三百年前の真実③


 ――あれはボルジアが、城勤しろづとめの息抜きに城下町へと抜け出した時だったでしょうか。


『ボルジア、ボルジア。なぜ精霊の子孫たちの亡骸が野ざらしにされているのですか?』

『既に薬草を手に入れたのに、どうして殊更ことさら彼らを害するのですか?』

『人間たちは、彼らの血が亡き者への慰めになるなど、本気で信じているのですか?』


 当時ダンジョンを離れたばかりで、いまだ人間という生き物をよく知らなかった頃の私――カンタリスは、親に教えを請う子のように、事あるごとにボルジアへと疑問をぶつけていたのを憶えております。


 そんな私に、ボルジアはこう言いました。


「平民には、まだ薬が行き渡ってないからなあ。ああでもしなけりゃ耐えられねえのさ。狂気の坩堝るつぼに飲まれる恐怖に」


『すでに充分な狂態をさらしているように見受けられますが?』


 ボルジアが首から下げたアメジスト精霊の家の中から、刑場に吊るされた竜人ドラゴニュートの親子の亡骸を囲んで石を投げている群衆を指して、私は疑問を返しました。


「病というのは目に見えない。目に見えないものへ立ち向かえと言われても、何をすればいいのかわからない。わからないから不安になる。

 不安というのもまた病だ。精神をむしばむ病。不安に蝕まれた精神で、正常な判断が出来ると思うか?」


 石がぶつかるたびに歓声をあげる人間たちを尻目に、ボルジアはわらいます。


「不安に押しつぶされた先には狂気しかない。見えない不安から逃れるために、見える敵に不満をぶつけて、狂気から逃れようとしてるんだよ」


 大人の拳ほどの石が竜人ドラゴニュートの子供の亡骸を揺らし、かつては美しいエメラルド色だったであろう鱗が、黒ずんだ血と共に地面に飛び散りました。


 ボルジアは見物客を当て込んだ刑場まわりの屋台に寄り、焼いた屑肉を挟んだパンを買って、その場でかぶりつきます。


『美味しいのですか?』

「んー、マッズい」


 屋台の親父が顔をしかめるのも構わず、ボルジアは「帰るか」と呟いて、肉パンをほおばりながら刑場を背に城へと戻る道を歩いて行きました。


 確か、夏の終わりの昼下がりのことでした。



 ◆



 フェルナンディ子爵邸の静かな応接間には、カテリーナの淡々とした語りだけが響きます。


「その男はあらゆる薬に精通し、灰死病の特効薬開発に大きく貢献した優れた薬師だった。ダンジョン探索に同行し、薬の原料となる素材を突き止めた功績を讃え、ロマーネルは男を自らの側近にした。


 男はロマーネルに良く仕え、『灰死病』による魔力枯渇を抑える特効薬『ハオマー』を完成させたと……根拠となる史料は、もう現存していないがな」


 音もなくティーカップをソーサーに戻して、カテリーナは言いました。


「しかし同時に、その男はあらゆる毒に精通し、ロマーネルの障害となる政敵を葬り続けた恐るべき暗殺者でもあった」


 アンドレアス殿は糸のように細い目をカテリーナに向けたまま、微動だにしません。

 チャールズ坊ちゃまの手が私――カンタリスの背を離れたので、私は膝を降り、隣に座り直しました。


「『灰の戦争』によって蹂躙された亜人たちの国は、人間の貴族たちによって統治され、人間の国となった。入植してきた人間たちによって元々の住人達は迫害され、反乱を企てた者達は一族もろとも根絶やしにされ、その亡骸は街中で晒された。


『亜人の国が薬草を輸出しなかったせいで、大切な人が病に斃れた。これは当然の報いである』と、当時を生きた人間のほとんどは心からそう考えていたのさ」


 気付けば、西に傾き始めた陽ざしが窓枠の濃ゆい影を部屋の中に伸ばし、かつて己が生きた時代を淡々と語るカテリーナの頬のふちをなぞっています。


「しかし、中にはそうではない人間たちもいた。ロマーネルの統治に反発した貴族たち、そして彼らを支援する商人たちだ。

 元々ロマーネルと対立していたり、人としての道義心であったり、戦争によって交易相手を失い不利益を被ったからであったりと、理由は様々ではあったが。とにかくロマーネルには政敵が多かった」


 だが、とカテリーナは続けました。


「ロマーネルによる各国との戦争に反対した政敵やその支援者たちは、ことごとく不可解な死を遂げた。

 毒を盛られたのは確かだが、何の毒を盛られたのかがまるでわからない。それまで一度も病に罹ったことのない壮健な人物が、突然の病に倒れ、帰らぬ魂となることもままあった。


 ……ボルジアという男が『毒殺師』と呼ばれ、恐れられるまでにそう時間はかからなかったよ」


 かつての友ボルジアを『毒殺師』と呼ぶ、カテリーナの瞳が陰ります。


「彼の王は毒殺師を重用し、毒殺師もまた王によく仕えた。王の治世を妨げるものはなく、妨げようとする者の命はない。

 灰死のやまいまぬがれた民衆が声高く彼の王をたたえる中で、戦火を免れ得なかった者たちは、息をひそめて彼の王の魂が地の国の果てに堕ちることを望むことしかできなかった。


 しかし、誰もが考えもしなかった形で、終わりは唐突に訪れた」


 そこで目を閉じたカテリーナは、大きく息を吐きました。


「……ロマーネルの即位から三年の月日が流れ、王の生誕を祝う盛大な祭りが開かれた。

 這い寄る病の恐怖から解放された人間たちが、国を挙げてその功績を齎した王を祝福せんとしていたあの日――……王の杯に、毒が盛られた」


 チャールズ坊ちゃまも、アンドレアス殿も。息をすることすら忘れて話に聞き入っていました。

 窓の外から微かに聞こえる馬車の音が、静まり返った応接間を通り抜けます。


 カテリーナは再びカップを手に取り、中に残った紅茶を一息に飲み干して言いました。


「王は民衆の眼前で倒れ、そのまま帰らぬ魂となった。その後のことは、名立たる歴史書に記されている通りだ。


 ロマーネルの親族や擁立していた貴族たちは、反ロマーネル派に粛清され、人間国には新たな王朝が建てられた。


 亜人達はかつて己の国があった場所に、人間国の干渉を最低限にした自治領を作り上げて暮らすこととなった。


 こうして今日までのスティーヴァリ王国は、大きな戦乱が起こることもなく平和な御世が続いている。


 ……さて、ここまでで何か質問はあるかな?」


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