長い夜の終わり
夜の終わり①
「ジャンニーノ、何て言ってる?」
「……ダメ、音が小さすぎて拾えない」
俺――エベルト・フェルナンディは、目の前で進む古代語の会話をもどかしい気分で眺めていた。
毒の
内容は、地の神ゴルゴンを神域から呼び寄せ、人間の女に憑依させた術者について。
四日前の惨殺事件と、今回の襲撃も指示した黒幕であり、王都の周辺で起きている物資襲撃の重要参考人と思しき人物の情報は、こちらとしては何を差し置いても欲しい。
「なあ、ジャンニーノ。俺が話聞くのは――」
「絶対にダメ」
相手が誰であろうが言いたい事をズケズケと言うジャンニーノが、必死の形相で俺を止めた。
「向こうは地の神だよ。オレたち天の
「……そういうもんか」
神殿育ちのジャンニーノが言うなら、そうなのだろう。
地の神は天で罪を犯して追放された神々で、人の神グラーテが人だった頃から、自分たちを追いやった天の神々を恨んでいるらしい。
要するに俺たちが生きるこの大地は、神々の流刑地。落ちれば二度と戻れない。人間風に言い換えれば、地獄か。
正直、俺はそこまで神話に明るい訳じゃないので実感はないが、自分が地獄に落とされたら、落とした奴を恨まない道理はない。
口を挟めば拗れるのは容易に想像できた。
「ん?」
こちらに背を向けたチャールズが、ゴルゴンの言葉を聞いた一瞬、身体を強張らせたように見えた。
それから二言三言、言葉を交わした彼は毒壁から離れ、こちらを振り向く。その表情をぎこちないと感じるのは、考え過ぎだろうか。
「エベルト殿、今から『退去の儀』を行います! それで――」
「た、退去? チャールズさん、今、『退去の儀』って言いました?」
声を上げたのは冒険者の魔術師のお嬢さん――確か、リオって名前の娘だった。
「リオ、えっとその、タイキョノギって何?」
「退去の儀、です。アローナさん。生き物に憑りついた悪霊などを退散させるための儀式です」
弓使いの姉ちゃん――アローナの質問の答えを聞いた盾の兄ちゃんとホビットの兄ちゃんが目を見張る。
「アレは魔獣じゃない、という事か?」
「……じゃあ何なのアレ」
二人は毒壁の向こうにいるゴルゴンの正体が分からず困惑していた。そう言えば、説明の途中でゴルゴンが話しかけて来た為、ろくに情報共有が出来ていない。
ジャンニーノの加護で翻訳させていたけれども、向こうには見せていなかった。
「ジャンニーノ、説明よろしく」
「えー丸投げかよー」
文句を言うジャンニーノを無視して、何かを言い掛けたチャールズの方に向かう。
「失礼、俺に何か?」
「はい。『退去の儀』をしている間にお願いしたいことがあって」
チャールズはおもむろに、足元の白い石を拾って俺に差し出した。
「『退去の儀』を終えた後、王国騎士団の皆さんの蘇生を行いますので――」
「蘇生できんの!?」
思わず素の口調で突っ込んでいた。
何せ最初に石にされた騎士たちは、ゴルゴンと盾の兄ちゃんとの戦いで全員もれなく粉々。破片が四方八方に散らばり、どれが誰だかさっぱりわからない状態だ。
石化からの蘇生法はいくつか知っているが、いずれも共通して『全身の破片が揃っている事』が大前提になっている。体の一部を失くしたまま石化を解いてしまえば、失われた部位は戻らない。
目を丸くしたチャールズに慌てて謝罪して続きを促す。
「失礼しました。それで、俺は何をすればよろしいですか?」
「はい。ジャンニーノ殿と一緒に、騎士団の皆さんの石片を一か所に集めて欲しいんです」
「出来ることにはできますが、この有様ですよ? どれが誰だか……」
「いえ。集めていただければ、それで充分です」
お手数ですがお願いします、とチャールズは気負うことなくサラリと言ってのけた。
――マジだ。こいつマジで言ってやがる。
横目でそっと、そこら中に散らばる石片を眺める。同僚や王宮に努める魔術師を思い浮かべたが、この惨状をどうにか出来る人間に心当たりはなかった。
それとも、俺が知らない間に新しい蘇生法でも見つかったのだろうか?
