夜の終わり②


「……すっげー……」


 俺――エベルト・フェルナンディは、思わずと言った感じのジャンニーノの声で現実に引き戻された。


「ジャンニーノ、憑依が解けたか確認」

「あ、うん。ちょっと待って」


 ジャンニーノは俺の指示で慌てて宝珠オーブでゴルゴンだった女を視る。


「えっと……もう、ゴルゴンの表示はない。あの人は、間違いなく人間だよ」


 視線の先で地面に倒れている女を、智神の加護が人間だと判断した。

 つまり『退去の儀』が成功し、地の神ゴルゴンの憑依は解けたという事だ。


「……し、信じられない……本当に、地の神が……」


 冒険者の魔術師、リオちゃんの体がフラリと傾き、隣にいた弓使いのアローナが慌てて彼女の肩を掴んだ。


「リ、リオ? 大丈夫!? しっかりして!」

「……魔力マナ不足もあるだろ、そのまま寝かせてやれ」

「じゃあ俺が残るから、二人はリオを天幕に連れて行ってくれ」


 あまりの現実に卒倒したリオちゃんをアローナとギデオンが両側から支え、隊商が残した天幕に運んでいくのを見送る。

 倒れるのも無理はない。正直、俺自身も目の前で見た光景が今でも信じられないのだ。いや、理解が追いついてないと言った方が正しいだろう。


 地の国への門を開いて、地の神ゴルゴンをかえした。

 文章にすれば簡単だが、実際に目にした側からすれば堪ったものではない。


 何せ人ならざる領域の門を開き、神を送り出して再び閉じたのは、たった一人の青年。


 その『退去の儀』を行った張本人――チャールズ・アドルナートは、倒れた女の傍に跪き、自分の外套を脱いで被せていた。すぐ横では彼と契約する古代精霊――カンタリスがその様子をジッと見守っている。


「? 何やってんだアレ?」

「エベルト、それよりホラ、チャールズさんから頼まれてたやつ!」

「ああ、そういやまだだったな」


 退去の儀の衝撃をどうにか頭から振り払い、チャールズからの頼まれ事を済ませにかかる。


 ゴルゴンとの戦いで石化し、粉々になった王国騎士団の欠片かけらをすべて集める。

 ジャンニーノと俺の組み合わせであれば一瞬で終わる用事だった。


「はいコレ、破片の場所」


 ジャンニーノが宿すのは、万物を見通す智神アルテネルヴァの加護。宝珠オーブには無数に散らばった石片の位置が表示されている。


「多いなー……やるけどよ」


 そして俺が宿すのは、一足で万里を駆ける旅神メルキュリースの加護。その加護は人に限らず、あらゆる物をあらゆる場所へと運ぶことが出来る。


 ただし、いくら神の加護とはいえ万能ではなく、見た事もないものを見た事もない場所に運ぶことは出来ない。


 ――つまりは、『もの』と『場所』さえ見えればどうとでもなる。


 俺は宝珠オーブを通して石の破片に対して神誓術を発動した。


「【転移アスポート】」


 辺り一面に散らばっていた石の破片が光に包まれ、十数人分の石の破片が野営地の中央に集められる。


 何度かに分けて全ての破片を集めきった所で、チャールズがこちらにやってきた。

 腕の中ではゴルゴンに憑依されていた女が、頭から外套にくるまれて抱えられている。

 彼女を見下ろすチャールズの顔は、うつむいていてよく分からない。


「お手数おかけします、エベルト殿、ジャンニーノ殿」

「オレとエベルトならこのくらい余裕だよ!」


 チャールズは自慢げに胸を張るジャンニーノに会釈し、女を抱えたまま俺の前に立つ。


「……なるべく、彼女の顔を見ない様にしていただけませんか?」


 彼女を抱えたチャールズは、堅い声でそう言った。彼の言葉の意味を一瞬考え、直ぐに思い至る。

 地の神ゴルゴンが語った、彼女の半生。逆恨みで顔を焼かれたと言っていた。


「彼女に同情されましたか?」


 人生を台無しにされ、手を差し伸べる者もなく、何もかもに行き詰まった果てに、無関係な人間への凶行へ走った女に情が移ったのかと。

 そんな俺の問いに、チャールズは首を横に振った。


「彼女はすでに、大勢の人を殺しています。この国の法にのっとって、裁かれなければなりません」


 それでも、と彼は言う。


「……目の前の命を諦める事に、慣れる日は来ないんだと思います」


 ああ、と俺は納得した。


 彼は薬師であり、本来ならば人の命を助ける人間だ。

 けれども貴族として、この国に住む人間として、正しい選択をすると決めた。


 彼女が罪人である前に一人の人間であると認め、そして俺に引き渡された彼女にどんな刑が言い渡されるか理解した上で。


 ――まだ十六歳の『子供』が、だ。


 この国の法では、十五歳から成人だと決められている。だが少なくとも二十年ほど前の自分は、世の中の不条理に納得できる『大人』なんかじゃなかった。


 石化を薬で治したり、死にかけたジャンニーノを復活させたり、地の神を一人で退去させたりと、まあ規格外な能力の持ち主であるのには間違いないけれども。


 それ以前に、チャールズ・アドルナートは一人の子供なのだ。


 ――罪人の命なんて、子供が背負う必要はない。


 俺はチャールズの腕から半ば奪い取るような形で女を抱き上げる。唐突な俺の行動に目を丸くしたチャールズに向かって言った。


「――後は全て、こちらでお引き受けいたします」


 ――だから、責任なんか感じるな。


 貴族おとなとして振る舞うチャールズに、俺と言う大人が今できる、精一杯の返答だった。


 呆気に取られていた彼は、一瞬泣きそうな顔をしたけれど、すぐにまだ幼さの残る顔を引き締める。


「お願いします。俺は、騎士の皆様の蘇生に入ります」


 チャールズは律儀に頭を下げてから、さっき俺たちが集めた騎士たちの石片せきへんに向かった。


 その背中に、思わずため息が零れる。


 らしくもない感傷に浸りかけた頭を二、三度振って切り替える。チャールズから受け取った彼女の身を拘束しておかねばならない。


「【転送アポート】」


 旅神の加護で、神誓騎士の天幕から手元に縄を引き寄せる。

 どこに何があるかを正確に理解していれば、智神アルテネルヴァの加護で確認していなくても必要な物を手に入れられるのだ。


 女をそっと地面に横たえ、骨ばった手足と乾いてひび割れた肌をなるべく意識しない様に、手早く縛り上げて拘束する。


「ニャーン」


 足元からの鳴き声に目を向けると、カンタリスが四本の足を揃えてペコリ、とお辞儀をした。

 雰囲気からして、『ありがとうございます』でいいのだろうか。


「……仕事ですので、お気になさらず」

「ウニャッ」


 彼女は長い尻尾をピンとたて、トコトコとチャールズの下に歩いて行く。

 チャールズはちょうど回復薬ポーションの小瓶を一本飲み干した所だった。おそらく退去の儀で使った魔力マナを補充する魔力回復薬マナポーションだと思うが、天幕で俺とジャンニーノにつかった薬から察するに、あれも絶対に普通の魔力回復薬マナポじゃないだろう。


「ねえねえエベルト、ホントに皆復活するかな?」

「せめてもう少し不安そうに聞け、ジャンニーノ」


 期待の目を隠そうともしないジャンニーノの頭を小突いたが、反省の様子はない。


 そして、カンタリスが隣に並んだのを確認したチャールズが、石くれの山に杖を向けた。


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