黒鹿の角②


「【水よ、悪しき者どもの呪詛をきよめ流し給え】!」

「ケロロッ!」


 私――リオは、幌馬車の中で精霊のトニーと一緒に石にされたナルバさんを解呪した。


「――っは!? わ、私は一体……」

「ナルバさん、大丈夫ですか?」

「リオ殿、そうだ、騎士たちがあなた達に……うお!?」


 ナルバさんは石像になった皆さんを見て驚きに目を見開いた。

 私はこれ以上ナルバさんを慌てさせない様に、ゆっくりと、でも要点だけを伝えるように意識して話す。


「ナルバさん、聞いてください。Aランク相当の魔獣が出ました。魔獣は見た者を石にする『石化』の呪いを使うんです」


 ナルバさんは信じられない様子で石像と私を見比べた後、私に向かって頷いて続きを促した。


「バーンさん達が気を引いてくれています。私が解呪を行いますので、終わったら皆さんを連れて王都まで逃げて下さい」

「リオ殿。しかしそれではあなた達が……」

「大丈夫です」


 私はナルバさんの目を真っ直ぐ見て言った。


「皆さんが避難してくれれば、私たちは後ろを気にせず全力で戦えます。だから、安心して下さい」

「……わかりました」


 そして私は一人ずつ隊商の人たちを解呪していった。熟練の魔術師であれば一度に纏めて解呪できると言われているけれど、私の腕では出来ない。その代わり出来る限り手早く進めていく。

 馬車の外から戦闘の音が絶えず聞こえてくる中、隊商の皆さん全員の解呪をなんとか終わらせることが出来た。


 馬の無事を確認するために御者さんと一緒に荷台を降りた所で、ナルバさんに声を掛けられた。


「リオ殿、申し訳ない……私が金を惜しんだばかりに」


 野営地に来た判断を悔いているナルバさんに、私は首を振った。


「依頼人の意向を尊重するのは、当たり前です。護衛任務ですから、何があっても皆さんを守るのが私たちの仕事です」


 ナルバさんは悲しそうな顔を一瞬見せた後、私に深く頭を下げる。


「……報酬は弾ませていただきます。ですから、どうか、どうか必ず王都に受け取りに来てくださいね」


 私は無言で頷き、馬車の前側にまわる。一瞬、バーンさんと蛇女との戦いを横目で確認したけれど、盾のおかげで怪我も石化もしていないようだったのでホッとする。


「馬は無事です! すぐに出せます!」

「よし、行け!」


 ナルバさんの号令と共に幌馬車が走り出す。三台とも野営地から出たのを見届けて、バーンさんの援護に入ろうと振り向いた瞬間。


「――あ」


 バーンさんが、膝立ちになった蛇女の首に向けて剣を振り抜こうとする所だった。



 ◆



 森に入った私――アローナは、木の陰からバーンの剣が蛇女の首に吸い込まれるのを見た。


「終わった、かな」

「……油断すんじゃねえ。こうなりてえか」


 後ろから苦々しい声で呟くギデオンの顔は、左半分が白く固まってる。左手も指先から肘まで石化していて動かせない。


 少し離れた所には、あの難癖騎士たちの石像。倒れた女を助け起こそうとした所を石にされたようだ。

 ギデオンは木の上に隠れていたけど、至近距離では呪いを防ぎきれなかったらしい。あの広範囲に呪いをばら撒けるだけの力を持っている相手だ、無理もない。


 リオの方は上手くやってくれたみたいで、先程ナルバさん達の馬車が走り去っていったのが見えた。

 早く彼女と合流して、ギデオンを解呪して貰いたい所。


「わかってるって――」


 そう言って再び矢をつがえた直後――バーンが蛇女から飛びのいて距離を取った。


「なんだ?」

「っ! 剣が!」


 蛇女から離れたバーンの剣は、その三分の二程がなくなっていた。盾を構えたバーンの前で、蛇女がゆっくりと身体を起こす。


「……よ、……によ」


 蛇女はこちらに聞こえない声量でブツブツと何かを呟いている。頭から生えた蛇たちの一部が森に向かって鎌首をもたげ、チロチロと舌を出し入れしている。

 こちらを警戒する蛇たちがいる為、身動きが取れない。迂闊うかつに射れば居場所を特定されてしまう上、こっちには呪いを防御する手段がない。


「……なによ、何よ何よ何よ! 女一人を寄ってたかって殺そうなんて! アンタ達最低よ!」


 蛇女の身勝手な叫びに、私とギデオンは思わず顔をしかめる。バーンも険しい顔つきになったが、耳を貸す気はないらしく、黙って蛇女を睨んでいる。


 ――そっちから一方的に襲い掛かって来たくせに、何言ってんのかしらアレ。


 ただただ不愉快な気持ちに舌打ちしそうになるのを抑え、蛇女の挙動を観察する。

 フラフラと身体を左右に揺らし、覚束ない足取りで立ち上がろうとする蛇女の背中から、私の矢が刺さった箇所から音もなく、粉になった。


「うっそ」

「……『石化』させたのか」


 ギデオンの言葉に、先程のバーンの剣を思い出す。切りつけられた瞬間に、石化させて粉にしたのだ。


 更にはバーンが切り落とした蛇の首から、新たな蛇の頭が生えて来た。よく見れば、射抜いたばかりの背中の傷も塞がっている。

 再生能力。しかもかなりの速さだ。


「マズいわね、武器だけじゃ倒しきれなさそう」

「……いや、不意打ちは刺さってた。常に発動させてるんじゃねえな。石化が間に合わない速さで急所に一撃ぶち込めば、たぶん倒せる。それか――」


 ギデオンが右目だけで、無人になった天幕に視線をやる。

 視線の先では、天幕の陰でリオがバーンと蛇女の様子を伺っていた。


 ――成程、魔術なら石に出来ないってわけね。


「ギデオン、リオに伝えたらすぐ森に逃げてね」

「……下手うつなよ」

「誰に言ってんのよ」


 私は撃った直後にすぐ動けるよう少しだけ膝を曲げて、弓を引き絞る。ギデオンは音もなく私から離れ、森と野営地の境界ギリギリの位置に身を隠した。


 私の攻撃は蛇女に警戒されてしまっているし、バーンは剣を折られて攻撃手段がない。ギデオンは片目と片手が石化してる上、遠距離攻撃が出来ないので戦闘に参加できない。


 頼みの綱は、リオとトニーだ。


 私が森から攻撃して蛇女の気を引いている隙に、ギデオンが叫んでリオにそれを伝える。そして向こうが私を狙っている所を、魔法で攻撃してもらう。

 バーンに伝えられないのは悪いけど、長い付き合いだ。アイツなら状況を見極めて動けると確信している。


 ――私がどれだけ蛇女アレの気を引けるかで、戦況が変わる。


 森は見通しが悪いとは言え、私はバーンのように防御手段がない。

 向こうの攻撃は見えない上、一度でも当たったら一巻の終わり。


 しかも最初の一撃とさっきの不意打ちで、蛇女の恨みを一番買ってるのは私だ。仕掛ければ、間違いなく私を殺しにかかってくる。


 ――いいわね、燃えて来た。


 不利な状況にもかかわらず、自然と口角が上がってしまう。


 蛇に見つからないよう、木の陰から僅かに身を乗り出して、蛇女に狙いを付ける。

 蛇女は未だバーンと睨みあっている。石化の呪いは盾で防がれ、蛇で攻撃しても避けられるから、手を出しあぐねているのだ。

 そしてバーンの方も剣を失くして手を出せない。


 お互いが決め手に欠いた膠着こうちゃく状態。

 それを破る一矢を放とうとした、正にその時だった。


「何をしているか貴様らーーー!!」


 耳に入って来た大量の足音と怒号に、血の気が引いた。


 騒ぎを聞きつけた騎士団がやって来たのだ。


「駄目です! 来ないでくださ――」


 バーンが声を掛けた時には手遅れだった。


 女の頭から生えた蛇が素早く伸び、先頭を走っていた数人の騎士を絡め取った。突然の事に悲鳴を上げて暴れる騎士たちの四肢に無数の蛇が絡みつき、屈強な男たちが為すすべもなく持ち上がる。


「アハハハ! そうよねえ! アンタだけ盾があるなんてズルいわよねえ!!」


 蛇女は捕らえた騎士たちを見せびらかす様に高々と掲げ、甲高い声で狂ったようにわらっていた。




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