気にせず続けます。


「では、王都で過ごすにあたっての具体的な要望は何かあるかい?」

「あ、はい、えーと……薬師として研鑽けんさんがつめる環境がほしいです。それと、神誓騎士団とは今後とも良好な関係を保ちたいと考えております」


 前半はカテリーナに向けて、後半部分は扉の前で待っていたアンドレアス殿に向けた言葉でしょう。二人は互いを見て頷き合いました。


「こちらこそだよ、チャールズくん。詳しい話は明日ナーシャと詰めてね。彼女はちゃんと公平な条件出してくれるから」


 ヒラヒラと手を振りながら言うアンドレアス殿に、坊ちゃまは苦笑します。マジックバッグが古代遺物アーティファクトだと黙っている代わりに、強化回復薬ハイポーションをタダで貰おうとしていましたから、確かに不公平でしたね。


「わかった。アドルナート領での調査の結果次第になるが、君の希望が最大限叶うようにしよう。話がまとまったら、また来るよ。長い話に突き合わせたな。見送りはいいから、ゆっくり心身を休めてくれ」


 カテリーナはチャールズ坊ちゃまにそう告げると、私が居るアメジスト精霊の家を覗き込みました。


殿、またお目見えできることを願っております」


 周りにいる人間に、私たちが知り合いと悟られないようにするための言葉でしょう。

 毒殺師ボルジアの所業が未だざまに語られているようですからね。


「ニャーン」


 私は『精霊の家』から出て坊ちゃまの肩に乗り、カテリーナと視線だけを交わします。


 私が意を組んだことを察したカテリーナは微かに笑みを浮かべた後、アンドレアス殿と共に退室していきました。


「……っはー……、終わった……」


 二人と、見送りのためにエベルト殿が部屋を去った後、チャールズ坊ちゃまはずっと座ったままだった身体を思いっ切り伸ばしました。ゴキポキと悲鳴を上げる肩から、私は床に下り立ちます。


「チャールズお兄ちゃん大丈夫? 団長もグッタリしてたし、なんかすごい話だったんでしょ?」

「すごい話というか、濃い話だった……」


「ふーん、そっか。それより、お腹すいてない? もう夕飯出来るってさ」

「そうだね……ジャンニーノ、何も聞かないの?」


 チャールズ坊ちゃまが不思議そうにジャンニーノ殿を見返します。確かに、この子供は真っ先に詮索してきそうなものですが。


「団長は、必要な話はキチンとオレたちにしてくれるから。話さないなら、必要ないか聞かない方がいいかのどっちかだし」


 それより早く食堂に行こう、とジャンニーノ殿が坊ちゃまの手を両手で握って扉に向かって引っ張り、坊ちゃまはジャンニーノ殿の強引さに慌てつつもどこか嬉しそうについて行きます。


 こうして王都ヴァニスでの一日目は終わりを告げました。


 ――この新しい出会いと懐かしい再会、そして三百年前の真実をつまびらかにしたことで、チャールズ坊ちゃまを取り巻く人間模様が混迷を極めることになるとは、私も坊ちゃまも予想だにしておりませんでした。













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