三百年前の真実③
――あれはボルジアが、
『ボルジア、ボルジア。なぜ精霊の子孫たちの亡骸が野ざらしにされているのですか?』
『既に薬草を手に入れたのに、どうして
『人間たちは、彼らの血が亡き者への慰めになるなど、本気で信じているのですか?』
当時ダンジョンを離れたばかりで、
そんな私に、ボルジアはこう言いました。
「平民には、まだ薬が行き渡ってないからなあ。ああでもしなけりゃ耐えられねえのさ。狂気の
『すでに充分な狂態をさらしているように見受けられますが?』
ボルジアが首から下げた
「病というのは目に見えない。目に見えないものへ立ち向かえと言われても、何をすればいいのかわからない。わからないから不安になる。
不安というのもまた病だ。精神を
石がぶつかる
「不安に押しつぶされた先には狂気しかない。見えない不安から逃れるために、見える敵に不満をぶつけて、狂気から逃れようとしてるんだよ」
大人の拳ほどの石が
ボルジアは見物客を当て込んだ刑場まわりの屋台に寄り、焼いた屑肉を挟んだパンを買って、その場でかぶりつきます。
『美味しいのですか?』
「んー、マッズい」
屋台の親父が顔を
確か、夏の終わりの昼下がりのことでした。
◆
フェルナンディ子爵邸の静かな応接間には、カテリーナの淡々とした語りだけが響きます。
「その男はあらゆる薬に精通し、灰死病の特効薬開発に大きく貢献した優れた薬師だった。ダンジョン探索に同行し、薬の原料となる素材を突き止めた功績を讃え、ロマーネルは男を自らの側近にした。
男はロマーネルに良く仕え、『灰死病』による魔力枯渇を抑える特効薬『ハオマー』を完成させたと言われている……根拠となる史料は、もう現存していないがな」
音もなくティーカップをソーサーに戻して、カテリーナは言いました。
「しかし同時に、その男はあらゆる毒に精通し、ロマーネルの障害となる政敵を葬り続けた恐るべき暗殺者でもあった」
アンドレアス殿は糸のように細い目をカテリーナに向けたまま、微動だにしません。
チャールズ坊ちゃまの手が私――カンタリスの背を離れたので、私は膝を降り、隣に座り直しました。
「『灰の戦争』によって蹂躙された亜人たちの国は、人間の貴族たちによって統治され、人間の国となった。入植してきた人間たちによって元々の住人達は迫害され、反乱を企てた者達は一族もろとも根絶やしにされ、その亡骸は街中で晒された。
『亜人の国が薬草を輸出しなかったせいで、大切な人が病に斃れた。これは当然の報いである』と、当時を生きた人間のほとんどは心からそう考えていたのさ」
気付けば、西に傾き始めた陽ざしが窓枠の濃ゆい影を部屋の中に伸ばし、かつて己が生きた時代を淡々と語るカテリーナの頬のふちをなぞっています。
「しかし、中にはそうではない人間たちもいた。ロマーネルの統治に反発した貴族たち、そして彼らを支援する商人たちだ。
元々ロマーネルと対立していたり、人としての道義心であったり、戦争によって交易相手を失い不利益を被ったからであったりと、理由は様々ではあったが。とにかくロマーネルには政敵が多かった」
だが、とカテリーナは続けました。
「ロマーネルによる各国との戦争に反対した政敵やその支援者たちは、
毒を盛られたのは確かだが、何の毒を盛られたのかがまるでわからない。それまで一度も病に罹ったことのない壮健な人物が、突然の病に倒れ、帰らぬ魂となることもままあった。
……ボルジアという男が『毒殺師』と呼ばれ、恐れられるまでにそう時間はかからなかったよ」
「彼の王は毒殺師を重用し、毒殺師もまた王によく仕えた。王の治世を妨げるものはなく、妨げようとする者の命はない。
灰死の
しかし、誰もが考えもしなかった形で、終わりは唐突に訪れた」
そこで目を閉じたカテリーナは、大きく息を吐きました。
「……ロマーネルの即位から三年の月日が流れ、王の生誕を祝う盛大な祭りが開かれた。
這い寄る病の恐怖から解放された人間たちが、国を挙げてその功績を齎した王を祝福せんとしていたあの日――……王の杯に、毒が盛られた」
チャールズ坊ちゃまも、アンドレアス殿も。息をすることすら忘れて話に聞き入っていました。
窓の外から微かに聞こえる馬車の音が、静まり返った応接間を通り抜けます。
カテリーナは再びカップを手に取り、中に残った紅茶を一息に飲み干して言いました。
「王は民衆の眼前で倒れ、そのまま帰らぬ魂となった。その後のことは、名立たる歴史書に記されている通りだ。
ロマーネルの親族や擁立していた貴族たちは、反ロマーネル派に粛清され、人間国には新たな王朝が建てられた。
亜人達はかつて己の国があった場所に、人間国の干渉を最低限にした自治領を作り上げて暮らすこととなった。
こうして今日までのスティーヴァリ王国は、大きな戦乱が起こることもなく平和な御世が続いている。
……さて、ここまでで何か質問はあるかな?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます