黒鹿の角③
――……最悪すぎる……!
俺――ギデオンは、目の前の状況に叫び出したくなるのをグッと堪える。
蛇女とバーンの睨みあいを打破するために、アローナが挑発した隙にリオに指示を出し、魔術で仕留めてもらう筈だった。
だがそこに騒ぎを聞いて駆けつけた騎士達を、蛇女が頭から生えた蛇で捕らえ、人質にしたのだ。
あれでは、アローナの矢もリオの魔術も防がれる。それにアローナはともかく、リオは人質ごと敵を攻撃できる性分ではない。
しかも騎士たちを巻き込んで攻撃をしようものなら、仮に討伐できたとしても、騎士に刃を向けた犯罪者として国を追われる立場になる。
――落ち着け、考えろ。仕事を投げるんじゃねえ、俺!
左目と左手を石化されている上、呪いを防ぐ手段も遠距離攻撃の手段もない俺は、蛇女とは戦えない。
今の俺に出来ることは、状況を把握して知恵を絞る事くらいだ。
俺は音を立てない様にゆっくりと深呼吸をした。いくらか冷静になった所で、木の陰に背中を預けながら、右目だけで蛇女の方を見る。
女の周りには数人の騎士が蛇に捕らわれ盾にされている。人質の間からは蛇たちが絶えず
せめて蛇の目が離れてくれれば動きようもあるが、現状そうも行かないのがもどかしい。
「おのれ貴様! 仲間を離せ!」
すると、先頭に立っていた
「やだわ騎士様、まるで私が悪者みたいに。私は守って貰ってるだけよ! 騎士は民を守るのが仕事でしょう? アハハハハハ!」
蛇女の耳障りな
「四日前の事件も貴様の仕業か?」
「そうよ? すごいでしょう? 私にひどい事する奴は、みんな石にして粉々にしちゃうの! アハハハハハ!」
自分が優位に立った事で興奮しているのか、聞かれてもいない事を狂ったようにまくし立てた。
「石にした奴らは、粉々にしちゃえば誰にも治せないの! そして夜が明けたら元通り! バラバラのまま元に戻って、みーんな挽き肉になっちゃうのよ! アハハ、アハハハハハ!」
口の端から泡を飛ばしながら、人殺しをさも誇らしげに
「何故、そのような
「なんで? アハハハ、決まってるじゃない!」
蛇女は両手を胸の前で組み、ねっとりした眼差しで虚空を見上げて言った。
「私を助けてくださった、『あの方』に命じられたからよ」
俺を含め、その言葉を聞いた全員が息を呑んだ。
誰かが、明確な悪意を持って蛇女に虐殺を指示したという事実に背筋が凍る。
「『あの方』はね、地獄に居た私に手を差し伸べて下さったわ!
私のように、この
その為に戦う力を、私に授けて下さったのよ! アハハ、アハハハハハ!」
そう言って両腕を広げ、甲高い声で笑っていた蛇女は恍惚の表情から一転、
「……それなのに! 弱い人たちを助けるための第一歩になる素晴らしい役目を任せられているのに、よくも邪魔してくれたわね!」
「君が俺たちと依頼人を害そうとしてきたからだ」
歯をむき出しにして怒り狂う蛇女に向けて、バーンは淡々と応じる。
だが、蛇女が発した言葉にバーンだけでなく、全員の目が驚愕に見開かれる事になった。
「
「……なんだって?」
――おびき寄せた、だと?
周りの反応などお構いなしに、蛇女はキイキイと甲高い声でがなり立てる。
「あの方が言ったのよ! 騎士たちの目の前で見せしめにしてやればいいって!
『
なのにアンタは石に出来ないし、商人たちもいつの間にかいなくなってるし!
ホンット最悪よ!」
なぜナルバさんが、危険を承知でこの野営地を使うと判断したのか。
迂回するための路銀が足りないから? いや、決定打はそれじゃない。
『――その野営地には、昨日から『アウレア神誓騎士団』が警備についているとの事です!』
これだ。王国最強の騎士団が警備についていると言う情報。だからナルバさんは安心して……
――騎士団の警備の内情なんて、一体どうやって手に入れるんだ?
全身から、血の気が引いていく。ナイフを持ったままの右手で、思わず頭を掻きむしる。
――ちくしょう、なんで気付けなかった!?