――いずれにせよ、どうにもならなかったとしても、別に誰の責任にもならないな。
「わかりました。魔術に関しては俺もピアーニ騎士もからきしなので、お任せします」
そう言ってチャールズから離れ、ジャンニーノと冒険者たちに再び合流する。
ジャンニーノからゴルゴンについて聞いた冒険者の四人は全員、驚きを隠せないでいた。
「……つまり、うっかり殺してたら俺らではどうにも出来なくなってたわけ?」
「そうだね。チャールズさんから聞いてなかったらヤバかった……あ、エベルトおかえり」
ホビットの兄ちゃんと話していたジャンニーノを呼び止め、チャールズとのやりとりを要約して説明する。
ジャンニーノ含め、全員が信じられない物を見る目で俺を見た。
「ち、チャールズさん、この人たちを蘇生できるんですか……?」
地面に散らばった石片を見て、真っ先に声を上げたのは魔術師のリオちゃんだ。顔色が悪いのは絶対、
「破片が揃ってれば出来る、みたいな感じだったな。ちなみにお嬢ちゃんは――」
リオちゃんは高速で首を横に振った。だよね、よかった。
俺が知らない間に新しい蘇生法でも出来たのかと思ったが、現役B
「エベルト、始まった」
ジャンニーノの声で毒壁に顔を向けると、チャールズが杖を構え古代語の詠唱を始めていた。
「【
厳格さを感じさせる、独特の抑揚をつけた力強い声。先程までとは別人のようなその声に、肌の内側が粟立つ。
「【この地に肉体を持つもの、この地に精神を持つもの、この地に魂を持つもの】」
「【この地に生きる全てものに、わたしの許しなく触れてはならぬ】」
支配者、という言葉がぴったりだった。実際、俺の周りにいる全員が、チャールズの声に呑まれている。
「【内に潜むもの、名をゴルゴン、その身は汝のものならず、その心は汝のものならず、その命は汝のものならず】」
「【退け、そして去れ】」
「【汝は七つの門をくぐり、地の底へと還るべし】」
チャールズが杖先をゴルゴンに向けると、毒壁の中に立っていたゴルゴンの後ろに、七つの魔法陣が現れた。
「【第一の門で馬を降りよ、第二の門で兜を脱げ、第三の門で武器を置け】」
一つの魔法陣を六個の魔法陣で囲むように配置されたそれが、チャールズの声に合わせて、外側のものから順番に光を
「【第四の門で鎧を外せ、第五の門で靴を脱げ、第六の門であらゆる装飾を捨て去れ】」
「【第七の門の前にて、汝は何一つ
全ての魔法陣に光が灯ると、中央の魔法陣が縦に割れた。
魔法陣はまさしく門が開くように、割れ目からゆっくりと左右に分かれる。
門の向こうに現れたのは、黒。一切の奥行きも何もない、ただただ真っ暗な空間。何もかもを塗りつぶす何ものでもない何か。
――ダメだ、向こうに行けば帰れない。
根拠もなく、見ただけで確信した。自分に宿る
「【この地にあらゆるものを残すこと能わず、この地よりあらゆるものを持ち去ること能わず】」
「【疾く退け、疾く去れ】」
「【汝、地の神ゴルゴン! 地の国へと還るがいい!】」
チャールズがゴルゴンに向けていた杖を、魔法陣の門へと鋭く振り抜けば、毒の
そして、倒れたゴルゴンの肉体から大量の
靄はやがて俺たちの背丈の何倍もの高さまで立ち上り、頭から無数の蛇を生やした巨大な女となった。
どこか陰のある、退廃的な笑みを浮かべた女は、背中から音もなく魔法陣の門へと吸い込まれた。女を形作っていた靄がほどけ、見る間に門の向こうへ消えて行く。そして――
「【閉じよ、地の国の門】」
「【人の神グラーテの名において、汝、その
二つに割れた魔法陣が、割れた時と同じ
「【古の誓約、ここに果てり】」
その一言で、魔法陣は空気に溶けるように消える。ゴルゴン――だった女を囲んでいた毒壁もいつの間にかなくなり、ただただ静寂だけが残されていた。
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