路銀に困っていたナルバさんに、居もしない盗賊の詳細を吹き込み不安にさせ、その上で都合のいい情報を流し野営地に向かわせる。
四日前に惨殺事件があった中で、騎士たちが追い返すことはないと織り込んだ上で、だ。
こうやって
そして目の前で守らねばならない一般人を殺して士気を下げ、生き残った奴を人質にして、反撃させずに一方的に
ナルバさんの不安、民を守らねばならない騎士たちの立場、間違った情報による思い込み。
徹底して人の弱みに付け込んで利用した、ただただ悪意に満ちた策。
――ふざけんなよクソが!!!
――なにが人を助けるための素晴らしい役目だ! 無関係な人間の命を、良心を、平気で利用する奴がふざけた事抜かしてんじゃねえよ!
「……君は、その命令を何とも思わなかったのか」
「? どういう意味?」
バーンの問いに、蛇女は虚を突かれたような声を出した。
「人を助けると言いながら、人を殺せと命令する。真逆の事を言われているのに、どうして変だと思わなかった?」
蛇女は何も言わずに立ち尽くしている。
「君は、君のように苦しむ人、そして弱い人を助けると言った。けれど君が殺してきたのは、大半が戦う
バーンの静かな問い掛けに、蛇女は。
「――……アハッ、アハハハハハハハハハハハハハ!」
面白くて堪らないと言わんばかりに、全身を揺らしてけたたましく笑いだした。
かと思ったらピタリと動きを止め、急に全ての表情をその顔から消した。
「私が殺してきた奴らが、助けなきゃいけない人じゃないのかって? ――冗談じゃないわよ!!」
蛇女の怒り様はこれまでの比ではなかった。蛇が人質の首をギリギリと締め上げ、騎士たちの口から呻き声が漏れる。
「やめろ! やめるんだ!」
年嵩の騎士が必死に呼びかける
「私が傷ついてた時は、誰も助けてなんかくれなかったわ。誰も、誰も、誰も誰も誰も誰も!!」
興奮が収まるどころか、全くの逆効果。もう、何を言っても無駄だろう。首を絞められた騎士たちの顔がどんどん赤くなっていく。このままでは時間の問題だ。
――どうにかしねえと、でも、どうする!?
だが蛇は相変わらず森に視線を注いでおり、姿を晒した瞬間石にされるのが目に見えている。突破口がないかと右目だけで忙しなく周囲を見渡すと。
――あ。
見れば、いつの間にかバーンが、盾を両手で構えていた。
生身の人間が喰らったらどうなるかなんて、言うまでもない。
バーンは、覚悟を決めたのだ。
騎士を殺せば国賊となり、最悪で死刑。運よく免れてもこの国に居場所はなくなるし、冒険者登録も抹消される。
だがここで蛇女を見逃せば、『あの方』とやらの命令で、何十何百もの人間が殺されてしまう。
バーンは、それを良しとはしない。出来るような男じゃないし、俺もそんな男をリーダーと呼んで、命を預けたりなんかしない。
「ギデオン」
いつの間にか近くに来ていたアローナが、小声で俺を呼んだ。
「盾を剥がすわ――リオの事、任せた」
矢を番えたアローナの視線の先には、蛇に絞められた騎士達がいた。
確かに、二人だけで仕留めれば、俺とリオは罪人にはならず、これまで通りに冒険者として生きられるだろう。
……が、どうやらアローナは俺の本職を忘れているらしい。
「……牢屋破りか。腕が鳴るな」
「へ?」
「……リオに解呪してもらったら、迎えに行く。今日は良いとこナシだったからな」
俺も覚悟を決める事にした。何をしてでも、四人全員で生き残る。冒険者じゃなくなったとしても、生きていれば何とでもなる。
少なくとも、命を預けてきた仲間を見捨てて生きるよりマシな人生ではあるだろう。
「私を苦しめて来たこの世界で幸せに生きてる連中なんて、みんな死ねばいいのよぉーーーーー!!」
興奮の度合いが頂点に達した蛇女の
――そして。
「ニャーン」
何とも場違いな鳴き声に、蛇女を含めた全員が動きを止めた。
居並ぶ騎士たちの足元からスルリと抜け出してきたのは、この五日間ですっかり見慣れた灰色。
完全に失念していた。アイツは、神誓騎士とやらに呼ばれて別行動。つまり、まだこの場に残っている。
ならば契約している彼女も当然、残っているのだ。
「……猫?」
人の神グラーテが人だった頃から幾先年もの時を生きる、土属性の古代精霊――カンタリスは、悠々と蛇女の前に姿を現したのだった。
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